書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

エンパシー(共感性)の負の側面

2022年04月30日 22時55分42秒 | 意識論関連

エンパシー 共感性

思いやりの情動

食べ物(資源)を分け与える

 

共感性というものは 軍隊内部での凶暴性の共鳴として働くこともあるものであって 所詮は情動バイアスに過ぎないので共感さえすれば人間性の論証にはならない

腐敗独裁政権が作り出されるのは 独裁体制に同調迎合忖度する服従者達によって作り出されるのであって その内部では共感性が働いているのである

振り込め詐欺師が仲間に食事を分け与えても人間性の論証にはならない

子供のイジメにおいても イジメる側が集団統率的に攻撃することでイジメが酷くなるのであって 集団統率的協調行動を採る「仲間意識」という無意識な社会形成情動バイアスが原因である

 

オキシトシンは子供や仲間に対する思いやりの情動も促すが 同時に仲間以外に対する差別排除の情動も促し これが迫害や戦争などの暴力性の源ともなるのであり 共感さえしておけば人間性の発揮になるわけではない

気分が良くなるような都合の良い解釈だけして 負の面を無視するというのは客観せを欠いた事実誤認であり 身勝手で無責任というものである

ヒトという種の生物に組み込まれた共感性などの先天的情動というものは 祖先のサルの生息環境において形成されたものであって 暴力性もまたサルのそれとほとんど同じである

「主観的に気分が良くなること」が短絡的に「正しいこと」であることの客観的論証には全くならないのである

 


Ende;

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月刊井川遥

2022年04月30日 16時47分01秒 | 日記

月刊井川遥が出てきたのでマルシェルで販売しようとしたんだけど

配送に使うクリックポストっていう配送サービスの支払い運賃はYahoo!ウォレット(クレジットカード払)しか使えないので削除した

クレカは昔持ってたこともあるんだけど スキミングだのフィッシングだのが怖くて全部解約してしまったので Yahoo!ウォレットには支払えず 結局送料込みでの販売しかできない状態

まさかこれだけのためにクレカ作る気にもならないし

 

ま ちょっと調べて売り方考えてみるわ

 

 ◇追記:この記事書いたら一気にアクセス増えたわ 井川遥って人気あるのかしら

すごい数

 

 

削除したはずの販売ページの閲覧数が全然衰えない

リンクだけがどっかに遺っちゃってるのかしら

そんなに欲しいんだったらヤフオクでもメルカリでも売ってるだろうと思うんだけど

なんなn

1件だけだけど2000円で落札されたこともあった

中身を掲載した方が高値がつくのかも知れない

 

月刊遠藤久美子も出てきたんだけど ヤフオクの落札だと「高い順」でもこの有様

蜷川実花のネームバリューは効果がないらしい

これじゃ売る気にはならないな

 

 

Ende;

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再発防止

2022年04月30日 13時54分37秒 | 意識論関連

間違えないヒトなどいない

赤信号なのに交差点に侵入しちゃってマイクロバスと衝突した事故があったんだけど

信号を見落とすってオイラもやらかした記憶が2度程ある

自覚なく通過している赤信号だって絶対にないとは言い切れない

何も起きなかったので結果的には大丈夫だったのだが

何か起きていたら重大事故にもなりうる過失である

信号機の設置されている交差点には一時停止の標識はないため 信号を見落とすと一時停止の義務が相手側にあるものだと錯覚してしまうことにもなる

ヒトは誰でも間違える可能性というのがあるので ただ刑法判決を下しただけでは根源的再発防止にはならない

信号機っていうのは 大型のトラックとかバスが下を通過できる高さにあるので 結構上を見上げないと見づらい交差点というのもある

運転する側からすれば 地上の歩行者や自動車などを注意するのが優先するので 上にある信号機に意識が働かない可能性はある

周囲に何もない場所ならまだしも 背景にネオンサインや街灯がたくさんあるとゴチャついて認識しづらくなる要素というのもある

設置している側からすれば そこに信号機がある前提で設置しているので「見ようとしていれば見える」のだが 信号が存在しているかどうかを知らない運転者の場合は条件が異なり うっかり見落とす可能性が高まることもありえる

運転者というのは信号や標識ばかりを見ているわけではなく 周囲の歩行者や他の自動車など 様々なものに同時に注意を向けなければならず 慣れていない道では見落としや見間違いを引き起こす可能性が高まる

事故が起きたかどうかとか 被害の大きさに依らず 間違えた人に罰金だの刑罰だので「解決」にするのではなく 間違えた原因を徹底究明し 他の人が同じような間違いに陥らないようにポカヨケ的な対策を採ることの方が安全性にとっては効率的なのである

警察は点数稼ぎが「業績」になる仕組みであるため 事故の再発防止対策になろうがなるまいが どうでも良いという仕組みになってしまっているため 罰金や刑罰だけで「解決」にされてしまい 本質的な安全性向上には興味すら持たないのである

そもそも警察官になりたがる奴というのは 勧善懲悪的正義を振りかざして懲罰感情を満たそうとしている奴が少なくない

そりゃ中には市民の安全のために献身的に勤務する警察官もいるとは思うのだが それは採用試験の時には全くわからないのである だから警察も時折不祥事が露見する

 

実際の対策として 横断歩道の手前の路上に埋め込みの赤信号を設置しても良いんじゃないかと思う

地上の歩行者や自動車に注意していて路面上の赤信号を見落とす可能性というのはかなり低いと思うのだ

停止線の手前にも路面埋め込み信号機を設置すると良いかも知れない

企業の生産現場では安全第一を最優先し ポカヨケ的な対策を徹底するのが常識であるにも関わらず

道路交通環境や犯罪においては「罰で解決」にされてしまい 具体的に実効性のある「間違いを減らす」ための対策が充分に機能していないのである

 


「酔っ払って大型トラックを運転していて子供を何人も轢き殺した」なんてのは過失で済まされる話ではないが

なぜそうした無責任な行動を採る人物になったのかについての徹底的な原因究明や再発防止も必要である

子供が実際に轢き殺される前にも 「ハインリッヒの法則」に則って「被害が出ていない飲酒運転」というのも数多く存在しているのではないだろうか

実際に被害が出る前に徹底した再発防止対策を採っていれば 無駄に子供が死ぬような事態には陥らずに済んだ可能性というのある

これは踏み間違い事故など 他の事象においても同じことが言えるのである

更に言えば 通り魔事件など他の「犯罪」においても なぜ通り魔などという何の合理性も意味もない社会的に無責任な行動を採るようになったのかについても 徹底した原因究明や再発防止が必要である

何人通り魔を死刑にしても 通り魔事件がなくなる合理的根拠など何もないからである

 

ヒトという種の生物は 論理客観的根拠に基づいた社会安全性や持続可能性を優先するよりも 個人の主観的印象としての安心満足感ばかりを優先する傾向が先天的にある

それこそ「へずまりゅう」のように法廷でその場限りに反省しているかのように装っておいて 釈放された途端に「俺の涙はヨダレと一緒」などと世間をおちょくっている奴というのもいるのであって 判事の「心象」なんぞ何の保証にも証明にもならないのである

犯罪者というものは 生物としての「ヒト」としては大抵「健康」である

しかし 文明社会において「人間」としては著しい「病気」なのである

「へずまりゅう」が主張していたように 「迷惑者はザラにいる」ことを根拠に迷惑行為が正当化できるわけではないのだが 「だって皆が」と多数派に同調迎合するだけでは人間性の論証にはならない

ナチス政権下のドイツ人の多数決には倫理なんぞなかったのであり それは日本においてもイタリアにおいても同様である

多数派か少数派かどうかは 人間として正しいかどうかとは無関係であり 個人が自律的に社会的責任判断選択を行うために必要なのは 主観的印象や既存の「常識」にとらわれることなく 論理客観的に「考える」ことである

論理的根拠のない話は真実ではないからだ

 


他人を威圧的に行動抑圧しようとする者というのは 自律的に自分の行動を抑制する自制心がないために 「自分にないものは相手にも存在しない」という前提条件が働いているからである

