今なお隠されている秘密のローマにおける公式紹介
ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる(続き)
The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より
ソリデオ・パオリーニ博士
四つの言い訳
第一の言い訳
要約において彼が言っておられる第一のことは、Associazione Madonna de Fatima(ローマにあるファチマ・センター)が2000年に公表されたテキストの真相を認めることを望んでいないということです。この表現によって、猊下、あなたは何を意味しておられるのでしょうか?そう思われますように、あなたは、Associazione Madonna de Fatima が2000年の聖年に公表されたテキストはシスター・ルチアを通じて神から来たとは認めていないということを意味しておられますか?
Associazione の外部コンサルタントとして、私はあなたに尋ねます:猊下、あなたはどのようにして、われわれがそのテキスト、特別にあなたの2000年6月のテキストを真正のものと認めているということを、知らずにいることができるのでしょう。われわれが他のテキストが存在する、あるいは他のテキストが破壊されあるいは失われてしまったかも知れないが、しかし確かになお周りに何らかのフォトコピーが存在するに違いない、あなたが公表なさったテキストに付属したそしてその部分である別のテキストがある、と主張していることは本当です。
われわれはあなたが公表なさったテキスト部分の真正性についての真実を認めています。この問題に関してわれわれは完全に一致しています。
第二の言い訳
もう一つの二番目の主張は "Fatimites"「ファチマ擁護者たち」(これはファチマを促進し、ファチマに関する彼の立場に同意しない者に対するベルトーネ枢機卿の見くびった用語である 英語訳者注)が彼を憎んでいるということ、彼の敵どもはかたくなな心を持っているということ、そしてこの種の別のさまざまのひとをけなす所見です。
これに対して答えることは非常に容易なことです。まず第一に、かたくなな心を持つことはエヴァのすべての哀れな子らが持っている永続的な危険です。しかし、猊下、あなたはご自分の書物L'Ultima Veggente di Fatima 『ファチマの最後の秘密』をお読みになりましたか?その中ではあなた御自身の主張とは異なった主張を持つすべての人々に対する諸々の侮辱やいやみな所見に欠けることはありませんよ。
猊下、おそらく何人かの「ファチマ擁護者たち」はあなたに対して暴力的な手をかけたでしょう。そうです、私に対して、そのことは起こりました。猊下、あなたの書物の紹介の際教皇庁立ウルバニアナ大学で、です。「敵ども」- あなた御自身が用いておられる言葉を使うなら - の保安要員たちは、猊下、私の指をねじったというところまでさえ行きました。なぜそのような罰を受けるほどの罪が私にあるのか私は分かりません。おそらく、それはカポヴィッラ大司教との私の会話のためでしょう。あるいは、おそらくそれは私がアントニオ・ソッチの側に立っていたためでしょう。
そのとき、私は手に携帯電話を持っていました。そしておそらく保安要員たちは、私が起こっていたことを記録していたと誤って考えたのでしょう。おそらく、猊下、彼らはあなたにもまた暴力的な手をかけたのです。私には、確かにそのことが起こりました。私は何をしたのでしょうか?
