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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

東京の被害。

2011年03月20日 23時14分02秒 | 日記
 おいらの家の周りでは、今回の震災による被害がほとんど、いや、全く見られなかったので、東京近辺では千葉の工業地帯だけが萌えてしまっただけかと思っていたら、幕張では液状化現象によって、結構な災害に見舞われていた。

 自転車とかが砂に沈んでいる。

 怖いな、地面が突然「流砂。」みたいになっちゃうみたい。人とか飲まれていないよね。節電を呼び掛けられているので、あんまりテレビも見ないので、情報遮断状態。積極的にNHKのサイトにでも行けばいいんだけど、どうもネット自体が苦手で、ツイッターとかも苦手。

 考えるのが遅いのよね。おいら。右脳優位の人間って、思考のテンポが「普通。」の人より遅いのよ。釈由美子とかって、返答が遅いでしょ。わざとじゃないのよ、そういう脳みそなのよ。

 逆にいうと、テンポの早い人間ってのは、思考が短絡的な傾向性もある。鳥類の脳がそんな感じ。深く考えない。ってか、考えられない。考えても同じ観念のループのヘビーローテーション。ぐーるぐる回ってバターになっちゃう。んで、勝手に自己嫌悪して鬱病になる。

 鳥類っていうのは外見にこだわる。鳥っていうのは容姿への固執が凄いもんだから、他の動物類と較べて色とかド派手だったりする。ファッションとかの外見にこだわる人っていうのは、頭が鳥なのです。目先の格好良さばっかりに意識が奪われていて、統一的な考えっていうものが成立しない。その場限り。

 鳥頭な人っていうのは、生得的に「考える。」ことが苦手。ところが学力とかには異常に固執するため、成績と引き換えに「教えられたこと。」だけは異常に良く憶えている。だけど自分からは何の考えも出てこない。

 間違ったことを教えられても、間違ったままテープレコーダーよろしく繰り返す。東大生物学部とかがそう。しかも、多数による「大勢。」が認めるまで自律的には一切判断しないし、また、できない。

 一流大学とか出てるのに、自分からは何にも気付かないバカな人っているでしょ。天下り役人とか。こういうヒトの言い訳っていうのは、「俺だけじゃねぇ。」って必ず言う。皆がやってるから「安心。」なんだね。結局行動原理は大脳辺縁系。自分の「考え。」なんて存在しない。

 こういうヒトには自律なんて存在しない。自分ができないものは、誰にもできないものであることにしておかないと、まるで自分だけが出来損ないみたいな気がするから、そんなのは卑怯だ、不平等だって拒絶する。そして同じ人間同士で共感して安心する。酒の席とかでね。

 それが「酔っ払いの論理。」であることなんか、意識から外して、多数派という満足に溺れて気分的に安心すると、考えなくて済むので楽。

 残念ながら、おいらはお酒が飲めないので目先の人間と感情的な共鳴とかも興味がない。そもそも、薬物を用いて大脳を麻痺させておくことがちっとも楽しいと思わない。だから煙草ものまない。

 お酒に溺れる人っていうのは、「記憶を早く無くしたい。」んだって。そうしないと自己嫌悪に陥りそうだから、可急的速やかに記憶や意識を喪失したいってことらしい。

 それは実際には「考え。」じゃなくて「思い込み。」とか自己洗脳なんだけどね。そこに気付くことすらできないんだろうね。かわいそうなのかね。頭の悪い人って。

 通り魔って、かわいそうかな。天下り役人ってかわいそうかな。偏差値自慢している奴ってかわいそうかな。

 かわいそうっていう基準がなんだかわからなくなってきた。


 そうだ、今日は情熱大陸で植物学者が取り上げられるんだ。計画停電もないから、安心して見よう。でわまた。






ニューコンミート。

2011年03月20日 20時43分55秒 | 日記
 昔、「ニューコンビーフ。」っていうのがあって、途中から「ニューコンミート。」っつう名前に変更された。

 このニューコンビーフ、あるいはニューコンミートには牛肉が使われておらず。馬肉主体であったため、「コンビーフじゃねぇだろ。」っつうツッコミが入ったらしく。名称変更を余儀なくされたらしい。

 でも「コンホース。」にはならなかった。肉の場合馬を「ホース。」というのかどうか知らないが、牛の場合肉は「ビーフ。」だが牛自体は「カウ。」だな。

 去年くらいまでは¥100均で売ってたけど。不景気で売れたらしくて値上がりしてしまった。最近は安いので¥158くらい。

 先日の買い占め騒ぎで缶詰がなくなっちゃって、残ってたのがスパムミートだった。内容量が195gとかなので、一人で食べるにはちょっと重くて今まで買ったことがなかった。で、開けてビックリ、取り出せない。バターナイフで掻き出した。

 脂がすごいので、フライパンに油は引かずに焼いたら、ギットギトに脂が出てきて二度ビックリ。記録的な脂っこさ。マルシンハンバーグだって、こんなには出ない。弱火でじっくり焼いて脂を焼き出した方が良さそう。


 今朝、裏道にあるバリューローソンに行ったら、菓子パンが山積み。普段は違う商品が並んでいる棚まで占領して、さらには全く無関係な棚にまで大量の菓子パンが店内を占領していた。

 一体何があったんだ。流通が混乱しているのかも知れない。いきなりの大量入荷にお店も困惑したようで、いきなり¥50引きのシールを貼りまくっていた。なんじゃこりは。

 卵も大量入荷して山積みだった。牛乳とヨーグルトはないが、豆乳類は結構あった。パン類も充分にあった。買い溜めおばさんのヒステリックな混乱によって、商品の妙な偏りが発生している。

 多分、買い溜めした食料を食べ切るまでは、こうした商品の偏りはなくならないのかも知れない。アホくさ。

 スーパーやコンビニの店内が照明を落としていて、何だか落ち着いた雰囲気で良いなって思った。客足も少ないこともあるのだろうか。音楽とかも流していないので、静かで良かった。