「守ってくれる何か」がないと不安で仕方ないため 指導者に服従している間は満足していても いざ自分が指導者の立場に立たされた時には 暴力威圧に依存して相手を抑圧することしか頭が働かなくなるのである

評価承認欲求というものは 要するに哺乳類としての「親」に対する甘えの感情が方向性なく暴走している状態であって 満たされることのない「評価」に身勝手な不満を抱き 閉鎖的な独裁腐敗体制組織を構築しておかなければいられない「中毒」症状である

こうした中毒症状による暴走というものは 歴史上幾度も見られたものであり 最終的には破滅的な破壊行動で「解決」するものだという錯覚によって 非人道的な独裁体制は形成されるものであって ヒトに普遍的に見られる先天的な認知上の欠陥が原因である

プーチンも金正恩もミャンマー政府軍も 破壊的武力威圧のことを「懲罰」だと思っているのである

それは 虐待を連鎖する親が虐待を「シツケだ」と言い張るのと同じようなものである

人類は今まで犯罪に対して「刑法懲罰で解決だ」と信じて疑うことを一切してこなかったため 「刑罰で解決だ」という論理的根拠のない「常識」を刷り込み学習させられてきてしまっているのである

危険学や失敗学に則った安全性向上においては 刑法というものは原因究明において害にしかならないのである

社会安全性を優先せずに 倫理も人間性もヘッタクレもないのである

物事を深く「考え」なければ 多数派に同調迎合さえしておけば気分的には安心満足感を得られ 何も考えずにいても何の罪の意識も働かないだろう

そうやってヒトは「多数によって無責任性が薄まるものだ」という認知上の欠陥(錯覚)が働くことで 潜在的危険性は放置されてゆくことになるのである

 

戦争であれ 学校でのイジメであれ 事象の大きさに関わらず 共通する原因に同じものが存在しているのであり

「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れている」のである

 

今まで信じ込んでいたものが 信用に値しないと思えば不安になるかも知れないが その不安こそが主観的印象というものである

安心か不安かで行動が決定してしまうのではなく 何が本当(真理)の安全なのかについて冷静に「考え」ることが重要なのである

そこに個人的好き嫌いはどうでもよろしい

そもそもヒトは誰しもが先天的に人間として欠陥品であるから 真実に対して観念的猜疑心や拒絶反応を示すことも珍しいことではないのである

 

 

Ende;

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自由意志

2022年04月29日 12時18分50秒 | 意識論関連

身体というものは 時折自分の意思とは無関係に動くことがある

以前「ねとらぼ」の記事に 漫画家が墨汁を小さな瓶に移そうとして 溢れそうになった瞬間にうっかり口ですすってしまったという話があった

どう考えても漫画家は「墨汁を飲もう」と意図的に思って口に運んだわけではない

日常取り扱う液体の多くは飲み物であるため 反射的に溢れそうになった液体をいつものように口に運んでしまっただけである

 

夜中に眠っていて 急に手足が「ビクッ」と動くことは 多くの人が体験する事象である

 

肩が凝っている時に食事をすると 口や舌を噛んでしまうこともある

 

スマートフォンを操作しながら歩くことが出来るのは 意識して意図的に危険な行動を選択しているわけではなく スマートフォンを操作したいが移動もしたいという欲求を満たすための行為である

 

重大事故を引き起こす「アクセルとブレーキの踏み間違え」も 他人の女房子供を引き殺そうと意図してアクセルから足を離さなかったわけではない

 

日本大学の組織腐敗が長年温存放置されたのは 組織を構成する個人が腐敗組織を意図的に望んだわけではないはずである

 

東京電力福島第一原子力発電所において 原子炉の津波に対する脆弱性を放置したのも 原子炉が暴走しても構わないと思っていた所員はいないはずである

 

このように ヒトは自分の本当の意図目的とは違った行動を採ってしまうことが様々に存在するのであり これが「無意識」というものである

「つい」「うっかり」無意識にしてしまった行動を 事後正当化する形で反射的に言い逃れや言い訳や取り繕いをしてしまうことも よくあることである これは「自分が出来損ないの欠陥品である」という事実を認めたくないという認知的不協和を解消する形での やはり無意識な条件反射的な思考による言動である

「自分は絶対に間違えることのない完璧な人物であると」主観的に「思って」おけば満足感が得られ 論理客観的には「間違えることもある欠陥が存在している」と自覚することは満足感が得られないため 無意識に何も考えなければ自己過信に陥って嘘やデマでも簡単に鵜呑みにするようにもなるのである

大衆やマスコミの多くは 養老孟司やマイケル:サンデルやマルクス:ガブリエルの言っている内容に嘘や重大な間違いが混入していることには気づかず それらを説明してもなを彼らを信用し続ける人の方が大半である

「認知的不協和を解消する」とは 気分的に嫌なことを拒絶する無意識な反射行動であり カルト宗教の信者に見られる洗脳状態の原因でもある

 

○頭で考えるよりも先に身体が動く

弱肉強食の過酷な自然環境下においては いちいち物事を深く考えながら意識的に合理的行動選択をしていたら天敵に喰われてしまったり 配偶相手を他者に奪われてしまったりするため 欲望のままに反射的に行動をする仕組みが遺伝的に脳には組み込まれているのである

振り込め詐欺からの電話に対して 「話し方が丁寧だった」などという主観的印象だけで鵜呑みにし 家族や警察や弁護士からの電話だったと信じ込んでしまうのも 恐怖心によって促される情動が理性をマスキングしてしまうことで生ずる無意識な暴走状態である

ヒトは一度信じ込んだ物事を 既に「信じ込んだ自分」に対する過信によって 事後正当化しておいた方が気分的に楽なように先天的にできているのである これが認知上の欠陥(錯覚)を引き起こす原因である

虐待を連鎖する親が 「自分も親から殴られた」その自分の体験を事後正当化する形で 「殴られて育ったことで今の自分が存在しているのだから 殴られて育つことには正当性がある」といった自己に対する過剰な慢心によって 虐待を正当化する屁理屈をでっち上げてしまうため 虐待の連鎖というのは難治性なのである

養老孟司が 「世間が許してくれないから 大学で30年間も安月給で働いた そこには意味があったんだ そう思わなきゃやってられないじゃありませんか」などと言い出すのも 要するに認知的不協和を解消するための屁理屈である

東京大学名誉教授が自分が既に行った選択や体験に対して「やってられないじゃありませんか」などと言い逃れをしているのであれば 読者は「自分達も言い逃れをしても構わない 許されるんじゃないか」という身勝手な解釈をすることによって 気分的に「救われる(満足する)」ことで養老孟司は大衆人気を集めているのである

スマホ歩きやスマホ運転をしている人を 警察が注意すると 「急いでいるんだから仕方ないだろ」などという言い逃れをする人がいる

「仕方ない」とか「しょうがない」というのは 本来「他に一切の選択肢が存在していない」という意味であって不可避であることの論理証明が必要だが 実際に「仕方ない」と言っている人のほぼ全員は単なるワガママを正当化するための幼稚な言い逃れに使っているに過ぎない

身体のみならず 思考までもが本来の意図目的とは無関係に 無意識条件反射的に言い逃れや取り繕いをすることも 決して珍しいことではない

ヒトは一度信じ込んだ相手を疑うことをしたくないというバイアスが働き 盲目的に信奉することによって過剰な満足感を得られる仕組みが存在しているため 振り込め詐欺師に騙されている人は「いや 絶対に騙されてなどいない」と言い張り カルト宗教の信者達は教祖を一切疑わず デマに煽動されてエコーチェンバーに陥っている人はワクチン接種をしている小児科医院に集団で闖入するのである

兵隊が上官の命令に唯々諾々と服従し 戦争などというバカげた行為をするようになるのも 盲目的に上官を信頼し 服従することへの美徳(快楽)を感じる本能的習性が原因である

