真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

「微細構造定数」137とパウリ&ユング

2014年05月31日 | 物理学

 「137」とは、宇宙のあり方を支配する重要な数、「微細構造定数」をあらわす。このような自然を支配する「数」を決めているのは何か、物理学者は悩まされ続けてきた。ノーベル賞物理学者パウリは、ある重要な研究により、量子力学が「4」に支配されていることを、図らずも導いた。そして彼もまた「数」に悩まされることとなる。

 なぜ「4」なのか?

 謎にとらわれたパウリは、心理学者ユングと秘密裏に研究を行い、錬金術・数秘術・ユング心理学を使って、探究を試み、やがて137の謎にも挑むこととなる――。


 上の文章は、草思社からアーサー・I・ミラーにより出版された「137」(副題;物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯)の表紙裏に書いてある文章から拾ったものです。そして、プロローグでは、パウリとユングの二人が微細構造定数「137」と以下に関係したのかが述べられている。少し長くなるが以下に紹介します。


 宇宙の根源をなすような数が存在するのだろうか。他の数よりもはるかに重要な、特別な数というものがあるのだろうか。宇宙のすべてを左右し、あらゆるものを説明できる数が存在するのだろうか。科学上の重要な発見は数学によってもたらされる場合が大半である。アインシュタインの相対性理論、ブラックホール、並行宇宙、ひも理論、複雑系の理論などは、数あるなかのごく一部の例にすぎない。これらの理論は数式の形で表現されているが、物理的宇宙の具体的な側面を表わしてもいる。

 宇宙の根源をなす一つの数があり、SF作家のダグラス・アダムズが『銀河ヒッチハイクーガイド』のなかで書いているように、その数が「生命、宇宙、その他もろもろの答えになる」のだろうか。物理学者、心理学者、神秘主義者たちはこの問題に思索をめぐらせてきた。三位一体や縦・横・高さの三次元に表われているように、その数は三であるという人もいる。そうかと思えば、四を主張する人もいる。何と言っても世界には四季や東西南北の四方位があるし、人間にも四肢があるというのである。さらに、答えは非常に奇妙な137という数にあると確信している人たちもいる。

 137という数は、一方ではまさしく光(スペクトル)のDNAに相当する量を表わしているが、もう一方では、「カバラ」〔ユダヤ教の密教的部分のこと。広く知られるようになったのは12~13世紀とされている〕を表わすヘブライ語の綴りを構成するアルファベットの数値〔ヘブライ語のアルファベットはそれぞれ数値を持つ〕の和でもある。こうした数をめぐる問題は二〇世紀の優れた知性の持ち主の多くに影響を与えたが、そのなかには物理学者のヴォルフガング・パウリと心理学者のカール・ユングも含まれている。

 科学者だったパウリは神秘主義の世界に足を踏み入れた。心理学者のユングは、自分では解けずに悩んでいた疑問の一部に科学が答えを出してくれると信じていた。二人ともそれぞれの専門分野において、歴史から消えることのないきわめて重要な貢献を果たした。だが、二人が交わした議論のなかでは、彼らははるか先まで歩を進め、物理学と心理学の境界領域を探究していた。そうした議論をすることで、二人は互いに刺激しあうことになった。

 一九三一年のパウリは、科学者としての人生の絶頂期にあった。排他原理(現在では「パウリの排他原理」の名で呼ばれることもある)も発見していた。この原理の発見が、物質がいまある構造をとる理由や、一部の星が実際にすさまじい最期を迎える理由の解明へとつながるのである。

 一年前の一九三〇年には、彼はまだ発見されていない未知の粒子が存在するはずだという--当時にあっては突飛な--考えを提唱した。当時の科学者のだれもが当然のものと考えていた電子、陽子、光量子のほかに、もう一つ別の粒子が存在しなければならないと主張したのである。その粒子はのちにニュートリノと呼ばれることになった。パウリが存在を予測してから二六年後、ついにそのニュートリノが実験室で確認された。

 だが、友人や同僚の科学者たちが科学の世界の栄誉ある賞を勝ち取ろうと競いあっていても、パウリにはそういったところがなかった。どうも自身の立身出世には少しも関心がなかったらしい。科学の研究も心を十分に満たしてくれず、パウリがハンブルクの飲み屋街をうろつき、夜遊びにふけって女の尻を追いかけるようになるとともに、彼の人生も混沌の度をますます深めていった。

 彼には、どうすればいいかははっきりしていた。パウリは世界的に有名な心理学者カール・ユングを訪ねることにした。ユングがさほど遠くないチューリヒの郊外に住んでいることがわかったからだった。

 このときパウリは三一歳だった。パウリより二五歳年上のユングはすでに確固たる名声を築いており、たいへんな有名人だった。ユングはヨーロッパとアメリカの上流社会の女性からも男性からももてはやされ、大勢の人がさまざまな精神的悩みの解消を期待して彼のもとを訪れていた。

 ジークムント・フロイトとともに、ユングは新たな心の概念を作りあげた。彼らの考えでは、心は研究すれば理解でき、治療もできる対象だった。とはいえ、伝説になるほど有名なこの二人の精神分析家は、心の問題の研究法では、まったくと言っていいほど異なっていた。