 煌々と照明を照らすことによって、購買意欲を誘うような、一種の錯覚を利用した商売の方法論を見直した方が良いかも知れない。音楽とかも含めて。金さえ儲かれば正義とするパラダイムでは、本当の持続可能性というものは作られないと思う。


 あと、憂慮されるのが原子炉だな。役人ももう少し頭使えよ、建設機械とか、使えそうな機械の全てをリストアップして。何と何を組み合わせたら最も犠牲の少ない対策ができるのかを考えろよ。

 大体、水で放射能が抑制できるってことは、中性子ってことだろ。だったら原子炉に近付く車両にペットボトルで水とか括り着けておけよ。車内にくっつけても効果あるんじゃねぇの。鉄板なんてほとんど効果ないだろうよ。水槽だったら防御しながら観察できるじゃんか、そういう工夫は何でしないんだ。アクリル水槽とか窓に着けておけばいいじゃんかよ。直接肉眼で確認しなくっても、ビデオカメラとかあるだろうよ。秋葉原に山ほど。

 現場にハイビジョンカメラ設置しといて、作業は可能な限りリモコンでやれよ。そんくらいあるだろうよ。おかしいよ、ただ水撒くのに人が行く必要なんかないだろうよ。もぅ、呆れてウンザリしてくるわー。バカが多過ぎ。








救出。

2011年03月20日 17時24分33秒 | 日記
 石巻で新たな救出者。寒かったろうに、10日間も瓦礫の中に生きていた。想像に絶する恐怖と苦痛であったろうに。

 救出に携わっている自衛官や消防隊の人達も、さぞかし大変であろう。救出されたということは、諦めるわけにはいかないということでもあるから、絶望的であっても探し続けなけなければならない。

 多分、既に大量の遺体を掘り出しているのであろう。現場の惨状は地獄であろう。凄い仕事である。バカが多くて気分が悪いとか愚痴をこぼしている自分が恥ずかしくなった。

スクロール不良。

2011年03月20日 15時06分42秒 | 日記
 以前、アフロフォトのページがスクロールできないって書いたけど。鈴木真二の研究室のページもスクロールできなかった。

 東芝アンドロイドっつうのは、まだ機種として新しい過ぎて、あれこれ完成度の低さがあるんで、時折スクロール不良のページが出てきちゃう。

 だから、もしかするとソネットブログのログインページの「証明書。」不良についても、単なるブラウザの問題なのかも知れない。なんだかな。

 東大の鈴木真二さんって、災害用の無人偵察機みたいの作ってる人だから、何か情報ないかなって思ったんだけど。だめでした。

 なんで原発の偵察にヘリコプターなんだ。米軍から「プデレター。」とかいう無人攻撃機は借りられないのか。「プタデレー。」だっけ、「タレブデー。」ああもうなんだかわかんなくなってきちゃった。どうでもいいや。

 折角の放射能汚染地域なんだから、演習代わりに無人偵察機とか使えばいいのに。

殴り込みアンドロイド。

2011年03月20日 14時14分46秒 | 日記
 あまりに腹が立つので、文章が乱暴風味になってしまった。「腹が立つ。」というのも事実であるから、別に構わないんだけど。嘘っぽく聞こえるかもね。

 嘘っぽく聞こえるっつうのは、無意識的な固定観念だからな。勝手に思っとけって話。

 今現在使える圧送機があるのかどうか。搭載する戦車の仕様とか、誰か計画だけでも立ててくれないかね。あの長ーいアームって、どこまであるんだろう。別に油圧アームでなくてもクレーンとかでホースのさきっちょを燃料プールまで持ってけばいいんでしょ。それ難しいのか?。ちょっと奥に入っているっつうんなら、ホースのさきっちょにパイプ付けときゃいいじゃんか。さきっちょに。「ぴゅっ。」っと。ホース後ろから引っ張れば向きだって制御できるだろ。なんでやらんかね。パイプのさきっちょに鈎爪つけときゃ水圧で戻って来ちゃうこともないだろうし。

 一本だけでやろうとすると大変そうだけど、細いホースで何本も入れれば一本あたりの圧力とか容量は小さくて済む。

 クレーンだって、アウトリガー任せにしなくても。車体を地面に埋めちゃうとか、コンクリで固めるとか、戦車で挟むとか、どうにでもなりそうだろ。クレーン車の一台やそこら潰せよ。既に原子炉は潰す気なんだろ。今更もったいないとか言ってんじゃねぇよ。

 なんだか段々乱暴風味になってきた。ノルアドレナリンとかの覚醒効果でムカついているんだな。

 そういえば隣に鉄塔が。

 何かに使えないか、あれ。弱そうだけどな。ホースの先端に水の方向をリモコンで変えられるようなノズルをくっつけて、クレーンで鉄塔に引っ掛けるとか。鉄塔が倒れたら余計面倒なことになりそう。強度がわからんからなんとも言えん。

 何かありそう。でも、そういう発想っていうのは学力とは無関係。この際どうでもいいや。

 とにかく油圧アーム戦車が欲しいな、何にでも使えそうじゃん。川の中洲に取り残された人とか救助するのとかにも。一回放射能汚染されたら使えないけど、造っといて損にはならないんじゃないかな。

 でも、また行政の縦割り構造が邪魔するんだろうな。戦車は防衛省で、ポンプは国土交通省でとか。いろんな論理的根拠のない「理由。」をくっつけて嫌がるんだろうな。縦割り行政の原因っていうのも、結局は「上。」に対する従順さに由来するものであって。それこそが生物学的な社会形成習性による無意識的な行動なんだけどな。そんなこと言っても通じないんだろうな。学力が高いだけのバカには。









素人考え。

2011年03月20日 12時44分23秒 | 日記
 原発の映像見てて思ったんだけど。工事現場とかでさ、「圧送機。」っつうのあんじゃん、すんげー高いところにコンクリ流すやつ。あれで燃料保管プールに水送ったらいいんじゃねぇの。

