宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

心のながれについて(2)

2021-06-25 08:58:14 | 祈り
    (前日からの続き)
この肉体は食べなきゃ我々は死にます。
飢えれば大変なことになりますね。
そのために働かなきゃなんない、お金を
得なきゃなんない。
そういう想い煩いが霊界に移行すると、
一回こうすっと抜けるもんだから、
いろいろな痛みや煩いがないぶん、余分な
ものがなくなって働きやすくなるわけね。

で、働きやすくなるというのはもっと
厳密にいいますと、これは素のまんまに
なる。
素直になる。
その人の本心が現われてくる。
そういうことなんですね。
我々世界人類というのはですね、人間
一人一人というのは神様の御心の分かれ
なんです。
生命の分かれなんですけれども、その
御心と心を一つにしていく、本当の
ところをいえばそうですね。
それで生きてる。
神様の生命を貰って生きてる。

生命を生き生きとさせる。
心をひそめてずっと自分の心の流れを
みていくと、本心に連らなっているから、
その連らなっている自分自身というものが、
先程も申しました様に、非常に大きく深い
ものなんですね。
そうしてその人間の心の流れというものは、
自分の中の例えば、これが飲みたいとか
あの人に会いたいとか、そういう欲求とか
いうものだけじゃなしに、もっともっと
深い深いところで繋がっていて、実は、
深いところから我々の肉体を養なう、例えば、
暑いとか寒いとかそういういろいろな欲求が
出て来る訳ですね。

今こうして世の中で生きるための、必要に
応じたものがちょっちょっとこう出てくる
けれども、しかし、本当を言えば、本来心の
深いところからの声というものを聴く、
そのために我々は生きている。
あるいは、もっというと、その目に
見えないほどの世界、奥の奥の体というのは
常にそういう本来の深い声を聴いてる訳
ですから、我々の肉体が覚知しようが
しまいが、その霊の生命を聴いて心を受けて
生きている。

そういうものが我々の肉体の実は養い親に
なってるし、肉体を養ってる元になってる
ということを思いますとね。
キリストが言ったね、「何を食べようかとか
何を飲もうかとか想い煩うな」というのが
ありますよね。
「あの空の鳥をみるがよい」というふうな
ことを言いますね。
それは何かというと、黙ってても棚ボタに
お金が入ってくるとかじゃないんです。
          (つづく)

心のながれについて(1)

2021-06-24 09:50:15 | 祈り
我々が毎日誰よりも親しく付き合って
いるものというのは、考えてみますと、
心ではないでしょうか。
朝起きて、さわやかに目覚めることが
出来たとか、あるいは、ちょっと
睡眠不足で体がだるいなあとか、
そういうことを感じる。
覚知して、そしてくたびれているにしろ
何にしろ、起き上がるというのは、
それはやはり気持ちの働き、心の働き
であります。

我々はよく自問自答なんてことを
申しますけれども、自分に問うて
自分に答えるというのは、毎日毎日
自分で無意識でもやっている訳ですね。
自分で考えて、ああお茶を飲みたい、
誰かに会いたい、こういう予定がある、
というのはそれは記憶ということも
あるけれども、それをしたいとかしたく
ないとか、面倒くさいなあとか疲れたなあ
とかということも含めて、それは自分の
気持ち、心と対応し続けながら、毎日
肉体を養っている訳であります。

親兄弟というのは絆が深いとか申します
けれど、私なんかに言わせると、親兄弟
よりももっともっと自分の中で深い
関わり合いを持っているのは、自分の
そういう自分自身を覚知する心で
ありますね。
ところが、いつも申しますように、
心というものはずっと奥の深いところで
神様と繋がっている。

神様の世界なんていうと、この世と
あの世という遠いかけ離れたところの
ように思う。
ある宗教の信者さんだと、極楽に
行くとか地獄に墜ちるとか墜ちない
とかね、あるいは、聖書などで
ゲヘナの火とか何とかいうけれども、
しかし、そういう何か想い焦がれる
とかいう世界じゃなくて、厳然として、
あの世というか霊界と申しますか、
そういう所はある訳なんですね。

