神の愛念についてということで
ありますが、いつも申しておりますように、
神様の愛念というものは、これは絶える
ことなく、ゆるしの大河ともいうべき
大生命の根元から流れてきているもので
あります。
そして、神様の愛念というものは、
我々人間のこの肉体や想いや、我だとか
何だとか、余分なものがいろいろ
くっついてはいるけれども、しかし、
その中を貫いて流れている。
つまり、神様の愛念というものは、
離れて何か遠くにあるものではなくて、
自分の中に絶えず息づいている、生命
そのものなんだということをまずここで覚えて
おかないと、我々は大変な間違いを
することになってゆく。
(つづく)
ありますが、いつも申しておりますように、
神様の愛念というものは、これは絶える
ことなく、ゆるしの大河ともいうべき
大生命の根元から流れてきているもので
あります。
そして、神様の愛念というものは、
我々人間のこの肉体や想いや、我だとか
何だとか、余分なものがいろいろ
くっついてはいるけれども、しかし、
その中を貫いて流れている。
つまり、神様の愛念というものは、
離れて何か遠くにあるものではなくて、
自分の中に絶えず息づいている、生命
そのものなんだということをまずここで覚えて
おかないと、我々は大変な間違いを
することになってゆく。
(つづく)