宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

道(2)

2023-10-30 06:26:43 | 祈り
         (前日からの続き)
神様というのは、遠い遠い所にいるのでは
なくて、みんなの眼にはみえないけども、もう
光になって、充満しているわけ。
みなさん一人一人の心の中に、ちゃあんと
いらっしゃるわけです。
イエスが、みんな一人一人が神の宮
なんだということを言っていましょう? 
ね、あれと同じなんです。
けれども、イエスも申しましたように、現代
という時代は、まことにやっかいなことに、
「しるし」を求める時代ですよね。御免状なんてね。
で、あまり「寄り道」をしますと、こんがらがっ
てはいけませんから、手短かにいいますと、
この道というのは、わたしどもが真理の階段を
上るための一つの姿として、あらわれとして
あるのであります。
つまり、どんな「道」も、それが華道であっても
茶道であっても、そこに加わるということは、
大神様が、守護霊守護神が、働かれて、
しらずしらずの間に、私どもの本体である「光」を
かがやかすためのものなのであります。

そうして、これは、何もお茶やお花や、書を
やっている人だけとは、勿論かぎるものでは
なくて、私たちの心の奥に、人間として生まれた
以上は、何か一つことをやり遂げたい。
根を張って生きてゆきたいという想いが、
たとえば、誠実に生きるなら、誠実に生きる
ということを生涯の目標としてかかげることも、
神様につながる道につながることなのです。
つまりは、この神様につらなるための
手段(方法)として、万人にその人となりの
「道」があり、これを通じて、真のよりどころである
完全円満の世界、大神様への世界につながって
ゆくというわけでありまして。
人が辛い時に、手のぬくもりを求め、そこから、
何かしらかわらないものを求めて、各々が
「道」に志す。
で、これを我々はいつか「よりどころ」だと
思って生きるわけですが、実はもう一つ奥に、
この「道」を手段とした宇宙神という真のよりどころ、
永遠に目ざすべき私どもの道があるわけであります。
それでは、当日はこれで。
どうもありがとうございました。
      (つづく)


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