goo blog サービス終了のお知らせ 

書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ありもしないことをあると思い込んでいる状態を洗脳という

2019年07月25日 14時35分14秒 | 意識論関連
トロッコ問題には倫理の本質がありません

一人殺すか 五人殺すか どちらかを選ぶことに倫理的正解はないからです

トロッコ問題っていうのは制限だらけで「誰かが死ぬ」以外に一切の選択肢がありませんから どちらを選んでも「人間として正しい選択」の論証にはなりません

ただ 気分的に「悩ましい」話なだけであって そもそも論理的には「考え」ようもない話なんですが ヒトの多くは答えのない話で気分的で「悩む」と「考えた」かのような錯覚に陥り 命題そのものに論理的答えが存在していないことには意識が働かなくなる性質があるのです

これ 一種の錯覚なんですよ

バスケットボールのパスをやっている映像で「黒いユニホームを着た人が 何回パスをしたのか数えて下さい」って言われた状態で見ていると 映像の中に黒い熊の着ぐるみを着た人が写っていても気が付かなくなるのと同じようなものです

予め何も言われない状態で映像を見ていれば 「あれ? 熊の着ぐるみが入ってきたぞ」って誰もが気づくんですが 「パスの回数を数えて下さい」って言われるとそれが見えなくなる



トロッコ問題のように「誰かが否応なく死ぬ」状況にまで至ってしまえば もはや選択に倫理や人間性が介在する余地はありません

「誰かが否応なく死ぬ」ような状況が予測可能であったのか

予測不能なら 経験的教訓として再発防止策を構築するべきであり

予測可能だった場合は「なぜ放置したのか」において人間性や倫理が問われることになるのであって

既に「誰かが死ぬ」状況にまで陥ってからの選択には人間性や倫理が介在する余地などないのです



何年も前から言っているんですけどね

未だに誰も耳を貸さないんですね

そういうデクノボウの集まりなんですよ 現状の哲学界ってのは

だからマルクス:ガブリエルみたいなオカルトも平気で人気になったりするし

「理性や人知を超越した叡智」なんてファンタジーが本気で論じられてしまう

「哲学権威の言うことなら正しいはずだ」という思い込みがあるから 誰も疑問を持たなくなる

権威に対する盲目性というのは ヒトという種の生物の先天的な社会形成習性が促すものであり 洗脳に利用することが可能なのです

唯々諾々と権威に服従する習性があるから ヒトは戦争なんていうバカみたいな事も延々と繰り返すんですよ

もう説明すんのもバカらしいんですけどね



Ende;

トータルでのリスクマネジメント

2019年07月25日 13時06分57秒 | 意識論関連
動物の行動というのは 「何をしでかすか予測不可能である」という点において予測可能なんですね

だから 街中の動物園では動物は檻の中に閉じ込めておく

先日 とある動物園からニホンザルが脱走したことがありましたが だからといっていきなりニホンザルがヒトに危害を加えたかというと 別にそんなことはなかった

でも 「何をしでかすか」は予測がつかない

だから脱走すると問題になるので檻に閉じ込めておく

サルに自動車の運転を教えることは不可能ではないかも知れません しかし 街中でサルが運転する自動車が走り回ったら危ないですよね

信用ならない

AIによる自動運転の危険性っていうのは AIが自律的に責任持って運転してくれているわけではないからです

ニューラルネットワークを用いた深層学習AIというのは 実際にある程度の自動車運転が出来るようになるまでに学習過程で大量に「失敗」をします

仮想空間で何人もヒトを轢き殺させることで それを回避するためにはどう運転すれば良いかを「学習」している

だから 深層学習によるAIというのは 「概ね安全」であるとは言えるんですけど 「絶対に安全」とは言えない

自動運転のAI自身は 「なぜヒトを轢き殺してはいけないのか」は知らなくて とにかく学習過程のスコアがマイナスになる(「嫌な感覚」と同じようなもの)ことを避けるようプログラムされているので 「嫌なことになるたけ陥らない動作選択をしている」だけなんです



見通しの悪い近所の交差点で 小さな子供が左右を確認せずに飛び出したりすることが時折あるので 「こら! ちゃんと左右確認しなさい!」って怒鳴ったりすることがある

子供によって反応はまちまちで 「うっせーハゲ」とか言い出す憎たらしいクソガキンチョもいるんですが 素直に「はーい」と従う子もいる

その交差点は滅多に自動車が来ないので 飛び出しても概ね事故にはならないんですけど 「概ね安全」なら良いってことにはならない

さっき話した「脱走したニホンザルの危険性」と同じで わずかな確率で子供が自動車にはね飛ばされて頭ぶっ欠いて脳みそ路上に撒き散らしちゃったらシャレにならないので 「面倒臭いハゲヲヤヂ」でいようと思うわけです

小さな子供に対して「なぜ道路に飛び出してはいけないのか」を論理的に説明するのは結構面倒臭いことで 通りすがりの知らない子供に長々とお説教する暇もお互いないので とりあえず便宜的に「こら!」って叱って怖がらせる

これはAIの深層学習過程と同じようなもので 子供は「なぜそれが悪いのか」を理解しているかどうかはわからないですが とりあえずは「嫌な思いをさせて行動抑制させる」ために叱るんですね



その場で「はーい」と素直に従う子供であろうと「なぜ道路に飛び出してはいけないのか」を理解しているとは限らない

面従腹背でその場限りに取り繕っただけかも知れないし

逆に「うっせーハゲ」とか反発してくるクソガキンチョだからといって理解していないとも限らない

ただビックリして条件反射的な拒絶反応で憎まれ口をきいただけかもしれない

だから こっちの気分的な良し悪しは実効性とは関係がない

こっちの主観的気分が悪くなるからといって やめるわけにはいかない

通りすがりのハゲヲヤヂの社会的責任としてね



でも 本当に必要なのは 子供が大人になる過程で自発的に「何をして良くて 何をしてはいけないのか」を論理的に考えて行動選択ができるようにしなければならない

他人に拳銃向けて「金を出せ!」と恫喝すれば金が得られるからといって それを行動学習的に覚えてしまっては人間性に著しく問題が生じる

人間性(倫理)というものは 主観的な感覚や気分に左右されずに論理的に「どうすべきか」という選択を行うことにあるわけで

目先の感覚的快楽欲望に左右されない客観性が不可欠なのです



路肩に停車しているバスの陰からは子供が飛び出してくるかも知れない

道路の反対側で母親がバスの前方に向かって両手を向けて「止まって!」と叫んでいれば 子供が飛び出してくる確率は非常に高い

こうした知識というのは論理的に予測しておかないととっさにはなかなか判断することが出来ないものなので 経験知識教訓として知っておく必要がある

もし 私が自動運転AIの学習に関われば バスの横を通る際には常に徐行するようになるかも知れないし さらに言えば反対車線が渋滞していたら車の間からヒトが飛び出してくる可能性も学習させて 反対車線が渋滞していたら常に徐行運転をするようになるかも知れない

ありとあらゆる可能性を考慮に入れれば 自動運転AIは常に徐行運転しかしなくなるかも知れない

でも 現在の自動運転AIってそこまで考慮には入れた学習はされていないので 結構「普通のヒトの運転」と良く似た動作をするので 普通にヒトを轢いたりもする

でも AIは原因を知らないし 論理的原因究明に伴う対策もしない



自動車事故が起きると よく警察は加害者に「予測出来なかったのか?」と問い詰めるんですが ありとあらゆる予測なんぞ有限の脳しか持たないヒトが出来るわけがない

でも AIなら拡張は可能なんですね だから AIの方がヒトよりは安全にすることが可能だとは言える

でも 絶対安全ではない

安全性を最優先に設計されたAIだと 自動車はほとんど徐行しかしなくなる

でも それってそもそも自動車というものが構造的に危険だということなんですよ

「津波に対する脆弱性を考慮に入れたら日本のどこにも原発は作れない」のと同様 自動車事故をなくすには自動車は徐行する以上に速度が出ないようにすれば良い

でも そうなったら現在の物流は崩壊しますよね

だったらどこぞの経済学者が言ったように「危険性と効率とのバランス」問題にするのが正解でしょうか?

違うんですよ 危険な速度で走る自動車交通に依存した現状の物流システムそのものが間違っているんですよ

より安全性の高い物流とはどのようなものであるか それはAIは考えてくれません

AIに目的がないのは AIには論理的な目的行動選択が存在しないからです

現在の物流システムの上に生活が成立していること自体が そもそも危険性を生み出している

これって物流に限ったことではなくて あらゆる経済活動において言えることなんですよ

でも あらゆる経済活動全体はヒトの脳だけでは把握することが困難なので そこでAIを用いたビッグデータ解析が利用出来る

食品ロス問題や暴飲暴食による健康への影響なども含めたトータルでの「効率」を良くすることで 生活習慣病が減らせれば難病患者に対する治療研究に医療費を回すことも出来る可能性がある

でも どこに問題があるのかに気づくことが出来るのはヒトの脳であり 論理的に説明可能であることこそが「人間としての知能の本質」なんですよ

ビッグデータ解析にもAIが使えると言っても 使うのはヒトの方なんですよ



動物の意識というのは遺伝的進化の結果的な先天的な本能と直結していて 論理的予測能力は非常にわずかです

木の枝で穴の中から虫をほじくり出す程度の予測しか出来ず 社会全体における理想状態にまでは予測が出来ません

ヒトの脳容積があれば それも可能なんですね

でも 常に可能なわけではないし 誰でも可能なわけでもない

ヒトによっては「そこいらへんをほっつき歩いている女子中学生くらいなら誘拐監禁しても構わない」と思ってる奴もいるくらいですからね

ネコの目の前でネコジャラシを振れば ネコはネコパンチがしたくてたまらなくなり それに意味があるかどうかなど考えもせずにひたすら条件反射的にネコパンチに邁進します

それと同じで頭の悪いバカにしてみれば 誰も見ていなければ女子中学生を誘拐監禁するわけです

そんなことする奴がいる社会に持続可能性とか安全性があるかどうかなんか論理客観的に予測するこたしないんですね

「動物の意識」と「人間としての意識」の違いってそこなんですよ

「意識に定義はない」なんて言っているバカが「哲学者」扱いされてますけど そんなんレベルが低すぎて到底知性とは言えないんですけどね

「意識に定義はない」って言った直後に「論理的に説明出来ることが意識」って言い出していますから 言っている内容に論理整合性がない

「なんやコイツ!」って 私は思うんですけど 大多数のヒトはそう思わないらしいですね

マスコミはバカしかいないので 何が正しいのかなんて誰も考えない

一般的なヒト(動物)レベルの思考能力しかないからですよ

論理検証性が働かないから 人間としての意識として機能しない

それが どれだけ危険で無責任であるかも認識出来ないし しようともしない



Ende;