銀座平野屋女将日記

銀座平野屋210年のあゆみと老舗女将の嫁日記

[銀座平野屋を語るもの]大谷選手にあやかって(笑)【後編】

2023-04-21 | 日記

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おはよう御座います!

珍しく昨夜からの連投です。

前の記事の続きですので、早速スタートです!

 

ちょっと珍しい、鎧の部品ともいうべきものが、資料として銀座平野屋にはあります。

 

(さね)に彩色した正絹の糸をひと穴づつ通したものを縅(おどし)と言いますが、

その一組を使って、

前回ご紹介した銀座平野屋の代名詞の『鎧バッグ」は作られています。

 

これが(おどし)です↑

 

↑裏面が見えるのはこちら。

 

 

ちなみに『札(サネ)とは縦長の楕円形の板』のことです

そして縅とのつなぎは型染した鹿革(印伝)を使います。

この縅を作れる職人さんはほとんどおらず、今や貴重品となっています。

日本国内は勿論海外でも注目される逸品です。

 

鎧バッグと同じ技巧で作られた『御守り入れ』。

(前の記事参照)

 

こちらは札(サネ)1つづつ刺し後ろは漆を塗って1段目を仕上げ、

23段と1つづつ刺して作られています。

いずれにせよ、根気強い作業が必要な技術の集大成です。

 

大谷翔平選手がエンジェルスの兜を撫でた映像を見た時、

大谷選手の心意気と、職人の技術が詰まった鎧の素晴らしさが

世界に配信されたと嬉しく思いました。

 

大谷選手には、もっともっと兜をかぶってもらい、

日本の伝統の技の素晴らしさを広めてほしいなあ。と思います!

 

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[銀座平野屋を語るもの]大谷選手にあやかって(笑)【前編】

2023-04-20 | 日記

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こんばんは!

今日は珍しく夜の更新です。

今日は暑かったですねー。

体に暑さがついていきません。

あ。逆だ💦

暑さに体がついていきません。

こうも暑いと、熱中症にも気をつけないといけませんね。

 

さて。暑さと共にニュースを連日にぎわせているのが。

海の向こうでは、大谷翔平選手がまたまた大活躍していますね!

HRの度に日本で作られた兜をかぶって、

楽しんでいる姿がなんとも微笑ましいですよね。

 

兜といえば、甲冑鎧ですね。

銀座平野屋はこの鎧を使った『鎧バッグ』を扱ってきた歴史があります。

 

 

昭和初期、日本伝統の鎧兜の技巧を嚢(ふくろもの)として、

(おどし)を使ったバッグに仕立ててもらい、

多くのお客様に親しまれておりました。

しかし、時代の流れで職人はいつしか減り、

銀座平野屋でも作成されていない時期がありました。

その後、奇跡的な出会いを経て、鎧師の加藤一胄さんにお願いして

縅を平野屋のバッグのサイズで作ってもらったのが、

銀座平野屋の代名詞とも言うべき『鎧バッグ』です。

(詳しくはこちらをご覧下さい→「銀座平野屋と言えばー鎧バッグ物語ー

 

そして鎧は身を守るものなので、鎧バッグと同じ技巧で『御守り入れ』も作成しました。

 

この『鎧バッグ』と『御守り』には日本の伝統美への銀座平野屋の思いが込められています。

日本の美的感覚と、古から現代までの職人の情熱を感じられる逸品中の逸品です。

 

この記事、もう少し続きます。

 

↑加藤一冑さん作成の縅(おどし)

 

↑加藤一冑さん作成の兜を使用した五月人形飾り。

 

 

 

 

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[銀座平野屋を語るもの]絽刺しの張り混ぜ帳

2023-04-17 | 日記

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おはようございます!

週明け月曜日。また1週間が始まりますね

 

さて。ここ数回連投の[銀座平野屋を語るもの]ですが、

おかげさまでで多くの方に閲覧していただき、

本当に嬉しく、その数にびっくりしました!

片付けの折に出てきて、写真撮ったものも数は限られておりますが、

頑張って更新していきたいと思います。


 

さてさて。

片付けの折に出てきたもの。まだあります。

 

美しくも手の込んだ刺繍。

「梠刺し(ろざし)」と呼ばれる刺繍の見本帳(貼り混ぜ帳)が出てきました。

 

「絽刺し」は絽の生地目を縦に拾って刺し縫いしていく刺繍の一つです。

三本絽という一番細かい生地を使い、太めの絹糸を使用します。

光沢感と立体感が刺繍の特徴です。

古くは奈良時代に日本に伝来していたようで、

江戸時代には公家や武家の子女のたしなみとして行われていたようです。

 

その後明治に一時廃れましたが、

大正になると帯や着物にほどこされて、広く親しまれるようになりました。

しかし戦後、職人の減少などにより一部の趣味で細々と残る状態となりましたが、

職人さんの尽力により、その技術は未来へと繋げられています。

 

 

今回ご紹介の貼り混ぜ帳は、表紙に「清時代絽紗刺紋様」とあり、

おそらく先代によってまとめられたものだと思います。

 

 

なぜ清朝?と疑問に思われますが、

清朝時代の女性の宮廷服の袖口などに、絽刺しが多様されていたようで、

その裂(きれ)が貼り混ぜ帳として銀座平野屋に遺されていたようです。

数葉しかない、刺繍の貼り混ぜ帳ですが、

古来からの伝統の技術を大切にしてきた銀座平野屋の歴史がうかがえるものです。

これも[銀座平野屋を語るもの]として、この度、紹介させていただきました。

 

✳︎参考資料:きもの永見HP「現代の残る伝統文化 絽刺しとは」

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[銀座平野屋を語るもの]謎の(?)木箱。

2023-04-14 | 催事

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おはようございます!

