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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

OSのバグ

2019年07月18日 14時29分29秒 | 意識論関連
ダニエル:デネットはこうも述べている

想像力や創造性は文化的背景に依存している

文化がOSで創造性がアプリに相当する

しかし 文化自体にバグがあればナチズムの勃興も招くのであって 何でもかんでも文化的背景に依存していたのではアプリとしての独自性がないし

そもそもOSにバグがあってもアプリによってパッチをあてることも可能であり

更にはアプリの進歩によってOSを改善してゆくことも可能である

そもそもOSなしでも組み込みプログラムは可能なのであって OSに依存しなければ何も出来ないというわけでもないのである

OSも所詮はヒトが作るものであり アプリと同様バグが混入する可能性もあれば パッチをあてることも可能なのであり

何でもかんでもOSに依存しなければならないわけではないのである

これは文化的背景も同じことであって ガリレオの時代に「地動説は火炙り」という文化的背景に依存していて真理の追求もヘッタクレもあったものではない

文化的背景を絶対視するのは論理的根拠のない「神話」の類いでしかない

「その時代」という限定された文化的背景に普遍性などなく 文化そのものの間違いに対しても批判的であることは重要なことである

文化という多数派に迎合しておけば気分的に安心なのであろうが それは思考を限定してしまい 自由な発想の妨げにしかならない

マイケル:サンデルが流行りだからといって その文化に迎合していたのではサンデルの間違いを誰も指摘することはなくなるのである

それは思考停止であり洗脳以外の何ものでもない



Ende;

優越という不毛

2019年07月18日 13時21分46秒 | 意識論関連
「他人をバカにして楽しいか?」と聞かれたのだが

他人をバカにして楽しいというのは 他人との比較競争への執着であり その根源は評価承認欲求である



寺内樺風が「女子中学生を誘拐監禁することは 高価な美術品を盗むよりも罪が軽いと思った」などという どうにも訳の判らぬ話を聞かされて楽しい訳がなかろう

私はバカが大嫌いだ

大嫌いなのにいちいち説明しなければ誰も自発的に気付かないから仕方なしに説明しているだけであって

何にも楽しいことなんかねぇ!

オラ他人を蔑んで優越感に浸れる趣味なんぞねぇ!

何勘違いしてんだバカが!



Ende;

誠実さの真実

2019年07月18日 08時58分11秒 | 意識論関連
ニューラルネットワークAIがブラックボックスだからといって特別に観念的恐怖心を煽るのはおかしな話である

そもそもヒトの生体脳機能自体もブラックボックスであり 故に誰も制御など出来ていないからこそ戦争や犯罪の論理的原因もわからず 無くすことも出来ないのである

大衆が抱く「新しいものへの観念的恐怖心」を利用し あたかもAIこそが危険であるかのように誘導するのは単なる大衆迎合エンターテイメントであり 到底科学や哲学に基づいた検証とは言えない

ヒトの生体というのは脳に限らず未だブラックボックスな部分は多く 決して全てが解明されているわけではなく 麻酔のメカニズムは未だ科学的には解明されてはいないし 細胞同士がメッセージ物質のやりとりで連携していることもごく最近解明されたことだそうである

 ◇

「AIが何をしでかすかわからない」と怯える前に そもそも「ヒトが何をしでかすかわからない」ことの危険性を解明することの方が先である

ところが ヒトの危険性というものは長い間放置されてきたものであるため 危険性に慣れてしまって「怖くない」ために問題意識が働いていないだけのことである

犯罪や戦争というのは人類史上無数に繰り返されてきたため 何が危険なのかを理解しようという意欲が働かなくなっているのである

中世における暴力覇権争いを英雄視し 「天下統一を果たした」などと称して偉人扱いするが それならナチスの勃興がなぜ英雄視されないのかと言えば 中世における暴力覇権争いに対してヒトの多くはファンタジーか何かのように「他人事」扱いになってしまっているからである

