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出所後の再犯防止策を行うことによって、懲役刑自体の有効性の欠如を無視するのは、司法による体制維持に本質的な問題点を撹乱されている。
司法改革と称して地方裁判にのみ民間人から裁判員を入れることによって、現状の裁判制度自体の問題点を撹乱されたとすら誰も認識してはいない。
司法は実質的により有効な犯罪抑止策の確立には興味はなく、適度に犯罪が現状維持されている方が権力拡大になるため、むしろ司法は犯罪抑止にならないように努めているのである。
裁判員制度や出所後の再犯防止対策といった枝葉の対処的対策を行うだけで、刑法というものの原理的無効性自体には触れさせないようにしているのである。
犯罪解析委員会のような内閣直属の再犯防止対策を実効されることは、司法権力にとって権益の縮小につながりかねないために、目先の対処療法だけでごまかそうとしていることに誰も気付かない。
刑罰というものは観念的で気分的な抑止効果しか存在せず、本質的意識がなく自律的に社会的責任判断の意欲を持たない者に対しては論理的には実質的抑止効果が原理的になく。また、合理的な再犯防止効果も存在しない。
根本的問題点を保守維持しながら、枝葉の改善だけで済まそうとする司法役人達の提言を鵜呑みにすべきではない。
司法役人達による体制維持体質、目先の取り繕い的対策というのは、カルト教団や東電、北朝鮮のそれと全く同じものであり。こうした組織の利益を優先し、本質的原因追究や実効性ある対策を撹乱しようとすることこそが本能的な社会形成習性による利己的行動選択であり、社会全体の利益を無視している。
ただ、実際の厳罰化を要求している遺族方は、現在の司法における無免許運転への危険運転致死傷罪適用を要求しているのであって、これはむしろ現在の司法の判断には妥当性すらないと言えるであろう。
しかし、所詮は厳罰化が危険行為に対する実質的効果を持った抑制手法であるとは言うことは出来ず。集団内部における身勝手な観念の共有によって危険行為を気分的に安心して行うヒトの行動習性に対しての構造原理解明や、それによって構築可能性がある対策にも言及することが出来ない。
実際に事故を起こした者だけに厳罰を与えても、集団心理によって安心して危険行為に暴走するヒトの無意識性自体には全く言及されることはない。
ヒトは生物本能的な社会形成習性を持っており、統率的に協調行動を採ることに気分的安心を抱き、集団や組織以外への社会全体への影響を意識から外し無視することによって、自律的な社会的責任判断能力を喪失するのである。
気分的安心や精神的満足を得ることによって、本質的な合理性の追究を放棄し、目先の安心満足によって思考停止に陥る本能的仕組みというものの存在を認識しなければ、あらゆるヒトの無責任性の発現を食い止めることは不可能である。
ヒトは嫌いな者に罰を与えると気分的安心や精神的満足を得ることが出来る性質があるため、それだけが目的となってしまって根源的原因にまで論理的検証を行わなくなってしまうのである。
本質的なヒトの危険行為の原因を究明するためには、なぜ個人が自律的に社会的責任を負わなくなってしまうのかという構造的原因にまで言及する必要がある。その原因のほとんどは目先の多数他人との気分精神的安心満足の共有によって思考が停止してしまうからである。
本能とは麻薬である。ヒトであっても本能に流されることは快楽で満足感を得ることが出来るため、本能的には未熟な論理的思考能力が行動バイアス的に劣っているため、ヒトの多くは論理検証性を簡単に放棄してしまう性質がある。
麻薬はやめることが困難なものなのである。
社会安全性とか持続可能性というものは、目先の本能的安心満足によって導き出されるようなものではなく、あくまで意識的に合理性を追究する「考え」によってのみ導き出されるものであり。「考え」を失わないためには本能的安心満足自体をも客観視する冷静さが不可欠である。
Ende;