 足場が悪いっつうならさ、74式とかの砲塔外して圧送機溶接して、リモコンに改造して突入させりゃいいじゃん。74とか90式って確かハイドロ積んでたよね。水平とることできるんじゃぁねぇのかね。

 何だか水がある程度は入れば、人が入っても大丈夫っつう話じゃんか。まず水入れようぜ。水。そこまで届く圧送機がないっつうなら、作りゃいいじゃん。自衛隊とか消防庁の職員を危険に曝すくらいなら、そんくらいつぎ込めよ。戦車の一台やそこら潰したっていいじゃねぇかよ。そんための「準備。」なんだろうよ。

 今から「ガンダム。」造るわけにはいかねぇけどさ、「ガンタンク。」みたいのなら急場凌ぎで造れんじゃねぇのか。何か現場の職員に精神論的に努力辛抱根性ばっか要求していて、工夫ってもんが一切見られねぇ。どこまでバカなんだよ。

 単なる高圧放水車だって、建物の傍に瓦礫があって近づけないんだろ。ユンボとかブルドーザーのリモコンってあるんじゃねえのかよ。とっとと掃除しろよ、掃除。

 なんで緊急の時には急に予算が減るんだよ。誰か喰っちまっているんじゃねぇのか。人命と予算を秤にかけてんじゃねぇよ。早くやれよ豚野郎。いつまで待たせんだよ。







スクロール。

2011年03月20日 11時35分43秒 | 日記
 東芝アンドロイドでgooブログを書いていると、勝手に画面がスクロールして鬱陶しい。

 公開/非公開ボタンを押しても勝手にスクロールしてしまい、いちいち戻さないといけないので面倒臭い。

 これは多分、アンドロイドの表示アルゴリズムがスマホやスレートマシンに最適化されているために。ノートパソコンのタッチパッド形式との相性が悪いためであろう。次期東芝アンドロイドはタッチパネル形式にして欲しい。タイピングをする度にタッチパッドの有効/無効ボタンを押すのも鬱陶しい。とりあえずはタッチパッドの有効/無効を画面上の部分に表示しておいて貰うと、現在有効であるかどうかがわかるので、多少扱いやすくなる。

 タッチパネル形式であれば、別に無効にする必要性はないし、アンドロイド端末としての扱い易さも発揮できるであろう。

 ただ、勝手にスクロールするのはどのみち改善してもらわないと困る。

 ついでに言うと、スクロールをしている時に画面下に拡大/縮小ボタンが現れるのだが。これがタッチパッドだとカーソルアローをボタン上に動かしている間に消えてしまい、鬱陶しい。タッチパネルであれば、ボタンを直に操作できるが、パッドだと途中に移動しなくてはならず、その移動操作に反応してボタンが消失するという動作が、東芝アンドロイドは結構ある。

 スマホとパソコンのキメラ構造であるから、それなりの不便がある。長所としては消費電力の小ささによる発熱の小ささである。長短いろいろあるのだが、時折変な動作をするので、何を書いていたのか忘れたりして気分が悪い。書いている内容が気分を無視するものであるが、機械の持つ鬱陶しさは改善可能なものであり、また、私が鬱陶しいと感ずるものは多分他人も感じるはずである。

 開発者の人達には頑張って頂きたい。でわまた。

懸賞金。

2011年03月20日 09時45分40秒 | 意識論関連
 アラン:チューリングという数学者が提唱する「チューリングテスト。」という予測があり、これに懸賞金がかかっているという話を、何年か前に東大生物学部が言っていた。

 東大がこれを言う前から、私はチューリングテストには意味がないことを言っていたのだが。東大はバカの集団なので、これが理解できないのである。

 チューリングテストとは、ヒトをチャットのようなコンソールによって何者かと「会話。」をさせ。その相手がヒトが機械かを判別できなければ、それは人工知能と見なす。という観念である。

 「見なし。」を行う人物によって、判定は様々であろう。電話機で会話をしていても、ヒトは振り込め詐欺師なのか警察官なのかすら判定は一定ではない。人工知能に詳しい電子工学者と心理学者でも判定は異なるであろう。

 自閉症患者の発言を機械で文字列に変換していたら、相手がヒトだと思う可能性は激減するであろう。

 そもそも、チューリングテストによって人工知能であると「見なし。」たとして、それが何かの役に立つかといえば、全く無意味である。

 「シーマン。」というビデオゲームが一時期流行したが、これを高性能にすれば多くのヒトは相手をヒトであると錯覚するだろう。それが何の役に立つであろうか。会話ができれば原子炉の運転を任せられるのであろうか。高速バスの運転を任せられるのであろうか。

 ヒトであっても会話ができるからといって信用できるとは言えないのである。どんなにたくさんのヒトから信頼され、人気を得たとしても。それが本当に信用するに値する人物である証明にすらならない。

 言語というものが意識と同義であるという観念は、一般大衆の観念でしかない。言語をどんなに巧みに操り、巧妙な詐欺を行っても、それが「人間としての社会性。」すなはち、公益倫理的な自律判断を行っていることの証明にはならない。

 糸井重里を丸め込んで、一般大衆の人気取りに邁進する養老孟司を。東大生物学部は現在まで一切反論していない。どんなに読者の大脳辺縁系に快楽を与える条件反射行動ができたとしても、それが社会にとって悪影響しか与えない実証不能の観念であることが認識できなくても。大衆の観念の上では、それは「知能。」として扱われる。

 かつて、ドイツでは優性学に基づく観念によって大量虐殺が行われたが。その原因については誰一人として言及してこなかった。優性学の「論拠。」となる生物学における「生物の目的は、生存。」という実証不能の観念について、生物学界は一切言及してこなかった。

 ヒトの多くは「死ぬことが嫌い。」である。その多数決的な感情を枚挙することによって、あたかも「ヒトの目的は、生存。」であると盲目的に信じ込んでいたいのであろう。それが大衆にとって気分的に「安心。」なのであろう。だからマイケル:サンデルは「生き抜く。」などという大衆迎合を標榜するのである。立花隆も同様に「生き抜くためには。」などと論じていた。立花は既に棺桶に頭を半分突っ込んでいるのでどうでも良いが。単なる生存だけを目的とした生物学の観念に基づけば、詐欺であろうと何だろうと、結果的に生存につながりさえすれば「正当。」であり、「正義。」なのである。

