書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

過信。

2013年11月28日 14時30分38秒 | 意識論関連
○過信。

 ヒトの多くは自分の気分感情のおもむくままに行動していれば、必ず常に絶対に正しい結果が得られるものであるという妄想を抱いている。

 これが「正常性バイアス」というものである。

 ヒトの多くは自分の気分感情が促す行動バイアスが、自分自身の主体的意志判断選択であると錯覚しているため、振り込め詐欺のカモにされたり、津波から避難しなかったりするのである。

 振り込め詐欺にカモられるヒトの多くは、「自分だけは絶対に大丈夫だと思って」いる。その根拠というのは、「今までずっと概ね大丈夫だった。」という経験則に基づく気分的安心によるものである。

 当然経験則や統計的結果というものは、傾向性の立証にはなっても絶対性の証明にはならない。

 「自分は振り込め詐欺に騙されるようなバカではない。」という根拠のない自信過剰による満足を得ることが可能であるため、ヒトという種の生物は先天的に振り込め詐欺師に騙されるように出来ているのである。

 先天的な本能習性というものを利用すれば、ヒトを詐欺ることは簡単である。

 しかし、本論のように本能習性が促す気分感情を否定するような内容に対しては、気分的に安心満足が得られないため、信じようとはしなくなる。

 「信じたくない」というのは気分感情が促す行動バイアスである。決して論理検証に基づく意識的行動選択判断ではない。

 マキャベリが嫌われるのは、気分的に安心満足することが出来ないからであり、客観的事実として述べたヒトの習性を、ヒトの多く、文科系大衆の多くは受け入れることを拒絶する。

 マキャベリは詐欺師ではない。詐欺師は「ヒトの多くはカモに出来るものである。」などとは公然と宣言したり書物に遺したりはしないからだ。

 ヒトが騙されるメカニズム構造を知れば、本来なら騙されないようにすることも可能でありながら、ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫。」だと論理的根拠もなく盲目的に過信し、安心満足によって論理検証性を簡単に喪失し。自分が騙される可能性やメカニズムに対する検証をしなくなる。

 マキャベリが生きたのは侵略戦争の時代であり、暴力による覇権争いが横行していた社会であったため、詐欺的な手法も実践しているが。これはいわば話の通じない暴力団に対して囮捜査を企てるようなものであって、必ずしも非難出来るものではない。

 それに対して、たとえばカルト宗教のような洗脳というのは、どのように行われるかと言えば。気分的な安心満足が得られるような嘘を用いる。

 「お前らを騙すことなんぞ、簡単なことだ。」などとはペテン師は言わない。騙している本人が疑われないように、信頼が得られるような気分の良くなる話だけしかしないため、ヒトの多くは簡単にペテン詐欺に引っ掛かるのである。

 ヒトの多くは、一度信頼した相手を疑うことや、論理的に検証することをしなくなる性質がある。信頼した相手に全ての責任をなすりつけ、自らは責任を取ることを放棄することで、安心満足したいからである。これはヒトという種の生物が哺乳類という親を信頼しなければ生存に適さないという構造原理に由来する習性であって、自分以外の何者かを盲目的に信頼して服従迎合することが本能的に安心になったという「結果」である。

 また、一度「自分が信頼した。」という既成事実を事後正当化することを優先し、「なぜ信頼したのか。」という論理検証にまでは至らないことも、過信による満足が働いているからである。

 ヒトの多くが絶対的な神を信じようとする性質も、あくまで「信じたい」という気分感情が先にあり、神自体の存在証明は後からこじつけたものに過ぎない。子供にとって親は神も同然であり、その親が信じていた神に対し、子供が無条件に信頼感覚を持つのは必然的「結果」である。

 ヒトの多くは、自分が育った社会環境や時代から受けた価値観というものを、あたかも自分自身で選択したものであるかのように錯覚するが。自分自身による主体的な論理検証選択をしていない以上、これは習性の「結果」であって、「目的」の論証にはならない。

 ヒトという種の生物は、シエラレオネのゲリラの中で育てば残虐なゲリラになることも簡単である。自分が育った環境というものに気分的安心満足を感じ、絶対的価値観であると盲目的に信じ込むことは、むしろ必然的な「結果」であって、そもそも自分が生まれた時代や社会環境というものを自分自身では選択しておらず、偶発的「結果」における必然性に意味があろうはずがないのである。

 現代日本という環境は、完全で絶対的なものであると、日本人の多くは錯覚している。

 犯罪者は裁判所が決めた妥当な罰さえ与えておけば全ては解決したと錯覚し、経済とは金儲けさえ出来れば社会持続可能性も安全性も検証しなくて良いものであると錯覚する。

 これらの価値観の全ては前の世代から受け継いだ価値観であって、論理的根拠などなくても気分的には安心で満足が得られるため、むしろ論理検証的に批判することに対しては観念的拒絶しか働かないことがほとんどである。

