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そよかぜノート

読書と詩の記録

木かげの家の人たち

2007年09月15日 | book 児童書 絵本
いぬいとみこ
福音館 1600円
1967年初版 1961年作品

 『木かげの家の人たち』 2007.9.8

大正2年、森山家の2階の書庫に小人たちがやってきた。横浜から帰国する英語の先生、ミス・マクラクランという人から、達也は小人たちが入っているバスケットを受け取った。毎日欠かさず、青いカップにミルクを入れて、小人たちのところに運ぶこと。それが約束だった。達也は、一日も欠かすことなくミルクを運んだ。この仕事は、達夫から透子に、透子は達也の妻となり、その子どものゆりへと受け継がれていった。そして、昭和に入り、日本が戦争への道を走り始めて、その影響が小人たちにも降り注ぎ始めた。達也は英文の研究をしているいところから、非国民としてつかまり投獄された。戦況が厳しくなり、森山家も食べ物が乏しくなっていった。しかし、時には薄い粉ミルクの時もあったが、ミルクを毎日小人たちに運ぶことは欠かさなかった。ゆりは、小人たちと長野県野尻に疎開することになった。そこでの生活は厳しく、ミルクはなかなか手に入らず、持ってきたミルクを少しずつ小人たちに運んだ。あるとき、ゆりは病気になり、疎開先の叔母はゆりが持ってきた小人用にミルクを飲ませた。そしてとうとうミルクがなくなり、小人たちはそこから出ていかなければいけなくなった。小人たちを救ったのは、アマネジャキだった。元気になったゆりは、毎日青いカップにミルクを入れて、いなくなった小人たちを待った。

 ファンタジーの世界の話かと思ったら、戦争時代の苦しい物語だった。人間が起こした戦争に小人たちも巻き込まれていった。ときに、自分たちでドングリを取ってこっるのだから、ミルクがなくても・・・と思ったが、なんだか自然界の掟のような気がして、こんなことさえ守ることができない世の中は荒れ果てているんだよと、言われているみたいだった。でも、小人たちとゆりの世界は別々。つながりはミルクだけ。触れ合いも会話もない。小人たちって、人間として守るべき心なのかもしれないな。人として自分の身の回りのことを考え、他人を大事にする心を言っているのかも。そしてそれは本当はそれほど難しいわけではない。当たり前の生活で自然にできること。それができなくなる戦争の世の中はだれもがいやなんだ。小人たちを出すことで、まるで現代で起こっている出来事のように、戦争の悲惨さを感じさせてくれる。


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