真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

「第三次世界大戦」と「スーパー・ムーン」

2015年09月30日 | 日記

9月28日(月)はスーパー・ムーンの日でした。北九州市でこの満月を見ていましたが、月明かりが最小時の満月の時よりも33%も明るいという、本当に大きく美しい清らかな月の光を拝むことが出来ました。


このスーパームーンの日に、ニューヨークの国連本部での国連総会(第70回会議)で、ロシアのプーチン大統領の演説がありました。この演説から感じられたことは28日のスーパー・ムーンの清々しさが反映されたと思われるような、今後の世界にとって何か良いことの兆しであるかのように感じました。

実は今の国際情勢は、イスラエルとシリアに端を発する第三次世界大戦に繋がるかも知れない分岐点にあったと思われます。しかし結局のところこのプーチンの演説で、25日に行われたのローマ法王の国連演説も空振りに終わったようで、第三次世界大戦への発展という事態は収束の方向に向かうようです。この清々しいスーパー・ムーンの様に今の人類は大変な危機を乗り越えたのではないかと思います。

そして、それは第三次世界大戦の危機を回避したというメッセージだったかもしれません。


ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の演説について、「マスコミに載らない海外記事」のブログを掲載します。

プーチン国連

2015年9月28日、ニューヨークの国連本部での国連総会、第70回会議で、出席者に演説するロシアのウラジーミル・プーチン大統領。Mike Segar / ロイター

国連総会での演説で、いわゆる‘民主的’革命の輸出は続いているが、民主主義の勝利でなく、貧困と暴力を解き放った、とロシアのウラジーミル・プーチン大統領は述べた。

イデオロギー上の好みに基づく変化を、他国に押しつけようとする企みは“悲劇的な結果と、進歩ではなく、劣化をもたらしました”月曜日、ニューヨークの国連70周年総会に集まった世界の指導者達や為政者への演説で、プーチンは語った。

“我々全員、過去に学んだことを記憶しているべきなのです”とプーチンは述べた。“我々は、例えば、ソ連の歴史の教訓を覚えています。”

Iところが、一部の人々は人の失敗から学ぶことなく、失敗を繰り返しているように思えます、と彼は述べ“いわゆる‘民主的’革命の輸出が続いています。”と言い添えた。

“この状況を生み出した人々に私は質問せずにはいられません。自分がしでかしたことを理解しているのでしょうか?”と彼は質問した。“しかし、この質問は未決のままになってしまうのではと私は恐れます。うぬぼれと、自分は例外で、全く責任を問われないのだという信念に基づく政策は、決して放棄されることはないのですから。”

彼は、人々が変化を望んでいた中東と北アフリカにおける革命の例を挙げた。ところが、改革や、民主主義や進歩の勝利ではなく、“我々が得たのは、暴力、貧困や、生きる権利を含む人権の社会的災害で、これは全く重視されていません。”

“改革をもたらすのではなく、攻撃的な外国の介入は、国家機関や、生き方そのものの恥知らずの破壊をもたらしました”と彼は述べた。

冷戦時代が終わった後、世界に、単一の支配センターが出現したとプーチンは述べた。“このピラミッドの頂上にたつ”人々は“もし自分たちがこれほど強力で例外的なら、自分たちは、他の連中より、物事をうまくやれる"と考えがちなのです。

“だから、彼らは自動的に承認したり、必要な決定を合法化したりする代わりに、障害を作り出すことが多い、言い換えれば‘邪魔になる’国連を考慮に入れる必要がないのです。”

国連の権限と正当性を損なう企みは“極めて危険で”、国際関係全体の崩壊を招きかねないとロシアは考えていると、ロシア大統領は述べた。議場に集まった世界の指導者や政策立案者たちに語りながら、国連の更なる発展のための団結を彼は強く促した。


‘テロリストをもてあそぶのを止め、対ISISで、国連のもとに団結しよう’

中東や北アフリカ地域における力の空白は、無法地帯の出現をもたらし、そこに即座に過激派やテロリストが入り込むことになったと、プーチンは述べた。

イラクとシリアに足場を固めた「イスラム国」戦士(IS、旧ISIS/ISIL)は、今やイスラム世界全体を支配すようとしている、と彼は述べた。

“[「イスラム国」]の兵士には、2003年のイラク侵略後、軍解体で放り出された旧イラク軍人がいます。多くの新兵は、国連安全保障理事会決議1973の重大な違反の結果として、国家としての状態が破壊された国、リビアからも来ています。”

一部の欧米諸国によって支援されているシリアの‘穏健派’反政府勢力から寝返った過激派もいると、彼は強調した。

“最初に、彼らは武器を与えられ、訓練されると、彼らは、いわゆる「イスラム国」に寝返ります。おまけに、「イスラム国」は、突然どこからともなく現れたわけではありません。当初、好ましからぬ非宗教政権に対する手先として作り上げられたのです”と彼は説明した。

全世界に対し、彼らの脅威を宣言しながら、テロリストが資金援助を得ているチャンネルを見て見ぬふりをするのは“偽善的で無責任”たと彼は表現した。

“テロリストをもてあそんだり、まして連中に武器を与えたりする取り組みは、近視眼的であるのみならず、‘火事を引き起こす危険’だと我々は考えます。これは世界的テロの脅威を劇的に増大し、世界の新たな地域を巻き込む結果になりかねません”と彼は述べた。