 論理検証的に考えることが出来ない文科系大衆の多くは、「合理性とは、利益追求のことである。」などという嘘に対し、カントの純粋理性批判を持ち出して正当化しようとするが。カントの純粋理性批判自体が論理整合性のない観念論に過ぎないことについては無視するのである。

 利益追求というのは、本能的欲望が主体であって、論理検証性は欲望の道具に過ぎない。

 本質的な合理性追求というのは、目先の欲望の大きさに左右されずに理性を持って感情を制御することによって、初めて
人間としての「心」、自律的な社会的責任判断能力につながるのであり。利益追求が合理性追求ではないことは明らかである。

 気分感情の源である大脳辺縁系が促す行動バイアスが、常に正しい結果をもたらすものであるという妄想は、自分で自分自身を論理検証し疑うという気分の悪いことをしなくて済むため、結果的自己存在を無条件に事後正当化することによる気分的安心満足が得られるため、ヒトの多くは既存の価値観を鵜呑みにし、何も疑わなくなるのである。

 だからこそ、東大学長がわざわざ「全てを疑え。」などと意識喚起をしなければならないのである。

 ヒトの多くは無意識に既存の固定観念的価値観を鵜呑みにし、論理検証的に疑うことをしなくなる習性があるからである。

 「ヒトとは、そういうものである。」が、「ヒト」の習性結果をどんなにたくさん抽出枚挙しても、「人間」としての目的行動選択の論証には構造原理的に全くならない。

 ヒトの多くは、多数派に属していれば気分的に安心満足を得ることが出来るが。これもまた習性という「結果」に過ぎない。多くのヒトがバカである場合、自分の頭の悪さが正当化出来るような錯覚に簡単に陥ることが可能であり。こうした先天的な錯覚を利用して洗脳やペテン詐欺は行われるのである。

 目先の多数派に迎合しておけば、気分的には安心であろうが、それは論理的根拠を持った安全性の論証には全くならないことを、ヒトの多くは忘れたがる習性がある。

 ヒトの大脳辺縁系の構造というのは、頭が良くなるようには出来ておらず、むしろ積極的にバカになるようなバイアスしか促さない。

 大脳辺縁系というのは、所詮はサルと同様、進化変化の「結果」以上の意味はないのである。「結果」以上の何も論証出来ない進化生物学が、人間としての目的を論ずることは構造原理的に不可能であり、サルだのサカナの行動習性という「結果」をどんなに陳列しても、そこからは「結果」以上の何も抽出することは出来ず。人間としての「目的」に言及するというのは業績の捏造に他ならない。

 この根源的な論理的誤りを正さない限り、人類は永遠にバカげた「人災」に対する根源的原因究明には辿り着くことは出来ない。




 自分が「人災」被害に遭ってから他人に責任をなすりつけることは簡単であろう。

 だが、自分の無責任性を無視して他人にだけ責任を問うというのは、あまりに都合の良い社会的「甘え」である。




 下らない嫌がらせをしている暇があるのなら、論理的な反証をすべきである。

 それとも、そんなに自分の頭を使うのが嫌なのか。

 それとも、コソコソと何の教訓にもならない嫌がらせでもしておけば気分的に満足なのか。そういう満足を追求している自分を疑う余地はないのかね。



Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IpponGrangPrix。

2013年11月24日 21時50分30秒 | 日記
IpponGrandprix 10
2013年11月23日

Aブロック

有吉
徳井
大久保
小木
高橋

○3013年の流行語大賞を教えて下さい。

高橋:火星婦のミタ

有吉:食べる尿油

大久保:サイボーグーググーぐぐー

小木:やられたらやりかえす、千年経ったが。

徳井:鳥取五輪。

有吉:虫いっぱい 猫消えた。

小木:消費税98%死守。

徳井:冥王星ショック。

小木:スペース離婚。

大久保:こうせいさんの… *:聞き取り不能

有吉:宇宙将軍糞太郎

徳井:アンドロメダ成金。

高橋:浮くのはもう古い、逆に徒歩。

大久保:水金地火木土天海冥金玉星。


○次のエピソードに尾鰭をつけて話してください。「100円拾った」

大久保:私を抱いた男が帰り際にそう言った。

高橋:拾う拾うとは聞いてたけど、やっぱりここで拾った。

小木:隣にパンティーが落ちてたのに。

徳井:120円拾った。

有吉:凄い長い百円。

高橋:「♪そして輝くウルトラソウル」の間に拾った。

小木:俺の従兄弟の… *:クド過ぎて書く気がしない。

大久保:で、なんやかやあって、北海道のスナック「ホッキガイ」のママになった。

有吉:息子はそういっています、私はそう信じます。

徳井:拾った100円で鯖の尾鰭を買った。

有吉:100円拾ったよ~ん。

小木:アメリカを敵に回すかも知れない、でも俺は100円拾った。

高橋:これを駆使して拾った。(カニ食べるとき使うやつ)

