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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

文化的背景とは結果に過ぎない

2019年07月20日 15時15分35秒 | 意識論関連
デファクトスタンダードに過ぎない現状のOSや文化的背景というものは決して絶対的なものではない

バグまみれのWindowsOS上で動かなければアプリとして認められないというものではないし

現状の文化的背景に基づかなければ知識として認められないというものでもない

ナチス政権下という文化的背景に依存して「当時はナチスに迎合しなければ生きられななかった」などとほざくのは言い逃れ取り繕いはぐらかし嘘ペテンの類いでしかない

遺伝的進化万能論という現状の文化的背景そのものが間違っている以上 それは糾さなければならない

文化的背景というものは別に絶対的なものでも 論理的に普遍性が証明されたものでもないのである

文化的背景というデファクトスタンダードは多数決でしかなく 多数決というのは科学的論証にはならない

科学は多数決で決められるものではないからだ

「文化的背景なくして何も考えることなど出来ない」かのように言い出すダニエル:デネットや養老孟司というのは 自発的には何が間違っているのかを考えることも認識することも出来ない無能なデクノボウの言い逃れである

ヒトの多くは論理的に真理が何かを検証することが出来ず 既存の権威体制の何が間違っているのかの判断もしたがらない

ヒトは権威に対して疑うことが主観的に嫌いな先天的習性があるためである

何が間違いで何が正しいのかを認識出来ないというのは そうした「感覚」が促す錯覚が原因である

未だに養老孟司が科学者扱いになっているが 養老は虫以外何も考えたことがない専門家である 決して「人間の脳に詳しい」わけではない

強いて言えば「ヒトの脳(ハードウェア)を解剖学的に詳しい」だけなのであり パソコン組み立ての専門家だからといってソフトウェアにまで精通しているわけではない

そもそも養老は「解剖などという辛気臭いことを 退官してまでやる奴がどこにいる」などと言い出す始末である

養老は虫と世間的評価以外は何の興味もありゃしない

だから論理整合性のない大衆ウケの良い嘘をベラベラと饒舌に話したがるだけである

そこに気付かない大多数の大衆もマスコミも社会的に無責任であることにおいて同罪である



Ende;
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オカルト生物学

2019年07月20日 12時06分31秒 | 意識論関連
「進化は人間より賢い」とフランシス:クリックは述べたそうだが

そりゃヒトの知識なんてのは文明が出来てからの数千年程度の話なので

数十億年の生物進化の「結果」が非常に高度で機能的なだけであって

進化過程構造そのものが「賢い」わけではない

進化というものには目的関数のようなものはなく あくまでランダムな変異と淘汰圧力の結果として 非常に高度な機能を持った個体への進化を促しただけであって 進化というものが何かを「考え」たりしているわけではない

何も「考え」ていないのに「賢い」と形容するのは理論的に間違っている

それは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」からといって再現性のない偶発的な「当り」だけを抽出して「射撃能力が優秀だ」と述べているようなものである

遺伝的進化というのは先ず始めに変異が必要だが この変異というものは先天性疾患なども引き起こすものであって 決して「必ず上手くゆく」ようなものではないことは明らかである

膨大な変異と強力な淘汰圧力の「結果」だけを抽出してきて その過程の膨大な失敗を無視して「進化は賢い」と言うことは出来ない

現在の生物学界では進化万能論が主流になっているが これは到底科学的根拠を伴わぬ妄想錯覚お伽話神話の類いでしかない

遺伝的進化を万能だと錯覚しているからこそ 誰もフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証に言及出来ないのであり

現状の生物学界というのは非科学的オカルトに汚染された大衆迎合にしかなっていない



Ende;
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addiction

2019年07月20日 01時22分33秒 | 意識論関連
ある犯罪心理学者は「社会に受け入れられていないから自暴自棄になる」と述べていたが

ガリレオが地動説を受け入れられなかったからといって真理を放棄なんぞしなかったし

メンデルが誰からも評価されなかったからといって研究をやめることはなかったし

ヴァルター:ベンヤミンが当時の社会に受け入れられなかったからといってナチスに反対することをやめなかった

社会から受け入れていない」かどうかという環境依存性が自律的な社会的責任判断能力の欠落の根本原因であって

自己嫌悪で簡単に安易な絶望をし ニヒリズム(虚無主義)に勝手に陥るような面倒臭いバカなんぞ誰も面倒看てなどいられないのである

「社会の評価」に惑わされずに自発的に社会的責任判断選択をする人格というものは 本質的自発性主体性能動性こそが重要なのである

環境依存性があるからこそ 社会環境に対する報復感情が働くことになるのである

主体的に社会安全性を目的にしていれば 暴力を用いた報復に意味がないことは明らかである

「腹が立つ」のは個人の勝手である イライラするなら勝手にすればよろしい 他人に八つ当たりする必要や合理性もないのである

自分の主観的感情というものは 自分でナントカするものであって 自分の個人的好き嫌い感情などというものは自分にしかわからないものであり 他人にわかってもらったり共感を得る合理的必要性は存在しないのである

どんなに世間的に成功したとしても永遠に生きられるわけでもなく ヒトは最後に必ず死ぬのである

利己的な「他人からの評価」が目的になっているから他人の迷惑に配慮が働かなくなるのであって

純粋に自発的主体的能動的に行動選択をしていれば 他人からの評価に惑わされることはなくなる

SNSウケを狙った迷惑行為が多いのは 評価承認欲求というものに自律がないことの証明である

「社会に受け入れられるかどうか」を理由に無責任な行動を採る時点で 自律というものがなく「甘え」ているのである

東電社内で原発の津波に対する脆弱性を主張しても「受け入れてもらえない」からといって主張を放棄されては困るのである

西宮冷蔵のように内部告発をしても「社会から受け入れてもらえない」からといって違法行為を隠蔽されては困るのである

自分がされて迷惑なことを 他人に対して行うべきではない

そんな極めて当たり前のことすら承認欲求中毒というのは見えなくさせてしまうのである



Ende;
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