向こうの世界とこっちの世界というのは
ずっと繋がっている。
一つづきになっている。
だから、霊界移行という言葉を申しますけど、
それは実際に移っていくのであります。
我々自身がこの肉体を脱ぎ捨てて、
向こうの世界に移って、そしてさらに
自分の生命を豊かにしていく。
そういうための移り住み、それが霊界移行、
死なんだと。
だから、この世の誕生と向こうの往生
というのは、これは二大祝賀行事である
と私がいつも申しますのは、そういうこと
なんですね。
         (つづく)

心のながれについて 序

2021-06-23 10:47:58 | 祈り
この法話集は、人間本来の明るい天命
について述べたものである。
本来の我々のいのちが、神の明るい
大生命の光をうけていることを知ることに
よって、我々は肉体をもったまま、霊人と
なることができるのである。
神の愛とゆるしと光とを感受して
いただければさいわいである。
         昭和63年8月22日
            五井 昌久

祈りをかさねてゆく(3)

2021-06-22 09:33:26 | 祈り
   (前日からの続き)
世界平和の祈りを
私はいつも
光へのエレベーターだと
言ってますけど
本当にそうなんです

自分もなく
人もない
ただ神様の光ばかり
愛ばかりが感じられる
世界平和の祈りを
つづけてゆくと
みんなそうなるんですよ

この祈りの中には
肉体を動かしている
そして
人間の心を動かしている
真実の自己
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)としての
人間の本来の相(すがた)が
こめられているんです

ですから
この祈りを唱えると
とっても気持ちがおちつく
っていうのは
それは
自分のふるさとに
帰るから
真実の自分に出会うから
なんですよ

祈りは
神様への直線道路
世界平和の祈りは
人間が
本来
愛とゆるしにみちた
存在であることを
私たちに
悩みなく
やさしくなれるか
ということを
知らせてくれる
身をもって教えてくれる
祈りなのです
人間が
どれほど
やさしくなれるか
ということを
知らせてくれる
祈りなのです

どうぞやさしい人になって下さい
自分を労わり
他人を労わる
愛深い人であって下さい
        昭和62年3月7日

祈りをかさねてゆく(2)

2021-06-21 08:35:53 | 祈り
    (前日からの続き)
勿論、祈りってのは、厳しいもんです
うちの会のお祈りなんか
言葉がやさしいからね
もったいぶっていないから
みんな
これなら出来るって始めるんですけどね
けれど
四六時中
何があっても
ああこれは消えてく姿だ
守護霊様、守護神様
五井先生
ありがとうございます
世界人類が平和でありますようにって
祈るというのは
これは、大変なことなんです
絶え間なく感謝なさい
ということですからね
もうずっと永遠の
感謝行ですよ
ところが
大変なんだけれど
その大変が
いつの間にか
やれる
やれるってのは
自分がやるんじゃ
ないからです

世界人類が平和でありますようにって
祈ってる内に
自分が消えてしまう
自分が自分がって
おもいが消えてしまう
それは
守護霊さん
守護神さんがたすけて
消してくれるんです

歩くにしても
なんにしても
毎日生活していて
私たちは
かならず
何のなにがしって
いう気持ちがありますよね
それが消えるんですよ
個性がなくなるって
いうんじゃなくてですね
自分が自分がっていう
我が消えるんです
それは何故かというと
神様に預けちゃうから

世界平和の祈りというのは
その人が
意識するしないにかかわらず
とにかくお任せのこころにまで
持ってゆく

この世の中に生きていて
みんな何で苦労するかと
いえば
私が私が
俺が俺が
の心で苦労するんですよ

折角
ここまで俺がしてやったのにとか
あれだけ
私がいったのに私のいうことをきかないで
あの人は
とかね
これはみんな
我欲です

財産がありすぎて
アップアップしている人もあれば
貧乏で苦しいおもいをしている人も
ある
その人の
その生きる環境も
立場立場によって
あたえられる苦しみも
さまざまですけれどね
何が一番大変だといって
自分がというおもいを
消す程大変なことはないんです
とても
人間の力だけで
できることじゃない
それが消せるのは
祈りだけなんです
  (つづく)