けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年07月10日 | Weblog

フォックス神父のファチマに対する近代主義的攻撃

第 II 部(続き)

クリストファー・A.フェララ

(『ファチマ・クルーセイダー』特別報告

1989年に何が起こったのか?

なぜフォックス神父は1989年に、常識は問わないとしても、この立場の変化がシスター・ルチアの変わることのない証言に反するときに、突然、ロシアの奉献はロシアに言及する必要がなかったと宣言したのであろうか?なぜ、1989年にわれわれは、シスター・ルチアが彼女の生涯においてすべて他のあらゆることを手書きで書いていたときに、シスター・ルチアの以前の証言を突然ひっくり返すコンピュータで作られた手紙、そして彼女によって署名されたと主張されている手紙を見始めたのであろうか?

その答は1988-89年の間にバチカン当局の反ファチマ分子、最もありそうなのは国務長官、から出ている一つの指令にあると思われる。著名なファチマ学者のフレール・フランソワが詳しく述べているように:「ファチマの当局者、シスター・ルチア、メッシアス・コエリョそして聖母に深く献身していた一フランス人司祭[明らかにピエール・カイヨン神父]を含むさまざまの聖職者にバチカンから一つの命令が出されたが、それはすべての者に、ロシアの奉献で教皇を悩ませることを止めるように命じていた。」ファチマ熱愛者のカイヨン神父は「すべての者に次のように言いまた考えるように義務づける一つの命令がバチカンから来た:『奉献はなされた。教皇は彼ができることをすべてなした。神はこの姿勢に同意なさったのだ』と。」注22)

十分偶然に一致して、そのバチカンの命令の時期の後、フォックス神父が突然精力的に、ロシアは言及されさえすることなしに奉献された、そしてロシアは「回心しつつある」という路線を促進し始めた。彼が彼の雑誌の1989年10月-11月号において主張したように、世界の奉献はロシアの奉献の代わりに神によって「受け容れられた」そして「われわれは神が約束を守り始めておられる印を見ている」のである、と。十五年後、ロシア社会とロシアにおけるカトリック教会の状態が衰退し続けているときでさえ、フォックス神父は今なおロシアの回心の「始まり」を宣言している。

世界の奉献が1984年始めに行われたとすれば、なぜフォックス神父は、この奉献が神によって「受け容れられた」ということをわれわれに説得するキャンペーンを始めるために1989年後半まで--五年以上も--待ったのだろうか?次の結論は不可避である:バチカン国務長官はファチマに関する新しい党路線[当局の方針]--すなわち、ロシアは奉献された;ファチマは終わった、という方針--を指示したばかりだった。事実、当時のグルーナー神父の司教(アヴェリーノの司教)が最初にグルーナー神父のファチマ使徒職--それは党路線には従っておらず、むしろ(今日までそうであったように)1984年にはロシアは奉献されなかったと主張し続けていた--に関するバチカン国務長官からの「憂慮すべき信号」について知らせて来たのは1989年であった。

いまだにフォックス神父からは何の返答もない

今日に至るまで、フォックス神父は、ロシアの回心が要求していることに関するシスター・ルチアの変わることのない以前の証言における、そう主張されている突然の撤回を説明するようにという--1990年と1992年の--クレイマー神父と The Fatima Crusader によって彼に発せられた要請に対して返答できていない。注22a) フォックス神父は答を持たないがゆえに要請に答られなかったのだ。

その代わりに、フォックス神父は奉献のネオ近代主義的、「エキュメニカル」バージョンにサインした:すなわち、その中ではロシア以外のすべてが言及されている一つの儀式、というバージョンである。それゆえに、1984年以来われわれは単に世界の奉献ばかりでなく、(2000年10月8日には)「すべての民」、「胎児」、「貧困と苦悩の中へ生まれてきた者たち」、「意味を求める青少年」、「失業者」、「飢餓と病に苦しむ者たち」、「すべて問題を抱えた家族」、「助ける者を持たない老人」、そして「孤独で希望のないすべての者」など、受益者たちの全リストをもった、しかしロシアについてのいかなる特殊的な言及をも排除する「委託の行為」と呼ばれたマリアへの奉献を見たのである