同じ「ヒト」が引き起こした厄災であることを忘れ 遠い昔のお伽話扱いにしているからナチスと扱いが正反対になるのである

こうしたヒトの無意識性が持つ危険性を認識せず 「慣れて」しまうことで問題意識が失われてしまうのである

ヒトは先天的にバカなので 新しいものは観念的に恐怖心を抱くが 昔から変わらないものには何の疑念も抱かなくなる習性がある

これはドーパミンが持つ常習性によるものであり 単なる中毒に過ぎない

意識の本質とは 論理的安全性と観念的安心の明確な区別によって目的行動選択をすることである

ところが 大衆マスコミの大多数は観念的安心ばかりを追求し 観念的恐怖心に基づいた叙述ばかりを信用したがるため 哲学(考え)を逸したお伽話を鵜呑みにしてしまうのである

本当に安全性を求めるために必要なのは 観念的恐怖心に基づいた煽動に惑わされず 徹頭徹尾論理的根拠に基づいた検証性という本質的意識が必要である

そのためには自己の何が観念的恐怖であるかを区別認識する必要性がある

人工知能を怖がる前に その人工知能を作ろうとしているヒト自体の危険性について徹底的に検証することの方が先なのである

ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた それに慣れてしまって「ヒトとはそういうものである(養老孟司)」と称して慣れてしまい 問題意識を持たなくなり 論理客観的原因究明や再発防止のアプローチすらしなくなっているという頭の悪さを認識すべきである

 ◇

大衆の多くは「誠実さ」というものを「ご機嫌取り」能力か何かと勘違いしているフシがあり 気分が悪くなる話は「俺様に対する誠実さが欠けている」などという主観に基づき 「自分自身の誠実さの欠落」をなかったことにしてしまう性質がある

その傲慢さこそが 真理 真実に対する誠実さを喪失する原因なのである



Ende;

ダニエル:デネット

2019年07月18日 00時15分46秒 | 意識論関連
ダニエル:デネットは意識と感情の区別がついていない

芸術などの創造性というのは主観的感情(大脳辺縁系)のハックであって これは意識の本質ではない

演技などの表現を用いて相手の共感(感情)を得ることは意識の本質ではない



デネットはこうも述べている

AIが率直で誠実であるとは限らない 真の意識とは相反するものだからだ

真の意識というものが主観的感情とは別のものであると述べており

(AIには)道理をわきまえてもらわなければならない

とまで述べている

デネットは人間性や倫理を伴う本質的な意識というものが感情とは別物であると述べているにも関わらず 「意識=感情」という取り扱いをしており 論理整合性がない

言っておくが 論理整合性のない話というのは「間違い」か「嘘」である



デネットは「AIは隠し事をする」と言うのだが

それは一体何のためであろうか?

合理的必要性がないことをなぜAIがすると言えるのであろうか

ヒトは目先の本能感情によって他人を騙すのであって AIがヒトを騙すのであれば それはヒトの知能を「超えて」などいない

どんなに大量高速の計算能力を持つとしても そこには人間性を伴う人間としての知能が伴わなければ決してヒトの知能を「超えた」ことにはならないからだ



MicrosoftのTwitterAIがヘイトスピーチを始めたように デマゴーグや煽動によってヒトを都合良く誘導するとすれば そこにはAIの「目的」があることになるが その「目的」には合理的根拠が伴わず ヒト特有の目先の感情に囚われる非合理性の再現でしかない

言わば「バカなヒトの真似」をしているに過ぎない

ヒト自身が自らの頭の悪さを理解認識していないからこそ 何度も戦争や犯罪などという無意味な行動を繰り返すのであって 危険なのはAIではなく「ヒトの頭の悪さ」の方なのである



美術表現を用いて他人の脳(大脳辺縁系が作り出す感情)をハックすることを創造性だと定義しているが 芸術というのは徹頭徹尾主観であって合理的根拠は必要のない分野であり これは科学や哲学とは全く異なる分野である

