なぜ前向きに生きていかれない人がいるのだろうか?
それは「『自己実現』を理解されていないから」なんだろうか?
なぜ誹謗・中傷される人がいるんだろうか?
それは「だれかに意地悪されたから」なんだろうか?
なぜ否定的なことばかり考える人がいるのだろうか?
それは「肯定的に考えてもうまくいかなかったから」なんだろうか?
確かに、
この世には様々な『負のエネルギー』が存在し、
漂っているのかもしれない。
憎悪、歪み、妬みなどはすべて負のエネルギーだと思う。
そんな『負のエネルギー』を「鬼は外」と叫んで追い払いたい。
ボクは米国から帰国してから、様々な人々からたくさんのチャンスを与えて頂けた。
いつもボクのもとに、神様が降臨してくださった。
まだ26歳程度で大企業の顧問を務めさせて頂いたこともある。
部下は東○、京○、早○田、慶○大卒。
人の性格に寄るけれど、高学歴だというだけで、
仕事せず生きていらっしゃる目上の部下もいた。
あまりの酷さに、トップのかたへ直談判したことがある。
単なる若気の至りであった。
トップのかたは、ボクに、
『自己実現を教えていなかったわしらの責任だ!』
その一言で、ボクはなにも反論できなくなった。
ボクはそんな辛い日々のなか、学歴コンプレックスが消えた。
学歴なんて問題ではなく、
死ぬまで『なにかを追い求めて探求して生きていくかが重要なんだ』
と改めて気づいた。
だから、基本的に『人のことは気にならない人』になれた。
いつも目立っていたからだろうか?、
長年、出る杭は打たれる経験をしてきた。
だからといって、された意地悪を他人にしたいとは思わない。
まだ26歳のとき、あるかたから、
『ラン屋辞めるか?先生辞めるか?どっちかにしろ!』
とお叱りの電話を真夜中に頂いたことがある。
ボクはこんな状況が一番、不得意だ。一瞬、脳がフリーズしてしまう。
親・親族でもないかたに、ボクの仕事を問われることはない。
そんなかたに限って、
今になって、「富山先生~」とおべんちゃらをいってくる。
だから口先だけの「先生~」という響きがあまり得意ではない。
でもその御方が、『辞めろ!』と言って下さったお陰で、
ボクは物書きになれた。今ではその御方に深く感謝している。
若くても『先生』と呼んで頂けても、
回りからひんしゅくを買わないようにするには、
「著書を出版するしかない」と心に決めたからだ。
そんな紆余曲折があって、いまの自分が存在する。
様々な障害(いわゆるイジメ)があっても、
ボクはそれを自分の糧にできる人かもしれない。
17年経過しても、『先生』と呼ばれるのは、基本的に不得意。
『先生という役』は仕事上、演じるけれど、
自分自身、先生という認識はあまり存在していない。
だから番組でもトミーと呼ばれるようになったのかもしれない。
先生というアイデンティティよりも、
『なにかを伝えられる人になりたい』のかもしれない。
*********************************************
いまでも、負のエネルギーに満ちた人と出会うととても辛い。
なぜひねくれた解釈をされるんだろう?
なぜ必要以上に歪んでしまったんだろう?
ボクにはなにもできない。
「幼いとき、夢見る明日があった」はずなのに、
否定的な負のエネルギーが、
どこで入ってしまったんだろう?と辛くなる。
ちっちゃい、ちっちゃい『欲望』を満たしても、
それは本能が無作為にさせているだけのこと。
(*本能:食欲・睡眠欲・性欲・集団欲)
ある目標に向かって、我慢して辛抱して努力して、
手に届きそうで届かないレベルを自分で設定し、
それをクリアすることが本当の幸せに出逢えることなのに。
幸せでない方のお顔を拝見すると、悲しくなる。
口がへの字に曲がった渋い表情を拝見すると、悲しくなる。
意地悪な人、嫌みしか言えない人、うっとしい表情に満ちた人、
いつも機嫌の悪い人、愚痴しか言わない人、ひねくれた解釈をされる人、
御自身の力で、
負のエネルギーを出せなかったんだろうと思い、悲しくなる。
『鬼とは負のエネルギー』なんだろうと思う。
負のエネルギーがとめどなく増幅すると、
どっちみち、いつか人類は絶滅してしまうかもしれない。
(否定的なことを書いてごめんなさい。矛盾していますね)
エネルギー問題、食糧問題、人口問題、環境問題など、
クリアしなければいけない問題が、
信じられないほど山積みになったままである。
園芸は『自然破壊の始まり』ともいえる。
大きく育った木々を
人の都合でなぎ倒し、燃やすと二酸化炭素が発生する。
厳密に考えれば、園芸は一概に地球のためともいいきれない。
かといって、ここまで地球を破壊してきた現在でも、
自然のためだからといって、直ちに経済活動を止めることもできない。
せめて、
心のなかに入ってくる『負のエネルギー』に冒されないように
精進して、頑張って、正のエネルギーで生きていきたい。
そして地球という一番偉い神様のお怒りにふれないように
母なる大地を守っていきたい。
この20年間、自分自身を演出してきた富山昌克の本質を考え直したいと思う。
『園芸家というトミーの未来』を前向きにとらえてみたいと思う・・・。
地球の未来とともに。
皆さん、ご唱和下さい。
「鬼は外~。福は内~。
負のエネルギーは外~。正のエネルギーは内~。」
それは「『自己実現』を理解されていないから」なんだろうか?
