(前日からの続き)
この肉体は食べなきゃ我々は死にます。
飢えれば大変なことになりますね。
そのために働かなきゃなんない、お金を
得なきゃなんない。
そういう想い煩いが霊界に移行すると、
一回こうすっと抜けるもんだから、
いろいろな痛みや煩いがないぶん、余分な
ものがなくなって働きやすくなるわけね。
で、働きやすくなるというのはもっと
厳密にいいますと、これは素のまんまに
なる。
素直になる。
その人の本心が現われてくる。
そういうことなんですね。
我々世界人類というのはですね、人間
一人一人というのは神様の御心の分かれ
なんです。
生命の分かれなんですけれども、その
御心と心を一つにしていく、本当の
ところをいえばそうですね。
それで生きてる。
神様の生命を貰って生きてる。
生命を生き生きとさせる。
心をひそめてずっと自分の心の流れを
みていくと、本心に連らなっているから、
その連らなっている自分自身というものが、
先程も申しました様に、非常に大きく深い
ものなんですね。
そうしてその人間の心の流れというものは、
自分の中の例えば、これが飲みたいとか
あの人に会いたいとか、そういう欲求とか
いうものだけじゃなしに、もっともっと
深い深いところで繋がっていて、実は、
深いところから我々の肉体を養なう、例えば、
暑いとか寒いとかそういういろいろな欲求が
出て来る訳ですね。
今こうして世の中で生きるための、必要に
応じたものがちょっちょっとこう出てくる
けれども、しかし、本当を言えば、本来心の
深いところからの声というものを聴く、
そのために我々は生きている。
あるいは、もっというと、その目に
見えないほどの世界、奥の奥の体というのは
常にそういう本来の深い声を聴いてる訳
ですから、我々の肉体が覚知しようが
しまいが、その霊の生命を聴いて心を受けて
生きている。
そういうものが我々の肉体の実は養い親に
なってるし、肉体を養ってる元になってる
ということを思いますとね。
キリストが言ったね、「何を食べようかとか
何を飲もうかとか想い煩うな」というのが
ありますよね。
「あの空の鳥をみるがよい」というふうな
ことを言いますね。
それは何かというと、黙ってても棚ボタに
お金が入ってくるとかじゃないんです。
(つづく)
この肉体は食べなきゃ我々は死にます。
飢えれば大変なことになりますね。
そのために働かなきゃなんない、お金を
得なきゃなんない。
そういう想い煩いが霊界に移行すると、
一回こうすっと抜けるもんだから、
いろいろな痛みや煩いがないぶん、余分な
ものがなくなって働きやすくなるわけね。
で、働きやすくなるというのはもっと
厳密にいいますと、これは素のまんまに
なる。
素直になる。
その人の本心が現われてくる。
そういうことなんですね。
我々世界人類というのはですね、人間
一人一人というのは神様の御心の分かれ
なんです。
生命の分かれなんですけれども、その
御心と心を一つにしていく、本当の
ところをいえばそうですね。
それで生きてる。
神様の生命を貰って生きてる。
生命を生き生きとさせる。
心をひそめてずっと自分の心の流れを
みていくと、本心に連らなっているから、
その連らなっている自分自身というものが、
先程も申しました様に、非常に大きく深い
ものなんですね。
そうしてその人間の心の流れというものは、
自分の中の例えば、これが飲みたいとか
あの人に会いたいとか、そういう欲求とか
いうものだけじゃなしに、もっともっと
深い深いところで繋がっていて、実は、
深いところから我々の肉体を養なう、例えば、
暑いとか寒いとかそういういろいろな欲求が
出て来る訳ですね。
今こうして世の中で生きるための、必要に
応じたものがちょっちょっとこう出てくる
けれども、しかし、本当を言えば、本来心の
深いところからの声というものを聴く、
そのために我々は生きている。
あるいは、もっというと、その目に
見えないほどの世界、奥の奥の体というのは
常にそういう本来の深い声を聴いてる訳
ですから、我々の肉体が覚知しようが
しまいが、その霊の生命を聴いて心を受けて
生きている。
そういうものが我々の肉体の実は養い親に
なってるし、肉体を養ってる元になってる
ということを思いますとね。
キリストが言ったね、「何を食べようかとか
何を飲もうかとか想い煩うな」というのが
ありますよね。
「あの空の鳥をみるがよい」というふうな
ことを言いますね。
それは何かというと、黙ってても棚ボタに
お金が入ってくるとかじゃないんです。
(つづく)