日々是好日

好きな事のある 幸せ!

大晦日

2007年12月31日 01時14分37秒 | いろいろ
日付けが変わり31日になりましたね。

やっと家の中もお正月らしく整ったところです  煮物も終わりホッとしています。
毎年「来年はこんなにバタバタしないように・・・」とは思うのですが、思うだけで 

この一年“日々是好日”をごらん頂き有難うございました 
どうぞ 良いお正月を迎えられますように・・・



今年の・・・

2007年12月26日 15時44分25秒 | いろいろ
今年のクリスマスは、連れ合いが用事で田舎に行っているので、1人のイブで“聖夜”ならぬ“静夜”になるのかと思っていましたら、予定を早く切り上げて帰宅してくれました。
一人きりのクリスマス・イブ~ にならずに済みました。

24日にお正月花の活け込みが終わり、25日今年最後のカルチャーが終わりました。
さあ これから家事に精をださなくては・・・と思っているのですが、今日はお友達ご夫妻と忘年会です
取り敢えず楽しんで明日からます。



今年の漢字

2007年12月12日 22時50分42秒 | いろいろ
今年を象徴する漢字が発表されました。
「偽」だそうです。
本当に今年はいろいろな偽装がありましたね~
TVでは 会社のお偉いさんが1列になって頭をさげているシーンを随分見ました。
この字を書いた京都清水寺の森貫主が「このような字が選ばれるのは恥ずかしい・・」と言っておられたのが 印象的でした。





ポルトガル周遊とマデイラ島の旅 4

2007年12月09日 21時49分37秒 | 旅行
29日 マデイラでの夜明けです

ホテルのベランダから素晴らしい日の出の景色です。
今日もお天気良さそう・・・

マデイラ島に連泊しているからこその島1週観光に出発します

バナナ園を抜けていきます 
最初は「ジラン岬」580メートルの断崖です。下を見ると オ~怖い 
そこから、島の中央部 海抜1007メートルの「エンクメアーダ」(島の北部と南部が同時に見られる場所)に向かいましたが、あんなに晴天だったのに 曇ってきて雨まで降り出し おまけに寒い! これが島特有の気候?
島の北側には「月桂樹林帯」が広がっています。
ランチはセイシャルと言う街の小さなレシトランで“黒太刀魚のフライ”付け合せにバナナのソテーが付いていました。
その後「サンタナ村」に

ここは日本の白川郷の様 昔の茅葺き屋根の家が残っています。
1週して、北と南では島の表情が随分違うものだと解かりました。
そしてホテル郡のある中心都市フンシャルではきれいに晴れていても、山では雨が降り だからこそ月桂樹の林やユーカリの木が育つ緑豊かな島だと言う事も・・・
港に大きな客船が停泊していました。聞くところによるとクイーン・エリザベス2世号だそうです。(夕方6時頃 汽笛を鳴らしながら出航していきました)

30日
今日はマデイラ島の名物を巡っていきます 
まず ケーブルカーでモンテの丘まで上り

当初このケーブルカーに乗る予定はなかったのですが、皆さんからの「是非乗りたい!!」と言う要望を叶えてもらい 550mの丘の上まで~
ここには

「聖母教会」があり、中にはマリア様が祀られているのですが このマリア様今でも髪の毛が伸びるそうで、専門の方が定期的に切っているとか?・・・またも奇跡伝説です。
この丘からは「トボガン」で降りてきました。

“柳を編んだバスケットに木の板が付いている”ただそれだけの乗り物。2Kの坂道を
約10分ですべり降ります。
帽子を被った2人の男性がハンドル・ブレーキの役目をしてくれ、カーブなどを上手に曲がりスピードの調節もしてくれます。
結構スピードが出て ヘミングウェーも「スリル満点!!」と言ったそうです。
その後 世界の三大デザートワインといわれる「マデイラ・ワイン酒蔵」へ・・・ここでも3種類の試飲と購入 
つぎは「マデイラ刺繍の工場見学」

