olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

『子どもたちの階級闘争』

2020-10-13 | 読書メモ
 
去年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
が話題になった、ブレイディみかこの本です。

 

『ぼくは~』は子どもにも読みやすい本でしたが、
『階級闘争』はちょっと大人向け。
でも、
いたずらに理屈をこねることなどはなく、
あくまで実体験に基づく話を基本にしています。

「典型的な底辺層」の親のもとに生まれ、
社会の問題を凝縮させたような生育環境のせいで、
生後数年で強烈な問題児となった子ども達と
毎日格闘し続ける保育者としての
率直な意見が書かれていて、
深く考えさせられる良書です。


なんですが、
この本全体のレビューをまとめる
時間と気力が無いので、
(本書の中での重要度は度外視して)
私にとっての「目から鱗」を
二点だけメモしておきます。


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【モンテッソーリ教育について】

アニー(「底辺託児所」の所長)は
もともとモンテッソーリ校で教員として働いていた。
ローマのスラムに
カサ・デ・バンビーニ(子どもの家)を作った
モンテッソーリのように、
最も貧困率の高い地区の
失業者・低所得者支援団体の施設の中に
託児所をつくったのである。

このような地域の子ども達は、
早くから独立しなくてはなりません。
だから私たちの仕事は、
自分の脚で立ち、
自分の頭でものを考えることができる、
インディペンデントな子どもの知的・精神的土台を作ること
と言っていた彼女は、
ホームレスや依存症、DVなど
さまざまな問題を抱える親たちの子どもを
ただ「預かる」だけではなく、
あくまで「教育」を行った。
わたしが「底辺託児所」と呼んでいたアニーの託児所は、
実は大変にハイレベルな幼児教育施設だったのである。

労働党政権が幼児教育改革に乗り出したのは、
下層の幼児たちの発達が遅れすぎ、
上層では進みすぎていて、
就学年齢に達したときには大きな差がついている
という発達格差を是正するためだった。

だから底辺保育所で行われていた教育の方が
ハイレベルだったというのは、
当時の労働党の理念を象徴していた。

国家が早期教育に力を入れすぎるのは
危険だという見方もあるし、
干渉はデモクラシーに反するという声もある。

だが、干渉という名の押し上げが必要な
階級があることをわたしは現実的に知っている。
モンテッソーリにしても
その押し上げの必要性を知っていたからこそ、
底辺層の子ども達を
他の子ども達と同じ土俵に立たせるために
独自の教育法を創出したのである。

しかし、それが今では
恵まれた者達をさらに先に進ませるための
エリート養成法になってしまった。


モンテッソーリについて、
私は、ほんのちょろっと読んだ程度の
知識しかありません。

「子どもの学ぶ力を信じ、
それが発揮できる環境を整え、
子どもの自発的な活動の中で
諸々の能力を育てる」という
基本理念には賛同できるけれど、
教育実践の紹介になると、
相応しい発達段階に
適切なトレーニングを与えることによって
早く能力を目覚めさせ
知的水準を上げることを強調したり、
個々の能力を涵養することに特化した
道具が使われていたりするのに違和感を覚え、
そこでモンテッソーリ教育への興味が
閉じてしまったのです。

そうした能力は
遊びや生活の中で自然と身につくはずなのに、
わざわざそれに特化した道具で
早期に能力を開花させるなんて
不自然かつ不必要だと思ったからです。


・・・そう思ってから
20年も経った今になって、
この本のこの部分を読んで
ハッとしたわけです。


モンテッソーリ教育は、
そうした能力が「自然に身につく」環境にない
子ども達のためのものだったんだ!!

劣悪な生活環境において、
おちおち遊ぶことも出来ない子とも達。
生活が破綻した親のもとに生まれ、
まともな生活を享受することができない子ども達。
そんな悪環境(親元)から
「自力で早く」脱出できるように、
意図的に「早く」子どもの能力を目覚めさせる
サバイバル教育だったんだ!


目から鱗。


あくまで
「子どもにとって最良と考えられる環境を、
大人が考え抜いた上で、しっかり整えるべし」
を貫くシュタイナーと、
そうは言っても現社会の底辺では
養育者に期待できないケースが多いのだから、
生まれ落ちた悪環境から脱出するために
必要な手立てを現実的に考えて
可能な限り子どもを救いましょう、
というモンテッソーリ。

私は、たまたま、
「子どものための環境は、
大人次第でなんとでも整えられるよね?」
が通用するところにいたから、
シュタイナーに目が行ったのかもしれない。


モンテッソーリ、ちょっと読み直してみよう。




【里親制度について】

英国政府は現在(2009年)、
里親(フォスターファミリー)の限界を認識し、
ドイツ型の小規模&家庭的養護施設に注目しており、
実験的な新タイプの養護施設を
エセックス州を中心に設立し始めた。

里親の限界とは、

(1) いくら然るべきトレーニングを受け
地方自治体から認定されていても、
里親はチャイルドケアや児童心理学の素人。
家で自傷行為(自殺未遂を含む)や
問題行動(破壊行為、動物虐待、異常に早熟な性行為など)
を行うことの多い問題家庭出身の子どもへの対応が
適切にできていないことが多い。

(2) 養育の現場が、一般家庭同様に
閉ざされた(他人のいない)場所であるから、
預かった子どもに虐待を加えたり、
養育を放棄する里親がある。

(3) 優れた里親、懐の深い里親
(障がい児や精神の病を患った子どもを預かるという里親)
のところに、より難しい子どもを送ろうとし、
子どもをたらい回しにする現象が起きることがある。
それが子どもの発達障害や精神状態を
より悪化させるケースがある。

(4) 里親に報酬が支払われる
「仮想家庭」制度であるから、
手当が支払われなくなる年齢が近くなると、
出て行けという態度をとる里親が多く、
また、家族と同じ洗濯機を使わせないなどの
部外者扱いに傷つく子どもが多い。


「子どもは家庭の中で育つのがベスト」
というコンセプトで推進されてきた里親制度だが、
家庭の中で傷つけられてきた子ども達が、
「仮想家庭」の中でさらに傷つけられるよりは、
いっそ「普通の家庭」というフォーマットに拘泥せず
同じような境遇で育ってきた子ども達数人
+プロの養護スタッフという環境で
「仲間としてのオルタナティブな家庭」を作った方が
いいんじゃないかというのが、
ドイツ式小規模養護施設の根本的なアイデアである。


日本はどうなっているんだろう。
養護施設の手が足りず、問題が多いという話は
ニュースの中で知ることがあるけれど、
里親についてはほとんど知らないな…

もしかしたら、日本の現状って、
2周遅れくらいのところにいるんだろうか?

とにかく
自分が何も知らない、ということに
気付かされました。


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他にもいろいろ学びはあるけれど、
まとめられないー。

またいつか何かの機会に
点と点がつながるスイッチが押されるまで
沈めておきましょう。


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