




母に---
ぼくの弟の名前は、ヒロユキといいます。
父は戦場に行った。母と祖母とぼくと妹と弟の5人で生活していた。弟は生まれたばかり。食べ物がなく、母親の乳の出が悪い。おもゆを飲ませたり、山羊の乳を遠くまで買いに行ったり、時々ある配給のミルクを飲ませたりしていた。ミルクは甘かった。ぼくは時々そのミルクを飲んでしまった。戦況が厳しくなって、僕たちは疎開することになった。親戚の家に行ったら、食べ物はないと追い返された。身も知らぬ田舎の家の6畳の部屋を借りることができた。弟は病気になって入院した。栄養失調だった。しばらくして弟は死んだ。小さな棺桶に入れられた。弟が死んだのは、1945年7月だった。あともう少しで戦争が終わったのに。

今のようにミルクはない。だれもがお腹をすかせている。人のことなど心配していられない。栄養失調で子どもが死んでいく時代なんて絶対あってはいけない。
戦争の悲惨さを考えていったら、必ず到達することこがある。それは、被害者としての悲惨さから加害者としての悲惨さだ。最近は加害者の怖さをその反省をなかったことにしようとしている人がいる。戦争の悲惨さを心から感じていない人だ。いつか、再び私利私欲のために戦争もよしと考えている人だ。