宗教というのは こうしたヒトの先天的な忠誠忠実性を満足させるためのファンタジー妄想として 唯一絶対的な存在として「神」を正当化するのである

「神」とは 要するに「親」を超越した絶対的盲目的服従対象であり 哺乳類としての本能習性である「甘え」が作り出したフィクションによって 多くの有神論者は主観的満足感を得られることで その快楽への中毒性が盲目的信奉を正当化しようとするのである

神は科学的には立証できない

神にいくら祈っても戦争も差別もイジメもなくならない

ヒトという種の生物は他人と自分との間に順位や序列を決めつけることによって 自分の存在を正当化できているという感覚(錯覚)があるため 気分の悪くなる話は全部嘘だと決めつけ 都合の悪い話には一切耳を貸さなくなり 一度信じ込んだ相手に対しては盲目的信奉によって疑うことも一切しなくなるのである

「滅私奉公」と称してなにがしかに対して盲目的な忠誠忠実性を発揮することに対しての美徳(快楽)が生ずるのも 哺乳類としての盲目的な「親」に対する服従性(甘え)による行動バイアスである

 

物事を深く検証しない無意識なヒトが導き出す結論は 「死刑にしちまえ」「刑法判決で解決だ」「死ね」というものである

私も主観的に「死ねよ」と主観的に思うことは珍しくもないが それは社会的には合理性や意味がなく 論理客観的には迷惑な奴の行動原因を徹底究明し 再発防止につなげることの方が重要であると「考える」のである

私も情動自体は違法な「私刑」執行官達と何ら違いはない 迷惑な奴は殴りたいし 嫌がらせで脅迫的に服従させてしまった方が気分的には満足感が得られるだろう

だが 主体性のない迷惑者というのは誰かが常に抑圧し続けなければ簡単に再犯するものであって 合法的な懲役刑も含めて根本的解決には全くならない

ましてや通り魔を何人死刑にしても 通り魔事件自体の原因もわからなければ 再発防止にも全くならない

警察のポスターに「テロは許さない」などというフレーズがあるが 「許さなかった」らテロがなくなる合理的根拠は何もないのである

テロも通り魔も 彼らなりの社会に対する方向性のない「懲罰」感情を満たすための行動(正義)であって 刑罰という合法的社会正義だと錯覚することによって恐怖で市民の行動を抑圧する刑法そのものの存在が「懲罰」感情を正当化してしまっているのであり 本来であれば市民が自主的主体的に社会安全性を求めるというのがスジというものである

「それでも犯罪はなくならない」かも知れないが 減らすことは可能である 完全撲滅は不可能かも知れないが 減らせる可能性があるものを「撲滅できないなら やらないほうが良い」と言い出すのはバカの発想である

フリードリヒ:ニーチェは「できそうにないことは やらない方が良い」と言ったが これは大衆がやりたがらない面倒なことを全部放棄するためにこじつけられる都合の良い「迷言」であり 主観的気分が良くなるよう都合良くこじつけることで得られる満足感(快楽)による思考バイアスによって促される錯覚によって ニーチェは大衆やバカな大衆迎合を目的とした「哲学者」には人気があるのだ

一度ニーチェを読んで満足した者は もはやニーチェを疑うことを一切しなくなる

それはイマヌエル:カントでも マルクス:ガブリエルでも 養老孟司でも 麻原彰晃でも同じであり 宗教的な盲目性によって洗脳されることで ヒトは簡単にバカになるのである

論理的根拠を一切すっ飛ばした「叡智界」の妄想に満足してしまえば それが本当は哲学でも何でもないことには誰も気づかなくなる

哲学というのは 本来妖怪悪霊といった論理的根拠のない感覚的恐怖心が作り出した妄想といった嘘やデマに煽動されないために 真実を見極めるためのものであって 論理的根拠を「超越」してしまったら もはや真実もヘッタクレもあったものではない

 

○科学や哲学は宗教を弾圧はしない

宗教を弾圧したがるのはイデオロギーや「別の宗派」であって 科学や哲学は「ヒトはなぜ実証不能の神を信じ込みたがるのか」を客観的に検証するだけである

他人が大切にしているものであれば それを奪う権利は誰にもない

子供が一生懸命作った泥団子であっても それを「価値がない」と称して意図的に破壊することは器物損壊罪に該当するのである

神にいくらお祈りしても戦争がなくならない上に 宗教が原因で紛争が起きることもあるからといって 宗教を弾圧することは科学や哲学の仕事ではない

神だか変質者だかが日がな一日中監視しているからといって 行動が抑圧されることで倫理的行動に結びつくなどという屁理屈のために宗教を正当化することはできない

神などの他者が見ていなくても 自分自身で善悪を判断して自律的に行動を選択するという本質的な意識があってこその「自由意志」というものである

クレプトマニア(窃盗症)のような中毒があっても 意識的に行動を抑制して万引をやらないように行動選択すること「も」可能である

痴漢や盗撮といったものも 自分の欲望の大きさや強度程度だけが行動原理になっているから「無意識」なのであって 他人が嫌う理不尽な行動も 「自分がどのような人間で在りたいか(本当の目的・人間の真理)」という主体的選択によって自律的に行動抑制すること「も」可能である

人によって難易度は異なり 個人差もあるだろうが 「できそうにないことは やらない方が良い」という幼稚な屁理屈をこじつけて満足する方が気分的には楽なのである

ヒトとはそういう先天的な認知上の重大な欠陥が存在しているのである

別に私のことを主観的に好きになって頂く必要性は一切ない

そういう個人的な好き嫌いに依らず 内容を論理客観的に理解することを求めているに過ぎず 科学や哲学というのは大衆の人気取りのためにあるわけではなく 嘘やデマと真実を見極めるためのものであって どんなに大衆人気を集めていても真実であることの論理証明には全くならないのである

多数のヒトが信じている話であれば 「多数の中には内容を論理客観的に検証してくれている人も多いはずだ」と主観的に「思う」かも知れないが そうした「思い」にも論理客観的根拠は何もないのである

多数派に同調しておいた方が気分的に安心満足感が得られるという先天的な思考バイアスの存在を理解していれば 多数が何の保証にもならないことを認識すること「も」可能である

バカではできない

できればバカではない

やろうともしないからバカが治らない

 

○主体的意思の存在

主体的意思が存在しないというのであれば あらゆる犯罪や過失の全ても正当化可能となるのである

「俺の行動は 俺には選択できねぇ」と言っているのと同義だからである

ある暴走族がこう述べた「誰にも俺たちを止めることはできない」と

自分でも自分が止められないのに 一体何を自慢しているのか訳がわからない

バカが酷いと 自分が何を言っているのかすら自覚認識できないのである

社会的存在価値を失ってまで迷惑行為をしたがるのは 他人に迷惑をかけている間だけは他人との比較において優越感を主観的に感じることができるからであって 「誰にも俺たちを止めることができない」ことが「自由」だと倒錯しているからである

自分でも自分が止められない上に 実際には警察に捕まっているにも関わらず バカはバカげた言動に何の羞恥心も持たないのである

 

振り込め詐欺に騙されて金を振り込んでしまった被害者の行動は無意識である どんなに強い情動を伴っているとしても むしろ情動ゆえに騙されているのであって 情動の強度程度は意識や意思の本質ではない

気分が良くなる話を信じて満足しても その内容に論理客観的根拠が伴う真実であることの論証にはならないし

気分が悪くなる話を拒絶しても 内容に対する論理客観的反証が出来ないにも関わらず ヒトの大半は主観的拒絶反応こそが自分の意識だと勘違い錯覚するのである

生物学界や哲学界が公然と嘘を言っているにも関わらず それをどんなに説明しても嘘を嘘だと認識できないのは 既に嘘を信じ込んだ自分を事後正当化して認知的不協和を解消するための思考バイアスが働くためである

振り込め詐欺師に騙されている人に対して「それは詐欺師に騙されているんじゃないですか?」と問いかけても 「いや 絶対に騙されてなどいない」と言い張るように 「養老孟司やマルクス:ガブリエルや読書猿に騙されているんじゃないですか?」と問いかけても大衆の大半は誰も「そんなことはないだろう」と主観的に「思う」のである

