「この大きいのは、二郎の葉・・・・
このあつぼったいのは、三郎の葉・・・・
さきがとがって、ほそながいのが、四郎の葉・・・・
これは五郎、すばしこくて、まけんきで、たまになどあたる子でなかったのに・・・・
これは六郎、きょうだいのなかで、いちばんやさしい子じゃったが・・・・
そして、この小さいのが七郎の葉。」
と、つぶやきつぶやき、ひろいなさった。それから、ふかいいきをして、こずえのほうをみあげながら、
「なにも、おまえたちのせいではないぞえ。日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、むすこをへいたいにはやられん、せんそうはいやだと、いっしょうけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。」
と、いいなさったそうな。
■はじめは、子どもが兵隊にとられ、戦地に行くことを栄誉に思っていた。身代わりに植えたキリの木に、「お国のためにがんばれ」を声をかけていた。はげますつもりで木を植えたのだろう。
■戦地で「お国のため」に一体何をしてほしいと願っていたのだろうか。きっとはっきりとしたイメージはなかったのだと思う。人をたくさん殺して、お国の領土を広げなさいなんて思ってない。まるで暗示にかかったみたいに「お国のために」という言葉を繰り返す。それがその時代の母の言葉だったのだ。
■メイヨノセンシヲトゲラレマシタ
これが「お国ために」の姿だった。人をたくさん殺すか、自分が死ぬか。そのどちらとも名誉ある姿なのだ。どちらにしても悲劇なのだ。「お国のために」がどれだけ冷たく悲しいことなのか、その知らせがカタカナであるところからも感じられる。植えた木に対する母の言葉は変わっていく。名誉の戦死なんてしてほしくない。本当の素直な気持ちは、生きて自分のところに帰ってきてほしいということ。
■だれもが心の底で思っていることと、表で飛び交う言葉がちがう。命を大事にする言葉を言ってはならない。それを口にすることは非国民になること。
■五郎の木にもたれた母の願いが、まるで届いたかのように、戦場から五郎が生きてもどってきた。自分のかわりに子どもの命を助けてやってほしい。戦争に追いやった自分への怒りと哀しみと後悔と。この木はそのすべてを写し出していた。もう二度とこんな木は植えたくない。母の祈りがそこにあった。
■帰ってきた五郎はその母の心を受け継いだ。その証がクルミの木だったのだと思う。あまい実は、母の気持ちと五郎の決意を確かめるかのように、次の世代に届けられるのだ。