小木:100円拾った俺を羨ましそうに見ていた女を抱いた。



○12枚の写真をシャッフルして、写真で一言。

有吉:あ~そっちか~。

小木:大丈夫?、俺口臭くねぇ?。

大久保:痴漢は犯罪です。

徳井:ストップ、ストップ、このボールはボールに姿を変えた僕のお父さんなんですぅ。

高橋:フリスク持ってる?。

有吉:へいへいへい~。

小木:審判、元カレじゃん。

大久保:和代、結婚おめでとう。

徳井:このまま、大気圏に突入します!。

高橋:うわ~、今日インパルス出てるやん。

有吉:? *:聞き取れなかった。

小木:ウキッって言っちゃダメ、猿ってばれちゃう

大久保:痴漢、あかん。

徳井:この格好で来て会場に入れないとは。

高橋:目ぇ合わしたらアカン、志村の一味や。



○ちょっとだけ不安にさせてください。

高橋:それって、コントの衣装やんな。

有吉 良く焼けば、本当にしっかり良く焼けば食べても大丈夫

徳井:俺、君のこと好き過ぎるんだ。

高橋:お前のお母さん、軽トラ借りてはったけど。

有吉:テレンス:リーからの小包。

大久保:女子なのに、口の周りに髭が生えたと思ったら砂鉄だった。

有吉:ミノさんと徳さんの密談。

小木:今から来る娘、剛力彩芽似だそうだよ。

大久保:最近どんな肉でも噛み切れちゃう。

有吉:チャゲさん。

大久保:くりくりくりくり、ウニくりくり。

高橋:アパホテルの社長がお前の住所嗅ぎ回っていたぞ。

高橋:寝ている時にお前から出ている音って、どうやって出してるの。

大久保:ピーターさんの葉山の家のパーティーに呼ばれた。



一般解答

○3013年の流行語
iPhone1000s
月の子世代
ゲッツ
ワレワレ詐欺
4013年と同じ
わしゃ地球人か
デスラミクス

○100円ひろった
地球は青かった、後100円拾った
2100円拾った

松本:オス、俺の名「100円拾った」。 *:そのシリーズは解答席では使えないと思う。

○ちょっとだけ不安にさせてください。
僕と結婚してくださいな。
背中!

松本:カウス師匠が探してたで
おケツに何か入ってましたので出しときました
お薬を増やします


Bブロック

バカリズム
高橋
ウド
小出水
設楽

○オカン、最近やたらとオリンピック感出してきたな。何をした?

設楽:やたら2020円くれる。

小出水:棒を使ってお風呂に入る

バカリズム:お茶碗を、こう持つ。

設楽:肌寒いとき肩から国旗かけている

又吉:ボルトに似てきた

ウド:親戚の法事の時、「参加することに意義がある。」と言った。

小出水:五厘刈にした

設楽:従兄弟のお兄ちゃんをIOCと言い出した

小出水:いちについてよーい、でおならする。

バカリズム:洗濯物をこう干す。

バカリズム:自分の行動にいちいち「女子」をつけてくる



○このカルタの読み札を教えてください。「よ」

小出水:よしこちゃんて男だったんだ

バカリズム:予選ならでは

設楽:よっちゃん家、今日火事だって、かわいそう

小出水:世が世なら大王になっていた男じゃ

バカリズム:予談だけど母親がストリッパー

バカリズム:良く学び、良く脱ぐ。

又吉:よくみろ、裏切り者はこうなる。

小出水:よくみたら、しゃくとりむしが歩いているよ。(歩いてないけどね。)

バカリズム:予行演習では着ていたよ。

設楽:呼ばれるよ、後であの子、呼ばれるよ。

又吉:世も末。

設楽:四年生、そりゃ毛なんて生えちゃいない。

ウド:「よ」じゃなくて好きな文字でも良いんだよ。

ウド:代々木から乗り換えうまく間に合った。

又吉:四人には見えていない。

小出水:淀んだ社会を変えるんだ。



○12枚の写真をシャッフルして、写真で一言。

バカリズム:トイレ帰ってくるの早くねぇ?