猊下、あなたがあなたの直接的な責任の下で起こったことを知らないということは妥当なことではありません。なぜなら、日刊新聞やさまざまのインターネット・サイトがそのことについて話したからです。おそらくあなたはその事件を遺憾に思われたでしょう。これまでのところわれわれはそのようなことについて何一つ聞いていません。
第三の言い訳
そして今や司祭である質問者が猊下に書いた他の二つの事柄に話を進めることにしましょう。その司祭は彼自身の新しい手紙でもって猊下の手紙に返事をしました。彼の二番目の手紙は今や送られてすでに2ヶ月以上になります。そして彼はあなたが「ファチマ擁護者たち」すなわち、いわゆるファチマ過激論者たち - に帰しておられるこれら二つの主要な誤りへの答のいかなる暗示をも受け取っていません。
第三の誤りは、とりわけ、「ファチマ擁護者たち」がファチマの第三の秘密に関するベルトーネ枢機卿の諸々の行動を自発的になされたものとして考えているということです。換言すれば、ベルトーネ枢機卿に従えば、「ファチマ擁護者たち」はベルトーネ枢機卿が、事実は、彼がより高い権威を持った誰かある人(名前の明かされない)からの命令で行為したのに、彼自身で行為したと、考えているということです。
ある人は私にこう言いました:「率直に言って、それは、同じ議論がニュルンベルクの裁判で無益に使われていますから、重要な点であるようには思われません」と。(これは、第二次世界大戦において戦争犯罪を犯したドイツの下級将校たちが自分たちは命令に従ったのだと主張しながら - ひょっとしたら本当であるかもしれない - 彼らの戦争犯罪を正当化した場合がそうであった。その議論は彼らの上司たちに従うことよりも高い法があると指摘することによって、裁判所によって受け入れられなかった。そして彼らは、上司たちが彼らに神の法に反する何かあることをするように告げるとき、より高い法、神の法に従わなければならないのである。英訳者の注)
良心を賞賛したラッツィンガー枢機卿によって書かれたもっと美しいページがあります。しかしながら、われわれはこの点に関してベルトーネ枢機卿に少しばかりの名誉を与えなければなりません。ファチマ・メッセージ全体を歓迎することに対して多くの異なった抵抗がありました。非常に多くの抵抗がありました。それは不名誉なことです。諸教皇の躊躇を思い起こしましょう。ファチマに関して、当時その省の長であった者に加えて、国務省の変わらない反対について考えてみましょう。
(それがカッサロリ枢機卿であれ、あるいはソダノ枢機卿であれ、あるいはベルトーネ枢機卿であれ)、それがロシアの奉献に対する反対のためであれ、あるいは25行の一枚の紙に含まれている一触即発の言葉の隠匿に対する反対であれ - ファチマの聖母は国務省長官によって彼女の上に置かれた外向的な諸制限には従われませんでした。今日クリス・フェララが言ったように、ファチマの聖母のメッセージと諸々の御要求は政治的に正しいものではありません。
ベルトーネ枢機卿に手紙を書いた司祭が言っているように、この点を結論づけるならば:よろしい、猊下、第三の秘密に関するあなたの立場に対して与えられた諸々の反対に対してあなたの人を納得させる、そして的確な解答はどこにあるのでしょうか?これらの反対はまったく詳細をきわめるものです。これらの反対はわれわれには、それらがあなたから来るものであれ、あるいは他の人々から来るものであれ、あなたが挙げられた個人的な諸問題よりももっと重要であると思われます。
第四の言い訳
枢機卿が「ファチマ擁護者たち」に帰しておられる他の誤りは預言された諸々の懲罰を変化し得ないものと見る誤りです。そうではありません、猊下、われわれはすべての預言が条件的なものであるということを知っています。すなわち、諸々の預言のうちの一つを除いてすべての預言、最後の一つの美しい預言、絶対的であるたった一つの預言を除いて、です:その一つの預言とは「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう」という預言です。
他のすべての預言は皆条件的です。もしあなたがこのことをするならば、私の汚れなき御心は苦痛を伴わない仕方で勝利するでしょう。もし、他方において、あなたが別の道を取るならば、あなたはなお同じ目的に到達するでしょうが、しかし、これらの悪の代価を支払いながら、一つの誤った、苦痛に満ちた仕方でその目的に到達するでしょう。
猊下に返事を書いたあの司祭が指摘しているように、あなたは諸々の罰でいっぱいになっていると神が示しておられる道を選んだと思われます。それでもやはり、われわれはベルトーネ枢機卿のこの反対を一つのより制限された意味において好意的に解釈するように努めましょう。おそらく、彼は正しい、敬虔な霊魂たちの祈りと償いが、すでになされた彼らのよい行いと同様に、示された諸々の懲罰を避けるために何らかの影響を与えることができるということを示そうとされたのでしょう。
この意味において、彼が言っておられることのうちにはある真実があるでしょう。しかし、それは完全に真であるでしょうか?例えば、第三次世界大戦を取り上げてみましょう。ソッチは、おそらく1985年に計画されていたこの戦争は1984年3月25日の教皇ヨハネ・パウロ二世の賞賛に値する行為のおかげで起こらなかったと考えています。しかしこの行為(マリアの汚れなき御心への世界の奉献の行為)は不完全でした。そして世界情勢は今日なお脅威的です。
懲罰は決定的に克服されたのでしょうか?それとも、それはただ他の時に延期されたにすぎないのでしょうか?ベルトーネ枢機卿はそのような脅威が、すでになされたよい行為のおかげで、それらがもはやわれわれにとって一つの脅威ではないという確実性をわれわれに与えるということを確信しておられるのでしょうか?
