宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

さやけき生命(5)

2013-01-22 08:25:46 | 祈り
       (前日から続く)
 例えば、自殺をする人がいるでしょ。入水する
人もあれば飛び込む人もある。色々な苦しみも
あるけれども、そういう自殺ではなくて、実際に
捨身(しゃしん)をする。自分の身を捨てて、
自分が光になって、業を消すというかたちの自殺
もある。つまり、神様に押されて、守護霊様に
押されて、守護霊様の光によって霊界に転出する
という、その死もある。これは人間の智恵では
分かりかねる。
 たとえプラットホームからボーンと飛び込んで、
肉片がいっぱい散って顔もわからない状態
になったとしても、本人が本当に悲しみ嘆いて
自殺する場合と、そうでない場合とがあるんです。

 なんであの人がと思う人が不幸になったり
死んでしまったりね。あっという間に居なく
なったりする時には、何かしらの神様の方の
おもんばかりが後ろで働いている。だから、
自分がやろうと思わないことです。自分の生命
だと思わないことです。神様から流れて来ている
生命だと思うことです。

 「久遠の光、神と共に」と書いたのは、久遠の
光というのは、消えることのない絶えることの
ない光ですよね。これが、我々のこの
身体(からだ)を貫いて流れている。そして、
この光というものは大宇宙につながっている。
 宇宙神のみこころにつながってる。その大愛に
つながってる我々というものを、自分の中で、
そうだそうだと本当に思おうとすれば、これは
やっぱり祈るしかない。
 何でもいいけれども、我々は世界平和の祈りに
つながった。だから、世界人類が平和であります
ようにと祈ってゆく時に、皆んなが
そこで光になる。
               (翌日へ続く)