黄砂が飛んでいるとか。

花粉症なのに!と慌ててる方もいらっしゃると思いますが、

皆様、お加減はいかがですか。

 

さて。前回の記事。

思いの他、好評だったようで、たくさんの方々に読んで頂き大変嬉しかったです。

「続きを是非!」とのお声も頂いたので、

調子にのって(?)本日も続きをupしたいと思います!

 

さて。こちら。

うちのスタッフが、見たとたん思わず素敵!と言ったものです。

源氏車に植物。和洋折衷なデザインですが。。。

 

実はこれ。

今回の片付けで出てきた木箱に入っていました。

それがこれ↑

箱書きに「圖案集」とありますこの箱。

中には厚紙に貼られた絵が数枚。

 

これ。宝石の図案集なのです

銀座平野屋では昭和初期に宝石も扱っており、

お客様のご注文でデザインをして、

ブローチや指輪、帯留めなど作っておりました。

これはその図案の下書きを集めたもののようです。

 

デザインの下の紐状のものは、バランスを見るための帯紐のイメージでしょうか。

緑色の宝石やダイヤモンドをどこに配置するかも

一目でわかるようになっています。

こちらはペンダントや根付け等のデザインですね。

 

洋風のデザインもありますね。

この2枚はイニシャルのデザイン。ブローチかな。

 

現在ではパソコンで図案をおこすことも多いですが

(もちろん手書きも健在ですが)

昭和初期のパソコンもない時代に、

こんなにも繊細な美しいデザインをおこしていたとは。

しかも今でも十分通用するようなデザインばかりです。

 

銀座平野屋がこういったものも取り扱っていたという証拠の品です。

これも[銀座平野屋の歴史を語るもの]です。

何よりも手書きの良さ、デザインの美しさをご覧頂きたく、

今回紹介させて頂きました!

 

。。。ということで、このシリーズまだ続くかなー。

続けられるかなー。ネタはあるんですよねー

 

 

 

 

 

 

 

 

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[銀座平野屋を語るもの]色糸のパレットのような

2023-04-12 | 日記

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おはようございます!

お久しぶりです!

気がついたら、4月も10日をすぎています!

4月から新たな環境で、

新生活がスタートしている方もいらっしゃるかもしれませんね。

新たな環境に慣れてきたでしょうか。

 

さてさて。大分から戻ってから、日常におわれておりましたが、

久々に片付けなどもやっておりました。

そしたら、出てくるでてくる。いろんなものが。

銀座平野屋を語るもの達が。

 

まずはこちら。

色のグラデーションがきれいですねー。

 

こういうページもありました。

これは、「色見本」の一覧表ですね。

色糸が整然と並んで、たいへんきれいです。

 

イラストレーターの方が絵の具などで色の見本帳を作っているのを見たことがありますが、同じような感じですね。

これが表紙。

『標準色』とありますね。

 

奥付を見ると、昭和十三年に東京市日本橋區本町の東京糸問屋同業組合から発行されたものとあります。

 

もう一つ、別のがありました。

ちょっと糸の納め方が違いますね。

でもこちらも色見本帳です。

こちらが表紙。

よく使われたようで、表紙の痛みが激しく一部判読できないのですが

「第二回 染色標本 /浅草區□□(2文字判読不可)海野染工」とあります。

 

浅草周辺で染色の店があるのが意外だったので調べて見ると、

江戸時代には神田川の水流を使った染色を行っており、

染物屋が浅草周辺にもかなりの数があったようです。

明治大正の頃になると、良い水流を求めて神田川をさかのぼって江戸川橋や早稲田方面に移動したため下町の染色業は数を減らして行ったようです。(この板橋方面では、現在も「東京染色」の工房があります)

この「海野染工」は残った店の一つだったのでしょう。

現在は浅草の川向こうの墨田区で染色業の工房はいくつかあるようです。

 

閑話休題。

 

この2つの色見本は、先代社長が新しい袋物を作る時に、

職工さんと色決めをする時に使われたもののようです。

この色見本帳を見て、色を決め、生地の発注をしたのでしょう。

今はデジタルの色見本も多いのですが、

当時はこれを見ながら、打ち合わせで話に花を咲かせていたのでしょう。

そう思うと、

これも「袋物の銀座平野屋」を語る歴史的史料と言えるのだなあと

先代社長の仕事を懐かしく思い出しました。

 

 

まだ他にも、[銀座平野屋を語るもの]が出てきたので、

またの機会に続けられるといいなあ

 

 

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