全て人の手によって作られ厳しい検査を経て出荷される刺繍には政府公認のタグが付けられる。
物によっては数十万円もするとか・・・

この日の夕食はホテルのメインダイニングでのディナー 

12月1日
午前はホテルでゆっくり  お茶を楽しんだり、買い物に出かけたり、散策をしたり・・・
午後からは最後の観光
「エイラ・ド・セラード」に・・・“島1番の渓谷美”と言う所でしたが、凄い霧で1寸先も見えず  
さすがに標高1094メートルの高さでは、下がいくら晴天でもこう言うこともあるかも・・・
まあ幻想的と言えば言え無くもないですが・・・
最後マデイラの空港で、虹が私たちを送ってくれました、


これで観光はすべて終わり リスボンで1泊して、イギリス経由で帰国しました。

今回の旅行ほどスーツケースの重量を気にした旅行はありませんでした。ポルトワイン・マデイラワイン・おまけにロンドンでシャンパンまで買い込み よく重量オーバーしなかったなぁ~と感心しています。
ながながとお付き合い下さいまして有難うございました。



ポルトガル周遊とマデイラ島の旅 3

2007年12月07日 23時22分01秒 | 旅行
7日目 27日 
ポルトガルの北部 「ポルト」に来ました。ポルトガル発祥の地です。

街のシンボル クレゴリス教会の塔

これはカテドラルの前にある ペロリーニョ(昔、この柱に罪人を吊るしたそうです  )
カテドラルの中はブラジルからの金で造った主祭壇・ポルトガルの銀で造った祭壇がありました。
その後

ドロウ河クルーズ

ポートワインのワイナリー“サンデマン”に・・・
ポートワインは発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止める酒精強化ワインで、3種類を試飲しました。
もちろん購入も・・・
またポルトのホテルでは、作家の檀一雄がポルトガル滞在中に好んで飲んだと言う「ダン」というワインを飲みました。
午後からは

ブラガの郊外にある「ボン・ジェジュス」に・・・
丘の上にある教会で、信仰の深い信者は700段の階段を膝で上っていくというお話でした。
夜はライトアップされたツリー見学に

このツリー世界1の高さ75メートルあるそうです 

28日
いよいよ このツアーでもっとも楽しみにしていた「マデイラ島」に出発 
飛行機で2時間ほど・・・地図で見るとモロッコの横あたり 大西洋に浮かぶ島で、年間を通して温暖(16~22度)な気候だが、1日の中に四季があると言われる。
やはりポルトガル本土とは違い暖かく少し湿気が多いように思います。

この“極楽鳥花(ストレチア)”はマデイラのシンボル花

これは“南アフリカチューリップの木”と言うのだそうで、花がチューリップそっくり 


街の市場では“柿”を売っていました。名前は日本と同じ“Kaki”(ローマ字読みをします)
ランチは

ヨットハーバーの近くのレストランで海風に吹かれながら・・・

今日は早めにホテルに

「レイズ・パレス・ホテル」入り口はチョッと地味目ですが素晴らしいホテルです。 

断崖の上に その地形を生かして建ててあるのでロケーションは最高!!です。

海の方へ降りて行くと岩場にアロエがたくさん咲いていました。
このホテルに3連泊します。






ポルトガル周遊とマデイラ島の旅 2

2007年12月06日 22時15分49秒 | 旅行
4日目の24日からです。
午前は「オビドス」の街へ・・・ 

ここは城壁に囲まれた小さな街で、ポルトガル王ディニスが王妃イザベルにプレゼントを
した街
名物はサクランボのお酒“ジンジャ”
チョコレートで出来た小さなカップに1杯2ユーロで試飲させてくれます。甘くてとても美味しかった 
その後 港町「ナザレ」に・・・

シティオの丘からの眺め
このシティオ丘は“聖母マリアの奇跡”が起きたところ。
鹿を追って岬まできた貴族の目の前に聖母マリアが出現!!思わず馬を止めるとそこは断崖絶壁!九死に一生を得た 

今も壁画が残っている
このナザレは独特の衣装を身に着けている。

既婚女性は7枚重ねのミニスカートにエプロン、頭にはスカーフ 足にはミュールの様なサンダル(未亡人はこれと同じだが黒ずくめになる)

海に沈む夕日がとてもキレイ 
この日の夕食は“いわしの塩焼き”に ごはん・味噌汁・漬物でした。

25日
まずアルコバサの「サンタマリア修道院」に

戒律の厳しい修道院で、最成期には1000人もの修道士が生活をしていたそうです。
次はバターリャ 英語のバトル(戦い)の意味
ここでは「勝利の聖母マリア修道院」を見学、ポルトガル軍6500人がスペイン軍3万人との戦いで勝利し マリア様に感謝を捧げるために建てた。
その後 奇跡の街ファティマに・・・