こうした情動によって促される脳の反射的思考バイアスというものは 必ずしも論理客観的根拠に基づいた真実を認識できるとは限らないのである

思考ですらその大半は根拠のない「常識」に基づいているにも関わらず 自分の「常識」に論理客観的根拠や証拠が存在していないことには考えが及ばない人は多いものである

「お茶くみは女子社員の仕事だ」などという何の合理性もない決めつけと同様に 「東京大学名誉教授の言うことなら絶対に正しい」と決めつけ 実際には「客観的事実などない」などと言い出し科学を全面否定するようなオカルトジジイであっても何の疑いも持たずに信頼し続けるのがヒトというものである

 

誰も嘘やデマを信じ込むことを目的意識にしているわけでもなかろうが 実際には嘘やデマの方が人気があって信頼されやすいものなのである

100年以上もの間 イマヌエル:カントの「純粋理性批判」などというオカルトファンタジー妄想が まるで論理客観的根拠に基づいた真理としての「哲学」であるかのように信じ込まれてきたのも ヒトという種の生物の先天的な頭の悪さ 認知的欠陥による倒錯によるものである

生物学界においても 「○○(目的)のために進化を選んだ」といった間違った説明を散々してきたことに対し 生物学権威はことごとく論理整合性のない言い逃れやはぐらかしやごまかしで大衆やマスコミを煙に巻いてい権威性を維持しているのであって いわば「公然の陰謀」とも言えるものである

ヒトは間違えるものである

間違えを認識したら 間違えを改め 間違えた原因を考えて間違えないように経験知識教訓として受け継ぐことで ヒトは賢くなること「も」可能である

だが 「間違えを改める」ためには自分の頭の悪さを認める必要があり これが「間違えを改める」上においての障害として作用するのである

「自分だけは絶対に間違えてなどいない」という自己に対する慢心こそが ヒトの認知上のあらゆる欠陥の根本的原因として作用しているのであり これは別に「恥ずかしい」かどうかとか 「怖い」かどうかは関係がない

もしかすると本論を読むと洗脳でもされて何か間違った判断をしてしまうようになってしまうのではないかと怖れている人もいるかも知れないが それは実は逆で カルト宗教に洗脳されている人というのはむしろ教祖や教団に対する観念的安心感によって洗脳に陥るのである

科学や哲学というものは 主観的な感覚や印象 観念的好き嫌いに基づいて促される錯覚や間違った認識に騙されないようにするためのものであって 決して安心満足感が得られるとは限らないのである

ジャン:ポール:サルトルやセーレン:キェルケゴールを読んでも満足感や安心感は全く得られない

むしろ自分の頭の悪さを徹底的に自覚させられて嫌な気分になるだけである

澤口俊之が哲学から逃げた原因は これら実存主義の気分の悪さが原因であり 実際には1%もわかっていない脳科学の論証で全てを知ったような錯覚に陥っているだけのバカに過ぎない

澤口俊之は「養老孟司先生は素晴らしい」などと形容したバカであり 科学者としてはポンコツ過ぎて話にならないが テレビでの発言がポンコツ故に「面白い」ために大衆人気を集めているに過ぎず 実際には「著書が売れた」だけで養老孟司同様に何の科学的業績もないのである

物事を論理客観的に検証できないバカである以上 科学的業績が何も出てこないのは必然的結果というものである

ヒトというのは権威に対して疑いを持つことに根拠のない罪悪感のような感覚を持ってしまうことがあるが それこそが権威に対する宗教的盲目性を促してしまう思考バイアスであり ヒトが自律的判断能力を喪失する大きな要因として作用するのである

 

自分の頭で「考えて」いないなら そりゃ「自由意志などない」のは当然というものである

 

 

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公然の陰謀

2022年04月28日 23時18分41秒 | 意識論関連

遺伝的進化には目的などなく、進化の果てに絶対的最終形態のようなものが存在しているわけでも、意図目的に則った「生存戦略」が存在しているわけでもない。

たとえば擬態進化が生じるのは、昆虫が「天敵から見つかりたくないから見つかりにくい姿を選んでいる」わけではなく。

様々な変異の中で、より見つかり難い姿の個体以外が全て天敵に喰われることによる収斂進化の結果であり。 個体の意図目的に依らない自然現象に過ぎない。

どんなに個体が後天的に「喰われたくない」と考えようが思おうが願おうが祈ろうが呪おうが遺伝的進化には影響を与える構造など存在しないのである。

こういう話をした時に「そんなの皆知っているよ」などと言い出すバカがいるのだが。 知っていながら内容は「理解」していないため 生物学権威が論理整合性のない「はぐらかし」を開陳しても、誰一人としてはぐらかされているとは認識できないのである。

長谷川眞理子は「チャールズ:ダーウィンは人道主義者だった」などと主張しているものの その一方では「○○のために進化を選んだのよ」といった支離滅裂な説明を平気でやらかすペテン師である。

遺伝的進化を目的のために選ぶことが可能だとする観念こそが優生学の源であり、「ダーウィンが人道主義者」だったかどうかと優生学の論理反証は論理的には何の関係もないのである。

更科功もダーウィンの進化論によれば「遺伝的進化には目的がない。」と言っておきながら。舌の根も乾かぬうちに「本来生物は、生きるために生きているのであって、生きる以上の目的はないのだろう。生きるために大切なことはあっても、生きるよりも大切なことはないのだろう。まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。」などという主観的で支離滅裂な話で読者をはぐらかしているペテン師である。

「生物」というものは結果的に死滅せずに繁殖を継続しているものを分類しているに過ぎず、意図目的や戦略に基づいて進化を選ぶことなど原理的に不可能なのである。

田島木綿子(たじまゆうこ)は「生物は、自分の置かれた環境が変わると、その環境に適応するために、体の構造や機能などを大きく変化させる能力を発揮し、生き残ろうとする。これが成功すると、進化と呼ばれる。」などと述べている

「環境が変わった時だけ環境に適応するために体の構造や機能などを大きく変化させる能力」などという あたかも主体的に変異を促進できるかのような、科学的には何の根拠もないオカルト観念を提唱しているのであり。科学者として不適切にも程がある。

他の多くの生物学者共も、ダーウィンの進化論によれば遺伝的進化には目的が存在していないと説明しておきながら、同時に「○○のために進化を選んだ」などと称した「生存戦略」概念も主張するという二枚舌を平気でやらかす嘘つきばかりである

これは今まで散々「生存戦略」概念に基づいた説明をしてきた都合上、今更否定すると沽券(権威の体裁)に関わることから大衆やマスコミをはぐらかして「以前から知っていた」かのように偽装しているのである。

にも関わらずマスコミや大衆の大半は生物学権威共のはぐらかしには全く気づかず、学術権威の言っている内容を鵜呑みにして「知っている」だけであって。内容を論理的には全く理解していないのである。

自分の頭でちょっと考えれば、長谷川眞理子や更科功の言っている内容が論理的に支離滅裂で整合性のない嘘であることは、私ごときであっても認識可能な簡単な事であるにも関わらず、ほとんど誰も指摘しないという怠慢をやらかしているのである。

 

 

句読点とかめんどくせ

読みやすくしたところでバカじゃ理解しないからな

 

 


Ende;

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ユニセフ報告書

2022年04月28日 21時10分35秒 | 日記

子供の精神的幸福度が38カ国中37位だとユニセフの報告書に記載されてるという

 ↗レポートカード16 -Unicef

他にもいろいろな基準でランク付けされていて 尾木ママのコメントも掲載されている

自殺率7.5というのは10万人当たりなので「%」ではない



尾木ママのコメントを一部抜粋引用しておく

日本では、15歳で迎える高校受験によって、子どもたちは偏差値という学力指標だけで振り分けられてしまいます。思春期という大切な時期を、一貫して成長を促し学力形成していくのではなく、競争原理に基づく一斉主義により序列化するわけですから、子どもの自己肯定感がガタガタになってしまい、幸福感が育たなかったり自分に自信が持てなかったりするのは必然だと思います。

 

