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そよかぜノート

読書と詩の記録

夕凪の街 桜の国

2007年10月07日 | book その他

こうの史代
双葉社 800円 マンガ
2004年初版 2004年作品

 『夕凪の街 桜の国』 2007.9.17

「広島のある 日本のあるこの世界を
             愛するすべての人へ」

「昭和三十年。
 灼熱の閃光が放たれた時から十年。
 ヒロシマを舞台に、一人の女性の魂が
 大きく大きく揺れた。

 最もか弱き者たちにとって、
 戦争とは何だったのか、
 原爆とは何だったのか・・・
 著者渾身の問題作!」

平野皆実、母フジミと二人暮らし。原爆で、父と妹の緑と姉を亡くした。弟の旭は、千葉の親戚の家に疎開。そのまま戦後もそこで暮らしていた。原爆で、皆実もやけどを負った。母は目をやられ、惨状を見ていない。今は元気にあばら屋で暮らしている。

 わかっているのは「死ねばいい」と思われたということ
 思われたのに生き延びているということ


皆実が働いている会社の打越さんに愛を打ち明けられた。

 生きとってくれてありがとう

 ひどいなあ
 てっきりわたしは 死なずにすんだ人かと思ったのに

 十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て
 「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?


石川七波、弟の凪生は医師になった。近頃父旭の行動がおかしい。ある夜、かばんを持って家を出た。七波は父に着いていった。東京駅で小学校時代の友人東子に会う。父は広島行きのバスに乗った。東子といっしょに七波も広島へ。父は皆実お姉さんの墓参りと姉のことを知っている人を訪ね歩いていた。七波は始めて叔母のことを知り、祖母のフジミや母が原爆にあっていたことを考えた。

正直言って、初めてこのマンガを読んだとき、よくわからなかった。何が言いたいのだろうか、と考えてしまった。少女マンガによくある、はっきり言わないで場面だけで語る、そこから感じることは苦手だ。ストレートに言ってくれる方がいい。実は、映画を見てもう一度このマンガを読んだ。そしてひとつひとつの場面のイメージがつながった。映画の場面が頭に浮かぶからだろう。映画がなければこのマンガを一度だけ読んで、「ようわからん」と投げ出していたかもしれない。日頃マンガを読まないことも、絵をよく見ないことにつながったのだろう。このマンガに書かれている「言葉」が生きてきた。原爆を落とした人は、人が苦しみ死んでいくことを想像しただろうか。たくさんの人が死んでいくことを思って、ほくそ笑んでいたのだろうか。10年経って、また殺したぞと喜んでいたのだろうか。いや、きっと想像しなかったからこそ、原爆を落とすことができたのだと思う。もし、想像していたら、原爆を落とすボタンを押すことができなかった。そう信じたい。「原爆を落とせ」と命令した人は、全く頭に人々の苦しみなど想像していない。戦争は、想像力が欠如した人が、他人に命令をし、人を殺させること。想像力が豊かな人間は、決して人を傷つけることができない。

 そよかぜから-映画『夕凪の街 桜の国』 


「あせらない あわてない あきらめない」

2006年02月28日 | book その他


■「元気が出る」子育て・親育て・自分育て
「あせらない あわてない あきらめない」
■角田 明(つのだ あきら) 教育出版
■2006.2.28

◇1944年 熊本県八代市で生まれる。1969年、神奈川県内の高校、中学校の英語教師として指導にあたる。その後、神奈川県茅ヶ崎市の教育行政と学校現場とを往復しながら指導主事を務める。その後、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、、指導担当参事を経て、2001年茅ヶ崎市立緑が浜小学校初代校長となる。
〈本書略歴より〉

◎「子どもは教えないことは学ばない」教えることが学ぶことの出発点。部屋への入り方、鉛筆の持ち方。

「本当の愛情は厳しい」確かにそうだと思う。今の自分に欠けているところの一つだと思う。どう思われるか、かわいそうだ、などが優先してしまい、先が見えていない。どうしたいか、では今からどうするかがはっきりしていない。ここに書かれている題が、今の自分にはピタッと当てはまる。「あせらない」「あわてない」「あきらめない」