「バシリカ」はバチカンに似た広い広場を持つ(収容人数30万人)
ここの奇跡とは・・・第1次世界大戦中の1917年5月13日、3人の子供の前にマリア様が現れ 5ヵ月間毎月13日の同じ時間にこの場所に現れることを告げた。
そして5ヶ月目の10月13日に この場所に礼拝堂を建てる事と3つの予言を告げた。
やがて予言は現実となる(1つ目は第1次世界大戦の終結・2つ目は目撃した子供の内2人の死)3つ目の予言は1人残った子供が知っているとされたきた。
2000年になって、それは1981年ヨハネ・パウロ2世の狙撃を予言したもので、しかもその日はマリア様が始めて現れた5月13日だった。
重症を負った法王は奇跡的に回復しファティマを訪れお参りをしている。
この事からバシリカはカトリックの聖地となっていて、3人の子供のお墓もある。

26日
大学の町「コインブラ」に・・・
このコインブラ大学の図書館は金ぴかのバロック様式でとても綺麗(残念ながら撮影禁止)
男子学生は黒いマントを着ており、マントの裾に切れ目が多いほどもてる証拠だそうです。
ランチのレストランで“コンフェイト”(金平糖)を試食させてくれましたが、日本のものとはチョッと違い砂糖の塊にイボイボが付いている感じでした。
それからアベイロに・・・

アズレージョタイルが美しいアベイロ旧駅舎
この近くで伝統菓子「オヴォシュ・モレシュ」を購入

ポルトガル版の最中 小さな貝の形をした皮の中は黄卵のクリームがぎっしり詰まっている。

次はポルトガル北部・ワインで有名なポルトの街に行きます 








ポルトガル周遊とマデイラ島の旅 1

2007年12月06日 00時04分05秒 | 旅行
11月21日pm2時 成田を発ち 
ロンドンを経由し、ポルトガルのリスボンに着いたのは  クリスマスのイルミネーションが綺麗な夜8時
この日はホテルに直行しました。

22日からポルトガリの観光が始まりました。
素晴らしい晴天の中リスボンの市内観光

「ベレンの塔」テージョ河畔に建つこの塔は船舶の見張りの塔
司馬遼太郎はこの姿を裾を引いた貴婦人に例え“テージョ河の公女”と呼んだそうです。

「発見のモニュメント」エンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた。
エンリケ航海王子を先頭に大航海時代の英雄が乗っている帆船の形をしたモニュメントです。
モザイクの世界地図には日本は1541年発見としるされていました。
次の

「ジェロニモス修道院」は独特のマヌエル様式(海や航海にまつわる装飾)が美しい回廊が見られます。
またレース模様のような彫刻がされた門が綺麗でした。
ランチは 干し鱈(バカリャウ)のコロッケ 干し鱈は良く食べられていて市場でも見られました。
午後からは

「ロカ岬」ユーラシア大陸の最西端 140mの断崖には
詩人カモンイスの“ここに地果て 海始まる”と詩の1節が刻まれている石碑が建っている。

これは 最西端到達証明書です。

夜はポルトガルの民謡とも言う「ファドの夕べ」に行きました。
(ファドの語源は運命を意味するといわれる)

ファドは大半が女の歌手で、女性の心情を歌った物悲しい曲が多く情感たっぷりでした。

23日
午前はリスボン → エボラに移動

アテレージョ地方の古都エボラ
ここの大聖堂では

その昔 天正遣欧使節団の伊東マンショ・千々石ミゲルがパイプオルガンを弾き拍手喝采をあびたそうです。

またこの アテレージョ地方はコルクが有名で、いろいろな製品がおみやげとして売られていましいた。
絵葉書・帽子・スリッパ・ハンドバッグ・エプロン・傘までありました。

これが コルク樫の木です。
茶色くなっている部分が皮をはがされた所。9年毎に皮を剥ぐことができると言うお話でした。
今日はポサーダ(国営ホテル)に宿泊します。元は修道院だったところです