疑いの場合には、われわれが、それがそのような大変動に関係づけられているということを知っているときに、あなたは、猊下、そのように重要なテキストを公表させないことの責任を取ることができますか?疑いの場合に、あなたは、誰かある人は、その重要なテキストを、文字通りに、そして宣言の形で、公表させないことの責任を取ることができますか?核のホロコーストの想像を超えた恐怖の具体的な可能性の前に立ちながら、われわれは、たとえ猊下の精神にとってそのようなテキストが何らかの相違をなすことがほとんどできないとしても、少なくとも隠されたテキストを公表しないことをわれわれ自身に許すことはできません。
われわれは何をすることができるか?
とりわけ、私は『今なお隠されている秘密』という書物のうちに見出される諸々の提案について考えてみたいと思います。それらの提案は「われわれは何をすることができるか?」と題された最後の章に含まれています。それは祈り、償いそして請願への三つの訴えです。
親愛なるクリストファー、あなたはうまく書きました。あなたは正しい - トップにいる人々だけが何かあることをすることができるということは本当ではありません。残りのわれわれはただ状況について嘆き不平を言うことができるだけであるということは本当ではありません。事実、われわれがすることができる、そしてわれわれがしなければならないさまざまの事柄、小さな事柄、単純な事柄、しかし実際貴重な事柄があります。
神がたったの10人の正しい人すらそこに見出すことがおできにならなかったがゆえに滅ぼされたソドムの大きな都市を思い起こしてみましょう。彼らは自分たち自身を神の法に一致させることを望みませんでした。
われわれは教皇に、彼が最終的にいわゆる付属文書(すなわち、今までのところなお隠されている聖母の言葉を含んでいる第三の秘密のもう一つ別のテキスト=英語訳の訳者注)を公表なさるように、請願を送ることができます。そのような請願をファチマ・センターは促進して来ました。そして、私もまた、イタリアで一年半の間そのことを促進して来ました。そのような請願は教皇にとって一つの励ましであり得ます。そしてあらゆ場合に、それは神の目に喜ばしいドア・ノッキングになるでしょう。
われわれは、秘密のテキスト全体が公表されるように、われわれのロザリオに一つの決まった意向を加えることができます、あるいはわれわれは毎日ロザリオの後に一つの「めでたし」を加えることができます。われわれは聖体礼拝式の間にこのことのために神に懇願することができます。司祭たちはこの意向のため、第三の秘密全体の公表の恩寵のために、ミサを捧げることができます。そして司祭がミサのための別の意向を持っているときでさえ、彼はこの意向を memento di vivorum 生者のためのメメントのうちに置くことができます。
病者はこの意向のために彼らの苦しみを捧げることができます。われわれは皆この意向のためにある断食あるいは他の小さな犠牲を捧げることができます。われわれは信仰から、神にとっては何一つ不可能ではないということを知っています。しかし神は(聖ピオ十世がわれわれに告げておられるように)通常はこれらの恵みを神に求める人々にお与えになります。
そこでこの目的のためにあらゆることをしましょう。十字軍を持ちましょう。一つの運動 - 祈り、償いそして請願の熱心なキャンペーン - を持ちましょう。そうすればおそらくわれわれは神からそのような恩寵を得ることができるでしょう。われわれはこのことをまじめに受け取らなければなりません。なぜなら - そのことを決して忘れないようにしましょう - 司牧者たちの悪い決定はまた神の民の霊的に耳が聞こえないことに対する神の懲罰でもあるからです。
イエズスのいとも聖なる御心よ、あなたの王国が来ますように。あなたの王国がマリアを通してわれわれに来ますように。ありがとうございました。
ベルトーネ枢機卿は「今なお隠された秘密」
の主要な見解に暗黙のうちに同意しておられる(続き)
The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より
ソリデオ・パオリーニ博士
四つの言い訳
第一の言い訳
要約において彼が言っておられる第一のことは、Associazione Madonna de Fatima(ローマにあるファチマ・センター)が2000年に公表されたテキストの真相を認めることを望んでいないということです。この表現によって、猊下、あなたは何を意味しておられるのでしょうか?そう思われますように、あなたは、Associazione Madonna de Fatima が2000年の聖年に公表されたテキストはシスター・ルチアを通じて神から来たとは認めていないということを意味しておられますか?