 こんなバカげた話を、凡庸な大衆マスコミは鵜呑みにし続ける。「嫌な話は無視する。意識から外す。」といった感情論に則って大衆迎合をしていれば、大衆の大脳辺縁系は「安心。」なのである。

 原発を暴走させた人間は、おそらく潤沢な利益を得ているであろうから。放射能に汚染された日本なんぞ放棄して南半球にでも国外逃亡して安穏と暮らせるであろう。

 国家最高学府の腐敗を放置しているから、こんなことになるのである。以前にも述べたが、これは公開アイヒマン実験と同じである。権威の命令を鵜呑みにしておいて、その結果がどうなるのかを全く自律的には判断しないことが、どれだけ恐ろしい結末を導くのか。

 もう遅いのかも知れないし、遅くないかも知れない。諦めてしまえば簡単である。私の大脳辺縁系は楽になる。何も考えなくて済むからである。

 バカになって、大脳辺縁系のおもむくままに生きていられたら、どんなに楽であろうか。時折そんなことも考える。






 § 腹が立つシーケンス

 空腹になると、意味もなく苛立つことがある。これは、ドーパミンが作り出す情動行動的な不安を、副腎皮質ホルモンの影響によって促すためにノルアドレナリンによって補う大脳辺縁系のシーケンスによるものである。

 苛立つとか、落ち着かないといった感情というのは。要するに気分的に安心できないから促されるのである。

 生物学的な社会形成習性における、たとえばイヌのボスに見られる特異行動は、服従対象の喪失による機械手続き的条件反射行動なのである。従って、そこに目的論風味なこじつけを行っても、全く論理的な根拠はない。

 イヌに生物としての意識はあるが、行動の全ては極めて機械手続き的であり、条件反射的である。これはイヌには本質的な意識が存在せず、行動のほとんど全てが環境依存的な結果的行動しかしないことの証明である。

 躾を間違えた小型犬が飼い主の手を噛む。この行動に一体何の「目的。」をこじつけるのであろうか。また、そのこじつけた目的の果てにどのような結果がこじつけられるのであろうか。イヌは単に服従対象としての「飴とムチ。」によって服従への快楽「甘え。」が得られないことが感情的に不満であるため、暴力性や性衝動を条件反射的に発揮しているだけなのである。

 アイヒマン実験においても、やはり被験者は権威に反論する時に感情的に苛立つ。観念的には「権威者というものは、権威でない者に対して命令を下す時には。その行動責任を担保するものである。」という「錯覚。」を覆されることの不安によって、感情的に「腹が立つ。」のである。

 「権威。」とは、それ自体は科学的な根拠など存在しない。よく、「科学的権威。」などという言い回しがあるが。それは「科学界における見なし。」であって。権威というもの自体に科学的根拠とか、論理的証明とかが存在するわけではない。

 このことはミルグラムも言及していなかったような気がする。サイバネティクスの観点からは権威の必要性を断片的に「説明。」はしていたが、これは「結果。」と「目的。」の区別がついていない生物学の観念に由来するものであるから、無視して構わない。というか自分で気付け。








脳科学。

2011年03月19日 20時42分33秒 | 意識論関連
 黒木玄の書き込みページで茂木の言い訳を発見したので一部転載する。

「 科学は、システムの属性を、ある視点から切って、そこに法則性を 見いだすという形で進んできた。この方法論を脳科学に当てはめる こと自体は問題がない(というか、それ以外の方法は今のところない)。
  しかし、その結果だけに基づいて、脳、人間について単純な 「割り切り」をすることは多くの場合間違った結論を導く。 」

 これは科学的には正しい内容である。それなら、クボタ式に対して「その手があったか。」と称賛することはどうなんだ。脳トレ類を推奨しておいて、「これが脳に良いんですよ。」などと断言することが科学的なのか。人生相談と称して大衆相手にテキトーな丸め込みをするのが科学的なのか。「間違った結論。」ではないというのか。

 養老にせよ、茂木にせよ。科学者相手に論ずる時だけ科学者面をしておきながら。一般大衆相手にはテキトーなことを言っているのである。

 こうした二面性というものは、いわば分裂症と同じものである。大脳辺縁系は、その場限りに「取り繕い。」を行う。認知症の初期症状がそうであるように、言っている内容の論理整合性の欠落を、単にその場限りに外見を取り繕うことによって気分的に安心するのである。大脳辺縁系にとって、自律的に論理整合性を担保する「意思。」はなく、他人から見た自己同一性さえ確保されていれば「安心。」なのである。

 大脳辺縁系は、刷り込まれた条件反射的な固定的行動しか促さない。従って、言っている内容に論理整合性がなくても、茂木の大脳辺縁系にとってはどうでもよいことなのである。

 大脳新皮質というのは、特定の「領野。」というマッピングができることが多いのだが。これは、あくまで無意識的な機械手続き的条件反射行動に「整理。」された結果であり。定型的に同じ処理を行うことによって高速処理を可能にした無意識機能なのである。

 機械手続き的な条件反射行動であるから、別に行動や言動に論理整合性など要らない。論理的思考ができる人間相手のときと、できない大衆相手で発言内容がころころ変わっても構わないのである。だから養老にとって「意識に意味などない。」ことにしておかないと困るのである。

 大脳辺縁系自体は、論理整合性を担保しない。嘘であろうと無責任であろうと、外見上ばれなければ構わないのである。動物的な情動行動としては、感情的に安心でありさえすれば平気で嘘が言えるし、また、嘘を放置することもできる。


 養老は倫理の話を持ち出すと、必ず「環境の所為である。」という論理を持ち出す。それならアイヒマン実験のような条件環境において、環境が悪いから自律判断できないという話になってしまい、結局「自律。」などという本質的意識の存在は「なかったこと。」にしてしまうのである。

