一般に意識障害っていうと、医学上の意識障害のことを指すんだけど。本質的意識の障害については適切な表現がまだない。
本質的な自発性のない研究者の中には、自律的には論理思考が成立しない科学者というのが少なからずいる。こういうヒトには論理的な話が全く通じない。これは一種の自閉症なのではないかと思う。
感情的な拒絶反応によって、論理性とか客観性といった機能が阻害されているため。自分達の観念の殻の中に逃げ込んで、取り繕いばかりしようとする。
自閉症と診断されていなくても、単に多数の人間を丸め込んで、騙しておければ。それは臨床医学的には自閉症とは診断されない。社会生活上において「支障。」がないからだね。こういうことっていうのは珍しいことではなくて、帝京大学の安部英とかも、よくよく調べたら「自律的には善悪の判断がつかない。」ことが判明した。
北朝鮮の労働党体制とかも、一種の自閉症。いわば集団自閉症。集団内部において生物学的な「社会性。」を発揮していれば、その社会内部においては「支障。」がない。
認知症の初期症状などでも、「取り繕い。」というのは見られ。そのため認知症というのは進行を周囲の人が認識しずらい。
東京大学生物学部とか、養老孟司とか、茂木健一郎とかも、言い訳が凄くて、周囲の人間は簡単に丸め込まれてしまう。言い訳の内容が「知的。」だったりするので、まさか論理整合性がないとは誰も思わない。注意しなくてはならないのは、この場合の「知的。」とは、あくまで大衆観念的な「知能。」観に由来するものであるってこと。
なにやら、よく解らない学術用語とか使っていると。まさか論理的思考が成立していないなんて思わなくなってしまう。だから言っている内容を論理的には誰も検証しなくなる。
こうして盲目的な権威への信頼というものが生じることになる。
本質的な自発性のない研究者というのは、そもそも研究内容自体に興味なんぞなくて。世間多数からの評価、報酬といったものにしか興味がない。こういうヒトっていうのは、本当に社会に役立つ研究なんぞ、最初から全く興味がないから。とにかく効率よく評価報酬を得られることに飛びついてしまう。
その結果、業績のねつ造などの無責任行為を平気でする。彼らにとって、研究内容なんかどうでも良くて、とにかく評価されたい、報酬を貰いたい。それしか「意識。」が働いていない。もちろんこの「意識。」とは、利己的欲望に染まった本能であり、無意識なもの。
しかし、こうしたペテンに丸め込まれるというのも、結局は無意識であり。騙されている方にも責任はある。アイヒマン実験の被験者と同じだからね。
だから、独裁状態っていうのは、独裁者単独で作られるものではなく。独裁者に対して何ら疑問を持たない多数の服従者達によって作り出されるもの。
わからないことを正直に「わからない。」って言うと、大衆観念的にはスッキリできなくて、盲目的に信頼する気分にならないから。テキトーに「こうすれば良い。」的な断言をした方が大衆人気は得られやすい。
理科離れの激しい日本において、脳科学だけが妙に人気があるのは。それが本当は科学でもなんでもない、単なるオカルトでしかないから。
格言風味の断定というものが大衆にはウケが良い。だからニーチェなんだ。
小柴昌俊も汚いよね。社会的評価の保証もない純粋行為を勧めるだけで。その結果として社会的に迫害されようとも「俺は知らないよ。」ってことだものね。おいらははっきり言ってるでしょ、それは大衆からはウケないのさ。
表面的にはコシバ式の方が世間ウケは良さそうでしょ。「嫌な話は意識から外す。」ってことだからね。ヨウロウ式と一緒だな。結局は同じ糞ジジイだな。東大ってのは根底から腐っているのかね。そりゃ原発も暴走するわな。無責任なバカが運営してんだもの。
本質的な自発性のない研究者の中には、自律的には論理思考が成立しない科学者というのが少なからずいる。こういうヒトには論理的な話が全く通じない。これは一種の自閉症なのではないかと思う。
感情的な拒絶反応によって、論理性とか客観性といった機能が阻害されているため。自分達の観念の殻の中に逃げ込んで、取り繕いばかりしようとする。
自閉症と診断されていなくても、単に多数の人間を丸め込んで、騙しておければ。それは臨床医学的には自閉症とは診断されない。社会生活上において「支障。」がないからだね。こういうことっていうのは珍しいことではなくて、帝京大学の安部英とかも、よくよく調べたら「自律的には善悪の判断がつかない。」ことが判明した。
北朝鮮の労働党体制とかも、一種の自閉症。いわば集団自閉症。集団内部において生物学的な「社会性。」を発揮していれば、その社会内部においては「支障。」がない。
認知症の初期症状などでも、「取り繕い。」というのは見られ。そのため認知症というのは進行を周囲の人が認識しずらい。
東京大学生物学部とか、養老孟司とか、茂木健一郎とかも、言い訳が凄くて、周囲の人間は簡単に丸め込まれてしまう。言い訳の内容が「知的。」だったりするので、まさか論理整合性がないとは誰も思わない。注意しなくてはならないのは、この場合の「知的。」とは、あくまで大衆観念的な「知能。」観に由来するものであるってこと。
なにやら、よく解らない学術用語とか使っていると。まさか論理的思考が成立していないなんて思わなくなってしまう。だから言っている内容を論理的には誰も検証しなくなる。
こうして盲目的な権威への信頼というものが生じることになる。
本質的な自発性のない研究者というのは、そもそも研究内容自体に興味なんぞなくて。世間多数からの評価、報酬といったものにしか興味がない。こういうヒトっていうのは、本当に社会に役立つ研究なんぞ、最初から全く興味がないから。とにかく効率よく評価報酬を得られることに飛びついてしまう。
その結果、業績のねつ造などの無責任行為を平気でする。彼らにとって、研究内容なんかどうでも良くて、とにかく評価されたい、報酬を貰いたい。それしか「意識。」が働いていない。もちろんこの「意識。」とは、利己的欲望に染まった本能であり、無意識なもの。
しかし、こうしたペテンに丸め込まれるというのも、結局は無意識であり。騙されている方にも責任はある。アイヒマン実験の被験者と同じだからね。
だから、独裁状態っていうのは、独裁者単独で作られるものではなく。独裁者に対して何ら疑問を持たない多数の服従者達によって作り出されるもの。
わからないことを正直に「わからない。」って言うと、大衆観念的にはスッキリできなくて、盲目的に信頼する気分にならないから。テキトーに「こうすれば良い。」的な断言をした方が大衆人気は得られやすい。
理科離れの激しい日本において、脳科学だけが妙に人気があるのは。それが本当は科学でもなんでもない、単なるオカルトでしかないから。
格言風味の断定というものが大衆にはウケが良い。だからニーチェなんだ。
小柴昌俊も汚いよね。社会的評価の保証もない純粋行為を勧めるだけで。その結果として社会的に迫害されようとも「俺は知らないよ。」ってことだものね。おいらははっきり言ってるでしょ、それは大衆からはウケないのさ。
表面的にはコシバ式の方が世間ウケは良さそうでしょ。「嫌な話は意識から外す。」ってことだからね。ヨウロウ式と一緒だな。結局は同じ糞ジジイだな。東大ってのは根底から腐っているのかね。そりゃ原発も暴走するわな。無責任なバカが運営してんだもの。