又吉:俺の親弁護士やのにな

ウド:地球は青かった

小出水:一人知らん奴混ざってるで

設楽:競走馬ってマジ過ぎねぇ

バカリズム:ほらぁ、飼い主がちゃんと後始末しないからぁ~

又吉:この拳と俺、似てない?

ウド:牛、間に合った *:「こ」ってゴルゴ松本の「命」風味に言ったら笑えないかな。

小出水:確か犯人はこんな肛門してました。

設楽:新郎新婦の入場で~す。

バカリズム:これ、営業で毎回ウケるパタンね。

又吉:これをもう一本くれたらパンダの居場所を教えてやろう。

ウド:目覚ましセットしよう。

小出水:昔は松平健を乗せてました。

設楽:超珍しい虫捕ったぁ。



○日本一短い童謡を作ってください。

バカリズム:桃食べた桃甘い。

又吉:さっちゃんはね、いないんだよ。

小出水:さあ、出発だ、周富徳だ。

設楽:屋根より何より何もない。

又吉:義父も義母も優しいよ。

バカリズム:ぐんぐんぐん軍事力。

設楽:どんぐりころころころころいぇい。

又吉:夢~

小出水:よーしださんとたーなかさんにむーらたさんが挟まれた

バカリズム:裕也さん~

小出水:父さんが夜なべして肛門擦りつけてきた。

設楽:幸せならな~

小出水:ケツを愛する人は、顔面ケツな人。



*:バカリズム、又吉、設楽が7本同点サドンデス

○全員名字が鈴木のクラスで出来たルールを教えてください。

又吉:佐藤を潰せ。

設楽:クラスで何か間違えたら、「♪ちがうちがう、そおじゃ、そおじゃない。」と歌う。

バカリズム:お互い産まれた時のグラム数で呼び合う。

設楽:このクラスを別名「宗男クラス」と呼ぶ。 *:ルールではないな。

又吉:親の離婚を許すな。 *:一本



一般解答
○オリンピック感
サラダにドレッシングをドーピングと呼ぶ
「選手村に戻る」と言って実家に戻った
人のことを○○選手と呼ぶ

○カルタ
余計なものなどないよね。
40分経過
良い子悪い子普通の子

松本:吉本クリエイティブエージェンシー


決勝戦

○オネエだらけの運動会、一番盛り上がる競技とは

有吉:綱触り

有吉:玉入れ&玉出し

又吉:創作ダンス、安雄から安子へ

有吉:ドンドン触れ、ヒップタッチレース


○このカルタの読み札を教えてください。

又吉:お客さん顎殴るなら2万だよ。

有吉:お餅を二個食べただけだよ~

有吉:おかげさまで2周年 ピース


○怒っていいのかわからない、あだ名を教えてください。

又吉:御禿の大御神

又吉:ぎぎぎぎの偽善者

有吉:宇宙将軍糞太郎

又吉:神のツバ


○お母さんが急に壁にキスをした、それはなぜ?

又吉:どことなく、あの人に似てたから。



○同じことを3回連続で叫んでください。

又吉:カネ、カネ、カネ。

有吉:どうぞ、どうぞ、どうぞ。 *:叫んでないけどな。




Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人工痴能。

2013年11月24日 21時48分44秒 | 意識論関連
 学力も含めた特定能力の高さというものは人間としての本質的知能の論証にはならないことは、今まで何度も述べてきたつもりである。

 将棋の勝ち負けだの、クイズの正解率だの、大学入試の得点といった、予め答の用意された問題をどんなに正解しても、それは人間としての知能の論証にはならない。

 学力偏差値がどんなに高くても、自律的な社会的責任判断を下すことができなければ「ヒトという種の生物」ではあっても「人間」としての論証にはならないからである。

 東京電力の原発安全管理者であれば、さぞかし学力偏差値が高かったに違いないであろう。それでも彼らは原発の危険性を放置したのであり、学力偏差値と人間としての知能には論理的相関はない。

 学力偏差値が高い無差別殺人犯の存在を無視し、「学力=知能」という短絡的な大衆観念に基づいた人工知能論など、単なるペテン詐欺に過ぎない。

 USBメモリに入ると言っても、2ギガというのはプログラムとしてはとんでもない巨大さであり、思考手順を手続き的に羅列しておいて人工知能だと言い張るのはあまりに幼稚でバカげている。それは「シーマン」をチューリングマシンだと言い張るようなものであり、もはや語るにも足らない。

 思考手順自体をプログラムが自律的に形成し、プログラマが思考手順自体は一切コーディングをしなくても「考え」てこその人工「知能」であって、手順のいちいちを羅列したプログラムなど知能でも何でもなく。報酬バイアスを外的に規定することでしか働かないニューラルネットワークでも同じことである。