 これは責任の「たらい回し。」をしているだけであり、結局は環境を作り出した誰かの「自律。」判断がなければ問題は解決しないのである。

 多くの人は、自分では責任を負いたくないし、負うことに自信がない。その「多数。」意見を利用して、「誰も責任負いたくないでしょ。」と多数派の気分的な安心を誘うのである。

 ヒトは、基本的には動物である。従って気分的な安心ばかりを追求してしまい、論理的安全性を追求することをやめてしまう。そういう傾向性がある。だからといって、その傾向性に無為無作為に流される以外の行動選択が不可能である論証などない。

 虐待を受けて育った人であっても、虐待の連鎖を止める意思を発揮することが可能なのである。自分の中に刷り込み「学習。」してしまった無意識的な固定観念以外に、考えることが不可能、あるいは可能性が低いから無意味などというのは。単なる怠惰でしかない。

 ヒトの意識の9割は無意識であるとされる。単に割合だけを言えば無意識の方が大きい。だがそれは結果論であって、目的論とは無関係である。単なる結果論だけを枚挙しているから「ヒトとは、そういうものである。」などといわれて無批判に鵜呑みにすることになるのだ。

 私の説明は別に難解ではない。論理的には中学生でもわかるようなことしか言っていないし、また、専門用語も特に難解なものを使ってもいない。私から言わせれば、なんでこんなに簡単なことが大多数の人間には理解できないのか、そのことの方が「不思議。」なのである。

 文系の人間というのは、気分的な安心を促される文章のことを「素晴らしい。」などと称賛する。そこに具体的内容や論理整合性がなくても、単に気分的に満足できれば、彼らにとっては「素晴らしい。」のである。

 芸術なら、それでも構わない。芸術とは大脳辺縁系の「気晴らし。」でしかないからである。気晴らしであるなら、単に主観的に「素晴らしい。」と形容しておけばよろしい。そこに他人からの同意も、共鳴も、普遍性も、論理整合性も必要ないからだ。

 だが、振り込め詐欺に騙されることは嫌がりながら、一方で論理的思考はしたくないというのは、言っていることがその場限りで支離滅裂なのである。

 ヒトが詐欺に引っ掛かるメカニズムがどこにあるか。それは脳にしかない。脳の意識機能による論理的行動判断が阻害されるから引っ掛かるのである。詐欺に引っ掛けるための手順というものがあって、その手順に従って詐欺は詐欺をシステマチックに行うことができる。

 詐欺に引っ掛けるための「手法。」や「技法。」が存在し、メカニズムが存在するのである。

 しかし、詐欺師は別にメカニズム自体は知らなくて良い。単に経験則的に「こうすれば引っかけられる。」ことだけを知っていれば可能であるからだ。のべつまくなし、あれこれやってみて、偶然上手くいけば、それが経験則として「学習。」されるのである。こうした無意識的な学習の動機とは、金銭という短絡的な「エサ。」である。だからこそ生物学的な社会形成習性に従って、システマチックに統率のとれた封建的集団として行動可能なのである。

 私の論ずる本質的意識とは、理論的、かつ工学的なアプローチによって、このメカニズムを解明しようという試みである。理論的、工学的アプローチを採用するからには、固定観念的な無意識性を徹底排除しなければならない。その無意識性の中に感情や本能といった気分や人気に関わる要素が入るため、むしろ多数からの人気が得られない。

 私の論ずる本質的意識論とは、最初から大衆には迎合できない原理的構造というものを持っている。むしろ、大衆迎合して、無為無策な無意識的な自己満足のまどろみに誘った方が人気が出るという事実は認識して頂きたい。

 大衆の観念というものは理科系論理思考よりも、オカルトやペテンとの親和性が高いのである。

 本質的意識論というものは、心理的な自己分析が必要不可欠である。自分自身の本能や感情というものの「動作。」がどういうものであるかを客観的にみるものでもあるからだ。その過程において、気分的な嫌悪感を伴うのはほとんど不可避である。

 例えれば、腹を切り裂いて内蔵を引っ張り出し、「お前の構造とは、こういうものである。」と見せているようなものでもあるからだ。だから見たくないのであれば見なくて結構である。問題なのは見たこともないのに「見た。」つもりになっている傲慢さである。










意識障害。

2011年03月19日 15時08分33秒 | 意識論関連
 一般に意識障害っていうと、医学上の意識障害のことを指すんだけど。本質的意識の障害については適切な表現がまだない。


 本質的な自発性のない研究者の中には、自律的には論理思考が成立しない科学者というのが少なからずいる。こういうヒトには論理的な話が全く通じない。これは一種の自閉症なのではないかと思う。

 感情的な拒絶反応によって、論理性とか客観性といった機能が阻害されているため。自分達の観念の殻の中に逃げ込んで、取り繕いばかりしようとする。

 自閉症と診断されていなくても、単に多数の人間を丸め込んで、騙しておければ。それは臨床医学的には自閉症とは診断されない。社会生活上において「支障。」がないからだね。こういうことっていうのは珍しいことではなくて、帝京大学の安部英とかも、よくよく調べたら「自律的には善悪の判断がつかない。」ことが判明した。

 北朝鮮の労働党体制とかも、一種の自閉症。いわば集団自閉症。集団内部において生物学的な「社会性。」を発揮していれば、その社会内部においては「支障。」がない。

 認知症の初期症状などでも、「取り繕い。」というのは見られ。そのため認知症というのは進行を周囲の人が認識しずらい。

 東京大学生物学部とか、養老孟司とか、茂木健一郎とかも、言い訳が凄くて、周囲の人間は簡単に丸め込まれてしまう。言い訳の内容が「知的。」だったりするので、まさか論理整合性がないとは誰も思わない。注意しなくてはならないのは、この場合の「知的。」とは、あくまで大衆観念的な「知能。」観に由来するものであるってこと。

