こうの史代
双葉社 800円 マンガ
2004年初版 2004年作品
『夕凪の街 桜の国』 2007.9.17
「広島のある 日本のあるこの世界を
愛するすべての人へ」
「昭和三十年。
灼熱の閃光が放たれた時から十年。
ヒロシマを舞台に、一人の女性の魂が
大きく大きく揺れた。
最もか弱き者たちにとって、
戦争とは何だったのか、
原爆とは何だったのか・・・
著者渾身の問題作!」
平野皆実、母フジミと二人暮らし。原爆で、父と妹の緑と姉を亡くした。弟の旭は、千葉の親戚の家に疎開。そのまま戦後もそこで暮らしていた。原爆で、皆実もやけどを負った。母は目をやられ、惨状を見ていない。今は元気にあばら屋で暮らしている。
わかっているのは「死ねばいい」と思われたということ
思われたのに生き延びているということ
皆実が働いている会社の打越さんに愛を打ち明けられた。
生きとってくれてありがとう
ひどいなあ
てっきりわたしは 死なずにすんだ人かと思ったのに
十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て
「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?
石川七波、弟の凪生は医師になった。近頃父旭の行動がおかしい。ある夜、かばんを持って家を出た。七波は父に着いていった。東京駅で小学校時代の友人東子に会う。父は広島行きのバスに乗った。東子といっしょに七波も広島へ。父は皆実お姉さんの墓参りと姉のことを知っている人を訪ね歩いていた。七波は始めて叔母のことを知り、祖母のフジミや母が原爆にあっていたことを考えた。正直言って、初めてこのマンガを読んだとき、よくわからなかった。何が言いたいのだろうか、と考えてしまった。少女マンガによくある、はっきり言わないで場面だけで語る、そこから感じることは苦手だ。ストレートに言ってくれる方がいい。実は、映画を見てもう一度このマンガを読んだ。そしてひとつひとつの場面のイメージがつながった。映画の場面が頭に浮かぶからだろう。映画がなければこのマンガを一度だけ読んで、「ようわからん」と投げ出していたかもしれない。日頃マンガを読まないことも、絵をよく見ないことにつながったのだろう。このマンガに書かれている「言葉」が生きてきた。原爆を落とした人は、人が苦しみ死んでいくことを想像しただろうか。たくさんの人が死んでいくことを思って、ほくそ笑んでいたのだろうか。10年経って、また殺したぞと喜んでいたのだろうか。いや、きっと想像しなかったからこそ、原爆を落とすことができたのだと思う。もし、想像していたら、原爆を落とすボタンを押すことができなかった。そう信じたい。「原爆を落とせ」と命令した人は、全く頭に人々の苦しみなど想像していない。戦争は、想像力が欠如した人が、他人に命令をし、人を殺させること。想像力が豊かな人間は、決して人を傷つけることができない。