
こんにちは👋😃
先週から、前にもsoukiにいた
「エムさん」と言う人が、
火曜日のレッスンに復帰してくれたおかげで、
とってもレッスンが、賑やかで、
さらに楽しくなって参りました🤗
塩田哲生です🥳
1988年の8月から、
パントマイムのレッスンを受けはじめたその年末、
ママコ先生から、
「来年の春🌸 筑波のEXPOセンターで、
ハイビジョン映像とパントマイムの融合というテ-マで、
禅の説話の"十牛"という作品をやります。
少したくさん出演者が必要なので、
塩田くんも出てみない?」
と、言われました🙃
まだ、パントマイムをはじめて数ヶ月だったので、
不安の方が大きかったのですが・・
青木さんに、
「塩ちゃん、100回の練習より、1回の本番の方が、ずっと上手くなるよ❗」
と、勇気をもらい、はじめての舞台に挑戦してみる事にしました😉
年が明けて、1月の半ばくらいから、
市ヶ谷の、カサドタクというマンションの地下のスタジオで、
リハ-サルが始まりました。
その初日、
前もって出演者全員で、以前の公演のビデオを見ておいた、
フィナーレの踊りの稽古から始める事になったのですが、
その踊りのドアタマの、
"女ナビィ恋唄"という沖縄民謡に合わせて、
さざ波のように軽やかに美しく男性3人が、
登場する場面で、
先輩の市川さんと明神さんにはさまれて、
あろう事か、いきなりまん中にたたされてしまったのです😱
全メンバーの中で、一番経験の浅い僕が、
ビデオの中で、
平賀さんという大先輩が踊っていたポジションをやる様に指示されて、
初日のリハ-サルのはじめッから、
頭が真っ白になりました😇
その悪い予感は見事に当たり😿
音楽が流れて、10歩も歩かないウチに、
ママコ先生が、自分で音を止め、
江ノ上さんをにらみつけながら、
僕を指さし、
「江ノ上💢塩田のこの汚ない脚を、どうにかしろッ💢💢💢」
・・と、さっそくお怒りになられました。
僕が、どうして良いのかわからず、
スタジオのど真ん中でオドオドしていたら、
江ノ上さんが、サッと僕の首根っこを掴んで、
「塩田、ちょっとこっち来い!」
と、言って、カサドタクの地下の駐車場からの入り口そばの、
タイルが貼った踊り場で、
40分くらい、僕の脚運びを直してくれました😇
ママコ先生は、小さな身体からは全く想像出来ない程の、
時に優しく、また時にぞっとするくらい恐ろしいオ-ラを放ちます。
本番中、ソデから出番待ちで、先生の「怒りの踊り👹」の
序盤のソロを見ているだけで、
もうすぐ、出番なのに、
脚がすくんでしまった事もあります。
リハ-サルの前の、
先生の身の周りのお世話をしている時は、
全くそんな事なはく、
一人暮らしをはじめて間もない僕が作った
おせじにもオイシイとは言えないお好み焼きを🧑🍳
「心をこめて作ってくれて、ありがとう。。」
と、言って、ニコニコと優しく笑いながら、
全部食べてくださいました・・・🙃
それほど、舞台のリハ-サルという物はハリツメタ空気感で、
進んで行くモノなのだと、
初日から、思いしったのです👁️
リハ-サルは、集まって練習するところではなく、
自分が家で、必死に練習した成果を、
先生に評価していただく場所だと、
身を持って、理解しました🧚
それからは、江ノ上さんの足を引っ張らない様に、
リハ-サルも、クラスレッスンも、
もっと必死になって、がむしゃらに挑みました💪
わからない事があれば、
リハ-サルの後、
市ヶ谷のスタジオの川向こうにあった、
中華料理屋で、
一緒に食事をしながら、
先輩たちに、イロイロと積極的に質問してみました。
こうして、僕はとても優しい先輩に囲まれて、
なんとか、はじめての本番を終える事が出来たのです🫂
江ノ上さんもそうですが、
ママコ先生も、
本番後は、その内容について、
全くコメントしない方でした👀
そして、全く使い物にならなかったであろう僕に、
手書きのお手紙つきで、
きちんとギャランティ-を下さったのです
嬉しくて、涙が止まらなかった。。
はじめてパントマイムを習ったのが、
ママコ先生で、
本当に良かった🌬️
自称:歌って踊れる獣医さん=しおたてつおでした🤗🌈