 なにやら、よく解らない学術用語とか使っていると。まさか論理的思考が成立していないなんて思わなくなってしまう。だから言っている内容を論理的には誰も検証しなくなる。

 こうして盲目的な権威への信頼というものが生じることになる。

 本質的な自発性のない研究者というのは、そもそも研究内容自体に興味なんぞなくて。世間多数からの評価、報酬といったものにしか興味がない。こういうヒトっていうのは、本当に社会に役立つ研究なんぞ、最初から全く興味がないから。とにかく効率よく評価報酬を得られることに飛びついてしまう。

 その結果、業績のねつ造などの無責任行為を平気でする。彼らにとって、研究内容なんかどうでも良くて、とにかく評価されたい、報酬を貰いたい。それしか「意識。」が働いていない。もちろんこの「意識。」とは、利己的欲望に染まった本能であり、無意識なもの。

 しかし、こうしたペテンに丸め込まれるというのも、結局は無意識であり。騙されている方にも責任はある。アイヒマン実験の被験者と同じだからね。

 だから、独裁状態っていうのは、独裁者単独で作られるものではなく。独裁者に対して何ら疑問を持たない多数の服従者達によって作り出されるもの。

 わからないことを正直に「わからない。」って言うと、大衆観念的にはスッキリできなくて、盲目的に信頼する気分にならないから。テキトーに「こうすれば良い。」的な断言をした方が大衆人気は得られやすい。

 理科離れの激しい日本において、脳科学だけが妙に人気があるのは。それが本当は科学でもなんでもない、単なるオカルトでしかないから。

 格言風味の断定というものが大衆にはウケが良い。だからニーチェなんだ。


 小柴昌俊も汚いよね。社会的評価の保証もない純粋行為を勧めるだけで。その結果として社会的に迫害されようとも「俺は知らないよ。」ってことだものね。おいらははっきり言ってるでしょ、それは大衆からはウケないのさ。

 表面的にはコシバ式の方が世間ウケは良さそうでしょ。「嫌な話は意識から外す。」ってことだからね。ヨウロウ式と一緒だな。結局は同じ糞ジジイだな。東大ってのは根底から腐っているのかね。そりゃ原発も暴走するわな。無責任なバカが運営してんだもの。





アクセスIP。

2011年03月19日 14時25分17秒 | 日記
 360IPもアクセスがあるけど、誰がこんなブログ見ているのかね。「原発推進者にホース。」って話がウケたのかね。

 半分冗談だけど、半分本気。

 東京湾横断道路、通称アクアラインの交通量予測とか。小笠原高速船の利用者予測とかでも予測した人間の責任は誰も取ってない。

 無責任な予測に基づいて様々な公共事業に莫大な公費が注ぎ込まれているのに、計画の根拠となった予測自体は無責任でもいいんだ。

 きっと、責任者が役職を「辞めれば。」それで「責任を負った。」ってことになっているんだろうね。

 このブログのタイトルは「書き逃げアンドロイド。」だけど、「やり逃げ原発。」ってことだよね。いいな、無責任で。

 脳トレとかも「やり逃げ。」なんだけどね。全く効果のない脳トレ類を「これが脳に良いんですよ。」なんて無責任に言い張ったペテン師は放置されるんだね。いいな、気楽で。

 頭の悪い人間がたくさんいると、無責任なお気楽商売が繁盛するんだね。でも、同時に正直者はバカを見るんだね。

 一応言っておくけど、「正直者。」っていうのは、権威とか世間多数に「従順な人間。」とは全く異なるものだからね。それを混同してるヒトは多い。

 謙虚と卑屈を混同しているヒトも多い。それで満足しているから、なぁんにも考えなくて楽なんだろうな。いいな楽そうで、羨ましいな。どうやったらバカになれるんだろう。誰か教えてくれないかな。











スマホの電池。

2011年03月19日 09時12分41秒 | 日記
 スマホっていうのは、電池の容量が少ないらしい。

 東芝アンドロイド端末は、スマホくらいの大きさのバッテリーがついているから、公称7時間くらい使えるんだそうだ。コンセントから外してそんなに使ったことないから本当かどうかは知らんが。

 あんまり電池が持たないとなると、以前考えた「スマホで集団イルミネーション。」っつうアイデアは無理そうだな。

 液晶ディスプレーってのは、どうしてもバックライトの光を半減させる構造になっているので。電力消費の割にはあんまり明るくない。だったら、外付けでLEDライトとか作ったらどうなのさ。USB給電で超高輝度LEDとか光らせたらかわいいかな。ちっちゃいのがいいな。んで、アプリで液晶消しておいてイルミネーションだけ点けておくとか。そのくらいなら安価に商品化できそうだけどな。

 そういうのがあれば、非常用照明としても使えるしね。あ、おいらのマシンはフルサイズのUSB端子だけど、アンドロイドスマホの場合ミニUSBって標準仕様なのかな。マウスコンピュータのアンドロイドスレートパソコンはミニUSBだった。電力を取り出すだけならイヤホン端子からでも取り出せるんだろうけど、間違ってイヤホンつないだままイルミネーションアプリ起動したら壊れそう。イヤホンとLEDじゃ抵抗値が違い過ぎるか。USBの方が正解かな。

 他にどんな端子がついているのか、改めて見てみたら、ミニUSB端子も付いていた。普段使わないからマスキングテープで塞いでた。

 単純に情報出力装置として作ってもいいかもね。ただ、カメラのリフレッシュレートがそんなに早くないから、転送できる情報量はかなり少ないだろうけどね。あれ、おいらの東芝アンドロイドって、赤外線通信機能ってあったっけ。Bluetoothは入っていたような。

 普通の携帯電話の場合は、ミニUSBみたいな出力端子ってあるのかな。携帯電話でできれば普及率は高そう。






量子物理学の社会的価値。

2011年03月18日 19時55分39秒 | 意識論関連
 池上彰が「量子物理学が、一体何の役に立つのか。」って言ってたから、ちょっと一言。

 何の役に立つのかはわからないけど、わからないことを研究する途中で何かがわかるかも知れないじゃない。だから「わからないことは、やってみなくちゃ、わからない。」っていうのが科学の存在価値なのさ。

