
画像は2002年5月28日となっています。
みなさんご存じのNHK『趣味の園芸』銘キャスター 須磨佳津江さんです。
先日、須磨さんにメールで事前に確認をとって、これを書かせて頂いています。
画像のトミーは明らかに酔っていますね(笑)。
番組の収録後なのか、パーティーの後なのか、記憶フォルダーからふっとんでいます。余程、楽しかったんでしょうね。あまりにもうれしくて「めちゃめちゃ楽しかったあ~」という記憶しか残っていないです。
須磨さんとは、過去何度かお食事にご一緒させて頂いたので、今でこそ緊張感は減り、オヤジギャグを言えるようになりましたが、10年ほど前は、いつも緊張しておりました。
彼女は、以前『趣味の園芸』のテキスト内で、ずっとエッセイを書かれていたのです。雑誌にはライターというかたもいらっしゃって、お手伝いしてくださることもあるのですが、多忙にもかかわらず、須磨さんは毎月ご自身のお考えを、自らペンをとって書かれ、発信されていたのです。その連載にぼくは毎回感銘を受けておりました。
だから、ぼくはずっと尊敬して心から慕っていたんです。
だから初めての出逢いは、
ぼくにとってとても鮮烈な記憶として、頭のなかに残っています。
初めて『趣味の園芸』に出演させて頂いたデビューのときでした。
確か、30歳になったばかりで、まだ『頑張れ!若造』って感じの頃でした。
それにロケ地は、わが国の洋ラン業界が誇る『加賀正太郎氏が設計された大山崎山荘』だったので、もう歓喜のあまり、涙がでそうでした。
幼いときから、父からずっと加賀正太郎氏のことを聞かされ、
何度も、『蘭花譜』を見せられ、教育を受けておりましたから。
関西における洋ラン神様の館でロケできるという奇跡。
当時は「人生でたった一度の『趣味の園芸』の出演」だと、
思っておりましたから、前日はドキドキして眠られなかったと思います(笑)。
彼女が京都の大山崎山荘のロケ地にこられ、
ぼくは緊張しながら、深々とご挨拶したのを憶えています。
『須磨佳津江さんとのたった一度の出逢い』だと思い、
すごく緊張して、カチコチだったような気がします(爆)。
そんなどんくさい当時のトミーに、彼女は優しく手ほどきしてくださって。
「なんて優しいお方だろう」って妙に感動していたことを憶えています。
須磨さんのイメージは、美しく、知性溢れる、優美な女性でした。
お帰りになるとき、大輪のカトレアのカットフラワーを5~6輪、
須磨さんに差し上げたのですが、そのお姿がかっこよかったあ~。
目上の人に「かっこよかったあ~」とは失礼だと思いますが、
とにかくかっこよかったんです。
ブラックのコートを、
ガッチャマンがコートをひるがえすように、
「バサッ」と。
ブラック地に映える深紅のカトレア。
そのバックには、秋の夕日が、・・・。
当時はデジカメもなく、その画像は残っておりませんが、
ぼくの頭のなかに、ぼくだけの映像が残っています。
最近はラジオやイベントでお忙しいとお聞きしております。
くれぐれもお身体、ご自愛下さいませ。
いつか大阪のBKの番組でも、共演させて頂けることを
心から願っております。
須磨さんは秋に新しい著書を発刊されるみたいです。
詳細がわかり次第、皆様にお伝えしたいと思います。
ちなみに関西洋ラン神様の館は、以下の書籍に詳しく書かれています。
蘭花譜―天王山大山崎山荘 加賀 正太郎 (著)
追記、
読み返しもなく、そのままアップします。
下手な文章、文体はご容赦ください。
原稿仕事とは違い、単なるぼくの回想録ですから。
昨夜、教え子(卒業生)から、携帯で見るには、長すぎると、
お叱りを受けてしまいました。ごめんなさいね。
うけを狙ってのブログを書いているわけではないので。
お伝えできるとしたら、哲学です。卒業生のみなさん、
へっぽこ講師でしたが、ぼくも頑張って生きていきますから。
みなさんも、辛いこともあるでしょうが、いつも前を見て、
邁進くださいね。富先より。
みなさんご存じのNHK『趣味の園芸』銘キャスター 須磨佳津江さんです。
先日、須磨さんにメールで事前に確認をとって、これを書かせて頂いています。
画像のトミーは明らかに酔っていますね(笑)。
番組の収録後なのか、パーティーの後なのか、記憶フォルダーからふっとんでいます。余程、楽しかったんでしょうね。あまりにもうれしくて「めちゃめちゃ楽しかったあ~」という記憶しか残っていないです。
須磨さんとは、過去何度かお食事にご一緒させて頂いたので、今でこそ緊張感は減り、オヤジギャグを言えるようになりましたが、10年ほど前は、いつも緊張しておりました。
