真鍋和子
金の星社 1200円
1999年初版 1999年作品
『シマが基地になった日』 2007.8.2
「沖縄伊江島 二度目の戦争」
「ここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地」
太平洋戦争中、日本で唯一、地上戦の場となった悲劇の地、沖縄。その沖縄に、ふたたび悪夢がおそいかかった。アメリカによる、土地取り上げである。大国を相手に。土地をまもる闘いを続けてきた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんと伊江島の人々の半世紀にわたる闘いの記録。
■1945年4月21日
米軍が伊江島の占領を宣言する
■1945年5月18日
生き残った村人2100人、米軍によって強制的に住む場所を奪われ移される。伊江村の推定調査では、村民1500~1600人、日本兵2000人が戦死。
■1945年6月23日 沖縄での戦闘が終わる。
■1947年3月28日 伊江村民全員が島に帰る。63%が軍用地となっていた。
■1953年7月19日 最初の土地取り上げ立ち退き。米空軍用射爆演習場建設のため。約78万5000坪。
■1955年3月14日 琉球政府に対する座り込み陳情を開始。
■1960年7月 「伊江島土地を守る会」結成
■1972年5月15日 沖縄が日本に復帰
■1984年 「ヌチドゥタカラの家」完成、開館
■1998年12月 映画「教えられなかった戦争・沖縄編-阿波根昌鴻・伊江島のたたかい-」完成資料館入り口の壁に書かれている言葉
平和とは人間の生命を尊ぶことです。
この家には人間の生命を虫けらのように
そまつにした戦争の数々の遺品と、
二度とふたたび人間の生命がそまつに
されないために
生命を大切にした人々、また生命の尊さを求めてやまない人々のねがいもまた展示してあります。
命こそ宝
生命の場から平和を-
阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)1955年7月24日 伊江島での行進開始 非暴力 陳情口説(ちんじょうくどぅち)
はてなき世の中はあさましいことだ
腹の中から話しますから聞いてください
沖縄のみなさん 聞いてください
世界にとどろきわたるアメリカの
神のような人が わが土地を取って
うち使ってしまった
主席さま聞いてください
私ら百姓があなたの前に出て
お願いするのはただごとではありません
親ゆずりの土地があってこそ
命がつながっているのです
すぐさまわたしらの畑を取りかえしてください
陳情口説(ちんじょうくどぅち) 野里竹松/作1984年完成資料館入り口の言葉
戦世(いくさゆ)んしまち みるく世(ゆ)ややがて 嘆くなよ臣下 命(ぬち)どう宝
戦争の世の中は終わった 平和な世がやってくる なげくなよ、おまえたち、命こそ宝なのだからやすらぎの家のかべに書かれている言葉
福祉とは やすらぎをあたえることです
この家は、
お年よりも子どもも
からだの不自由な人もそうでない人も
お互いに生きがいを求め
ともに助け合い能力におうじて
生産につとめ、心づくりと体づくりのための
やすらぎの場としてつくられたものです 私には知らないことが多すぎると思う。自分が同じ立場になってはじめて知るんだ。難病になったら、同じ苦しんでいる仲間がいることを知る。行政の厳しさを知る。人の心に潜む問題点を知る。ヒロシマだって、原爆のことも、被害のことも、ひとりひとりの思いにはひとりひとりちがった体験があり、語り尽くせないほど物語がある。そして知れば知るほど、自分が同じ体験をしているかのような気持ちになる。表面だけ、知ってるってのとは違う。もう知っているから終わりではないのだ。それは知っていないのと同じなのだ。沖縄が地上戦になったことは知っている。ヒロシマと同じように、きっとさまざまな体験があり、訴えや願いや叫びが限りなくたくさんあるのだと思う。今回、この本に出会ったことは幸せなことだと思う。自分の土地を取られ、その土地が一番大嫌いな戦争のために使われていることがどんなにつらいことか。そして、自分たちの生活の場が勝手に取られることがあっていいのか。戦国時代じゃあるまいし。先祖代々受け継がれた土地に対する思いはこれほどまでに強いのだ。それにしても、アメリカが沖縄でこんなことをしていることを、アメリカ国民は知っているのだろうか。きっと、世界各地の米軍基地でさまざまな問題があるはず。「非暴力とあいさつ」戦争を反対する気持ちがここにしっかり表れている。