goo blog サービス終了のお知らせ 

そよかぜノート

読書と詩の記録

本『おかあさんの木』 作/大川悦生(おおかわえっせい)

2005年01月30日 | book 児童書 絵本

「この大きいのは、二郎の葉・・・・
このあつぼったいのは、三郎の葉・・・・
さきがとがって、ほそながいのが、四郎の葉・・・・
これは五郎、すばしこくて、まけんきで、たまになどあたる子でなかったのに・・・・
これは六郎、きょうだいのなかで、いちばんやさしい子じゃったが・・・・
そして、この小さいのが七郎の葉。」

と、つぶやきつぶやき、ひろいなさった。それから、ふかいいきをして、こずえのほうをみあげながら、

「なにも、おまえたちのせいではないぞえ。日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、むすこをへいたいにはやられん、せんそうはいやだと、いっしょうけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。」

と、いいなさったそうな。


■はじめは、子どもが兵隊にとられ、戦地に行くことを栄誉に思っていた。身代わりに植えたキリの木に、「お国のためにがんばれ」を声をかけていた。はげますつもりで木を植えたのだろう。
■戦地で「お国のため」に一体何をしてほしいと願っていたのだろうか。きっとはっきりとしたイメージはなかったのだと思う。人をたくさん殺して、お国の領土を広げなさいなんて思ってない。まるで暗示にかかったみたいに「お国のために」という言葉を繰り返す。それがその時代の母の言葉だったのだ。
■メイヨノセンシヲトゲラレマシタ
これが「お国ために」の姿だった。人をたくさん殺すか、自分が死ぬか。そのどちらとも名誉ある姿なのだ。どちらにしても悲劇なのだ。「お国のために」がどれだけ冷たく悲しいことなのか、その知らせがカタカナであるところからも感じられる。植えた木に対する母の言葉は変わっていく。名誉の戦死なんてしてほしくない。本当の素直な気持ちは、生きて自分のところに帰ってきてほしいということ。
■だれもが心の底で思っていることと、表で飛び交う言葉がちがう。命を大事にする言葉を言ってはならない。それを口にすることは非国民になること。
■五郎の木にもたれた母の願いが、まるで届いたかのように、戦場から五郎が生きてもどってきた。自分のかわりに子どもの命を助けてやってほしい。戦争に追いやった自分への怒りと哀しみと後悔と。この木はそのすべてを写し出していた。もう二度とこんな木は植えたくない。母の祈りがそこにあった。
■帰ってきた五郎はその母の心を受け継いだ。その証がクルミの木だったのだと思う。あまい実は、母の気持ちと五郎の決意を確かめるかのように、次の世代に届けられるのだ。

「私たちはいま、イラクにいます」/シャーロット・アルデブロン

2005年01月27日 | book 児童書 絵本

「だから、私のことを見てください。
 よく見てくださいね。
 イラク爆撃ときいたときに
 思いうかべなければいけないことが、
 わかるはずです。
 爆撃で殺されるのは、
 私のような子どもなのです。」

■2400万人のイラク国民のうち、1200万人は15才以下の子どもたち。戦争はどんなに理由をつけたとしても、やっぱりただの殺し合い。しかも犠牲になるのは子どもたちだということがよくわかる。人種も宗教も何もかも乗り越えて、共に助け合って生きることができたらどんなに幸せな地球になることか。毎日のように報道される見えないところで、子ども達が泣き叫び、恐怖におびえ、助けてほしいと手を差し出している。今の私には、その手を握る術がない。こうして「知る」ことしかできない。共感しようと努力することしかできない。「戦争を反対してほしい」と言われればいくらでも声に出すし、署名もする。魔法でも使えたら、きっとこの世からすべての武器を消し去ってあげる。ユニセフを通して募金をすること、はるか離れた日本で思うことしか、私にはできません。

■講談社 『私たちはいま、イラクにいます』文:シャーロット・アルデブロン 写真:森住卓

生協 5%引き

そよかぜに乗せて

2005年01月26日 | poem
  そよかぜに乗せて  2005.1.21

聞いてくれますか
私の話を
つまらない話で悪いのですが
やっぱり聞いてほしいことがあるのです
そばに来られると恥ずかしいので
そよ風に言葉を載せて届けます
弱音ばかりの言葉になるかもしれません
でも伝えたいのです
私もまた
こんなに小さくても
必死で生きてきたのだから
聞いてもらえたら
どんなにうれしいことか