 現在の人工知能研究者というのは、自分の学力成績や研究内容を事後正当化することだけを目的とした大衆迎合によって体制維持を目的としているだけであって、本質的な人工知能についての研究などするつもりはない。

 コンピュータプログラムを大学入試に合格させておけば、何も知らない愚かな大衆マスコミに対しては「人工知能の研究が進んだ。」かのような錯覚を与えることは簡単であろうが、これはとんでもないペテンである。

 手口としては原発研究者達と同じである。

 人間としての本質的な知能とは、単なる特定能力の高さで論証されるような短絡的で安易なものではなく。自己存在意義としての社会的存在価値自体にまで考えが及ぶ意識(論理検証性)の広さを指すのであって、これは学力偏差値だの、クイズの正解率だの、将棋の成績といった特定能力の高さとは相関がない。

 本質的な知能とは何かという根源的知能論を無視したまま、大衆観念的外見上特定能力だけ高めることに邁進しても、本質的な人工知能の進歩には寄与しない。

 要するに税金の無駄遣いということである。

 人間の知能としても最も重要なのは、自律的に社会安全性や持続可能性を求めることであり、そのためには特定能力の高さに異常執着することとは無関係であり、自発的な論理検証的思考が不可欠である。

 現在の人工知能研究者達にも、また彼らがでっちあげたエセ人工知能にも、自発的論理検証性など存在せず。予め教えられた手順に基づいた思考以外には全く考えが及んでおらず、何も新しい知見には到達していない。

 物覚えだけは異常に良いコンピュータという機械に、手順の全てを手続き的にどんなに大量に教えこんでも、教えた手順以外の何も自発的に「考え」たりすることは構造原理的にない。

 その程度の能力で、原発の安全管理が出来ると思ったらとんでもない大間違いである。教えられていないことには想定が及ばなかったからこその「想定外」であり、その甘さ故の「人災」だったのである。

 人工知能研究者達は、こう言い逃れをするであろう、「まだ、研究の途上だ。」などと。しかし、これはその場凌ぎの取り繕いに過ぎず、外見上の能力規模の大きさだけでハッタリをかまして大衆を撹乱しているだけであって、根源的な知能の論証として成立していない。

 メモリ容量や処理速度の向上による演算能力の高さをどんなに立証しても、それはハードウェアの能力に依存した外見上の特定能力の高さの証明にしかならず。自律的で自発的な論理検証性、想定能力の論証には全くならない。

 すなはち、ソフトウェア工学としての進歩の論証には全くなっていないのである。



 安全で持続可能性を持ち、次世代にもつなぐことの出来る社会の在り方とはどうあるべきなのか。それを自己報酬系として論理検証する「意志」なくして本質的な人間としての知能の論証にはならない。

 それは大学入試問題とは無関係である。

 時折、「そういうことは、教えてもらわないとわからないじゃないですか。」などと言い出すポンコツは多い。いちいち思考手順を手続き的に教え込まないと自律的には一切論理検証出来ないからポンコツの証明なのである。

 ポンコツが作り出す人工知能がポンコツなのは必然的結果である。

 それらはプログラマが演算手順のいちいちを手書きしている以上、コーディングしているプログラマの想定以上の想定をプログラム自身が行うことは構造原理的にないのと同じである。

 「教えたこと以外何も自律的には論理検証出来ない。」からバカというのである。


Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毒。

2013年11月24日 21時47分29秒 | 意識論関連
○毒。

 カモノハシの毒がオス同士のケンカに使われるのは「結果」であって、カモノハシ自身が目的意識的に身につけた能力ではない。

 天敵などに襲われた際に役にたった能力が、結果的にどのような用途に用いられるのかは、習性や環境によって結果的に発現するものであって、そもそも毒などというものは当人の意図的目的意識によって選択獲得出来るようなものでは最初からない。

 それくらい気付け、バカ進化生物学者共め。

 ヒトにおける幼児虐待や体罰の連鎖を、進化生物学者が事後正当化のために屁理屈をこじつけても意味がない。

 ヒトが戦争や重大事故といった「人災」を論理的に検証したがらない習性も結果であり、論理検証性の欠落に対して「何らかの目的があるはずだ。」などといくら念じても、そんなものは最初から実存しない。

 実証も何も、最初から論理的に不可能な立証であることに気付かないから、「実証不能の観念。」が放置されるのであり、ヒトの頭の悪さに目的が存在しないのと同じで、だからこそ結果の抽出枚挙から構造原理的に目的が論証出来ないことに進化生物学者のほとんど全員は気付かないのである。

 フィールドであれ実験室であれ、どんなに生物の生態調査をしても、それらは全て進化変化の「結果」を見ているに過ぎず、結果をどんなに抽出枚挙しても、そこから「目的」など構造原理的に出てこないのは必然である。