なぜ誹謗・中傷される人がいるんだろうか?
それは「だれかに意地悪されたから」なんだろうか?
なぜ否定的なことばかり考える人がいるのだろうか?
それは「肯定的に考えてもうまくいかなかったから」なんだろうか?
確かに、
この世には様々な『負のエネルギー』が存在し、
漂っているのかもしれない。
憎悪、歪み、妬みなどはすべて負のエネルギーだと思う。
そんな『負のエネルギー』を「鬼は外」と叫んで追い払いたい。
ボクは米国から帰国してから、様々な人々からたくさんのチャンスを与えて頂けた。
いつもボクのもとに、神様が降臨してくださった。
まだ26歳程度で大企業の顧問を務めさせて頂いたこともある。
部下は東○、京○、早○田、慶○大卒。
人の性格に寄るけれど、高学歴だというだけで、
仕事せず生きていらっしゃる目上の部下もいた。
あまりの酷さに、トップのかたへ直談判したことがある。
単なる若気の至りであった。
トップのかたは、ボクに、
『自己実現を教えていなかったわしらの責任だ!』
その一言で、ボクはなにも反論できなくなった。
ボクはそんな辛い日々のなか、学歴コンプレックスが消えた。
学歴なんて問題ではなく、
死ぬまで『なにかを追い求めて探求して生きていくかが重要なんだ』
と改めて気づいた。
だから、基本的に『人のことは気にならない人』になれた。
いつも目立っていたからだろうか?、
長年、出る杭は打たれる経験をしてきた。
だからといって、された意地悪を他人にしたいとは思わない。
まだ26歳のとき、あるかたから、
『ラン屋辞めるか?先生辞めるか?どっちかにしろ!』
とお叱りの電話を真夜中に頂いたことがある。
ボクはこんな状況が一番、不得意だ。一瞬、脳がフリーズしてしまう。
親・親族でもないかたに、ボクの仕事を問われることはない。
そんなかたに限って、
今になって、「富山先生~」とおべんちゃらをいってくる。
だから口先だけの「先生~」という響きがあまり得意ではない。
でもその御方が、『辞めろ!』と言って下さったお陰で、
ボクは物書きになれた。今ではその御方に深く感謝している。
若くても『先生』と呼んで頂けても、
回りからひんしゅくを買わないようにするには、
「著書を出版するしかない」と心に決めたからだ。
そんな紆余曲折があって、いまの自分が存在する。
様々な障害(いわゆるイジメ)があっても、
ボクはそれを自分の糧にできる人かもしれない。
17年経過しても、『先生』と呼ばれるのは、基本的に不得意。
『先生という役』は仕事上、演じるけれど、
自分自身、先生という認識はあまり存在していない。
だから番組でもトミーと呼ばれるようになったのかもしれない。
先生というアイデンティティよりも、
『なにかを伝えられる人になりたい』のかもしれない。
*********************************************
いまでも、負のエネルギーに満ちた人と出会うととても辛い。
なぜひねくれた解釈をされるんだろう?
なぜ必要以上に歪んでしまったんだろう?
ボクにはなにもできない。
「幼いとき、夢見る明日があった」はずなのに、
否定的な負のエネルギーが、
どこで入ってしまったんだろう?と辛くなる。
ちっちゃい、ちっちゃい『欲望』を満たしても、
それは本能が無作為にさせているだけのこと。
(*本能:食欲・睡眠欲・性欲・集団欲)
ある目標に向かって、我慢して辛抱して努力して、
手に届きそうで届かないレベルを自分で設定し、
それをクリアすることが本当の幸せに出逢えることなのに。
幸せでない方のお顔を拝見すると、悲しくなる。
口がへの字に曲がった渋い表情を拝見すると、悲しくなる。
意地悪な人、嫌みしか言えない人、うっとしい表情に満ちた人、
いつも機嫌の悪い人、愚痴しか言わない人、ひねくれた解釈をされる人、
御自身の力で、
負のエネルギーを出せなかったんだろうと思い、悲しくなる。
『鬼とは負のエネルギー』なんだろうと思う。
負のエネルギーがとめどなく増幅すると、
どっちみち、いつか人類は絶滅してしまうかもしれない。
(否定的なことを書いてごめんなさい。矛盾していますね)
エネルギー問題、食糧問題、人口問題、環境問題など、
クリアしなければいけない問題が、
信じられないほど山積みになったままである。
園芸は『自然破壊の始まり』ともいえる。
大きく育った木々を
人の都合でなぎ倒し、燃やすと二酸化炭素が発生する。
厳密に考えれば、園芸は一概に地球のためともいいきれない。
かといって、ここまで地球を破壊してきた現在でも、
自然のためだからといって、直ちに経済活動を止めることもできない。
せめて、
心のなかに入ってくる『負のエネルギー』に冒されないように
精進して、頑張って、正のエネルギーで生きていきたい。
そして地球という一番偉い神様のお怒りにふれないように
母なる大地を守っていきたい。
この20年間、自分自身を演出してきた富山昌克の本質を考え直したいと思う。
『園芸家というトミーの未来』を前向きにとらえてみたいと思う・・・。
地球の未来とともに。
皆さん、ご唱和下さい。
「鬼は外~。福は内~。
負のエネルギーは外~。正のエネルギーは内~。」