 物質というものが、一体どうなっているのか。それがわかれば、今原発で苦労している放射能汚染も解消できるかも知れないのさ。できるかどうかは知らないよ。でも、できないかどうか、わからないことなら研究する意味はある。原理的にできないってことが立証されるまでは研究し続ける必要性がある。だから、どっかの研究者が言ってたような「哲学的な領域。」だとかっていう議論回避をする必要はないし。池上さんが「文系の人間だから。」とかって言い訳する必要もない。

 発光クラゲの研究だって、まさかそれが医療での重要な大発見だなんて誰も思わなかったでしょ。質量分析計だって同じ。本当にできるかどうかなんてわからなかった。

 だから、わからないことであれば、研究する意味はある。

 だけど、東大生物学部がやっている「チンパンジーの行動習性から、人間としての社会性を立証出来るかも知れない。」なんて話は、単なる嘘だから無意味。そもそも「人間としての社会性。」というものは、行動習性なんていう「傾向性の枚挙。」から立証なんてできないことが論理的に立証されているんだからね。

 哲学においても、「自分だけが自分なのが不思議。」なんてのも、これは主観的な違和感としての「不思議。」であって、論理的には「脳神経回路の結合がない。」の一言で済む話であって、科学的には「不思議。」でも何でもない。だからいくら考えても答なんぞない。

 でも東大って、そんなバカが平気で教授面している。これこそ税金の無駄。

 だけど学力が高い人間を権威と「見なす。」習性がヒトにはあるので、こういった無駄は平気で放置されるのさ。



 ツイッターに関しては、私は懐疑的。だって相手次第だもの。バカ同士で共鳴しあっている間に入っても、炎上するだけ無駄なのさ。

 カルト宗教の信者達の中に入って、「お前らの言ってることには論理的根拠などない。」って言ったって無駄だからね。

 科学哲学者のカール:ライムンド:ポパーは、「プラトンの呪文。」を激しく糾弾する。権威に対する無批判性というものが、科学的論証を不具にしてしまうから。

 実際、東大生物学部の「暴走。」を誰も止めないじゃない。

 ツイッターっていうのは、結局同じ人間同士で固定観念を共有しあうことで安心したいから流行しているだけであって。それが「力。」を持っているとしても、その力を「どう使う。」のかが重要なのであって。単なる力の大きさだけを論じても意味はない。

 力や道具を「どう使う。」のかを決めるのが意識の働き。それこそ無意識的集団心理にあやつられてホロコーストに使ってしまうことだってある。だから無意識ではない本質的意識について論じているのさ。

 だけど、本質的意識について論じるには、必ず感情論との対立が生じることになって、大衆からの「人気。」が得られない。「人気。」ってのは感情論と同義だからね。

 ヒトという種の生物は、成育環境によって刷り込まれた固定観念を覆されると、過剰な拒絶反応を示してヒステリックな行動に走ってしまう。そういう「習性。」があって、それこそが無意識的な行動であるんだけど。そこが一般には理解の困難な所らしい。

 かつて地動説を唱えたガリレオ:ガリレイを。当時の社会は感情的に拒絶して「火炙り。」っていうヒステリックな最終解決に走った。なぜか、それは論理的反論が誰もできなかったから。

 カール:ライムンド:ポパーみたいな偉人が、どんなにプラトンを批判しても、社会や哲学界はそれを拒絶して、無視し続ける。だから未だに科学的思考が誰もできなくて、占いだのオカルトの類がなくならない。

 オカルト類の場合、わからないことであっても、「わかる。」って言い張る。だから人気が得られる。だけど、本当の科学的思考に基づいた話の場合、むしろ「わからない。」ことの方が圧倒的に多いから、「なんだ、わからないのか。」って気分的にスッキリできないからこそ人気が得られない。科学離れの原因っていうのは、算数みたいに答が出ないことによる、気分的な嫌悪感によるもの。

 では、何でまともな科学者達は科学的思考ができるのか。それはひとえに好奇心によるもの。

 科学的好奇心というのは、「わからない。」ことが何でわからないのかを知ろうとする自発的なもの。

 だけど、本質的自発性のないヒトにとって、学力っていうのは、いわば抽象化された「エサ。」でしかなくて。こういった高学力なバカにとっては「エサ。」が得られるかどうかわからないことになんて興味がないから、常に評価や報酬の得られそうなことしか興味を持たない。

 だから科学離れが起こる。

 本質的な自発性のない人間ばっかりだから、自発的思考も一切成立しない。その結果、大衆からのウケばかり狙って効果もない脳トレを蔓延させたり。できもしない「人間としての社会性の立証。」だとかいう嘘を言い張るバカ学者が大量に出てくる。

 養老孟司みたいに「私は30年間安月給で働いた、そこには意味があったんだ。そう思わなきゃ、やってられないじゃないですか。」なんて言われて、簡単に丸めこまれてしまうバカが大量生産された。

 なんで簡単に丸め込まれてしまうのか。それは同じ観念を共有しているから。

 養老の著作は600万部も売れたそうである。それが社会にとって何かの役に立ったかといえば、むしろバカが増えただけ。養老は「意識に意味などない。」って言い張ったんだからね。その呪縛は未だに東大生物学部に動体保存されている。

 「養老の呪文。」というのは、本質的意識による論理的な思考を阻害し、固定観念のまどろみに大衆を誘う。その結果、糞の役にも立たない「脳化。」とかいう実証不能の観念に誰も反論できなくなっているのである。

 論理整合性のない話は、論理的には反証しきれない。何せどうにでも言い訳できるからね。

 「ああ言えば、上祐。」じゃないけど、観念的に丸め込まれるのがヒトは得意なわけ。考えが及ばないくらいたくさんのことを「徒に胡乱。」に言われると、多くのヒトは、どこから反論すればいいのかすら見失う。これは振り込め詐欺の手法と全く同じ。