Associazione の外部コンサルタントとして、私はあなたに尋ねます:猊下、あなたはどのようにして、われわれがそのテキスト、特別にあなたの2000年6月のテキストを真正のものと認めているということを、知らずにいることができるのでしょう。われわれが他のテキストが存在する、あるいは他のテキストが破壊されあるいは失われてしまったかも知れないが、しかし確かになお周りに何らかのフォトコピーが存在するに違いない、あなたが公表なさったテキストに付属したそしてその部分である別のテキストがある、と主張していることは本当です。
われわれはあなたが公表なさったテキスト部分の真正性についての真実を認めています。この問題に関してわれわれは完全に一致しています。
第二の言い訳
もう一つの二番目の主張は "Fatimites"「ファチマ擁護者たち」(これはファチマを促進し、ファチマに関する彼の立場に同意しない者に対するベルトーネ枢機卿の見くびった用語である 英語訳者注)が彼を憎んでいるということ、彼の敵どもはかたくなな心を持っているということ、そしてこの種の別のさまざまのひとをけなす所見です。
これに対して答えることは非常に容易なことです。まず第一に、かたくなな心を持つことはエヴァのすべての哀れな子らが持っている永続的な危険です。しかし、猊下、あなたはご自分の書物L'Ultima Veggente di Fatima 『ファチマの最後の秘密』をお読みになりましたか?その中ではあなた御自身の主張とは異なった主張を持つすべての人々に対する諸々の侮辱やいやみな所見に欠けることはありませんよ。
猊下、おそらく何人かの「ファチマ擁護者たち」はあなたに対して暴力的な手をかけたでしょう。そうです、私に対して、そのことは起こりました。猊下、あなたの書物の紹介の際教皇庁立ウルバニアナ大学で、です。「敵ども」- あなた御自身が用いておられる言葉を使うなら - の保安要員たちは、猊下、私の指をねじったというところまでさえ行きました。なぜそのような罰を受けるほどの罪が私にあるのか私は分かりません。おそらく、それはカポヴィッラ大司教との私の会話のためでしょう。あるいは、おそらくそれは私がアントニオ・ソッチの側に立っていたためでしょう。
そのとき、私は手に携帯電話を持っていました。そしておそらく保安要員たちは、私が起こっていたことを記録していたと誤って考えたのでしょう。おそらく、猊下、彼らはあなたにもまた暴力的な手をかけたのです。私には、確かにそのことが起こりました。私は何をしたのでしょうか?