また、報告書の中で指摘していますが、日本だけでなく、頻繁にいじめに遭っている子どもは、明らかに精神的幸福度が低い結果になっています。米国や英国の研究によれば、いじめは50歳になってもその人の社会的な関係や心身の健康に多大な影響を及ぼすと言われています。一方、日本はいじめ地獄のような状況で、国立教育政策研究所の追跡調査によると、子どもの7割がいじめの加害者になり、8割が被害経験を持っているということです。そのくらい蔓延しているいじめの経験は、おとなもゆがめてしまっています。そのため、コロナ禍でもいじめがすぐに起きたり、弱者にきちんと寄り添えなかったり、自信をもって自分の判断ができないといったことにつながっているのではないでしょうか。日本は一刻も早く、最優先課題としていじめ問題に向き合い、きちんと構造的にも解決していく道を探る必要があります。


尾木直樹








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本当の目的

2022年04月28日 18時03分12秒 | 意識論関連

遺伝的進化には目的がない

ところが生物学では長い間「○○のために進化した」とか「○○のために進化を選んだ」とか「生存戦略」といった説明をしてきましたが

これは論理整合性が欠けており 本来であれば訂正されるべき内容です

目的がないのに戦略なんぞ成立しませんし そもそも遺伝的進化というものは個体の都合に合わせて「選ぶ」ことなんかできないんですよ

遺伝的進化というものは「遺伝子の保存」にすらならず 環境に適応して「繁殖を継続」出来た個体種への収斂進化しか促すことはありません

進化によってどんどん違う種の生物へと進化している時点で「遺伝子の保存」には全くなっておらず

現存生物種という「死滅せずに繁殖を継続」可能だった結果以上の何も遺伝的進化はもたらさないのです

生物発生初期の単細胞のバクテリアからヒトへと進化している時点でほとんど全く「遺伝子を保存」なんぞしていないわけです

生物やその遺伝的進化には目的などなく あくまで結果的(偶発的自然現象として)に死滅せずに生きている(繁殖を継続できている)ものを「生物」と分類しているに過ぎないのです

遺伝的進化というものは現在進行形の現象であり 都市部では野草などの植物が都市環境への適応した変異種への収斂進化も見られるそうです

 

もう一度遺伝的進化のアルゴリズムについて考えてみましょう

まず変異が起きます 変異は環境に依らず放射線や紫外線や配偶交配によるランダムなものであって 環境に適応した変異が起こることもあれば 逆に全く適応できない変異が起こることもあれば 環境適応とは無関係な変異が起こることもあります

それだけなら変異はバリエーションが増えるだけで進化には至りません

遺伝的進化が生ずるためには淘汰圧力による収斂が必要であって 例えば逃げ足が速くないと天敵に喰われて死ぬとか 周囲の環境から目立たない姿でないと天敵に見つかりやすく喰われて死ぬとか そういった環境に適応した変異以外の全てが徹底的に死滅することで はじめて収斂進化が生じるのです

 

病院で抗生物質を処方されると「自分の判断でやめずに全部飲みきってくださいね」とお医者さんから念を押されます

抗生物質を服用すると 体内は菌類にとって住みづらい環境になりますが 菌類にも変異によるバリエーションがあるために 元々抗生物質が効きにくい変異種もいるため 処方された抗生物質は一定期間飲み続けないと抗生物質が効きづらい変異種だけが体内の残ってしまうことで収斂進化を促してしまい より強力な殺菌力を持った抗生物質を投与しないと駆逐できなくなってしまうため お医者さんは「全部飲みきってくださいね」と念を押して言ってくるのです

耐性菌というのはバンコマイシンというヒトの肝臓に障害をもたらす強力な抗生物質に対してまで耐性を持ってしまうこともあるそうです

耐性進化が起きるためには 適度に過酷な環境条件が必要で 遺伝的進化というものは適度な過酷環境でこそ生じるものであって 天敵や競合相手の少ない環境下であれば何億年もほとんど姿を変えずに繁殖を継続出来ている生物も存在しているのです

シーラカンスやオウムガイなどがそれに該当します

逃げ足の速い草食獣への進化が生じるためには 走るのが速い天敵によって逃げ足の遅い個体から喰われて死ぬことによって収斂進化が促されるのであって 走るのが速い天敵がいない環境であれば逃げ足の速い個体への収斂は起きず 生息環境において必要充分な以上の能力を持った個体種への収斂進化は促されることはないのです

シーラカンスも泳ぐ能力はあまり高くはなく 他の魚のように機敏に逃げ回ることはできませんが シーラカンスの生息する冷たい深海では機敏な天敵がほとんどおらず 逃げる能力が高くなる必要がないため 無駄に泳ぐ能力が高い変異が起きても逆に生息環境に適応できなければ死んでしまい 泳ぐ能力が高まる進化には至らないのです

変異は常にランダムですから 泳ぎの速い変異も起きれば 逆に泳ぎの遅い変異も起こるわけで それらがランダムに配偶交配をすれば泳ぐ能力は平均化されてしまい 特定能力が高まるような進化には至らないのです

逃げ足が速くなるなどの特定能力の獲得に対して ヒトが「進化」だと形容しているだけであって 実際には環境適応的に繁殖が継続さえ出来ていれば「生物」なわけで 暗闇の洞窟内で目が「退化」してしまうことも 天敵のいない離島で飛行能力が退化した鳥が存在しているのも あくまで環境適応的に繁殖が継続できているという「結果」以上の意味はないのです

肉食獣も捕食能力が高すぎれば獲物を絶滅させてしまって生態系の恒常安定性を維持できず 結果的に生態系もろとも絶滅してしまうことに陥ります

アフリカのサバンナのように生物密度が非常に高い環境だからこそライオンのような極めて捕食能力の高い肉食獣への適応進化が促されるのであって ライオンは西表島の環境には適応することが出来ないのです

遺伝的進化というものは あくまで生息環境に依存して生じるものであって 「○○のために進化を選ぶ」ことなど原理的に不可能なものであって 「生存戦略」という概念も科学的には全く成立しないのです

しかし 生物学では長年遺伝的進化に意図目的や戦略といったものをこじつけた説明をし続けてきたため これをこじつけや屁理屈によってはぐらかすような説明ばかりを展開しているのです

 

優生学などというオカルト観念が長年科学的論証であるかのように扱われ続けてきた原因も 遺伝的進化に意図目的や戦略をこじつける形の生物学者達の「説明」が原因です

遺伝的進化による結果的な現存生物種だけを見れば あたかも意図目的や戦略に則って進化を選んだかのようにも「見える」のでしょうが この「見える」というのは主観的感覚によって促されている錯覚でしかありません

遺伝的進化の過程で数多無数に死滅した変異種の存在を無視して 結果的に繁殖が継続出来ている現存生物種だけを見て「進化は人間よりも賢い(フランシス:クリック)」などと形容するのはとんでもない典型的な大間違いなのです

にも関わらず未だに「進化は人間よりも賢い」というクリックの言葉は「名言」として扱われ続けているのです

チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化の説明というのは あくまで環境適応の結果的な自然現象に過ぎず そこに意図目的や戦略や「考え」が介在する余地は存在してはいないのです

遺伝的進化は「選ぶ」ことなどできないのです

あくまで生息環境によって淘汰「選択される」ことによって結果的に起きるのが遺伝的進化であって 個体の都合は遺伝的進化には影響を及ぼすことは原理的にできないのです

遺伝的進化というものが「盲目の時計職人」と形容されるように 遺伝的進化というものには「目的」がないので「盲目」なのです

時計の様に精密な機械を作るように ヒトのような複雑な生物への進化が促されたとしても 別にヒトを超越した謎の超人のような究極の最終形態のような「目的」に則っているわけではないのです

「遺伝的進化に目的があって 究極の存在への進化が促されるはずだ 促されるべきだ」といった大衆観念上の妄想錯覚によって 優生学が科学的論証であるかのように勘違いされ続けているのです

 

