真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

「宇宙人」の時間・空間とは?

2015年01月14日 | 物理学

 前回で、時間について書きましたが、この「時間」とは、「質」と「量」を別の要因として考えなければならないものなのです。しかし、現代科学では「物質」として決められたものとして扱ってきました。そのため、一定の定数が生まれてしまったのです。それが「光速」であり、「プランク定数」というものを創り出してしまいました。結果として「光速」は「一定不変」であると見なしてしまい、この「光速」のために皮肉にも「時間」を拘束してしまったのです。

 我々の現代科学は、最初に「光速不変」は当然の帰結であるとして、物理学の法則を構築していったのです。そして、このことを柱として、マクロは宇宙論へ、ミクロは素粒子の探求へと突き進んで行かざる得ませんでした。

 このように、現代物理学での宇宙論では、最初に「ビッグバン」で「光速」の光が放たれて、宇宙はスタートし、そしてこのビッグバンは「特異点」の「量子的ゆらぎ」として突然に発生してしまったかのようにされてしまいました。
 この宇宙論に関しては、ここのブログでも「宇宙」という項目の中でおおく取り上げてきましたので、そちらの方を参照してください。

 これと同じことが、素粒子の世界でも行われていて、原子は原子核と電子により構成されており、この原子核は中性子と陽子から、そしてこの中性子と陽子、それと電子はともにクオークから構成されていることになっています。つまり、クオークを始原素粒子にすることで統一しようとしました。

 しかし、ここまでに述べてきた素粒子は、スピン1/2の素粒子であり、スピンが1や2の「光子や重力子」とは性質が「スピン」を中心として考えた場合、統一は不可能です。そこで、今度は大統一理論や究極理論として「スピン」も含めた、すべての素粒子を統一しようと、多くの一線級の物理学者がこの問題に取り組んでいます。

 この、究極理論には超ひも理論・超重力理論や最近ではブレーン理論などが有力候補に挙がっています。しかし、これらの理論には常に付きまとっているものが存在しています。それが、「特異点」といわれている「プランク定数」なのです。

 では、この宇宙論と素粒子論について、共通点を探してみることにします。するとどちらにも「スピン」という回転運動が含まれてくることに気づくはずです。

 「UFOと超科学」その3、にて「円輪波」について書いてありました。そこには、 この「円輪波」の持つエネルギーに相応した「一(いち)」の核を中心、「一」の単位として、無限の波動運動を持続しながら、一大中心に統御されているのは電子も星も同じです。この「円輪波」はちょうど浜辺に押し寄せる波の如く、陰陽・高低となり渦状となって、大宇宙の中に流れ込んでいるのであります。この状態を「波動帯」と申し上げたのですが、帯(おび)と表現したその意味をよく理解していただきたいのです。

 ここに書いてあるように、銀河系の中心(一)に太陽系が回転し、その太陽の中心(一)の周りに惑星が回転しているのです。この現象を外の世界から眺めてみると、銀河系を中心に太陽系が渦を巻いた帯のように回っているのが見えるはずです。同様に太陽系と各惑星についても同じことがいえます。
 マクロにあることはミクロに同様に神写しされるはずですから、この宇宙が「同一物質」で出来ていることを大前提として考えてしまうと、私たちが空間を3次元の世界であると認識している、この宇宙空間は、すべて「光速不変」の世界へと変わってしまうことでしょう。
 この考え方こそが、我々の認識している「空間」と言うことになってしまいます。しかし、本当にこれで良いのでしょうか。宇宙人は「空間」をどのように捉えていたのでしょうか。以下に示します。

 空なる十字交差の一点を基準として、「内」に現われたのがその星の「時間」です。「外」に現われたのがその星の「空間」です。大宇宙の中心は「時空一つ」に溶け合って輝きます。それまでの段階として、星々の時空は皆一つとして同じものはありません。縦横十字に交差した「ところ」が「空(くう)」、「空」なる「ところ」がその星の科学の出発点となります。

 それでは、《「内」に現われたのがその星の「時間」》とはどういうことなのでしょうか?

 ここで私たちは、「時間」という概念を熟慮する必要が出てきました。現在は時間の基準を原子(クオーツ時計など)の振動数から決定していますが、少し前までは太陽暦によって1年365日として歴を創り、それを基準として時間を決めていました。
 しかし、ここで取り上げている宇宙人の時間の概念とは掛け離れているように思われます。なぜなら、「時間」とは人間が「今」を認識し、そして次の「今」を次々と積み重ねることで出来上がってくるものです。そうすると、人それぞれが別の「今」という「時間」を積み重ねているのと同等なことに気づかされます。つまり、人はそれぞれの時間を自分で創っているために、その「1人の人」は自分を基準にとると、他の「すべての人」とは時間を異にしていることが解るはずです。
 
 この「時間」に対する考え方を、人類が獲得した暁には、現代の科学文明そのものの固定観念が崩れ去っていくことでしょう。
 最後に、今回は時期尚早のため「次元」についての考察は次回以降に回したいと思っています。

 ここまで、読んで下さって、本当に有り難うございました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