 孤独の運転手  2005.1.22

車にどうぞお乗りください
後ろから順番に
十分乗れます
さあ最後の一人は助手席に

でもねそこには悪魔がいるからね
すわっちゃあいけないんだよ
もう何年もそこは空席さ
運転手はいつもだまって
言われた通りに車を走らせるだけ
知らない人
知らんぷり 知らんぷり 
だれかがその助手席に乗らなければならない最悪の日
じゃんけんするんだ
負けた者が覚悟を決めてすわる
あとでどんなにこわかったか
だれかに話しているかも

運転手って本当にこわい人なの
みんなそう言ってるよ
何も話さない
いつも怒っている
孤独が好きな運転手さ


 音楽祭  2005.1.23

みんなと同じように 初めての体験でした
みんなと同じように すばらしい感動を味わうことができました
なんてすばらしい歌声
なんてすばらしい仲間たち
なんてすばらしい先生たち
ここには来られなかったけど、
ステージには立てなかったけど
87人という仲間がいて
お互いの心を 結びつきを 大切にしようとするからこそ
大きな一歩と感動が生まれる
今 ここにいる私は
なんて幸せなんだろう

■アステールプラザで小学校音楽祭がありました。観西は初めての参加です。音楽の先生中心に、学年の先生みんなで取り組んできました。とは言っても、何も力を出していないのは私だけ。かけ声だけ。何もしないのに、こんなすばらしい経験をさせてもらって、本当に感謝しています。
■合唱 アルプスの少女ハイジより「おしえて」 「今 はじまる」
■心に残った合唱曲 己斐上小学校「信じる」


谷川俊太郎  『信じる』


笑うときには おおぐちあけて
おこるときには 本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を 私は信じる
信じる事に 理由はいらない

地雷を踏んで 足をなくした
子どもの写真 目をそらさずに
黙って涙を流した あなた
そんなあなたを 私は信じる
信じることで よみがえるいのち

葉末の露が きらめく朝に
何をみつめる 小鹿のひとみ
すべてのものが 日々新しい
そんな世界を 私は信じる
信じることは 生きるみなもと

作詞 谷川俊太郎 作曲 松下 耕
(平成16年度NHK全国学校音楽コンクール中学校の部-課題曲)



 お米1粒には7人の神様が  2005.1.23

一粒のご飯粒が
気になって 気になって
今はたくさん食べる物があるから
そんなぜいたくでいいのかもしれないが
やっぱり 気になってね

魚は食べられるために生まれてきたわけじゃない
豚だって牛だって
どこかでだれかが
心をこめて野菜を作ってる
もしかしたら
自分が作ったものは
全然食べられなくて
その人は粗末なものしか食べられなくて
その人が作ったものが
ちょっとかじられただけで
捨てられているとしたら

そんなこと言ったって
食べることに苦労したことないと
わからないよね

でもね
食べ物を大事にできる心は
きっとすばらしいと思うよ
だから
たとえ食べきれなくて
捨てるときも
「悪いね」って思ってほしい

お米1粒の中の7人の神様が
見える心であってほしい


■若い頃はよく食べたよ。出されるものは全部たべなくてはいけないみたいな気持ちでね。何とかの大食い、って言われたよな。嫌いなものは「納豆」「なまこ」「げてもの」あとは何とか食べる。いやでも出されれば食べる。そうそう、最近いやなものがあるよ。それは「まいたけ」多分調理方法次第でおいしく食べられると思うんだけど、みそ汁に入っている生ぐさいまいたけはダメ。みそ汁自体が生臭くなって食べられたもんじゃない。肉ばかりでなく、魚を食べなきゃ。身がなくなるまでね。ちょこっとつついて捨ててしまうなんて、釣った人や、魚さえ食べられない人からみたら、本当に王様の贅沢だよ。もしかしたら、食べ物について考えるようになったのは年をとってからかもしれない。いやいや、アレルギー体質を直したくて、けっこういろんなものを食べたかな。豆乳を無理して続けて飲んだこともあるよ。まあ、できるだけ、食べ物は大事にしようよ。