論理客観的根拠に基づいた真実というものは 必ずしも気分的にスッキリするとは限りません

科学や哲学というものは 主観的な気分的安心満足を得ることを目的にしているわけではなく あくまで間違いや嘘と真実を見分けるためのものだからです

ワクチンは必ずしも100%安全ではありません それでも打たないリスクよりかは打つリスクの方が社会的リスクが低いからワクチンは推奨されているのであって ワクチンの危険性を過大評価するのであれば 「自動車は危険だから世の中から全てなくせ」とか「包丁は通り魔に利用されるから全てなくせ」と言うのと同じようなものだと言えます

100%安全ではないものを推奨されているというのは 気分主観的にはスッキリしない話ではありますが 主観的気分の「安心」と 論理客観的「安全性」との履き違えをするべきではありません

そもそもヒトという種の生物に100%の安全性や健康というものが存在しているわけでもありません どんなに健康に気をつけて生活していてもいつか必ずヒトは死ぬのであって ヒトの死亡率は100%なのです

それなら自暴自棄に「いつ死んでも良いや」とばかりに無責任に利己的欲望を追求することが許されるわけでもありません

ヒトという種の生物の先天的な主観的気分というものは 必ずしも社会安全性や持続可能性に基づいた行動が促されるわけではなく むしろ逆に働くことの方が多いと言えます

暑ければ冷房をガンガン効かせたいでしょうし 寒ければ暖房をガンガン効かせたいでしょう 移動に徒歩や自転車を使わずに近所のコンビニまで行くにも自動車やバイクを使う方が「楽」だと感じるかも知れません

外出中にゴミを家まで持ち帰ることなどせずに そこら辺にポイ捨てしてしまった方が「楽」だと感じる人がいるからこそ ポイ捨ては後を絶たないんでしょう

犯罪が起きたら刑罰で「解決」だと思っておけば安心満足で 原因究明や再発防止になど興味すら持たない人の方が多いものです

その方が気分的にはスッキリし 安心満足感が得られるようにヒトという種の生物は先天的に出来ているからです

DV男は家族に暴力を振るってテストステロンを「消費」することで脳内のシーケンスによってセロトニンが分泌されて急に優しい気持ちになるそうです

こうした条件反射メカニズムはDV男に限ったものではなく ヒト全般に先天的に組み込まれたものであり だからこそ「刑法判決で解決だ」という合理性のない結論に安心満足感を主観的に感じるわけです

プーチン政権の暴走に対してロシアへの嫌悪感からロシアの土産物店の看板を破壊するという「私刑」を実行したバカがいたそうですが お店の店主はウクライナ人だったというオチがありました

嫌悪感という主観的感覚だけを自分の「考え」や「意識」や「意思」だと錯覚しているからこそ こうしたトンチンカンな行動に陥るのであって それはプーチン政権の錯乱とメカニズム的には同じものに過ぎません

ヒトという種の生物が先天的に優秀で 「先天的に人間性が組み込まれているはずだ(山極寿一)」といった科学的には根拠のないデマの方が主観的には安心満足感が得られるからこそ ヒトは安心してトンチンカンな錯乱した行動を採るようになるのです

遺伝的進化というものは 「繁殖を継続」する以上の何も促すことはありません 差別排除や痴漢や幼女強姦や封建的組織腐敗を放置する先天的習性という「結果」も 「繁殖を継続」さえできていれば「進化」であり「現存生物」であって それらを無視して「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などと言うのは現実逃避のオカルトでしかありません

ヒトという種の生物は先天的には人間としての認知的欠陥を持っているために 東京電力のように原発の危険性を放置するような組織体質が作り出されたり 日本大学やプーチン政権のような独裁体制をも作り出してしまうものなのです

名だたる大企業による不祥事も 高学歴な社員達によって引き起こされるものであって プーチン大統領もまたレニングラード国立大学(現サンクトペテルブルグ大学)を卒業しているのです

大衆観念的には学力学歴は知能と同じものだと思われていますが 認知科学的には学力成績は知能の本質とは無関係であることが証明されているのです

通り魔やテロリストも 実は結構高い確率で学生時代に学力偏差値が高かった事例がいくつも出てきます

オウム真理教による地下鉄サリン事件は典型だと言えるでしょう

ISIL(イスラム国)の構成員も高学歴な人が多かったそうです

こういった話をすると「じゃあ 一体誰を信じればいいの!」などと言い出す人が後を絶ちません そもそも「盲目的に信じていたい相手」として 学術権威という肩書が存在するのであって 「国立大学の生物学教授や哲学科の職員なら常に正しく間違ったことは言わないものである」という盲目性があるからこそ 遺伝的進化に対する「典型的な間違い」に基づいた説明がいつまでも温存され続け 一切訂正されることがないのです

マスコミは文科系の人が多いですから 論理客観的に正しい話なのかどうかを自分の頭で考え検証することが苦手で 学術権威が言ってさえいれば「裏を取った」とばかりに漫然と信じ込み報道してしまっているのです

権威という肩書を持った相手の言っている内容を鵜呑みにし その内容の真偽を自分の頭で論理客観的に考え検証しないというのは 内容の責任を権威肩書に丸投げしているに過ぎず 極めて無責任な判断だと言えるのです

 

ヒトという種の生物は その際限のない欲望を満たすために地球環境を破壊し続け 絶滅への道のりをほとんど止めることすら出来ていません

「進化は人間よりも賢い」というのであれば どうしてヒトは地球環境との共存共生するように先天的欲望が進化しないのでしょうか

遺伝的進化が「賢い」んだったらヒトが頭で考えて対策を練る前に地球環境との共存共生できるように遺伝的進化が起きても良いはずです

環境資源の奪い合い競争なんぞせずに 相互に助け合う共生社会にとって都合の良い本能習性へと進化が起きないことには とても「賢い」などとは言うことはできません

生物学者は「遺伝的進化が促されるためには長い時間が必要だ」と言いますが どんなに長い時間を経過しても遺伝的進化が生ずるためには必ず淘汰圧力が必要で 適した変異種以外が全て死滅することによる いわば「自然に生じる品種改良」が働かなければいかなる進化も生じることはないのです

タレントの「YOU」が「進化によって月経の痛みがなくならないのかしら?」などと言っていましたが 月経の痛みを感じない女性以外が全員死ぬか 断種しないと月経の痛みがなくなるようには進化は起きません

それは何億年経っても淘汰圧力が働かなければ進化は促されることはなく シーラカンスが何億年もその姿をほとんど変えないのと同様で 「遺伝的進化が促されるためには長い時間が必要だ」などという話はそもそも科学的に間違っているのです

逆に言えば 月経の痛みを感じない女性以外を全員殺害断種してしまえば ヒトは月経の痛みが感じない種への品種改良も数世代で可能なわけです

イヌ科の動物は変異が起きやすい性質があるそうで ロシアでのキツネの人工繁殖実験では数世代で様々な姿や性格への変異が起こるそうです

しかし イヌ科の動物は自然界においてはそんなに多くの姿形の個体を見ることは出来ません

生まれてくる子供は様々に変異しているはずなのですが 実際の生息実態では姿形も性格もほとんど同じ個体しかいないのはなぜでしょうか?