 つまり、進化生物学上の発見からは「目的」など最初から論証することは原理的に不可能であり、進化過程から目的を論証しようとしていること自体が科学的に不毛なのである。

 進化生物学が立証可能なのは全て「結果」であって、目的意識的な選択可能性は原理的に論証不能である。

 進化変化の全ては「生存」も含めて「結果」である。「結果」をどんなにたくさん抽出枚挙しても「目的」など論理構造的に立証不可能であり、「目的」を立証しようとするのは業績の捏造に他ならない。

 身の程を知れ、ポンコツ進化生物学者共め。

 ◇

 そもそも先天的な本能習性が環境によって行動が決定する以外に選択不可能であるならば、最初から誰にも目的など存在しない証明であり。「現代文明社会環境が悪い。」だの「時代が悪い。」などと言っている時点で主体的目的意識の欠落を証明しているのである。

 バカに目的意識がないのは当然である、目的というものを自発的に論理検証追求する「意志」がない状態を指して「バカ」と言うからだ。


Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中毒。

2013年11月21日 15時46分22秒 | 意識論関連
○バカ中毒。

 ヒトの多くは特定他人のことを誹謗中傷することによって、あたかも自分達が正当化出来ているような錯覚を得ることが出来る。

 これは目先の多数派意見を同調させることによって、気分的安心満足を得ることが目的であって、強迫観念的に誰かを誹謗中傷し続けていないといられない中毒症状のため。自分達でとめることは極めて困難である。

 実際のイジメというのは、「ウザい」だの「死ね」などといった単なる主観的好き嫌いを述べているだけであって、論理的に人格性を批判することはない。

 イジメなどというのは、いわばバカがバカげた主張をバカ同士で共有しているだけであって、論理的に人間性を否定出来ているわけでもなく。むしろバカげた主張でイジメ行為に同調していること自体が人格の崩壊であることには、イジメを行っている本人達に自覚はない。

 多数他者から誹謗中傷されると、あたかも人格を否定されているかのような錯覚をする人は多いようだが。匿名の多数他人の個人的好き嫌いをどんなに多数抽出しても、論理的な人格の否定にはならない。

 論理的な人格の否定ではない以上、どんなに多数の主観的好き嫌いを抽出しても、「飲み屋の酔っ払いの主張。」程度の意味しかない。

 いわばイジメ中毒という一種の精神病であって、イジメに同調しているという自己の卑しさを意識から外すことによって脳が酔っ払っているのと同じ状態である。

 酔っ払いの与太話を真に受けて自殺するなどというのは、あまりにバカげているので無視すべきである。

 イジメなどというバカげたことをとめられない集団に馴染んでも、人間としての社会性など身につかないばかりか、むしろバカに同調迎合するというバカげた行動「学習」しかされることはない。

 しかし、ヒトの多くは目先の多数派と同調出来ないことに対し、論理的根拠のない不安や恐怖を感じる本能習性がある。

 イジメなどの差別排除というのは、ヒトの本能習性が促す行動バイアスの「結果」であって、意識的論理検証による「目的」行動選択ではない。

 先天的本能習性に流されることから逃れることの出来ないバカがイジメのような差別排除に異常執着し、中毒症状的に誹謗中傷に邁進するのであり。本当に憐れなのはイジメられている方ではなく、むしろイジメている方の脳なのである。

 他人を誹謗中傷することにばかり意識を奪われ、自分自身の卑しさを認識出来ない頭の悪さすらも意識から外し、むしろ自らの頭の悪さ、精神的欠落から目を逸らすために一心不乱に他人の誹謗中傷にだけ邁進する姿は、客観的には狂人に過ぎないことすら認識出来ないのである。

 従ってイジメというのは病気であり、中毒症状に他ならず、誰かの悪口を多数で共有するという「狂人の快楽」から逃れられない憐れな病人に過ぎない。

 「狂人の快楽」を自覚出来ない中毒患者の主張を真に受け、鵜呑みにすることもまた愚かである。「嫌な気分」というのは副腎皮質ホルモンが脳に作用しているに過ぎないので、理論的にも本質的にも「意志」とは無関係だからである。

 イジメなんぞが蔓延している集団に迎合する必要性はなく、むしろそうした集団とは関わらない方が人間性の成長において有益である。狂人の集団に迎合しても人間性や社会性が身につくわけがないからであり、もっとマトモな集団を探すべきであって、選択すべきであって、検証すべきである。

