すごいよ!!○○○さん!! 

辛そうで
辛くない
少し辛い大人の世界。

改定。

2007年04月23日 | photograph。

すんません。

【photograph】のカテゴリー、


デジカメでよく撮れた写真とかも載せたいんで


このカテゴリーには

「自分的に何かいい具合に撮れた写真」
アップしていこうと思います。

過去の分とかも。


【思ひ出(ry】の方は旅行とか
お出掛けとかの貼ることにしました。

たった今。


どうでも良いお知らせでした。

写真。

2007年04月21日 | photograph。

新しいカテゴリー作りました。


photograph。


今更のよーな感じもしますが;


今までも幾度となく写真をアップしてきたわけですけど
先日紹介したように

一眼のカメラを手に入れまして。

まだ初心者ですが
ちょっぴり本格的に写真を撮るようになりました。


思い出のカテゴリーとの区別を
どうやってつけようか考えた結果

コンパクトで撮った旅行などの写真は【思ひ出ぽろぽろ。】で

一眼で撮った写真は【photograph。】で。




じゃあ、一眼で撮った旅行の写真はどーなるのよ!

知らん!

てか

旅行に一眼持って行かないもん。

壊れたら困るし!

荷物になるし!



写真を撮るために旅行に行く事があれば
勿論、一眼持って行くんで


その場合は【photograph。】やな。



まぁそんな感じですよ。


コンパクトカメラとかで撮った写真も
良かったら見てくださいね~。

GUN。

2007年04月20日 | 気になるニュース。

銃。

今週はやたら銃撃の事件を聞いた気がする。


世界的にニュースになっている
アメリカ・バージニア州の銃乱射事件

国内で起こった
長崎市長が撃たれて死亡した事件


事件が起きて数日経ているが
どのニュースもこの話題ばかりだ。



乱射事件のアメリカは銃社会。

長崎市長が撃たれた日本は銃社会ではない。


銃が一般に広まってないとはいえ
日本でも度々耳にする銃撃事件。


「世界全ての人々が幸せにならないと世界全ての幸福はあり得ない」


銃がある世界で
それはあり得ない。




人は平和を望む。

しかし、平和を守るために武装する。

守る為のそれは
しばしば憧れの対象にもなる。

それを手にした人間の一部が
使い方を誤ると

多くの人にとってそれは
脅威になる。



銃だけじゃない。

刀だって
核ミサイルだって

初めは
人を守るために作られたものだった筈だ。


それがいつしか
人を殺める凶器としてしか認識されなくなっていった。


銃も
刀も
核ミサイルも

人を守るために
人を殺す。

時には
守るためじゃなく使われることもある。

純粋な凶器として。


そんなものが溢れる世の中で
本当に平和な世の中は有り得ない。



思い出。

2007年04月19日 | 独り言。

火曜日
祖母の葬儀が終わり
水曜は学校にもバイトにも行かずに
ぼーっと過ごした。

騒々しい家庭なので
しんみりした雰囲気はそこまでない。

ここ数年、親族に不幸事が続いており
変に不幸事に慣れてしまってる節もあるけど。


お通夜は
従姉妹の姉ちゃんと受付を任され
お経は下のロビーで聞いていた。

お通夜では沢山の方が弔問に訪れて下さり
忙しくて泣く暇など無かった。

お客様が帰って
親戚一同と夜遅くまでお酒を飲んで過ごした。
祖父は憔悴しているようだが
気が滅入り過ぎて眠れない様子だった。

北海道に住んでいて滅多に顔を見せない伯父も来たりしていて
こういう場でしか会わないが
色々な話をして夜が更けていった。


翌日の葬儀でも受付を任され
葬式の殆どをロビーですごした。

式後半で客足が途絶えて
式場に上がり
親戚だけで最後のお別れをする段になって
ようやく涙が出てきた。

花を棺おけ一杯に散らした。

祖母はとても小さくなっていた。


それから
火葬して
祖母は小さな骨壷に入って帰宅した。

数ヶ月前に入院してから
やっとの帰宅だった。


葬儀の終わった夜
とても疲れていたのですぐ自室に戻り
ベッドに横になった。

私が小さい頃、祖母がよく歌ってくれた
子守唄を思い出した。


思い返せば
祖母のイメージはそんなに良いイメージじゃない。

気分屋で怒りっぽく、我を通すタイプ。

こちらで一緒に住むようになって
出戻ってきた母の子供である私は
子供なりに気を使って
とてもよい子を演じていた。
そんなとき、
「いっちょん笑わんで可愛くなか」と言われた事がある。


まだ母と父が別居状態だった頃
父が日曜になる度に私たち姉妹(当時3姉妹)を遊びに連れて行こうと
わざわざ長崎からやって来ていた。
そんなとき、
「あんたたちはこの家の子になるんやから
 もう父ちゃんに次から来んでいいって言いなさい。」と電話の子機を突きつけられた。
電話口で父は泣いていた。
私も泣いた。


子供心に
「この人は何て事を言うんだ」と思って
大人になってもそう思っていた。

でも
ふと思い返せば
それはそれなりに祖母の愛情表現だったのかなぁ、と
ベッドでうとうとしながら思った。

家でも気を使いっぱなしの子供のままだったら
いつか溜め込みすぎて
何かヤバイ感じになっていたかも知れない。

父と決別できなければ
両親はズルズルと離婚しないままだったかも知れない。
(これについては良し悪しはよく分からんけど)

祖母の
鬼のような老婆心のお陰で
今のこの私になれたのかも知れない。

かも。



祖母は
満州から引揚げてきて
バツイチで
解放運動に心血を注ぎ
洋裁の先生をし
鍼灸師の免許を持ち
祖父のDVに耐え
4人の子供を育て上げた。


結構アツイ女だった。
まさしく女傑。

祖母の化粧した顔など見たことがなかった。
初めてみたのが死に化粧だった。

遺影はとても可愛い顔で写っている。




忙しい人生だったろう。




ゆっくり休んで欲しい。

祖母。

2007年04月16日 | 独り言。
母方の祖母が亡くなった。

今朝早くの事だった。


私たち家族はもう覚悟も出来ていたし
病院で看取った母は泣いていたようだが

家で待機していた私含め他の家族は
まだ実感が湧かないまま

慌ただしい普通の朝を過ごし
各々の学校へ出た。

私も今、学校へ来てはいるが
何か悲しいとかいう感覚が湧かない。

今日は通夜の準備の為に3限を受けたら帰るつもりだ。


たまたま休みだった小学校時代からの友人も手伝ってくれるという。

何か申し訳ないなー…