それは何らかの形で淘汰圧力が働いていることによって 適応した変異個体以外が全て死滅しているためです

外見や性格が群れに馴染まない子供が産まれてきてしまった場合には 群れは差別排除によって民族浄化することで変異種への淘汰圧力として働かせることで 遺伝的には変異しやすいにも関わらずキツネは自然界の群れの中では見た目や性格が同じような個体への収束収斂が生じているわけです

こうした民族浄化の行動バイアスはヒトでも見られ 見た目や言語 生活文化やマナーの違いによってヒトは簡単に暴力的差別排除をするようになる性質があり これは先天的に組み込まれた本能習性に起因するものです

Microsoft社のTwitterAIが Twitter上の数多のヘイトスピーチを「正解データ」として「学習」することによって ヘイトスピーチを率先して始めてしまうという事例がありました

学校で子供だけを放置しておけば 自然と順位序列を作り出してイジメや差別が生じます 「学級内カースト」というものは多くの人が経験しているはずです そうした身勝手な階級差別というものの基準とは 極めて幼稚な観念によるものであって 何の合理性も伴わない主観的好き嫌いの多数決的なもので決定してしまいます

わざわざ「多様性を認めましょう」などとスローガンを掲げなければならないのは ヒトという種の生物が先天的には多様性を受容したがらない習性が存在しているからでもあります

先天的な本能習性のままに行動していれば 気分的には安心満足感が得られるでしょう 安心満足というのは先天的な本能習性によって満たされるものであって 祖先の生息環境における「繁殖の継続」にとって有利な本能習性への収斂進化の結果的な行動バイアスに過ぎません

たとえば通り魔事件が起きて 幼い子供が何人も惨殺されたりすると 「こんな奴は問答無用で死刑にしちまぇ!」と思うものです それは私であっても同じで 糞DQNが夜中に騒いでいると「死ねよ」としか思いません

しかし「思い」というのは主観的情動に過ぎず 合理性が伴うわけではありません ヒトという種の生物に普遍的に見られる性質だからといって それが短絡的に「人間性の論証」になるわけではないのです

論理客観的に考えれば 他人への迷惑を平気でやらかすバカに育ってしまうプロセスやメカニズムについて徹底的に検証し 同じようなバカが出てこないように再発防止策を講ずることの方が社会的には合理性があるのです

糞DQNを何人殴っても 通り魔やテロリストを何人死刑にしても そういった「懲罰」では再発防止にはなりません

暴力的で他人に危害を加える危険性が高い人物を拘束監禁することには社会防衛の観点において一定の合理性があるとは言えますが 罰自体は論理的合理性など存在していないのです

ヒトという種の生物は 祖先の生息環境に因る収斂進化の結果として 暴力によって物事を解決したがる先天的本能が組み込まれてしまっているために どうしても「罰で解決だ」という短絡的で合理性のない解決策に陥ってしまいがちです

これらは先天的本能習性に起因する認知上の欠陥であり 「本当の目的」というものは多数や権威に迎合することでもなければ 自分の主観的感覚や印象によって見極められるものでもないのです

自分の主観的感覚や印象というものを短絡的に「自分の意思や意識だ」という大衆観念的な錯覚を自覚しないからこそ ウクライナ侵攻やミャンマー軍事政権のような野蛮行為にも発展してしまう原因でもあるのです

危険学や失敗学では「ハインリッヒの法則」というものが提唱されています

「一つの大きな重大事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」という統計的立証に基づいた考え方であり 生物学界における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」や 哲学における「意識」や「自由意志」に対する重大な誤謬こそが 戦争のような重大事象への発展の大きな要因ともなっているのです

ウクライナに最新兵器をどんなに供与しても ロシア兵の死者が増える一方です

短期的に見れば軍事支援は有効だと言えますが それは「現場の正義」であって 根源的な原因には全く言及していないのです

子供が学校でイジメをするのも プーチン政権が暴走するのもヒトの普遍的な本能習性によるものであり それを止めるために必要なのは 政権を構成する個人の判断であることに違いはありません 子供のイジメでは8割が傍観し イジメに異議を唱えればイジメの対象にされてしまいます それと同じでプーチン政権の中では暴力による恐怖を用いた統率支配が横行しているのです

そしてそれは民族国籍に関わらず 日本国内でも日本大学のような腐敗組織による独裁は起こるものでもあるのです

 

ハンス:ヨナスはマルティン:ハイデガーの「決意性」への批判をし 「他者の生命を守ること」こそが重要だと説きましたが 「他者の生命を守る理由」とは 他者の生命を尊重しないような社会であるなら 自分が生き続ける必要性がないからであって 漫然と頭ごなしに道徳を押し付けて人間性や倫理が成立するわけではありません

「人が人を殺してはいけない理由」はありませんが 「人が人を殺すような社会に生き続けなければならない理由」もまたないのです

どのような社会を望むのか その「本当の目的(人間としての真理)」も見極めずに ただ本能習性のままに利己的生存や欲求を求めても その人生には人間としての尊厳など存在しないのです

尊厳のない人生というものは 人間としての人生ではないのです

サルの変種に過ぎないヒトが 人間としての社会性を発揮するために必要なのは 主観的な安心満足ではなく 論理客観的な「本当の目的」を見極める能力なのです

 

なんやかんやで長文だな

バカが多すぎるんだよ めんどくせぇ

 


Ende;

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皮膚のはなし(ヒューマニエンスQ)

2022年04月27日 23時41分30秒 | 日記

写真家のヨシダナギが言うには 上半身裸族の幼児は泣きじゃくることがないという

先進国の子供は親子共に服を着ているために皮膚の直接接触がないと幼児はストレスになり泣くのだという

裸族の経験則だそうだ

 

ヒトの脳肥大が生じた時期と 体毛が薄くなった時期が同時期であったらしい

*:ただ ネアンデルタール人は体中が体毛で覆われていた可能性もある

 

網膜にある光を感知するために必要なタンパク質「オプシン」が皮膚にも存在するのだという

先天性の全盲の人であっても 時差ボケ改善に起床時に強い光を当てると効果があるという

 

皮膚には白檀の香りを感知する受容体もあり 傷の修復が早まるという

 

ヘッドフォンでは超音波は全く感じられないが ハイレゾスピーカーで皮膚で超音波を「感じる」ことができるという

報酬系神経回路の発火があるという

厚手の服を着てしまうと効果が減るという

 

皮膚をさするだけで血管が一酸化窒素を放出するという

 

少数民族が言うには「ヨシダナギの肌が柔らかい」という アジア人の肌が柔らかいそうだ

 

*:そういや 信号待ちをしている人を後ろから他人が凝視されると 何となく嫌な感じがして振り返る現象というのもある まだ知られていない謎の知覚能力がヒトには存在しているのかも知れない

 


Ende;

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ミクロの世界

2022年04月26日 23時24分29秒 | 日記

1/144サイズのキットを3Dプリンターで出力して販売している人いた

http://momc.blog55.fc2.com/

いや間違えた1/700だよ あまりにちっちゃくて数字もとりちがえるわ

 


販売サイトはコチラ

https://firestarter.booth.pm/

 

十円玉デカイな

多分デジモデさんとこで出力したんではなかろうか

出力品をそのまま商品として販売しているようで それで2700円というのは安過ぎる

Android8.1でCADできねぇかな スペック的には不可能じゃなさそうなんだが

 

 

Ende;

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集団主義か個人主義かの分類には真理はない

2022年04月26日 00時00分34秒 | 意識論関連

ハンナ:アーレント 複数性

コモンセンス(共通感覚)

 


ハンス:ヨナス 「決意性」への批判

「他者の生命を守ること」

自分の本来性のみならず 社会的責任も負う

 


集団主義か 個人主義かといった分類には真理はない

腐敗した集団もあれば 健全な集団もある

イカれた個人もいれば 倫理的な個人もいる

重要なのは 何が健全で倫理的な行動なのかを判断する能力であって 多数決の問題ではない

多数のバカによって組織腐敗は促されても

個人のバカによって迷惑行為が行われても

どちらもバカが引き起こす事象であって バカかどうかが問題の根源である

ハンナ:アーレントの言うコモンセンス(共通感覚)も所詮は主観的感覚に過ぎず 感覚を多数で共有しても健全性や倫理の論拠にはならない

単なる多数派に対する気分的安心満足感に頼った「数の論理」ではなく 数に頼らぬ個人の自律的な社会的責任判断選択が必要なのである

「他者の生命を守る」ためには 必ずしも自己の生存や存続は優先されるべきものではない

衆愚が多数派や権威に安易に同調迎合するのは 利己的保身感情のバイアスによるものであって 社会的責任としての自律を放棄しているのであって 主観的な気分感情に惑わされずに論理客観的な真理(本当のこと)を見極め行動選択することが人間としての尊厳である

自己の利己的生存感情(主観)を優先すれば 「他者の生命を守る」ための自律的な社会的責任判断は蔑ろにされることになるのは必然である

自己の利己的生存欲をどんなに追求しても ヒトは必ず死ぬ存在であり 「他者の生命を守る」ための人間としての尊厳を放棄してまで生存の存続を優先しても 永遠に生き延びられるわけでもなければ 存在としての自己を肯定することも出来ぬ虚しい余生に過ぎない