科学や哲学というのは主観的気分感情に依存することなく あくまで論理的根拠に基づく論証によって導き出されるものであり 科学や哲学に嘘や隠蔽やフィクションは無縁の分野である

しかしダニエル:デネットは音楽などの芸術分野の想像力というものと 科学や哲学による論理的根拠に基づいた創造性を混同しており 理論として成立していない



進化は人間より賢い(フランシス:クリック)」を引用し

進化の過程に委ねることで上手くゆく」などと述べているが これは典型的な進化万能論である

進化というものには目的関数のようなものはなく 徹頭徹尾カオスな変異の結果に過ぎず 決して変異の全てが必ず成功する保証はないものでもある

膨大な生物進化の現在結果だけを見て「進化の全ては自動的に全て万能である」と勘違いしているに過ぎない

遺伝的進化の過程というものは膨大な失敗や犠牲を伴い しかも成功する保証すらもない不確実性の高い「結果」に過ぎない

にも関わらず「進化の過程に委ねることで上手くゆく」と述べるのは極めて無責任な話である

 ◇

「率直で誠実である」ことこそが人間としての意識であり 「道理をわきまえる」とは論理検証性を意味するのである

文科系大衆マスコミの大多数はデネットのように感情の強度程度を意識の本質だと勘違いしているため デネットの論理整合性の欠落を指摘出来ないのである


そもそも遺伝的進化が万能だと言うのであれば いかなる非人道的実験や開発も正当化されなければならない

その結果 膨大な犠牲を伴う淘汰圧力を死なずに済んだ個体だけが生き残ることで遺伝的進化というものは促されてきたのである

だが それは自然界の「結果」である

ヒトが社会安全性や持続可能性を「目的」とするのは 本質的意識に基づき それが最終的には合理的だからである

進歩発展の速度や文明規模は人間としての「目的」ではない

どんなに強力な加速力を備えた自動車を開発しても 東池袋で松永さんの奥さんと子供を轢き殺してしまったのでは意味がない

どんなに大量の電力を発電出来ても 国土を放射能まみれにしてしまったのでは意味がないのである

人間には目的があるが ヒトという種の生物自体に組み込まれた本能習性や行動バイアスには目的など存在していない

そもそも遺伝的進化には目的がない以上 先天的本能習性にも目的など存在する余地はないからである



現状の哲学界というのは マルクス:ガブリエルや養老孟司の言っていることすら批判出来ない烏合の衆である

フリードリヒ:ニーチェを引用して「信念は真理の敵である」などと称して あたかも「何の信念も持たないただの無能なバカでいることが真理の近道であるかのような信念」に酔い痴れ いわば目先の「何かを理解したかのような快楽」に溺れて洗脳されていることにすら気付かない無能者の群れに過ぎないのである



遺伝的進化というものは あくまで「死ななかった」という結果以上の何も論証することはない

どんなに誠実であろうと どんなに賢かろうとも 死んでしまえば進化にはならない

ヴァルター:ベンヤミンや西宮冷蔵などの正義を貫いても 死ぬときゃ死ぬのである

遺伝的進化に人間性が伴う保証などないにも関わらず「遺伝的進化さえしておけば全ては上手くゆく」などという話は科学的根拠のない妄想錯覚神話お伽噺の類いでしかない

ヒトという種の生物の危険性や頭の悪さを理解認識していない段階でAIの危険性を論ずるのはおかしな話である

バカが作るものがバカげているのは必然的結果であり ヒトが人間性や倫理というものの本質を理解して初めてAIの何が危険なのかを論ずることが出来るのである



結論から言えば ダニエル:デネットは「AIの開発は慎重にやるべきだ」などという抽象的でほとんど意味のない事しか言っていない

ダニエル:デネットは無能者である

だから何の具体性もない結論しか導き出せないのである



Ende;