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存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

僕らの時代 トニー・レオン×ジョン・ウー×金城武

2008-11-02 07:09:03 | TV番組
金城武「俳優になったきっかけは、芸能関係者に声をかけられた。お金がなかったし、バイクが欲しかったから
アイドル歌手をしているだけで売れたのですが、それ以外の仕事もするようになった。最初の映画の仕事は生首だけの3カットだけ。でもやっていくうちに俳優をちゃんとやりくなった。養成所で勉強をした訳ではなくやってきたから」
トニー・レオン「僕も養成所に行ってなかったし、この仕事はそういうわけのわからないうちにやっていたって人が多い。僕も良い俳優になろうなんて思ってなかったけれど、やっていくうちに面白いと思いだしたんです。」
ジョン・ウー「僕も最初は映画監督になりたいと思わなかった。カトリックで、牧師になろうとしていた。神学校で友だちがお前には才能がないから芸術をやれと言われ、違う道を考えるようになった。26歳が最初の映画監督の仕事だった。」

トニー「ジョン監督が世界に影響を与えている大きさは大きいと思いませんか?アメリカでアジア人の視点で仕事をすること」
金城「西洋ではどういう仕事があるのかわからないけれど、アジアではアジア人同士がやりとりして作っていく。西洋では大掛かりで、何か決められたものにのって作っているんじゃないですか?」
ジョン「中国の映画ならドラを鳴らすシーンが必ず出てくる。これはイメージの問題なんだ。
トニー「黒澤明の映画のリメイクや、アジア人監督の影響が彼らハリウッドに影響を与えていると思う」
ジョン「私が大切にしているのは家族だ。仕事をして家に戻って子供に教育したり、静かにじっくり考えたり。そういうことが出来るので、アメリカの生活にあこがれて、良いと思っている。」
トニー「今年結婚して、人の亭主になって変わってしまった。18年彼女と付き合っていたので、結婚しても変わらないと思っていたのに、責任感とか変わってしまったんです。これは役者にとってとても大きなことです。」

ジョン「レッドクリフはとても大掛かりで、今までの中で一番、カメラの数も爆薬の量も。100億円。」
金城「諸葛孔明は大変だった。どう演じていけば良いのか考えていた。トニーも毎朝4時5時に起きてメイクをして大変だなと思っていた。」
トニー「正直、大変だとは思ってなかった。ただ厚くてお金を返すからやめたいと思っていたけど、乗り越えて今はそう大変だと思ってないよ。」
ジョン「金城は参考書をよく読んでいた。あんな勉強する役者は凄いと思って見ていた。扇の動かし方はどうだとか」

金城武は5ヶ国語も話せる35歳


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