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そよかぜノート

読書と詩の記録

高校受験、あなたなら前進できる

2006年07月09日 | poem
 高校受験、あなたなら前進できる 2005.2.2

何もしてあげられない
気持ちも伝わらない
あなたならできる
遠く眺めて そう祈るだけ
それしかできない
わたしとちがい
あなたは自分の考えをしっかりと持ち
自分の道を自分の判断で決めることができる
臆することなく
緊張の魔の手を振り払う力強さがある
だから あなたならできる

わたしがあなたと同じ頃
わたしの頭の中に
あなたほどはっきりした意識はなかった
人が言うまま まわりの流れのまま
自分の意志がなく
エスカレーターに乗って ただ下を向いていた
結果的に良かったけど
その生き方は今でも続いている
わたしは下を向いている
はっきりとした意志が見えない

それに比べ
あなたには形が見える
前をしっかり見て
自分の道を自分で切り開こうとしている
それだけであなたはわたしを越えている
自分を信じて
進みなさい


 眠れない夜 2005.2.7

目を瞑ると声がする

おまえは一人
どんなに足掻いても一人
死ぬまで一人
孤独を目一杯味わって
どん底の眠りにつくがいい

布団に入っても
居間のソファーに座っても
食事をするときも
音楽を聴くときも
何をするのも
確かに一人

車に乗っても
ベンチに座っても
バスに乗っても
レストランに入っても
確かに一人

小さな頃に
いじめられた記憶のように
今も前に進めない
誰かにそばにいてほしいのに
一人のわたしを見て笑うだけ

眠れない夜は
ひとしお孤独が身にしみる
だからなお
涙ばかりがあふれ出て
いつまでもいつまでも
眠れない

■結局、ホームページよりアルバム作りが楽です。これに決めます。ヤフーで写真アルバムや写真資料作りをして、gooでテキスト作りをします。2つのブログを結んで1つの作品を作っていきます。
■わたしの遺言状。何にもないわたしのつまらない遺言状。財産を分け与えるとか、何かを頼むとかではありません。わたしが思ったこと、考えたことを知ってほしい。しょうもない人間だけど、生きてきたことを知ってほしい。すでに直接伝える術をなくしてしまった。自力ではどうしようもない。だれかが後押しをしてくれたら。他力本願で、情けないけど、その誰かは何もしてくれない。わたしの本当の姿は決して冷たいものではなく、そよかぜのように優しいものだとわかってほしい。悲観的な考えだが、きっと伝えられずに終わるんだろう。眠れない今、そのことを記すことで、少しでも楽になりたい。


 思い出のパッチン 2005.2.9

わたしが小さい頃のお話をします
わたしはやせっぽちだったけど
外でいつも遊んでた
家の中で遊ぶこともあったけど
いやな思い出につながるのでまた今度
家の前でパッチンをしていたんだ
パッチンは宝物で
40cm×60cmくらいの箱に
いっぱい集めた
集めたというより
勝ち取ったんだ
勝ったらもらえる
負けたら取られる
そのことでしかられることはなかった
認められていた遊びだった
もちろん学校で注意されることもなかった
今そんなことをしたら大変なことになるだうね
即学校に連絡が行き
学校中でみんなが説教される
テレビゲームよりいいかも
って思っているんだけど
パッチンも16枚1シートで5円だったから
お金がかかっているから
あの頃は大らかだったんだろう
実は今でも残しているんだ
ロフトの上の箱に入れて置いてある
全部あげるよ
もう捨ててもいいよ
中にはね
あの頃価値があると言われた
「古パン」も入っている
でももういらないよ
わたしには思い出がいっぱいの
大切なものだったけど
あなたにはただのゴミだからね
捨ててください
あなたが大人になる頃は
何が思い出のものになるのだろうね

 

 黄金山 2005.2.12

久しぶりに黄金山に行った
以前と変わらぬレストハウス
本当の名前はちがうかもしれません
小さい頃からそう呼んでいました
わたしの育った家も黄金山の麓にあって
ここへは歩いてよく登りました
12チャンネルの塔には
レストランが営業されていたこともありました
展望台ももっともっときれいだったなあ
弟と来たこともあったよ
あんなに楽しく話せた時代が懐かしいよ
ふりかえれば いつも
自分のことしか考えていなかったなあ
思い出を辿る旅
それはこの黄金山がスタートです
いろんな場所から見ることができました
遠くからこの塔が見えました
でもね 改めて来ることはなかった
忙しいこともあるけど
ずっと ずっと 背中を強く押されているかのように
坂道を転がり続けていたからなあ
まだまだ落ち続けているけど
鏡の裏側には
今まで楽しい笑顔で軽快な文字を刻んできたんです
それを言いたくてね
ただ子どもの頃
あんなに大きく広く感じた道が
今日はやけに狭く通りにくく
感じました


