今年もあと残り十数時間。
2006年最後の日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ワタクシは
クラシックを聞きつつ(笑うところ)
寒い部屋で煙草吸いながらコレ書いてマス。
今日、バイト中
急にホルストの「惑星」が聞きたくなって
バイト中にTSUTAYA行ったら
のだめのオムニバスCDがあって…
何かのだめに感化されとると思われるのは癪ですが
自分では気付いてないだけで
のだめに感化されてるのかな~…
う~ん。
で、年末だし(笑)ベートーベンの交響曲第9番と
4番と7番も借りてきました。(←この辺あきらかに影響されてる。笑)
それと、8枚組みのオムニバス。。。
有名なのばっかりだから聞きやすそうと思ったんですけど
…
何か、「四季(春)」とか「カノン」とか
小学校の給食時間とか掃除時間の気分になってきた。
それはさて置き。
今日は折角の大晦日ということなので
年末・大晦日の雑学を。
とは言っても、
結構知ってる人も多いかと思いますので
ガッツリ掘り下げてみようかな。どうしようかな。
先ほども挙げた
ベートーベンの交響曲第9番
通称・「第九」。
年末って言えば、どこでもガンガンこれが掛かってて
大晦日の特番なんかではスゴイ人数で合唱したりしてて
「今年も終わりか~」
なんて気分になりますが
それは日本人だけ。
クラシックの本場、ヨーロッパでは
特に「年末の曲」ってわけではなく、一年中演奏されます。
(*注:オケ+独唱者+合唱団が必要で大掛かりな為、回数は多くはない)
日本人の「年末=第九」ってイメージは
いつどこで定着したのでしょうか。
それは戦後のこと。
オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、
合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、しかも当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった第九を日本交響楽団(現・NHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、
それを定例としたことが発端とされる。
1960年代から、国内の年末の第九の演奏は急激に増え、現在に至っている。
ちなみに
ヨーロッパではこの曲の壮大さは勿論、
第4楽章の合唱部分「歓喜に寄す」の歌詞内容に重きが置かれ
戦後復興や統一の喜びに用いられました。
この第4楽章はEUの歌に制定されています。
ちなみに歌詞内容は
おお友よ!このような音ではない!
もっと快いもっと歓びに満ちたものを歌いだそうでなないか!
歓びよ、美しき神々の火花よ、それは楽園から来た乙女なのだ、
我らは火の如く酔いしれて、天もまがう汝の聖堂に踏み入るのだ!
世俗の習慣が強引に引き離したものを、汝の力は再び結び付けてくれる。
汝のやさしい翼のとどまるところ、すべての人々は兄弟となる。
てな感じ。
特に年末…って感じではないですね;;;
もう一つ、大晦日の雑学。
紅白も終わり、テレビを点けっぱなしでボ~ッとしていると、
除夜の鐘とともに「ゆく年くる年」が始まります。
108つ鐘を撞き、人間の108つの煩悩を打ち消すという
ありがたい儀式なのですが
年内に108つ撞いて煩悩を取り払うと思ってた
そこのあなた!
実は、
年を跨いで撞かれているのです。
108回のうち107回は旧年のうちに撞き、残りの1回を新年に撞くんですって。
コレは私も今年初めて知りました。
実家が寺の友達もおるのに。(しかも、その友達の親戚の寺の檀家なのに;)
そんな話する機会もありませんがね。
ところで。
108つの煩悩って何なんだろう?
これには諸説あるようですが
眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに
好(こう:気持ちが好い)・悪・(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、
この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、
この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
へぇぇぇぇぇぇええええええええ!!!!
今だけでなく、前世や来世までの煩悩も含まれていると。
現世を生きる我々のあずかり知らんところの煩悩さえも
除夜の鐘は打ち消してくれると言うのですか。
ありがたやありがたや。
ちなみに、本来
108回の鐘は除夜だけでなく毎日朝夕撞かれるべきものである。
しかし、普段は略して18回に留められる。
らしいです。
毎日、朝晩108回ずつも撞かれたら
近隣住民と揉めそうですしね。
こんな感じで今年最後の雑学は終わりです。
来年もどうぞヨロシクお願いします。
良いお年をお迎え下さい。