  わたしの夢 2005.1.24

幼稚園に通っていた頃は
タクシーの運転手にあこがれていました
それはね 手を触れずにドアーを開けることができたから

小学校に入ったら
バスの運転手になりたくなりました
それはね あんなにでっかい車を
まるで自分の体の一部みたいに
ハンドル操作で動かせるから

小学校6年生のとき
竹刀を持った先生に出会いました
おしゃべりしていると頭をたたかれました
でもね 先が細く割ってあるから
音は大きくても 痛くないんだよ

中学2年生の担任の先生はね
新米の女の先生でね
子ども達にバカにされてね
いつも泣いてたんだ
わたしが一生懸命にレクをしようと
みんなに声をかけても
だれも耳を傾けない
何もしないままレクの時間は終わった
先生はね
「ごめんね」って言った
わたしは目立たなくて 小心者で
みんなを動かす力なんてひとつもなかったけど
そのときは一生懸命がんばって
そのことをわかってくれていたんだ

自分みたいな弱い子を救いたい
ちょっとだけ
そんなことを考えてみたんだ

ウルトラセブンにあこがれたこともあったなあ
自分に何ができるかなんて
そんなに幅があるわけもなく
・・・・

今は こうして
残せるものを探しているよ

■自分がやりたいことを強く深く思うことを見つけてほしい。「やりたい」という信念が何より大事だよ。何となくでは飽きてしまう。好きで打ち込めるものほど人生を明るく楽しくさせてくれるものはない。だから、今のうちにいろいろなことをかじっておいてほしい。少しでも経験しておくと、後でそれがきっかけになることもある。いろいろなものを見て、いろいろなことをやって、いろいろなところに行って、多くの経験をしてほしい。そう願っている。


  優しいそよ風  2005.1.25

優しい笑顔で
そーっと優しいそよ風を送ったら
自分のほほに優しいそよ風があたった

もっと優しくなって
もっともっとたくさんの人に
この優しいそよ風を送りたい

--そうしたら
--きっとわたしも優しくしてもらえる

あのときの優しいそよ風はどうやって創ったのだろう
考えてみたら どんどん考えても
優しいそよ風が創れなくなった
ああでもないこうでもない
どうしていいのかわからなくなった

自分がいい気持ちになりたいから
なんて思っていたら
優しいそよ風はどうやっても創れない

優しいそよ風は
優しいそよ風を起こした人だけに吹くのです

今のわたしには
優しいそよ風は創れない

■怒りを人にぶつければ、自分の心は暗く冷たく劣等感にさいなまれる。人に優しくしようと努めれば、自分の偽善がもくもくとふくらんで、こんなに自分はすごいんだという顔になる。鏡を見たらいやになる。悲しみは見せたくない。何もない空間は生きている存在感がかき消され孤独の渦に沈んでしまう。怒りや悲しみはいやだ。何もない虚ろな空間なんてもっといやだ。優しくなりたい。心の底から優しくなりたい。優しいそよ風を創ることができるだけで満足できる人になりたい。それだけで幸福をいっぱい感じる人になりたい。しかし、現実はよく見られたい自分があり、お金や物がだれよりもほしい自分がある。自分だけが得をすればいいと思う自分がある。だから、どんなにそよ風を創っても、「ほら、優しいだろう」と問いかける自分がいる。


  うれしいことを見つけよう 2005.1.26

ついこんなときは
いやことだけが目立って
不幸をいっぺんに背負っているような気になって
何もかも放り出してしまいたくなる
そんな自分への怒りをあたり一面に吐き出したくなる

こんなときこそ
うれしいことを見つけよう
他の車が車線を譲ってくれたよ
大きな声であいさつしてくれたよ
落としたペンを拾ってくれたよ
自分の話を真剣に聞いてくれたよ
いいこと見つけて知らせることができたよ
わたしの机をきれいにしてくれたよ
わたしの傍でお話をしてくれたよ
海がとってもきれいだったよ
極楽寺に登った楽しかった想い出を
思い出すことができたよ
「それはやめよう」と
やさしく話して諭すことができたよ
やさしくなろうと
少しでも自分から何かをやろうと
意欲がわいてきたよ
うれしいことがいっぱいあったよ