 信じるもの 2005.2.13

信じるものがあるんですね
何かに手を合わせたり 祈ったり 願ったり
わたしも手を組んで祈りたいことがあるんです
叶えてほしいことがあるんです
どうしても手を貸してほしいことがあるんです

でも 手を合わすことをためらってしまう
今まで 心から信じたことがないから
信じることができないから
それは生育と関係しているかもしれません
自分の弱さかもしれないし
人を信じていないからかもしれません

わたしにも信じることができる神様がほしいのです
仏様でもキリストでも何でもいいから
信じさせてほしいのです
わたしは仏壇で手を合わすことができません
お墓参りに行っても
手を合わせても 何を思っていいのかわかりません
初詣で手をたたいても 仏事で目をつむっても
心の置き所がみつかりません

神様=人
わたしは信じていないのです
だから孤独なのです
信じることができたら
もっと幸せに近づくのに


 人の目が気になるから 2005.2.13

何をやってるんだろうね
結局人の目が気になって仕方ないんだよ
そうなるのはわかるけど
いつもそれで冷静な判断ができなくなるじゃないか
「我が道をゆく」
そうあればいいじゃないか

あるテレビ番組で言ってた
政治家に欠けているもの
それは恐怖心
人の目や批判、中傷が気にならない
だからこそできるんだって

そりゃあうらやましいことだよ
そうなりたいものだよ
そうしたら何もかも解決するよ

「うつ」からのがれるための本まで買ってきたっていうのに
しんどいばかりの日々が続くよ
人の目が気にならない薬はないものかなあ

■アレルギーのためか、頭痛、腰痛とおもわしくない。せめて気持ちだけでもあっけらかんとできればいいんだけど。いろいろ考えて、結局、ブログは分離させることにした。「躁」「鬱」の関係みたいにね。まだはじめたばかり、少しずつ積み重ねていこう。ただ、これが真ん中にきたら、それはおかしい。あくまでも傍らを
吹きすぎる風なんだということをわすれてはいけない。


 昔から頭の悪い子でね 2005.2.16

病気がちで やせっぽちで
臆病で 甘えん坊で 寂しがり屋で
江戸時代なら 2~3才で死んでるんじゃないかな
もっと昔なら 役立たずで捨てられてたかもね
現代だからこそ生き延びていられるんだね
2才ころは
真夜中にぜんそくの発作で病院に行ったよ
県病院や大学病院にタクシーでね
大きな入り口のそばに小さな入り口があって
中に入るとそのそばに小さな部屋があって
腕の太さくらいの大きな注射をされた
2才の記憶ではそうなんだ
子ども心に
どうしてこうも苦しんだろうって
思ったかおもわなかったか
体がしんどいだけに
いつもだれかに支えてもらいたがった
今でもそんな雰囲気が残ってる
本当は物より
落ち着いた環境と優しさがほしかった
怒鳴り合う日々煙の部屋
息を殺して待つ静寂
頭の中はカランカラン
ただ待つだけ
物わかりが悪くてね
ただ過ぎ去るのを待つだけ
目の前の出来事が静まるのを待つだけ
新しいことへ挑戦なんてもってのほか
ただ待つだけ
昔から頭の悪い子でね


 忘れられない曲がある 2005.5.8

もうずいぶん昔の話だけど
大きなカセットデッキを持ち歩いて
同じ曲ばかり聴いてたことがある
とっても悲しい曲でね
子どもと小さなネズミの友情の話なんだ
お互い孤独どうしでね
いつの間にか惹かれ合う
でも世の中は許してくれなかった
最後は別れ別れになってね
どうしてるんだろうね


 平和なんて 2005.7.9

あなただってそう思ってるんじゃないですか
だれもが手を取り合える世の中なんて
戦争のないともに助け合える社会なんて
平和なんてありっこない
そう遠くない未来に
きっと人類はお互いを傷つけ合って
地球上の動物や植物たちも巻き込んで
その歴史を閉じるだろう
哀れな人間の心は
自分を知らしめたくて生きている
そう思っているんじゃないですか
そう思って