猊下、あなたがあなたの直接的な責任の下で起こったことを知らないということは妥当なことではありません。なぜなら、日刊新聞やさまざまのインターネット・サイトがそのことについて話したからです。おそらくあなたはその事件を遺憾に思われたでしょう。これまでのところわれわれはそのようなことについて何一つ聞いていません。
第三の言い訳
そして今や司祭である質問者が猊下に書いた他の二つの事柄に話を進めることにしましょう。その司祭は彼自身の新しい手紙でもって猊下の手紙に返事をしました。彼の二番目の手紙は今や送られてすでに2ヶ月以上になります。そして彼はあなたが「ファチマ擁護者たち」すなわち、いわゆるファチマ過激論者たち - に帰しておられるこれら二つの主要な誤りへの答のいかなる暗示をも受け取っていません。
第三の誤りは、とりわけ、「ファチマ擁護者たち」がファチマの第三の秘密に関するベルトーネ枢機卿の諸々の行動を自発的になされたものとして考えているということです。換言すれば、ベルトーネ枢機卿に従えば、「ファチマ擁護者たち」はベルトーネ枢機卿が、事実は、彼がより高い権威を持った誰かある人(名前の明かされない)からの命令で行為したのに、彼自身で行為したと、考えているということです。
ある人は私にこう言いました:「率直に言って、それは、同じ議論がニュルンベルクの裁判で無益に使われていますから、重要な点であるようには思われません」と。(これは、第二次世界大戦において戦争犯罪を犯したドイツの下級将校たちが自分たちは命令に従ったのだと主張しながら - ひょっとしたら本当であるかもしれない - 彼らの戦争犯罪を正当化した場合がそうであった。その議論は彼らの上司たちに従うことよりも高い法があると指摘することによって、裁判所によって受け入れられなかった。そして彼らは、上司たちが彼らに神の法に反する何かあることをするように告げるとき、より高い法、神の法に従わなければならないのである。英訳者の注)
良心を賞賛したラッツィンガー枢機卿によって書かれたもっと美しいページがあります。しかしながら、われわれはこの点に関してベルトーネ枢機卿に少しばかりの名誉を与えなければなりません。ファチマ・メッセージ全体を歓迎することに対して多くの異なった抵抗がありました。非常に多くの抵抗がありました。それは不名誉なことです。諸教皇の躊躇を思い起こしましょう。ファチマに関して、当時その省の長であった者に加えて、国務省の変わらない反対について考えてみましょう。
(それがカッサロリ枢機卿であれ、あるいはソダノ枢機卿であれ、あるいはベルトーネ枢機卿であれ)、それがロシアの奉献に対する反対のためであれ、あるいは25行の一枚の紙に含まれている一触即発の言葉の隠匿に対する反対であれ - ファチマの聖母は国務省長官によって彼女の上に置かれた外向的な諸制限には従われませんでした。今日クリス・フェララが言ったように、ファチマの聖母のメッセージと諸々の御要求は政治的に正しいものではありません。
ベルトーネ枢機卿に手紙を書いた司祭が言っているように、この点を結論づけるならば:よろしい、猊下、第三の秘密に関するあなたの立場に対して与えられた諸々の反対に対してあなたの人を納得させる、そして的確な解答はどこにあるのでしょうか?これらの反対はまったく詳細をきわめるものです。これらの反対はわれわれには、それらがあなたから来るものであれ、あるいは他の人々から来るものであれ、あなたが挙げられた個人的な諸問題よりももっと重要であると思われます。
第四の言い訳
枢機卿が「ファチマ擁護者たち」に帰しておられる他の誤りは預言された諸々の懲罰を変化し得ないものと見る誤りです。そうではありません、猊下、われわれはすべての預言が条件的なものであるということを知っています。すなわち、諸々の預言のうちの一つを除いてすべての預言、最後の一つの美しい預言、絶対的であるたった一つの預言を除いて、です:その一つの預言とは「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう」という預言です。
他のすべての預言は皆条件的です。もしあなたがこのことをするならば、私の汚れなき御心は苦痛を伴わない仕方で勝利するでしょう。もし、他方において、あなたが別の道を取るならば、あなたはなお同じ目的に到達するでしょうが、しかし、これらの悪の代価を支払いながら、一つの誤った、苦痛に満ちた仕方でその目的に到達するでしょう。
猊下に返事を書いたあの司祭が指摘しているように、あなたは諸々の罰でいっぱいになっていると神が示しておられる道を選んだと思われます。それでもやはり、われわれはベルトーネ枢機卿のこの反対を一つのより制限された意味において好意的に解釈するように努めましょう。おそらく、彼は正しい、敬虔な霊魂たちの祈りと償いが、すでになされた彼らのよい行いと同様に、示された諸々の懲罰を避けるために何らかの影響を与えることができるということを示そうとされたのでしょう。
この意味において、彼が言っておられることのうちにはある真実があるでしょう。しかし、それは完全に真であるでしょうか?例えば、第三次世界大戦を取り上げてみましょう。ソッチは、おそらく1985年に計画されていたこの戦争は1984年3月25日の教皇ヨハネ・パウロ二世の賞賛に値する行為のおかげで起こらなかったと考えています。しかしこの行為(マリアの汚れなき御心への世界の奉献の行為)は不完全でした。そして世界情勢は今日なお脅威的です。
懲罰は決定的に克服されたのでしょうか?それとも、それはただ他の時に延期されたにすぎないのでしょうか?ベルトーネ枢機卿はそのような脅威が、すでになされたよい行為のおかげで、それらがもはやわれわれにとって一つの脅威ではないという確実性をわれわれに与えるということを確信しておられるのでしょうか?