これで少しは何かが変わる
そよ風吹かせることができるよ


■人にはバイオリズムがあり、約3週間の周期で気分がと運気が変化する。そう思う。調子がいいときは何をしてもうまくいくし、自信がもてるし、ハイな気持ちで何かにチャレンジできる。ついこの間そんな気分だった。でも3日前の出来事で一変した。どん底に落とされたような気持ちになり、何をやってもうまくいきそうになく、自信がなくなった。浮いたり沈んだりするリズム。待っていれば変化するんだけど、どん底の気持ちのまま過ごしたくない。何とかして少しでも前進する姿勢を作りたい。それはどうしたらいいか、楽しい場面を想像すること。意識的に心が明るくなる場面を見つけること。否定的な見方を肯定的な見方に変えること。そうすればきっと前に進めるはず。


 一人で見上げる空 2005.1.27

-どうぞこのベンチにおかけなさい
 さぞかしお疲れのことでしょう
 さあ さあ どうぞ

なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
わたしがベンチにすわると
その人は立ち去っていなくなった
わたしは一人で空を眺めた

-どうぞこの車にお乗りなさいな
 さぞかし雨に当たられて冷たかったことでしょう
 さあ さあ どうぞ

なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
わたしが車に乗ると
その人は車を置いてどこかに行ってしまった
わたしは車の中で一人雨空を眺めた

-どうぞこのパンをお食べなさいな
 さぞかしお腹がすいたことでしょう
 さあ さあ どうぞ

なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
その人はパンをベンチに置いて
遠く離れたテーブルで
大勢の人と食事をした

わたしはベンチで一人 パンをかじった
楽しそうな笑い声を聞きながら
わたしは一人で空を見上げ何かを見つけた

■これが私の運命なのか。それとも意固地になっているだけなのか。たとえいっしょにいても、話したいことはいっぱいあるのに、楽しい話をする術を知らず、どのように話していいかもわからないのだろう。もっと行動力を持って追いかけて、自分の世界に連れ込むことも、今ではむずかしい。大きな壁が立ちはだかっている。空を見上げるのは、多くは哀しみに胸がいっぱいになるとき。そいうとき空のどこかに神を求めているにちがいない。自分ではどうしようもなくなり、どこかに助けを求めているのだろう。


 希望 2005.1.28

吹奏楽はいいね
わたしも何か楽器ができたらどんなに人生が変わったか
歌も満足にうたえない コンプレックスだらけのミュージック
ギターが弾けたらいいよね
きっと口ずさむ歌が増えると思うよ
ピアノの音色もいいなあ
わたしはそばでメロディーを聴いているだけでいい
ささやかな希望

でもあなたは
ピンポンを選ぶのでしょうね
かってのわたしがそうであったように
ぜんそくだったわたしは
進学したらスポーツをして体を鍛えると決心していた
わたしにもできるスポーツ それがピンポン
やせっぽちのわたしには
ハードなスポーツはできっこない
音楽にはまるっきり関心がなかったから
考えもしなかった

実は今でも何か才能がないか
手探りしているんだよ
不器用でこれまで何をしても満足に上達したことないのにね
ちょっとかじってすぐに有頂天になって
しばらくすると自分の浅はかさに落胆
音楽ができたらなあ
絵が描けたらなあ
希望だけは持っている

あなたはあなたの希望を強く深く抱き
あなたは自分の道をしっかり決めて
そして最後まで突き進んでほしい
それが何であっても


  2005.1.30

呼び止められたように
耳を澄ませていると
階下から怒鳴り声が響いてきた
自分の鼓動が聞こえるほどに
声を探っていくと
罵声が心臓をつきさした
その怨霊は
わたしの肩に首を載せ
心を支配する
怒りに従順になれ
何も言ってはならない
明かりを灯すと
闇が現れ
わたしをどん底に落とす

■こわい思い出。今でも囚われていて、頭の中をよぎる。子ども時代の出来事は大人になってからも心の中を引っかき回す。これがトラウマというものなのか。もうこれ以上触れてはいけない。これ以上話してはいけない。そんな声が背後から。いつか出口が見つかるか。入り口があれば、きっと出口がある。そう信じて生きる。負けてはだめだ。はい上がれ。