河面の光

2006年02月05日 | poem

     街はずれ
     人々はまばらで
   顔は見えなかった
   でも妙に親しく感じられた
   ひとりでいることが楽しかった
   いつのことやら
   恥ずかしいことも 
   淋しいことも
   懐かしく思い出された
   小さな人生の輝きが
   ゆらゆら ゆらゆら
   河面の光に揺れていた

そよかぜに乗せて

2005年01月26日 | poem
  そよかぜに乗せて  2005.1.21

聞いてくれますか
私の話を
つまらない話で悪いのですが
やっぱり聞いてほしいことがあるのです
そばに来られると恥ずかしいので
そよ風に言葉を載せて届けます
弱音ばかりの言葉になるかもしれません
でも伝えたいのです
私もまた
こんなに小さくても
必死で生きてきたのだから
聞いてもらえたら
どんなにうれしいことか


 孤独の運転手  2005.1.22

車にどうぞお乗りください
後ろから順番に
十分乗れます
さあ最後の一人は助手席に

でもねそこには悪魔がいるからね
すわっちゃあいけないんだよ
もう何年もそこは空席さ
運転手はいつもだまって
言われた通りに車を走らせるだけ
知らない人
知らんぷり 知らんぷり 
だれかがその助手席に乗らなければならない最悪の日
じゃんけんするんだ
負けた者が覚悟を決めてすわる
あとでどんなにこわかったか
だれかに話しているかも

運転手って本当にこわい人なの
みんなそう言ってるよ
何も話さない
いつも怒っている
孤独が好きな運転手さ


 音楽祭  2005.1.23

みんなと同じように 初めての体験でした
みんなと同じように すばらしい感動を味わうことができました
なんてすばらしい歌声
なんてすばらしい仲間たち
なんてすばらしい先生たち
ここには来られなかったけど、
ステージには立てなかったけど
87人という仲間がいて
お互いの心を 結びつきを 大切にしようとするからこそ
大きな一歩と感動が生まれる
今 ここにいる私は
なんて幸せなんだろう

■アステールプラザで小学校音楽祭がありました。観西は初めての参加です。音楽の先生中心に、学年の先生みんなで取り組んできました。とは言っても、何も力を出していないのは私だけ。かけ声だけ。何もしないのに、こんなすばらしい経験をさせてもらって、本当に感謝しています。
■合唱 アルプスの少女ハイジより「おしえて」 「今 はじまる」
■心に残った合唱曲 己斐上小学校「信じる」


谷川俊太郎  『信じる』


笑うときには おおぐちあけて
おこるときには 本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を 私は信じる
信じる事に 理由はいらない

地雷を踏んで 足をなくした
子どもの写真 目をそらさずに
黙って涙を流した あなた
そんなあなたを 私は信じる
信じることで よみがえるいのち

葉末の露が きらめく朝に
何をみつめる 小鹿のひとみ
すべてのものが 日々新しい
そんな世界を 私は信じる
信じることは 生きるみなもと

作詞 谷川俊太郎 作曲 松下 耕
(平成16年度NHK全国学校音楽コンクール中学校の部-課題曲)



 お米1粒には7人の神様が  2005.1.23

一粒のご飯粒が
気になって 気になって
今はたくさん食べる物があるから
そんなぜいたくでいいのかもしれないが
やっぱり 気になってね

魚は食べられるために生まれてきたわけじゃない
豚だって牛だって
どこかでだれかが
心をこめて野菜を作ってる
もしかしたら
自分が作ったものは
全然食べられなくて
その人は粗末なものしか食べられなくて
その人が作ったものが
ちょっとかじられただけで
捨てられているとしたら

そんなこと言ったって
食べることに苦労したことないと
わからないよね

でもね
食べ物を大事にできる心は
きっとすばらしいと思うよ
だから
たとえ食べきれなくて
捨てるときも
「悪いね」って思ってほしい

お米1粒の中の7人の神様が
見える心であってほしい


■若い頃はよく食べたよ。出されるものは全部たべなくてはいけないみたいな気持ちでね。何とかの大食い、って言われたよな。嫌いなものは「納豆」「なまこ」「げてもの」あとは何とか食べる。いやでも出されれば食べる。そうそう、最近いやなものがあるよ。それは「まいたけ」多分調理方法次第でおいしく食べられると思うんだけど、みそ汁に入っている生ぐさいまいたけはダメ。みそ汁自体が生臭くなって食べられたもんじゃない。肉ばかりでなく、魚を食べなきゃ。身がなくなるまでね。ちょこっとつついて捨ててしまうなんて、釣った人や、魚さえ食べられない人からみたら、本当に王様の贅沢だよ。もしかしたら、食べ物について考えるようになったのは年をとってからかもしれない。いやいや、アレルギー体質を直したくて、けっこういろんなものを食べたかな。豆乳を無理して続けて飲んだこともあるよ。まあ、できるだけ、食べ物は大事にしようよ。