これらすべての異なった集団をマリアに奉献することが悪いことであると誰も論じることはできないであろう。反対に、それはよいことである。しかし、ここにわれわれはもう一つのネオ近代主義的テクニックが働いているのを見るのである:すなわち、彼らが隠したいと望んでいる他のよいことを隠すために一つのよいことを強調することである -- 例えば、ネオ近代主義者が、神の正義を覆い隠すために神の憐れみについて絶えず語る、あるいはキリストの神性を覆い隠すためにキリストの人間性について絶えず語る時のように--。奉献されることを聖母が要求なさった一つの事柄以外の地の表におけるあらゆるものを奉献することによって、ファチマのネオ近代主義的バージョンを言いふらす人々は聖母がまず第一に地上に来られた理由:すなわち、聖母の汚れなき御心の勝利と世界における平和の先触れとしてのロシアの回心を求めること:をわれわれに忘れさせようと努めるのである。そして今フォックス神父はファチマの単純な真理のこのネオ近代主義的鈍化に参加しているのである。

フォックス神父はネオ近代主義的「ロシアの回心」を促進している

ネオ近代主義的「ロシアの奉献」に署名することによってフォックス神父はロシアのそうだと主張されている1984年以来の「回心」のネオ近代主義的バージョンを擁護する約束をしている。

「グルーナー神父 -- 職務停止を受けたカトリック司祭」という見当違いの標題をつけられた彼の論考において、フォックス神父は彼自身、「世界にはなお戦争、暴力が存在し、そしてロシアは回心からはほど遠い」と認めている。フォックス神父は次に彼自身の支持者たちによって彼に明らかに提出された反論に言及している:「もし奉献が達成されているならば、なぜロシアは回心していないのか?」と。その反論に答えるよりもむしろ、フォックス神父は誇張して、「ロシアが聖性の民そしてローマ・カトリックとして突然回心するという地上の天国が[教皇と司教とによる]集団的奉献に直ちに続かなければならないという立場に執着する」人々を冷笑する。

換言すれば、フォックス神父はファチマ・メッセージの心臓に短剣を突き刺しながら、ファチマの聖母はカトリック宗教に一時期の世界平和とロシアの回心という二つの奇跡を約束なさらなかったと主張しているのである。フォックス神父に従えば、聖母はわれわれが今日見ていること:世界平和なし、ロシアの人々の回心なしということ以上の何物をも約束なさらなかったのである。しかしもしそうだとしたら、ファチマの御出現の要点は何であろうか?神の御母はただ、奇跡は聖母の要求が成就しても直ちに起こらないであろうということを告知するためにだけ地上に来られ、太陽の奇跡を呼び下ろされたのか?これはいかなる種類のナンセンスであるか?それはネオ近代主義的ナンセンスであり、ファチマを全く同時に肯定しかつ否定するナンセンスである。

しかしながら、フォックス神父が非常によく知っているように、地上における聖母の介入は事実、メキシコの全民族の奇跡的回心を産み出している。異教主義の暗闇のうちに失われたおよそ900万の霊魂が1531年のグアダルーペの聖母の御出現に引き続くわずか9年という短い期間に洗礼を受けカトリック教会の中へ受け入れられたのである。しかし、そこでロシアが一度も言及されなかった「ロシアの奉献」20年後に、フォックス神父はわれわれに、われわれは聖母にロシアにおける同じような奇跡を産み出すこと -- あるいは実際、かなりの数のロシア人をカトリック信仰に回心させること -- を期待することはできない、と告げるのである!そしてこの人物が、いいですか、自らをファチマの聖母と聖母の汚れなき御心の勝利の偉大なチャンピオンであると描き出している人物なのである。

そのことについてしばらくの間考えるとき、フォックス神父が実際に論じていることは神がロシアの奇跡的回心をもたらすことはできないということである。過去40年間にわたって教会を堕落させてきたエキュメニカルな霧によってその視野を曇らされて、フォックス神父は神御自身の力を暗黙のうちに否定しているのである。