 誰が狂人なのかを。

 多数派が狂人を占める状況であるからといって、多数派が正常であることの論理的証明には全くならない。

 文科系大衆観念的には、目先の主体的選択をしていない集団に無為に迎合することで「集団生活を学ぶ。」などと言い張るが。イジメが蔓延している集団に迎合しても、自律的な社会的責任判断能力を喪失するだけであって。ヒトの本能習性としての社会形成性を学習することで原発の危険性を放置することも平気になり、主体性目的行動選択も出来ない憐れな病人になるだけである。

 ヒトの多くは病気でいた方が安心で満足である。

 高血圧患者が塩分を異常に求めるのと同じように、病気というのはヒトを自滅暴走へと導く性質がある。虐待や体罰が連鎖するのも、ナチズムやポルポトやオウム真理教のようなオカルトに多数が洗脳されるのも、ヒトという生物が持つ先天的な行動バイアスの「結果」である。

 先天的行動バイアスに無意識に流される以外に自律的に選択出来ない状態というのは、客観的に見れば主体的意志が働いておらず、本質的には「自由」すらないのだが、この不自由というのは脳が快楽を感じるために自由と錯覚しているのである。

 麻薬中毒患者が麻薬に意識を囚われ、麻薬のことで頭がいっぱいになっているのと同様。イジメ中毒患者が他人を誹謗中傷することだけで頭がいっぱいになっている状態には「自由」はない。

 文科系大衆観念に囚われ、自律的に論理検証することの出来ない多くのヒト達も、多数派に迎合する気分的安心満足を自由と錯覚しているためである。

 ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫。」だと錯覚している。それは振り込め詐欺師に騙される被害者達の論理的根拠なき自己過信と同じものであり、それによって気分的に安心満足することが目的である。

 ヒトの脳というのはバカでいる方が安心で満足なように出来上がっている。だから人類はいつまでもバカが治らないのである。


Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

使えない鋏。

2013年11月17日 14時41分28秒 | 意識論関連
○利益追求。

 「合理性の追求。」というものを短絡的に「利益追求。」と混同するのは間違いである。

 利益追求というのは、利益という本能欲望の追求であって、合理性そのものを全く追求していない。

 単なる欲望である利益を追求せずに、社会全体の持続可能性や安全性を追求してこその合理性であって。利己的利益の追求や、自分の保身のために所属する組織の利益追求をすることは「合理性の追求。」にはならない。

 理化学研究所 脳科学総合研究センター 岡本 仁 (おかもと ひとし)は、未だに「利益追求」のことを「合理性追求」であると述べており、あまりにバカ過ぎて話にならない。

 岡本のこうした論理的間違いを、脳科学総合研究センターの誰も指摘しないというのであれば、脳科学総合研究センター自体、理化学研究所自体がバカの集団であることの証明である。

 論理的に間違った観念に基づいて研究をしても、マトモな分析が出来るはずもなく、税金の無駄遣いにしかならず、極めて無責任である。

 岡本の研究というのは、魚が電撃ショックを避けるように行動学習する行動を、「条件反射ではない。」などと言い張るものであり。バカ過ぎて語るにも足らない。一体「パブロフの犬。」と何が違うというのであろう。

 原発の危険性放置において、社員が保身のために「組織の利益を追求し、自律的に社会的責任判断を下さなかった。」ことは「合理性の追求」ではなく。あくまで恐怖心という気分感情、本能的拒絶による行動であり、「嫌な思いをしたくない。」という利己的な行動学習によるものであり、魚が嫌なことから逃れるように行動学習したのと全く同じ行動なのである。

 学校におけるイジメにおいても、イジメをとめれば、とめた者が標的にされることを行動学習的しているからこその恐怖心によって、圧倒的多数派による放置傍観が起こるのであり。これもまた「嫌なことからの逃避。」が原因である。

 「嫌なこと。」とは、大脳辺縁系が嫌うことであって、自律的な論理思考による行選択判断ではなく。むしろ自律的な論理思考そのものを阻害し、「他人事」として意識狭窄を生じさせる原因に他ならない。

 ヒトの先天的な本能習性による気分的な拒絶反応的によって「学習」される行動とは、大脳辺縁系の反射という無意識に他ならず。こうした無意識性というものは、個人の主体的論理検証性である本質的な意識機能が働いていないからこそ、短絡的に「嫌なことから逃げる。」という気分感情論だけで行動が決定してしまうのである。

 これらの論理的構造を理解していない脳科学総合研究センターの研究者達は、利根川進(ノーベル賞受賞者)も含めてバカの集団である。

 ノーベル賞受賞者までも批判すれば、多数派からは嫌われることは私も知っている。だが、こうした生物学界全体の腐敗を放置の原因が利根川進や松沢哲郎(京都大学教授)などの権威の理解力の欠落に由来するものである以上、看過することは出来ない。