他人と比較して何年生き延びたか 他人と比較して世間的に評価成功したかは 決して人間としての尊厳 人間としての存在価値の論証にはならない

主観的に「死にたくない」という利己的感情よりも 論理客観的に社会持続可能性を優先しなければ たとえ何年生き延びようとも その人生に人間としての尊厳は存在しないのである

人間としての尊厳を失った生存存続は 人間としての人生の価値はない

 

 

 

Ende;

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誰か30MSの手首のジョイントの太さ教えておくれ

2022年04月25日 14時27分28秒 | 日記

Φ4mmのボールジョイントを埋め込める手首をこさえているんだけど ピンの太さが2mmで良いのかどうかがわからない

誰か教えておくれ

 

 

Ende;

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フィッシング詐欺

2022年04月21日 23時32分48秒 | 日記

元乃木坂46の生駒ちゃんがフィッシング詐欺にひっかかったんだそうだ

結論から言うと メールに記載されているリンクは絶対にクリックしてはいけません

例えばAmazonを名乗るメールが来た場合には 自力でAmazonのサイトからログインして確認することが重要

最近ではURLも偽装されていてアルファベットではなくてロシア語などで使われる「キリル文字」など別の言語の文字を英語であるかのように偽装するのだという

 「e」英語  句点コード:03 69

 「е」キリル文字 句点コード:07 54

見た目には全く違いがわからないが コンピュータの内部では異なる文字として扱われているので URLを見ただけでは本物か偽物はわからないという仕組み

フィッシングサイトは専門家でも見分けがつかないんだそうだ

フリーWi-Fiを使う時にはログインパスワードは使わず閲覧のみに使用すべきとのこと

一時期キヤノンのカメラがフリーWi-Fiからハッキングされる事象というのもありましたね

 


Ende;

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事後正当化のこじつけ

2022年04月21日 00時23分16秒 | 意識論関連

「ウイルスに目的はない」と言っておきながら「殖えるため」と目的をこじつけるのは論理整合性がない

「ウイルスの生存戦略」など存在しない

「ウイルスの目的は殖えることで 宿主を殺すことではなく 宿主との共存を図ることだ」というが 目的がないのになぜ「共存を図ることだ」と言えるのか 意味が全くわからない

人体の中にも39種類のウイルスが共存しているというが これもまた「結果」であって 「ウイルスは共存することを目的にしている」というのはこじつけである

共存可能だったウイルスが人体に現存しているのであって 共存不可能だったウイルスの全ては宿主ごと死滅した収斂進化の結果であって ウイルスが「共存しよう」といった目的に則って共存進化を選択することはできない

「自然宿主」などいう概念を持ち出してきているが 共存に至るまでの過程でどれだけの犠牲を代償としているかは誰も知らないのである

遺伝的進化というものは 恒常安定性を獲得できなかった全ての種が殲滅された結果であって 結果的に恒常安定性を獲得している現存種だけを取り上げて「ウイルスの目的は共存」などと言い張るのは科学者としてポンコツ過ぎて話にならない

ウイルス研究者が ウイルスが主観的に好きだからといって 正当化のこじつけを科学的論証に持ち込んで良いわけではない

「ウイルスは宿主を絶滅させることはない」ことの論理的根拠はない

現存ウイルスだけを見て「ウイルスの全ては共存することを目的としている」などという話は 科学論理的根拠をすっ飛ばした決めつけに過ぎず 現存株種以外に宿主ごと絶滅した種が絶対に存在しなかったことを科学的に証明することは不可能である

実際に生物史の中では幾度もの大絶滅が起きており かつて存在していた生物種がなぜ絶滅したのか その原因の全てを解明出来ているわけでもなければ かつて存在していた絶滅種の全てを網羅的に全て確認出来ているわけでもないのであり 「ウイルスは宿主を絶滅させることはない」などという話は科学的根拠のない誤謬やデマである

生物やウイルスというものは 絶対的「悪」や 絶対的な「善」があるわけではない ヒトという種の生物の存在自体においても善悪両面存在するのであって あらゆる生物もヒトに対して「悪」の部分も「善」の部分も存在し 状況に応じて働きは変わるものである

ある種の植物のアルカロイド系毒においても 致死量摂取すれば毒だが 用量用法によっては血流改善効果を持った薬としても作用することがあり 塩は人体に必須だが摂りすぎれば毒にしかならない

遺伝子変異によって重篤な先天性疾患が生ずることもあるが 変異があるからこそ進化も促されたという側面もある だが 遺伝的進化というものはあくまで「繁殖の継続」に適さなかった全ての変異個体が死滅する強烈な淘汰圧力が働かなければ生ずることもない過酷な自然現象に過ぎない

 

石野史敏

胎盤形成に影響した 1億6600年前 PEG10遺伝子

脳梁の発達に影響した 1億4800万年前 RTL1遺伝子

「ヒトはウイルスによってもたらされた」というのは文学的形容詞に過ぎない

ウイルスによる変異であれ 放射線や紫外線よる影響 コピーミスによる変異であれ 運が悪ければ死滅し 運が良ければ存続する それだけのことであって 別に「ウイルスはありがたい存在」であることにはならない

偶発的に「繁殖の継続」に役立ったかどうかだけであって 「存在に寄与している」からといってウイルスや放射線や先天性疾患までをも喜ぶことはできない

遺伝的進化によってもたらされた本能習性によって凄惨な殺し合いをするヒトへの進化を もろ手を上げて喜ぶことは出来ない

主観的に「生きていて良かった」と思っている者にとってはヒトという種の存在は正当化可能だろうが 無責任な事故や犯罪や戦争によって大切な人を奪われた者にとってはヒトという種の存在は必ずしも正当化することはできない

「繁栄を謳歌している」というが 地球上の資源を喰い尽くす程の異常繁殖を都合良く解釈しすぎである 殖えりゃ良いってものではないのである ネズミや農作物じゃねぇんだから

 

 


Ende;

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権藤朱実

2022年04月19日 21時06分54秒 | 日記

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ダウンロードすると1000×1200になる

しかも拡張子が「*.webp」になる

 ↗メロウ楊柳長袖プルオーバー NOSTALGIA

楊柳(ようりゅう)は綿織り物の一種で、ヨコ糸に「強撚糸(きょうねんし)」を使って布面に「しぼ」を出した織物を「縮ちぢみ」と言い、その中でもタテ方向に「しぼ」を出したものを楊柳と呼びます。 楊柳は柳の葉を重ねたように「しぼ」が見えるので楊柳と呼ばれています。 京ちぢみ、綿クレープ、縮みと表現する人もいます。

 出典:↗楊柳 -ユニフォームタウン

 ↗権藤 朱実 -Instagram

写真が全部美麗 旦那が写真家なのか?

 ↗キレキラ(エリエール 大王製紙)のイメージキャラクターだった

ちょっと弘中ちゃん似

美形だけど 絶妙なオトボケ顔

 

 


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大麻由来成分CBD

2022年04月19日 19時23分54秒 | 日記

大麻由来成分のCBDについて 麻田製薬は「安全だ」と主張しているのだが

 ↗CBDやCBDオイルは本当に安全?副作用や飲み合わせも解説します -麻田製薬

その一方で

国立精神・神経医療研究センター依存性薬物研究室の舩田正彦室長は「海外の事例ではCBDに肝機能障害や下痢、吐き気、眠気などの副作用が報告されている。使用後に体調不良を感じた時はすぐに関係機関へ連絡してほしい」との情報もある

 出典:↗大麻由来CBD、健康被害も 「美容効果」とブーム―違法成分混入、厚労省警戒 -時事通信社

NHKでも取り上げていて 妊婦や幼児が摂取した場合の知見がないので摂らない方が良いと言っていた

CBDの精製過程で麻薬成分のTHCが充分に取り除くことができずに製品回収になった事例もあるという

そんなややこしいもん使うなと ハゲは思う

 

 

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