彼女は、以前『趣味の園芸』のテキスト内で、ずっとエッセイを書かれていたのです。雑誌にはライターというかたもいらっしゃって、お手伝いしてくださることもあるのですが、多忙にもかかわらず、須磨さんは毎月ご自身のお考えを、自らペンをとって書かれ、発信されていたのです。その連載にぼくは毎回感銘を受けておりました。
だから、ぼくはずっと尊敬して心から慕っていたんです。
だから初めての出逢いは、
ぼくにとってとても鮮烈な記憶として、頭のなかに残っています。
初めて『趣味の園芸』に出演させて頂いたデビューのときでした。
確か、30歳になったばかりで、まだ『頑張れ!若造』って感じの頃でした。
それにロケ地は、わが国の洋ラン業界が誇る『加賀正太郎氏が設計された大山崎山荘』だったので、もう歓喜のあまり、涙がでそうでした。
幼いときから、父からずっと加賀正太郎氏のことを聞かされ、
何度も、『蘭花譜』を見せられ、教育を受けておりましたから。
関西における洋ラン神様の館でロケできるという奇跡。
当時は「人生でたった一度の『趣味の園芸』の出演」だと、
思っておりましたから、前日はドキドキして眠られなかったと思います(笑)。
彼女が京都の大山崎山荘のロケ地にこられ、
ぼくは緊張しながら、深々とご挨拶したのを憶えています。
『須磨佳津江さんとのたった一度の出逢い』だと思い、
すごく緊張して、カチコチだったような気がします(爆)。
そんなどんくさい当時のトミーに、彼女は優しく手ほどきしてくださって。
「なんて優しいお方だろう」って妙に感動していたことを憶えています。
須磨さんのイメージは、美しく、知性溢れる、優美な女性でした。
お帰りになるとき、大輪のカトレアのカットフラワーを5~6輪、
須磨さんに差し上げたのですが、そのお姿がかっこよかったあ~。
目上の人に「かっこよかったあ~」とは失礼だと思いますが、
とにかくかっこよかったんです。
ブラックのコートを、
ガッチャマンがコートをひるがえすように、
「バサッ」と。
ブラック地に映える深紅のカトレア。
そのバックには、秋の夕日が、・・・。
当時はデジカメもなく、その画像は残っておりませんが、
ぼくの頭のなかに、ぼくだけの映像が残っています。
最近はラジオやイベントでお忙しいとお聞きしております。
くれぐれもお身体、ご自愛下さいませ。
いつか大阪のBKの番組でも、共演させて頂けることを
心から願っております。
須磨さんは秋に新しい著書を発刊されるみたいです。
詳細がわかり次第、皆様にお伝えしたいと思います。
ちなみに関西洋ラン神様の館は、以下の書籍に詳しく書かれています。
蘭花譜―天王山大山崎山荘 加賀 正太郎 (著)
追記、
読み返しもなく、そのままアップします。
下手な文章、文体はご容赦ください。
原稿仕事とは違い、単なるぼくの回想録ですから。
昨夜、教え子(卒業生)から、携帯で見るには、長すぎると、
お叱りを受けてしまいました。ごめんなさいね。
うけを狙ってのブログを書いているわけではないので。
お伝えできるとしたら、哲学です。卒業生のみなさん、
へっぽこ講師でしたが、ぼくも頑張って生きていきますから。
みなさんも、辛いこともあるでしょうが、いつも前を見て、
邁進くださいね。富先より。
その中の進行者の中で、もっとも気に入ってるのが須磨アナでした。
質問や受け答えに無駄が無く、かと言ってあまり前に出てこない。そして、優雅で穏やか。
次に、適役だと私が感じてるのが柳生真吾氏ですから、
「趣味の園芸」での須磨アナと柳生氏での進行は、私にとって「鶴田、天龍組」に匹敵する黄金コンビです。
~「鶴田、天龍組」に匹敵する黄金コンビです~には笑えました。確かにそうですね。
真吾ちゃんが以前言ってました。
「須磨さんとは、夫婦以上の絆がある」って!
横でトミーは、
「いいなあ~」って感じで
いじけておりました(爆)
「鶴田、天龍組」って、プロレスファンにはたまらないですね。鶴田選手、大好きだったのに、残念ですね。
ブログ開設お知らせのメールを頂いていたので、見に来ました!
お忙しいでしょうに、内容豊富なブログでびっくりしました。
私も最近ブログを始めました。
暇があればのぞいてみてください。
私も趣味の園芸テキストの須磨アナのエッセイ、花にまつわるエピソードで楽しみにしていましたよ。
本はそれらのエッセイをまとめられるのかな?楽しみです。
ところで須磨さんはもう趣味の園芸には出られないんですか?
またいろいろな方の共演エピソードも楽しみにしています。
山野草さんへ
須磨さんも喜んでおられました。
「エッセイを記憶されている方がいたなんて!」
っておっしゃってましたよ。
今後も須磨さんを応援してくださいね。
ぼくは須磨さんから本当にいろんなことを授かりましたから。