左の「日記からのピックアップ」にも載せているART iT。先程そのART iTを見ていたけれど凄い発見。大竹さんの記事は当然の事として、「都築響一の現代美術場外乱闘」というコーナーがあり最終回なのですが、アウトサイダー・アートを紹介していて、そこで紹介されていた林田嶺一というお爺ちゃんの作品が凄い!なんでこうなるの?って強烈に思う。実際に見たいな~・・・凄く憧れる。
表現は全く違うのに、その人の作品と大竹さんの作品から近い気配を受けるのは何故だろう?多分、正しい事を言おうとしていないっていうのが共通因子の一つのような気がする。人として正しいとか、正しくないの意味でも、言葉の意味でもなく、表現としてそんな部分には無頓着、無関心なカッコ良さと言えば良いのか?・・・昨日、パズルパンクスを聞いていても感じた事だけど、正しい事を言おうと全くしていないというか、していないのじゃなく、そんな事度外視。だから表現と人間が同じ目線で、絵でも音楽でも、どこかを切り取って大竹伸朗を理解しようと思っても多分不可能なのだろうと思いながら聞いていた。きっと生涯というか、それこそ本当の全景を俯瞰して初めて理解可能なのだろう。
ほとんど多くの表現は正しい事を言っている。だから、ある作品だけを取り上げて評価も可能だろうけど、アウトサイダー・アートや大竹伸朗には、絶対にそれは当てはまらない。
出来るようで絶対に出来ない事・・・ん~悔しー!
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