フォックス神父をレオニード・フェオドロフ Leonid Feodorov 神父(1879-1935)と比較せよ。フェオドロフ神父は、まだロシア正教会の神学の学生であったときローマへ旅行し、1902年7月31日--ファチマの聖母がすべてのロシア正教会の人々にフェオドロフの例に従いなさいと求めるために来られる15年前に--ジェズ Gesu でカトリック教会に一致した。フェオドロフはカトリック司祭に叙階され、ロシアにおけるビザンチン典礼カトリック教会の総主教代理として長に上げられたが、正教会のローマとの再統合を促進した「罪」のためにボルシェヴィキによって懲役10年の刑を宣告された。自分の宣告についてフェオドロフ神父はこう宣言した:「私にとって銃殺刑を受けようが、あるいは10年の懲役刑に処せられようがみな一つのことである。しかし私は決して狂信の徒ではない。私がカトリック教会に身を投じた瞬間以来私の唯一の考えは、私が唯一の真の教会であると信じているその教会に私の国を連れて行くことであった。」

ファチマの聖母に奉仕するこれ以上に勇敢な兵士が存在し得るであろうか?フォックス神父に関して言えば、彼は自らをマリアの使徒と呼ぶことを恥ずべきであろう。なぜなら、われわれが見るであろうように、彼は教会における自分の心地よい地位を、そのためにフェオドロフ神父が喜んでその生命を捧げた「唯一の真の教会」へのロシア立ち帰りに反対して働くために用いているからである。

 
"教皇パウロ六世によって枢機卿とされたマリオ・ルイジ・チアッピ枢機卿は教皇ヨハネ・パウロ二世の個人的神学者に選ばれた。このように、彼は真の第三の秘密に近づくことができた。その主題について彼はこう書いた:「(ファチマの)第三の秘密には、他のこともいろいろあるが、教会における大きな背教が頂点において始まるであろうということが予告されている。」このことについてより詳しい情報については The Devil's Final Battle (『悪魔の最後の戦い』)を読んでください。

ロシア正教会の聖母?

フォックス神父は「いかなる奉献も神によって受け入れられなかったという証拠としてロシアについての恐怖物語」を明らかにしている。(彼がうまく言い逃れることができない)「恐怖物語」を体裁よくごまかしながら、フォックス神父は、見たところまったく真面目に、正教会総主教アレクセイ二世 -- かつてのKGB要員! -- の次のような見解を引用している:--すなわち、彼(アレクセイ)は、ロシア正教会が「再生」を経験しつつあるということを「信じている」と。この人物はつい最近、教皇がモスクワにおける小さなカトリック者の集団に有線放送のテレビ放送 -- プーチン氏によって統制されたテレビ局がロシア人一般に教皇の写真を放送することを拒否したがゆえに、有線放送なのだが -- を行った時、教皇は「ロシアの領土を侵略している」と金切り声をあげた同じアレクセイ二世である。

それゆえに、教皇に対するその忠誠を声高に公言している自称ファチマの使徒であるフォックス神父は今や、神の御母がロシア正教会 -- 教皇との霊的交わりをまったく拒否し、カトリック教会がロシアにおいて改宗者たちを作るいかなる努力をも断念しない限り教皇のモスクワ訪問をさえ許そうとしない、同じ分離主義的教会 -- の「再生」をもたらすために地上に来られたと示唆しているのである!どうか、フォックス神父よ!聖母は分離主義的なロシア正教会に援助を与えるためにファチマに来られたのではなくて、むしろ、ソロヴィエフが予想したように、そしてわれわれがフェオドロフ神父の歴史的回心において見るように、ロシアの人々をカトリック教会と和解させるために来られたのである。

おそらく、自分自身の立場の馬鹿げていることを認めながら、フォックス神父は、ヨハネ・パウロ二世が「正教会についてわれわれの姉妹教会として話しておられる」と主張することによって彼のネオ近代主義的「ロシアの回心」のために教皇の権威を主張しようと試みているのであろう。フォックス神父よ、再び間違いである。2000年6月9日に、信仰教義聖省は教皇によって特別に承認された一つの教義上の覚え書きを発したが、それはこう警告している:

「人はカトリック教会がある特定の教会の、あるいは諸教会のグループの姉妹であると言うことはできない...従って、人は誤解および神学的混乱の源泉として、もしカトリック教会とオーソドックス諸教会の全体(あるいは単一のオーソドックス教会)に適用されるならば、特定の諸教会のレベルでばかりでなくて、また信条において告白された一、聖、公および使徒的教会のレベルにおいても複数制を意味し、その真の実在がかくして曖昧にされる、われわれの諸教会というような定式の使用を避けるべきである。」

それゆえ、「ロシアの回心」についての彼のネオ近代主義的な表現を擁護する際に、フォックス神父は、情け容赦なく「エキュメニカルな」バチカン当局者でさえ神学的混乱 -- カスパー枢機卿を含む何人かのバチカン官僚たちのエキュメニカルなイニシャティヴによって引き起こされた同じ混乱 -- を避けるために断罪せざるを得なかったネオ近代主義的な教会論に少しばかりふけっているのである。(そのようなことはシスター・ルチアによって述べられた「教会の悪魔的な方向感覚喪失」である。)

違うのです、フォックス神父よ、正教会はカトリック教会の姉妹教会ではない。なぜなら、キリストはいかなる「姉妹」も持たない唯一の教会を建てられたからである。フォックス神父よ、ロシア正教会は分派主義者たちであって、ファチマの聖母は彼らを一なる真の教会 -- 一、聖、公、そして使徒的教会 -- 聖母がその母である教会、と和解させるために来られたのである。そのことはフェオドロフ神父や他のそのような勇敢な改宗者たちがわれわれに教えていることである。フォックス神父よ、あなたは、ソダノ党路線を擁護し、人間たちの称賛 -- ソダノ枢機卿やカスパー枢機卿のような人々によってあなたに与えられる社会的地位 -- をあなたに与える「エキュメニカルな」バチカン官僚にへつらおうとするあなたの熱意においてファチマのメッセージを改悪したのである。グルーナー神父はそのような社会的地位を持っていない -- 実際、彼はそれを望みもしないし求めもしない -- なぜなら、彼は、あなたとは違って、敢えてファチマについて、そして教会および世界における危機、あなたの周りすべてで爆発しているのにあなたが断固として存在しない振りをしている危機、に対するその関係についての真理を話しているからである。

いずれにせよ、フォックス神父よ、あなたがロシア正教会の「再生」として提示しているものは一つの神話である。ロシア正教徒と自称しているほとんどすべての人々が彼らの宗教を実践していないということはよく知られている。The Economist 誌が述べているように:「ロシアは信仰の危機を経験している...18歳から29歳までの年齢のロシア人の94%は教会に行っていない。」注23)かくしてロシア社会の道徳的堕落が加速していることはほとんど驚くに足りない:赤ん坊一人の誕生に二つの中絶(ロシア人女性一人は平均5回から6回の中絶)、1991年と2002年の間に平均的ロシア人男性の予想余命を68年から60年に低下させた猛威を振るうアルコール中毒と暴力犯罪、ボリス・エリツィンによる同性愛の合法化に続くエイズ伝染病の急増、ロシアのポルノに好意的な法体系のおかげでの児童ポルノ産業の隆盛(ロシアが世界中にその諸々の誤謬を広めるもう一つのやり方)等々。注24)

フォックス神父は、彼が分派主義的、反ローマのロシア正教会の神話的な「再生」以外のロシアの宗教的回心の何らかの証拠を産み出すことに失敗しているときでさえ、「不幸なことに、ロシアにおける正教会は宗教的目的の促進のための国家への信頼のメンタリティを今なお持っている」ということを認めざるを得ない。KGBの元長官で中絶賛成のウラディーミル・プーチン政権への信頼!これ以上何を言う必要があろうか?

百年以上も前にソロヴィエフが指摘したように、ローマと普遍的教会から切り離されたロシア正教会はほとんど国家の一被造物である。にもかかわらず、その元KGBの「総主教」がカトリック教会を迫害するためにプーチン氏と協力している国家によって支配された傀儡教会の存在しない「再生」が、フォックス神父が彼の読者たちに「ロシアの回心」として掴ませようと努力しているものである。

簡潔に言えば、ロシア正教会の「再生」は、ファチマのメッセージを「エキュメニカル」路線に沿って改訂しようとするフォックス神父の試み全体と同様に、一つの欺瞞なのである。(続く)


最新の画像もっと見る