 論理的思考が不能になってしまうと、後は感情に基づく思考や行動しかできなくなる。


 たとえ一時的に陥っても、ひつこく論理的思考を維持するには、本質的自発性が不可欠。だけど、他人からの評価報酬しか興味のない人間であれば、どんなに学力が高くても本質的自発性なんて最初からないから、誰も養老に反論しない。

 むしろ、感情的に共感する人間だけで体制維持ばかりに固執する。

 原発の暴走っていうのは、実際に原子炉が暴走する前から組織自体が暴走していた。

 ミルグラムの「アイヒマン実験。」っていう「教訓。」がありながら、それを活用できなかったのは。そこに意識が働かなかったからに他ならない。

 東大生物学部にとって、意識に意味があっては困る。なぜなら、自分達の無責任さが明らかになってしまうから。

 散々養老の観念を放置した責任を、誰も取りたくないんだろうね。




ぼやき。

2011年03月18日 19時08分19秒 | 意識論関連
 NHKオンラインの記事をブログに載せようと思ったんだけど、サイトの下に「無断転載を禁ず。」って書いてあったんで、NHKにメールで「載せていいの?。」って聞いてみた。

 で、本当にNHKから返事があったんだけど、おいらのマシンでは文字化けして読めなかったので、掲載を見送った。他の人のブログ見ると、NHKの記事をコピペしているらしいんだけど、許可とか取ってるのかな。

 今日は昨日みたいに大規模停電の話が出ないみたい。明朝の最低気温予想が6度とか言ってるから、今日は昨日みたいには寒くならないみたい。実際そんなに寒くない。だけど昨日と同じ体制で暗闇ブログ。いつまで続くんだろう、計画停電。

 被災地の学校では、「他人の役に立つ人になって下さい。」なんて言ってたけど。そんなの被災する前は誰も言わなかった。汚いな、教育関係者って。

 今まで散々学力を伸ばすことばっかり論じてたのに、被災した途端に「他人の役に立つ。」なんて言い出しやがって。都合が良すぎる。

 原発が「絶対に安全。」って言ってた人間は、きっと学力が高かったんだろうな。学力の高い人間が言うことだからこそ、論理的根拠もなく鵜呑みにしたんだろうからな。

 言っていることに一貫性がないっていうことは、要するに無責任な嘘つきってことだからな。おいらの言っていることを一体何人の人間が論理的に理解しているんだろうな。うんざりするわ。

 気分はサルトル。

 まあ、気分は気分だから、そんなものはおいらの主観的感情論だからどうでもいいんだが。論理的理解の出来ない人間に論理的説明をし続ける徒労感は、論理的理解の出来ない人間には理解できないものだから。これは絶望的。吐き気もするわな。

 地震があってから、急にアクセスIPが増えたから、昔書いた記事を知らない人もいるかも知れないので、一応昔書いた記事へのリンクも載せておく。

 意識論

 このブログの昔の記事でも扱っている部分もある。長文になっている記事は大抵そうだから、興味があったら読んでみそ。けど、読んだために情緒不安定になっても私は一切知らないので、覚悟して読むこと。これは無責任なんじゃなくて、何にも考えずに漫然と生きてきた自分自信の無責任性に由来するものだから勘違いして頂いては困る。




責任。

2011年03月18日 16時54分29秒 | 日記
 原子炉は絶対安全って言ってた奴がいるよね。そいつにホース持たして原子炉まで水撒いて来させりゃ良いじゃん。それが「責任。」持つってことじゃねえのかね。

 責任者が「辞める。」っていうのは、全く無責任だよね。責任を持つってことは最後までなんとかしてもらわないとね。面倒臭いことになったからって急に自衛隊とか消防とかにお任せするっていうのはおかしい。

 「気分。」的にはそれが「スッキリ。」するな。水戸黄門とか暴れん坊将軍とかって、そういう気分的な「スッキリ。」を促すから大衆人気があるんだ。だからこういうこと書いていればきっとアクセスIPも増えるんだ。

 昨夜の大規模停電危機の時、9時頃に3050万キロワットって報道があってから、みんな気が抜けたらしくて、9時以降に3170万キロワットまで増えたそうだ。まあ、3400万キロワットまで供給ができたらしいからいいものの、気を抜くのやめようね。

 基本的には大規模停電がなくても、計画停電は実施されているんだから、足りないことに変わりはない。病院以外でも自宅で生命維持装置を使っている家庭もあるんだそうだ。万一予期せぬ停電になったりすると、エレベーターも使えなければ電話も使えない、何にも出来ずに死ぬのを待つだけになっちゃうんだそうだ。

 「一つのパンを十人で分けると、全員死んでしまう。」状況ってのがある。こういう時に、「俺だけ助かれば。」なんて考える奴は「ヒト。」であっても「人間。」ではない。生存自体に意味があるっつうんなら、ゴキブリと一緒だからな。

 本当に「人間。」であるなら、「一つのパンを十人で分けて、仲良く死ぬ。」のが正しい。

 寝る時に足が冷たくて眠れないくらいは我慢してでも、必要な電力は確保しなくちゃね。そうでなくても計画停電地域は命懸けなんだから。

 「人を殺してはいけない。」論理的理由が存在しないって話があるけど、だったら「人が人を殺すような社会に生き続ける。」ことの論証だってないんだからな。真面目に生きるのが嫌だったら、とっとと死んでくれ。被災地でレイプとかやってる糞野郎に、生きていて頂く必要性なんぞ一切存在しないからな。

 生物学っていうのは、単なる結果的な「生存。」を何が何でも「目的。」だって言い張ろうとする。こんなものは「サルの正義。」であって、人間の正義ではない。人間として正当なことが言えないなら、公費を使って研究する必要性なんぞ全く存在しないんだけどね。本当に研究したいなら、自分で稼いで研究すればいいんだ。多分東大生物学部の誰もそこまではやらないだろうね。