(前日からの続き)
私どもは、頭の先から爪先まで見ましてもね、
何一つ自分で造ったものはないんですね。
生まれて来た時も、我々が製造して持って来た
手だとか指だとか、そんなものはあり得ないん
ですね。
全部借りてきた生命なんです。
貰ってきた生命なんですね。
どっから貰ってきたか、神様から貰ってきた。
でも神様から貰ってきたけれども、その神様が
下すった生命を支えている光の流れという
ものは、神様と等しいものな訳ですね。
そして、神様の本質、本体、本心という
ものは、ただただ深い愛念なわけですね。
ですから、この深い愛念と等しくなって
しまうと、想いとか言葉とかいうものが、
だんだんだんだん、いろいろな余分なものが
とれていって、角がとれていって丸くなって、
そして柔らかくなって、そうして、ただ溢れる
ばかりの愛念、光、祈り、そういうものに一致
していって、ついに調和の世界の方へもって
いける様になる訳ですね。
(つづく)
私どもは、頭の先から爪先まで見ましてもね、
何一つ自分で造ったものはないんですね。
生まれて来た時も、我々が製造して持って来た
手だとか指だとか、そんなものはあり得ないん
ですね。
全部借りてきた生命なんです。
貰ってきた生命なんですね。
どっから貰ってきたか、神様から貰ってきた。
でも神様から貰ってきたけれども、その神様が
下すった生命を支えている光の流れという
ものは、神様と等しいものな訳ですね。
そして、神様の本質、本体、本心という
ものは、ただただ深い愛念なわけですね。
ですから、この深い愛念と等しくなって
しまうと、想いとか言葉とかいうものが、
だんだんだんだん、いろいろな余分なものが
とれていって、角がとれていって丸くなって、
そして柔らかくなって、そうして、ただ溢れる
ばかりの愛念、光、祈り、そういうものに一致
していって、ついに調和の世界の方へもって
いける様になる訳ですね。
(つづく)