 そもそもからユングは、フロイトの手法を超えて、無意識の奥底に隠された要素に光を投げかけたいと思っていた。フロイトも無意識を扱ったが、彼の場合は日常の出来事に原因がある無意識の領域にかぎられていた。ユングは心理学者という範疇に収まるような人物ではなかった。彼の関心は中国の思想から錬金術、はては未確認飛行物体(UFO)にまで及んだ。人々の思考法は世界の地域によって根本的に異なっていても、ユングはその根底に共通するパターンがあることを見て取り、そうしたパターンは心に起因すると確信した。彼はそのようなパターンを心の不可欠の構成要素と考え、元型と呼んだ。こうして彼は、いまではよく知られている集合的無意識と元型という概念を作りあげた。

 さらにユングは、共時性という考え方に思い至る。共時性は彼がきわめて重要視していた概念の一つである。西洋の思想と東洋の思想のあいだには強い結びつきがあるが、それと同じように、冷徹で合理的であると思われている科学の世界と、不合理なものとされている直観や心の世界のあいだにも、強いつながりがあるとユングは確信していた。

 ユングのこうした関心のすべてを集める領域があった。それが「数」である。ユングは錬金術や宗教に繰り返し顔を出す特定の数三と四に魅了され、また『易経』に体系的に述べられているように、数が人生の出来事を予測する力をもっていることにも魅力を感じた。もっとも、こうした考えが一つにまとまりはじめたのは、ユングがヴォルフガング・パウリと知り合ってからのことである。

 性格的にユングと似たところがあったパウリも数に魅了された。彼が数に夢中になったのは物理学の学生だった大学時代からで、そのころ彼の師だったアーノルド・ゾンマーフェルトはカバラの信奉者さながらに、整数のすばらしさをしょっちゅう賞賛していた。とりわけ彼が取り上げたのが「137」という数である。

 ゾンマーフェルトこそ、この一風変わった数を一九一五年に発見した人物だった。それは、彼が原子の示すきわめて厄介な性質、すなわちスペクトル線の「微細構造」を解き明かそうとしていたときのことである。微細構造とは、各元素の放出・吸収する光のスペクトル線が、さらにいくつかの波長の光の特徴的な組み合わせで構成されていることをいう。微細構造は、言ってみれば各波長の光の特徴を表わす指紋やDNAのようなものなのだ。その微細構造を決定しているのが137という数だったので、ゾンマーフェルトはこれを「微細構造定数」と呼んだ(実を言うと、微細構造定数の値は1/137に近い値なのだが、物理学者たちは便宜上、137といえば微細構造定数を指すとしていた)。この137という値がゾンマーフェルトの式から現われた直後から、彼をはじめとする物理学者たちは、この定数の重要性はスペクトル線の謎の解明にとどまるものではないと見ていた。物理学者たちはすぐに、この「指紋」にも相当する特別な数が、ある特定の基礎物理定数(基礎定数)の組み合わせによって表わされることに気づいた。基礎定数は宇宙のどこでも不変であると考えられていた量で、相対性理論と量子論を構成する重要な要素だった(当時基礎定数とされていたのは、電気素量、真空中の光速、プランク定数、電子の質量、陽子の質量、重力定数、一般相対性理論の宇宙定数の七つだった)。

 137という数がそれほど重要なものなら、相対性理論や量子論を記述する数学から導けるはずではないのだろうか。だが、物理学者たちが困惑したことに、だれも微細構造定数を理論から導くことができなかった。

 微細構造定数が絶妙としか言いようのない値になっていて、そのおかげで、地球上での生命の存在が可能になったことも明らかになった。したがって、物理学者たちが微細構造定数を「神秘数」と呼ぶようになったのも当然だった。

 ゾンマーフェルトが137という数を発見した一九一五年の時点では、すでに原子物理学のいたるところに整数が顔を出していた。二年前にはデンマークの物理学者ニールス・ボーアが、原子内の電子のエネルギー準位は整数いわゆる量子数を用いて表わせることを明らかにしていた。ボーアは、原子内の電子の軌道を指定するには三つの量子数があればいいと考えた。空間内の物体の位置を指定するのに三つの数、すなわち三次元の座標が必要なのと同じなのである。その10年後、二四歳だったパウリは、実際には量子数が四つ必要であることを明らかにした。だが問題があった。この第四の量子数の概念は視覚的イメージを利用して表わすことができなかったのである。

 この難題はパウリにとって、結局は数の問題、つまり「一筋縄ではいかない三から四への移行」に帰着するものだった。さらに、137という値をとる微細構造定数が、この移行に関係していることも明らかになった。

 それでは、137という数はどこからもたらされたものなのだろう。パウリは、微細構造定数はきわめて根源的なものであり、したがって素粒子を扱う理論から導出できなければならないと確信していた。彼は寝ても覚めても、この問題を探ることで頭がいっぱいだった。そしてついに精神的に持ちこたえられなくなり、ユングに助けを求めた。

 心理学に対するユングの考え方は、パウリに第四の量子数のさらに深遠な意味と、第四の量子数と137との結びつきを理解するための手立てを与えた。それは科学の境界を越えて、神秘主義、錬金術、元型の領域に足を踏み入れるものだった。ユングのほうは、パウリが自身の心理学を強固な基礎の上に据える手助けをしてくれる優秀な科学者であるだけでなく、貴重な太古的な記憶がぎっしり詰まった宝庫であることを見出した。


最後にウィキペディアの「微細構造定数」より


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