  わたしの夢 2005.1.24

幼稚園に通っていた頃は
タクシーの運転手にあこがれていました
それはね 手を触れずにドアーを開けることができたから

小学校に入ったら
バスの運転手になりたくなりました
それはね あんなにでっかい車を
まるで自分の体の一部みたいに
ハンドル操作で動かせるから

小学校6年生のとき
竹刀を持った先生に出会いました
おしゃべりしていると頭をたたかれました
でもね 先が細く割ってあるから
音は大きくても 痛くないんだよ

中学2年生の担任の先生はね
新米の女の先生でね
子ども達にバカにされてね
いつも泣いてたんだ
わたしが一生懸命にレクをしようと
みんなに声をかけても
だれも耳を傾けない
何もしないままレクの時間は終わった
先生はね
「ごめんね」って言った
わたしは目立たなくて 小心者で
みんなを動かす力なんてひとつもなかったけど
そのときは一生懸命がんばって
そのことをわかってくれていたんだ

自分みたいな弱い子を救いたい
ちょっとだけ
そんなことを考えてみたんだ

ウルトラセブンにあこがれたこともあったなあ
自分に何ができるかなんて
そんなに幅があるわけもなく
・・・・

今は こうして
残せるものを探しているよ

■自分がやりたいことを強く深く思うことを見つけてほしい。「やりたい」という信念が何より大事だよ。何となくでは飽きてしまう。好きで打ち込めるものほど人生を明るく楽しくさせてくれるものはない。だから、今のうちにいろいろなことをかじっておいてほしい。少しでも経験しておくと、後でそれがきっかけになることもある。いろいろなものを見て、いろいろなことをやって、いろいろなところに行って、多くの経験をしてほしい。そう願っている。


  優しいそよ風  2005.1.25

優しい笑顔で
そーっと優しいそよ風を送ったら
自分のほほに優しいそよ風があたった

もっと優しくなって
もっともっとたくさんの人に
この優しいそよ風を送りたい

--そうしたら
--きっとわたしも優しくしてもらえる

あのときの優しいそよ風はどうやって創ったのだろう
考えてみたら どんどん考えても
優しいそよ風が創れなくなった
ああでもないこうでもない
どうしていいのかわからなくなった

自分がいい気持ちになりたいから
なんて思っていたら
優しいそよ風はどうやっても創れない

優しいそよ風は
優しいそよ風を起こした人だけに吹くのです

今のわたしには
優しいそよ風は創れない

■怒りを人にぶつければ、自分の心は暗く冷たく劣等感にさいなまれる。人に優しくしようと努めれば、自分の偽善がもくもくとふくらんで、こんなに自分はすごいんだという顔になる。鏡を見たらいやになる。悲しみは見せたくない。何もない空間は生きている存在感がかき消され孤独の渦に沈んでしまう。怒りや悲しみはいやだ。何もない虚ろな空間なんてもっといやだ。優しくなりたい。心の底から優しくなりたい。優しいそよ風を創ることができるだけで満足できる人になりたい。それだけで幸福をいっぱい感じる人になりたい。しかし、現実はよく見られたい自分があり、お金や物がだれよりもほしい自分がある。自分だけが得をすればいいと思う自分がある。だから、どんなにそよ風を創っても、「ほら、優しいだろう」と問いかける自分がいる。


  うれしいことを見つけよう 2005.1.26

ついこんなときは
いやことだけが目立って
不幸をいっぺんに背負っているような気になって
何もかも放り出してしまいたくなる
そんな自分への怒りをあたり一面に吐き出したくなる

こんなときこそ
うれしいことを見つけよう
他の車が車線を譲ってくれたよ
大きな声であいさつしてくれたよ
落としたペンを拾ってくれたよ
自分の話を真剣に聞いてくれたよ
いいこと見つけて知らせることができたよ
わたしの机をきれいにしてくれたよ
わたしの傍でお話をしてくれたよ
海がとってもきれいだったよ
極楽寺に登った楽しかった想い出を
思い出すことができたよ
「それはやめよう」と
やさしく話して諭すことができたよ
やさしくなろうと
少しでも自分から何かをやろうと
意欲がわいてきたよ
うれしいことがいっぱいあったよ