疑いの場合には、われわれが、それがそのような大変動に関係づけられているということを知っているときに、あなたは、猊下、そのように重要なテキストを公表させないことの責任を取ることができますか?疑いの場合に、あなたは、誰かある人は、その重要なテキストを、文字通りに、そして宣言の形で、公表させないことの責任を取ることができますか?核のホロコーストの想像を超えた恐怖の具体的な可能性の前に立ちながら、われわれは、たとえ猊下の精神にとってそのようなテキストが何らかの相違をなすことがほとんどできないとしても、少なくとも隠されたテキストを公表しないことをわれわれ自身に許すことはできません。
われわれは何をすることができるか?
とりわけ、私は『今なお隠されている秘密』という書物のうちに見出される諸々の提案について考えてみたいと思います。それらの提案は「われわれは何をすることができるか?」と題された最後の章に含まれています。それは祈り、償いそして請願への三つの訴えです。
親愛なるクリストファー、あなたはうまく書きました。あなたは正しい - トップにいる人々だけが何かあることをすることができるということは本当ではありません。残りのわれわれはただ状況について嘆き不平を言うことができるだけであるということは本当ではありません。事実、われわれがすることができる、そしてわれわれがしなければならないさまざまの事柄、小さな事柄、単純な事柄、しかし実際貴重な事柄があります。
神がたったの10人の正しい人すらそこに見出すことがおできにならなかったがゆえに滅ぼされたソドムの大きな都市を思い起こしてみましょう。彼らは自分たち自身を神の法に一致させることを望みませんでした。
われわれは教皇に、彼が最終的にいわゆる付属文書(すなわち、今までのところなお隠されている聖母の言葉を含んでいる第三の秘密のもう一つ別のテキスト=英語訳の訳者注)を公表なさるように、請願を送ることができます。そのような請願をファチマ・センターは促進して来ました。そして、私もまた、イタリアで一年半の間そのことを促進して来ました。そのような請願は教皇にとって一つの励ましであり得ます。そしてあらゆ場合に、それは神の目に喜ばしいドア・ノッキングになるでしょう。
われわれは、秘密のテキスト全体が公表されるように、われわれのロザリオに一つの決まった意向を加えることができます、あるいはわれわれは毎日ロザリオの後に一つの「めでたし」を加えることができます。われわれは聖体礼拝式の間にこのことのために神に懇願することができます。司祭たちはこの意向のため、第三の秘密全体の公表の恩寵のために、ミサを捧げることができます。そして司祭がミサのための別の意向を持っているときでさえ、彼はこの意向を memento di vivorum 生者のためのメメントのうちに置くことができます。
病者はこの意向のために彼らの苦しみを捧げることができます。われわれは皆この意向のためにある断食あるいは他の小さな犠牲を捧げることができます。われわれは信仰から、神にとっては何一つ不可能ではないということを知っています。しかし神は(聖ピオ十世がわれわれに告げておられるように)通常はこれらの恵みを神に求める人々にお与えになります。
そこでこの目的のためにあらゆることをしましょう。十字軍を持ちましょう。一つの運動 - 祈り、償いそして請願の熱心なキャンペーン - を持ちましょう。そうすればおそらくわれわれは神からそのような恩寵を得ることができるでしょう。われわれはこのことをまじめに受け取らなければなりません。なぜなら - そのことを決して忘れないようにしましょう - 司牧者たちの悪い決定はまた神の民の霊的に耳が聞こえないことに対する神の懲罰でもあるからです。
イエズスのいとも聖なる御心よ、あなたの王国が来ますように。あなたの王国がマリアを通してわれわれに来ますように。ありがとうございました。