クレプトマニア(窃盗症)の話なんですけど
お医者さんが「犯罪者の気持ちも少しはわかるんじゃないでしょうか」なんて言っていた
日大アメフト部で反則行為をしてしまった選手の気持ちなら多くの共感が得られたようですけど
はて 寺内樺風とか植松聖の気持ちに共感できますかね?
犯罪者の「気持ち」に共感して「わかった」ような気分になることに意味なんてないんですよ
ただ 寺内樺風とか植松聖の頭の悪さがどのようにして発揮されちゃっているのかを客観的に理解しておく必要性はある
どういうふうに壊れているのか どういう点がイカれているのか それを科学的に分析理解することによって犯罪の予備軍的な人達が実際に犯罪を犯す前の予防措置にも応用が出来る可能性が高い
でもね 実際に被害者もいないのに罰というのはおかしな話で あくまで治療のために利用すべき知見なんですね
だから私戦予備罪ってのは合理性がない
「頭が悪い(学力偏差値の話ではない)」っていうのは 「教育における失敗」です
ですから失敗の原因を徹底的に究明することで 再発防止に役立つ知見を得ることも可能となるわけです
クレプトマニアという診断を受けるか否かに関わらず 身勝手な犯罪者っていうのは基本的に「病気」なんですよ
だから罪の重い軽いに関わらず 安全性がある程度担保出来るまでは治療対象であって釈放しちゃいけない
逆に 被害が大きかったとしても そもそも不可抗力性の高い過失だったら釈放しても社会安全性においては問題がない
「まだ人を殺してはいない」からといって包丁振り回して暴れる傷害常習犯を保釈するのはずいぶん不条理な話ですよ
法手続きばっかりが優先されて 安全性が後回しにされている
国民が司法にもとめていることって 別に「犯罪者同士の罪の公平性」なんかじゃなくて安全性ですよね
そこんとこが激しくズレているのに 裁判員制度なんかではぐらかされている
Ende;