これで少しは何かが変わる
そよ風吹かせることができるよ


■人にはバイオリズムがあり、約3週間の周期で気分がと運気が変化する。そう思う。調子がいいときは何をしてもうまくいくし、自信がもてるし、ハイな気持ちで何かにチャレンジできる。ついこの間そんな気分だった。でも3日前の出来事で一変した。どん底に落とされたような気持ちになり、何をやってもうまくいきそうになく、自信がなくなった。浮いたり沈んだりするリズム。待っていれば変化するんだけど、どん底の気持ちのまま過ごしたくない。何とかして少しでも前進する姿勢を作りたい。それはどうしたらいいか、楽しい場面を想像すること。意識的に心が明るくなる場面を見つけること。否定的な見方を肯定的な見方に変えること。そうすればきっと前に進めるはず。


 一人で見上げる空 2005.1.27

-どうぞこのベンチにおかけなさい
 さぞかしお疲れのことでしょう
 さあ さあ どうぞ

なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
わたしがベンチにすわると
その人は立ち去っていなくなった
わたしは一人で空を眺めた

-どうぞこの車にお乗りなさいな
 さぞかし雨に当たられて冷たかったことでしょう
 さあ さあ どうぞ

なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
わたしが車に乗ると
その人は車を置いてどこかに行ってしまった
わたしは車の中で一人雨空を眺めた

-どうぞこのパンをお食べなさいな
 さぞかしお腹がすいたことでしょう
 さあ さあ どうぞ

なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
その人はパンをベンチに置いて
遠く離れたテーブルで
大勢の人と食事をした

わたしはベンチで一人 パンをかじった
楽しそうな笑い声を聞きながら
わたしは一人で空を見上げ何かを見つけた

■これが私の運命なのか。それとも意固地になっているだけなのか。たとえいっしょにいても、話したいことはいっぱいあるのに、楽しい話をする術を知らず、どのように話していいかもわからないのだろう。もっと行動力を持って追いかけて、自分の世界に連れ込むことも、今ではむずかしい。大きな壁が立ちはだかっている。空を見上げるのは、多くは哀しみに胸がいっぱいになるとき。そいうとき空のどこかに神を求めているにちがいない。自分ではどうしようもなくなり、どこかに助けを求めているのだろう。


 希望 2005.1.28

吹奏楽はいいね
わたしも何か楽器ができたらどんなに人生が変わったか
歌も満足にうたえない コンプレックスだらけのミュージック
ギターが弾けたらいいよね
きっと口ずさむ歌が増えると思うよ
ピアノの音色もいいなあ
わたしはそばでメロディーを聴いているだけでいい
ささやかな希望

でもあなたは
ピンポンを選ぶのでしょうね
かってのわたしがそうであったように
ぜんそくだったわたしは
進学したらスポーツをして体を鍛えると決心していた
わたしにもできるスポーツ それがピンポン
やせっぽちのわたしには
ハードなスポーツはできっこない
音楽にはまるっきり関心がなかったから
考えもしなかった

実は今でも何か才能がないか
手探りしているんだよ
不器用でこれまで何をしても満足に上達したことないのにね
ちょっとかじってすぐに有頂天になって
しばらくすると自分の浅はかさに落胆
音楽ができたらなあ
絵が描けたらなあ
希望だけは持っている

あなたはあなたの希望を強く深く抱き
あなたは自分の道をしっかり決めて
そして最後まで突き進んでほしい
それが何であっても


  2005.1.30

呼び止められたように
耳を澄ませていると
階下から怒鳴り声が響いてきた
自分の鼓動が聞こえるほどに
声を探っていくと
罵声が心臓をつきさした
その怨霊は
わたしの肩に首を載せ
心を支配する
怒りに従順になれ
何も言ってはならない
明かりを灯すと
闇が現れ
わたしをどん底に落とす

■こわい思い出。今でも囚われていて、頭の中をよぎる。子ども時代の出来事は大人になってからも心の中を引っかき回す。これがトラウマというものなのか。もうこれ以上触れてはいけない。これ以上話してはいけない。そんな声が背後から。いつか出口が見つかるか。入り口があれば、きっと出口がある。そう信じて生きる。負けてはだめだ。はい上がれ。