しかし、この本は管理職が見た、管理職のための本のような気がする。だからどうしたんですか、という具体的なことをもっと聞きたい。


「水は答えを知っている」

2006年01月28日 | book その他


■「水は答えを知っている」 江本勝/著  サンマーク出版

《story》

「その結晶にこめられたメッセージ」

波動測定という方法で水に関する研究をおこなってきた。水を氷結させてその結晶写真を撮り、写真集を出版。自費出版からのスタートだったが、そこから得られる感動が口コミで広がり、世界的なベストセラーとなる。水は物質の中でも特異なもので、さまざまなものを溶かすことができる。混ざり合い、包み込み、記憶していく。地表に降った雨は地中にしみこみ、何十年もかけて地中を流れ、再び地表に現れる。そして、見た目は同じ水でも、いろいろなものを抱え込む。もしかしたら、生物の、地球の、宇宙のすべての記憶を持っているのかもしれない。水はまるで生きているかのように、回りの波に呼応する。またその波も抱え込んでいる物が何であるかによってちがう。それを目に見えるようにしたのものが水の結晶である。きれいな水はきれいな結晶をつくる。塩素をたくさん含んだような水、汚れた水は、壊れた結晶になったり、全く結晶を作ることができなかったりする。また、言葉の波動、音楽の波動など、水は美しいもの優しいものに呼応し、きれいな結晶を作る。私たち人間の体は約70%が水でできている。それ故に、さまざまな水の呼応と同じように、いいものにはいい呼応となり、汚い言動に対しては歪んだ呼応となっていく。水が生物や地球や宇宙の基盤になっているように、私たちの体も水が基盤であり、美しい波動を得ることで私たちの心は生き生きしてくる。

◎ええ、そんなことがあるのか、と最初思った。「ありがとう」といい続けた水の結晶はきれいな形となり、「バカ」といい続けた水の結晶は崩れたり、結晶にならなかったりする。私たち人間の体は70%以上が水でできているから、これらの言葉で、体の中で同じような変化を起こしている。水はすべての基盤を成しているもの。美しい波動には美しいく反応する。そう言われると納得できる。もともと人間はいい言葉や美しいものに惹かれる性善説もその通りだと言える。
偶然だけど、自宅で還元水を作る機器を購入した。浄水だけでなく、電気分解して活性水素を作る機器だ。この本に載っているフランスのルルドの水と同じ成分らしい。
雲を消す実験もしてみた。雲は水でできているから、念じれば反応する。「雲が消えた」と念じたら、数分で消えてしまった。驚きだった。
水というものを科学的にとらえながら、心への作用を語っていて、素直に受け止めることができる。水の結晶の写真集を生協で頼むことにした。

◎瓶にご飯を入れたものを3つ用意する。一つ目は毎日「ありがとう」と声をかける。二つ目は毎日「バカ」と声をかける。三つ目は無視する。1ヶ月やり続けたら、3種類とも違った変化がおきた。一番早く腐っていったのは無視したもの。次が「バカ」と声をかけたもの。「ありがとう」は、なかなかくさらなかった。こんな実験をしてみると、言葉で人間が受ける影響がわかる。ごはんも水でできているから、美しい言葉汚い言葉に反応しているようだ。『無視』は汚い言葉を言われるよりもつらいことだということがよくわかる。

◎科学的に証明されているのでしょうか。気持ちはよくわかります。ある雑誌では、科学的に根拠がない、学校の道徳で扱うのはおかしいと批判がありました。凡人の私にはよくわかりません。

 


「心に残る感動の物語」

2006年01月21日 | book その他

■「心に残る感動の物語」 李 昌祐(リ・チャンウ)編  洪 和美(ホン・カズミ)訳  日本文芸社

《story》
「4000万人が泣いた 人生・夢・家族・恋人・・・心あたたまる幸せのストーリー」
「名も無き物語35篇の感動」


2004年、韓国で『ハッピー・ウイルス』の原題で刊行された単行本。編者の李 昌祐さんが主催するウェブサイトで一般募集された「感動する話」の中から好評だった作品を選んでまとめたものである。 ◎「最後のゲーム」アメリカンフットボールが好きで、子どものころからチームに入り、練習してきたが、1度も試合に出してもらったことがない。でも試合があるたびに父親は応援に来ていた。大学に入っても、チームに入り、さぼりこともなく真面目に練習に参加してきたが、試合には一度も出してもらえなかった。でも、父親は試合のたびに応援に来た。そして父親はなくなった。家に帰るようにすすめられたが、彼はこの試合だけは出してほしいと監督に願い出た。今まで試合に出させてもらえなくても、一度も不平をもらしたことはないのに。

どんな結末なんでしょうか。この「最後のゲーム」だけでなく、多くの話が最後にあっと言わせるような展開になっている。そして胸がしめつけられるような、それでいて心の底から暖かさがふつふつと湧いてくるような、何ともいえない穏やかな気持ちになる。実際にあった話かどうかわからないが、そんなことはどうでもよく、純粋に人の善を受け入れられる。