 ◇

 右脳優位なヒトは、感情的で論理性がないと言われるが、これは間違いである。

 実際には左脳優位なヒトというのは、数学などの断片的な論理思考能力は高いのだが、統合的な観点から物事を思考することは苦手であり。右脳優位なヒトから見ればあまりに頭が悪すぎて苛立ちを感じることから「感情的」であると錯覚されているに過ぎない。

 右脳優位なヒトにとっては、左脳優位で短絡的固定観念しか述べないバカに対して論理的説明をするのは徒労であり。あまりにバカ過ぎて気分が悪いのである。

 右脳優位なヒトにとっては、合理性の追求というのは社会全体が持続可能性を持ち、安全で穏やかな社会で自分達が暮らすことが出来ることであって。決して「目先の利益を追求すること。」などではない。

 「利益追求=合理性追求。」などというバカみたいな固定観念から、自律的論理検証によって逃れることが出来ない左脳優位なバカに対し、右脳優位なヒトが説明する事ほど面倒で嫌なことはない。

 数学というのは、あくまで特定数式上における論理思考能力の高さを必要とするだけであって、統合的な論理検証能力を必要とするものではない。むしろ、学力成績という抽象化された「脳への報酬」に対する条件反射的行動学習として高い数学能力を発揮する場合も少なくなく。故に高学力な無差別殺人犯というのが存在するのである。

 純粋数学というのは、使い道もわからない数学理論の積み重ねであり。「一体何に有効なのか。」という「その先。」のことに意識が及ばない短絡性や意識狭窄性が必要なものでもある。それがたまたま量子理論などに応用出来るとしても、偶発的な「結果」に過ぎず、そこには「目的」意識というものが介在しておらず。あくまで数学オタクの結果論以上の価値はない。それはあたかもクソゲープログラマーが世間的に成功しているのと同じようなものであって、「バカと鋏は使いよう。」なのである。

 現在の生物学や、その一部である脳神経生理学の類の論理崩壊性を放置しておいて、マトモな科学的検証に基づいた立証が出来るわけがない。

 バカや鋏に「使われて」いるから無意識だと言っているのである。バカは意識的に使うべきであり、使えない鋏は研ぐか廃棄処分するなり判断する必要性がある。そうした論理検証判断というものが、現在の生物学界や脳科学界には全く働いておらず、故に結果的組織腐敗を招き税金の浪費にしかなっていないのである。

 バカを放置することは合理的ではない。理論的に間違った観念に基づいた検証をいくら重ねても、科学的論証には全くならず、オカルトにしかならない。

 「これさえやっときゃ、脳に良い。」だの、「脳血流が増加したから頭が良くなった。」などという短絡的でバカみたいな論証を積み重ね、何の批判もしない現在の脳科学界というのは無責任極まりないオカルト集団に過ぎず。これらを放置している権威(利根川進や松沢哲郎など)の無責任性を徹底的に追求する必要性がある。

 現在の生物学界や脳科学界には自浄効果は期待出来ない。何せ脳科学総合研究センターのセンター長がバカなのであるから、これは構造原理的に不可能であり。理工学系研究者による外部監査が必要なのである。

 脳科学というのは、失敗学においても重要な意味を持つものであり、あらゆる「人災」に対する合理的対処のためには不可欠な学問である。それがバカの集団であるなら社会的負担にしかならず、使い物にはならない。

 岡本仁や利根川進、松沢哲郎のように「いくら研いでも使えない鋏」は早急に廃棄処分すべきである。論理的理解力の欠落した科学者などというのは科学者として無能だからである。


Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぢおろぐ。

2013年11月08日 16時23分14秒 | 日記
○srand4000。

 Yahoo!ジオシティーズに「ジオログ」なる機能があったんですね。しらなかた。

 でもいつからあったんだろう、最初からあったのかな。Yahoo!blog とは別物らしい。

 元々はgooブログだとJAVAScriptが使えないのでジオシティーズのアカウント取ってただけなんだけど、AndroidPCだとホームページ作成機能が全く働かないのでHTMLページを手書きしなければならず、面倒なのでなげやりだった。

 2014年3月いっぱいでgooブログ無料版終了予定なので、とりあえずはブログに関してはこっちに書き込もうかなと思います。

http://space.geocities.yahoo.co.jp/gl/srand4000/view

 名前がsrand4000になってますが、単なる思いつきで付けた名前なので気にしないでね。

 ジオログの場合は容量限界が小さめなので、テキスト主体になりそうです。

 あと、ツイッター連携機能もないので、記事をうpしてもツイッターには何も載らなくなります。

 まあ、タダなんで、そんなもんなんでしょうね。





Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする