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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

凄い。

2012年07月21日 13時15分29秒 | 意識論関連



 司法警察の目的は加害者特定と科料の妥当性を決定することだけであって、被害者遺族が求める「原因究明と有効な対策。」には原理的にならない。

 司法というのは原因究明に伴う再発防止策を確立する組織ではないからだ。

 以前から提言していたが、事故同様に犯罪においても原因究明と再発防止策の確立を目的とした内閣直属の組織委員会を設置しなければ、服役者の再犯すら防ぐことにはならないし、何人被害者が出ても犯罪者が社会持続可能性や安全性を求めなくなる構造についての研究は一切行われることはない。


 そもそも犯罪とは何か。犯罪とは社会持続可能性や安全性を自律的に求めず、本質的な人間としての社会性が失われることの結果である。また、本能的な社会形成習性は振り込め詐欺師集団やテロ集団、暴力団などの統率的封建社会形成の原因となることもあり、これを短絡的に「社会性」と呼ぶことによって本質的な人間としての社会性と混同する生物学の無責任性の放置も問題である。

 マインドセット(思い込み、偏った常識)というものによって、ヒトは物事を「考え」ずに機械条件反射的行動に「整理」することによって感情的安定を得ることが可能になる。「慣れた」ことは安心で、「慣れない」ことは観念的恐怖を条件反射的に「感じ」るため、慣習的に慣れた行動思考という無意識に「整理」される性質が脳にはある。脳というのは無意識でいる方が安心なのである。

 行動学習的に思考を停止させ、無意識に本能の促す感情のままに行動しておくことが快楽で安心で満足する仕組みがヒトの脳にはある。この本能的仕組みによって思考が停止し、短絡的情動行動に「整理」されてしまうと社会全体の持続可能性や安全性に意識が働かなくなり、結果的に犯罪者ともなるのである。

 いうなれば、一つの犯罪という事象の裏には幾つもの犯罪の素となる無責任で無意識なヒトの存在があり。これらの無意識性の結果として、いわば必然的に犯罪という表象が現れるのである。

 あらゆる犯罪には、犯罪を正当化するための身勝手な固定観念/マインドセットが存在しており、これによって社会全体の持続可能性や安全性への論理検証性が失われるのである。


 バスジャックを行った学生も、「バスジャックをやったら凄い。」などという集団内部におけるマインドセットによる思考停止が働いており、単独犯行であっても目先の集団依存のマインドセットによって自律的思考の喪失が生じているのである。たまたま一人のバスジャックが発生したといっても、実際には多数の無責任な者達の中から偶発的に発生しただけであって、無責任な観念を共有している集団自体にこそ根本的原因が潜んでいるのである。

 秋葉原の通り魔においても、SNSにおける多数他人からの評価への執着が大きな要因となっている。SNSへの書き込みというものは極めて限定的な人物しか行うことはなく、SNS利用者の殆どは単なるROM(ReadOnlyMember:読むだけで書き込まない人)であって、決して統計的な多数意見にもならず。また、多数意見であったとしても社会持続可能性や安全性を基準としたものであるとは限らない。単なる主張したがりの多数決でしかないのである。

 普段実世界で数十人程度の意見であれば、それは偏った意見である可能性にも意識が働くが、顔の見えない匿名書き込みの場合には、あたかも普遍性を持った意見の集約であるかのように錯覚する性質があるらしく。偏った意見による思い込みを植え付けられやすいようである。

 しかし、自律的な論理検証性(本質的意識)が働いていれば錯覚に惑わされることはない。しかしヒトの多くは自律的論理検証性というものを本能的な多数からの強迫観念によって簡単に喪失し、偏った思い込みに陥るのである。

 「バスジャックが凄い。」などという観念に基づいた犯罪行為というものは、構造的には振り込め詐欺に引っ掛かるのと同じようなものであり、目先の多数意見が作り出した錯覚に無意識に流された結果に過ぎない。

 論理的合理性のない文系観念的「勝ち」を盲目的に信頼してしまえば虐殺は英雄だと勘違いすることは簡単である。

 シエラレオネの少年ゲリラの暴走性も、生物学的生存やそれに迎合した文系観念上の「勝ち」を究極まで追究した結果なのである。

 イジメなどの組織集団による差別排除行動というものは、ヒト全般に普遍的行動習性「結果」である。特定の事件における加害者特定や懲罰を繰り返すだけではバカとしか言いようがない。司法警察という懲罰を目的とした組織に再発防止策の確立を望むこと自体が根本的に間違いなのである。

 なぜヒトが組織集団によって差別排除を行うようになるのかについての構造原理を分析しなければ、差別排除の根本的再発防止策を確立することは理論的に不可能である。文系大衆観念上では特定事案における「悪者探し。」をして、懲罰を与えることによる抑止効果だけが唯一絶対的対策であると錯覚しがちであるが、こうした大衆観念的マインドセット(思い込み、固定観念的常識)こそが、より有効な合理的再発防止策の確立を喪失させているのである。

 大衆観念的には行動習性の断片的抽出による「ヒト=人間」という方程式に基づく非科学的立証に、気分的満足を得ることによって論理検証性を失い安心することが出来るらしいが、こうした思考停止こそが組織集団的な差別排除のメカニズムの存在を無視し、意識から外す心理的構造である。

 心理的構造に無意識に流されているだけであれば、これは単なる精神的怠慢に過ぎない。

 大衆が精神的怠慢をしておいて、原発を暴走させた東電の体質を批判するのはふざけているとしか思えない。


Ende;

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