羽越本線は新潟と青森を結ぶ国道7号と並走して北へ向かいます。
国道7号が山形県に入った頃から、地図によって、国道7号は「おばこおけさライン」の愛称が使われます。
気になって調べてみると、山形と秋田の沿岸部を南北に結ぶ街道を羽州浜街道(うしゅうはまかいどう)と呼び、酒田より南は越後街道、北は酒田街道と呼ばれたそうです。
鼠が関までの北国街道から伸びるため、北国街道と呼ぶこともあるそうです。
はっきりしませんが、多分「おばこおけさライン」は坂田街道の愛称か、あるいは羽州浜街道全体の愛称として使われているようです。
誰かが名付けた訳ではなく、旅人が呼び習わした愛称のようです。
列車は15時頃に「こばと(小波渡)」という名の駅に停車しました。
「こばと」という名が気になってネット検索すると、「藤沢周平と庄内」という山形新聞のページを見つけました。そのページに小波渡と隣町の三瀬を舞台にした「三年目」という物語が紹介されていました。
三瀬(さんぜ)の茶屋につとめるおはるは17歳の夏、男に「三年後に迎えにくる」と言われ娘盛りの季節を待ち続けました。
そしておはるが20の夏に帰ってきた清助は、もう3年待ってくれと言うのです。
おはるは一旦断りましたが、次の日の朝、峠を越える清助を追って、舟で近道して小波渡の浜へ向かいました。
山形新聞の記事を読めばきっと、小波渡の様子を理解することができると思います。
列車は小波渡を過ぎ、隣の三瀬駅の手前で進路を内陸部へとカーブしました。
周囲に再び緑豊かな田が広がり、この庄内平野も水に恵まれた豊かな土地であろうことが想像できます。
幾つかの田は、黄緑色く染まり、季節の移ろいを告げていました。
そして定刻の15時27分、村上を出発した気動車は長旅の疲れも見せず、無事鶴岡駅のホームに滑り込みました。
私は今朝の3時半ごろに自宅を出て、12時間も電車を乗り継ぎましたので、流石に腰のあたりにけだるさを感じ始めていました。
ホームに降りて体を動かし、自販機の炭酸飲料で喉を潤しました。
数十年ほど前に、月山に登った帰りに鶴岡駅前のビジネスホテルに泊まり、近くの寿司屋で日本海の岩ガキを食した思い出があります。
あの時飲んだ麗しい酒の名は思い出せませんが、あの頃に比べ、山形にも美味しい酒が本当に多くなりました。
2015年に鶴岡を訪ね、月山の麓の村で見つけた一升ビンの月山ワインは、東京でも手に入り、いまも愛飲しています。
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