ISはヨーロッパやロシアも例外でない多くの国々からの過激派を訓練していると彼は述べた。プーチンは現地のテロリストと戦っているシリア政府軍との協力を強く促した。

“テロと真っ正面から果敢に戦っているシリア政府と、その軍隊との協力を拒否するのは途方もない過ちだと我々は考えます”と彼は述べた。

“「イスラム国」やシリア国内の他のテロ組織と本当に戦っているのは、アサド大統領の軍隊とクルド民兵なのだということを最終的に認めるべきなのです”と彼は述べた。

地域でのテロとの戦いを進めているイラク、シリアや他の国々に、ロシアは軍事的、技術的支援を行っていると彼は述べた。

プーチンは、共同の取り組みと広範な国際対テロ連合の創設を提案した。国連安全保障理事会で、国連憲章の原則に基づき、ISや他のテロ組織に立ち向かう部隊を調整することを目指す決議に関する議論をするよう、彼は提案した。


‘難民危機に対する最終的な解決策は、中東の回復だ’

もし危機に見舞われた国々の政治的、経済的安定化のための包括的戦略が開発されれば、難民危機問題に取り組む希望が生まれるだろうと、プーチンは述べた。

“自国を離れることを強いられた人々の流れが、文字通り、近隣諸国、そしてヨーロッパに殺到しています” これを“新たな痛ましい人々の移動”と呼んで、彼は述べた。

難民危機に対する根本的解決策は、破壊された国家の状態を回復させ、弱体な政府機関を強化し、民流出国に対し、包括的支援難を行うことに根差していることを彼は強調した。


‘ウクライナの領土的一体性は、武力によって保障することはできない’

冷戦思考や、新たな地政学的地域を探し求めようという願望が、国際社会の一部に、いまだ存在しています、とプーチンは述べた。

“最初、彼らは、NATO拡大政策を継続しました”と彼は述べた。ソ連崩壊後、“彼らは、ソ連後の諸国に偽りの選択肢を提示しました- 欧米と組むか、東と組むか。遅かれ早かれ、対決の論理が、深刻な地政学的危機に火をつける運命にあったのです。これこそ、まさに、当時の政府に対する国民の不満が利用され、軍事クーデターが外部から画策され、それが結果的に内戦を引き起こした、ウクライナでおきたことなのです。”

2月にノルマンディー・フォーが仲介したミンスク合意の完全実施をプーチンは再度呼びかけた。合意は“文明国としての”ウクライナの発展を保障するだろうと彼は述べた。

“ウクライナの領土的一体性は威嚇や武力では確保できません。本当に必要なのは、ドンバス地域の人々の利益と権利に対する本当の思いやり、[と]彼らの選択の尊重です。”

記事原文のurl:http://www.rt.com/news/316804-putin-russia-unga-speech/

「民主主義制度」について考える?

2015年09月20日 | 日記

今まで、ここのブログでは政治に関してのことは一切書き込んできてはいませんでした。しかし、何故か、今回(これまでは国会中継自体もほとんど観ていなかった)は17日から19日午前二時半頃までの国会中継に関しては、NHKの放送、ヤフー・ニュースの動画に見入ってしまいました。

 この国会はそれほどまでに異常な国会であったと思っています。この私の思いを代弁してくれる様な記事を紹介させて戴きます。


世相を斬る あいば達也 (http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya)

“919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/d00ae75b9fb4e04053d3f746fe54d4c0
“偽装合法クーデター” いつでも起きる議院内閣制の罠
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/238b7ece4cd249909c88740999e49154

● “919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!

安全保障関連法が平成27年9月19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決成立した。これで、積極的平和主義どころか「積極的軍国主義」の道を歩む第一歩となった。舌なめずりしているのは、「テロの標的」「無防備な兵站作戦」に無給無休で米軍に命捧げる日本の軍隊の参加が決まったと歓ぶペンタゴン及び米財務省だろう。下手をすれば、一年以内に自衛隊員の死傷報道と云う悲劇を、我々は目にするかもしれない。

おめでとう、安倍晋三くん!君は、見事なまでに武士の矜持を蔑ろにする“不意打ち”“だまし討ち”で、日本のすべてをアメリカに売り渡すことを完遂した。永遠に、「悪の宰相」の典型的事例として、日本史、いや、世界史に名を残した。「悪の宰相」だけならいざ知らず、「売国宰相」「愚鈍宰相」「ズル宰相」の名まで、欲しい儘にすることになるだろう。立憲主義の本家本元の経典を、支部長らが合議の上、経典を改竄したのだから、これはクーデターだ。 

その好まざる評価は、永遠に磨き込まれ、珠玉なものになって行く。研磨と磨きはここからが本番だ。現在、国会前で頑張っている人々の功績が明確になるのは、これからである。今まさに、日本人により、あらためて日本と云う国の民主主義のあり方が議論され、日本人のための民主主義って何だろう、が人々の中で、初めて語られ、考えられるのではないだろうか。このような奇禍は、起きないに越したことはないが、現実に起きてしまっている。多くのメディアや論者が“ねじれ解消、決められる政治”と声高に論を張った結果が、この惨状を導き出したわけだ。 

しかし、起きている奇禍をご破算にすることは出来ない。しかし、奇禍を奇貨に変えることが出来るのが、人間に与えられている良識であり、知恵である。それに「徳」を加えて、日本の民主主義、統治の形、世界との関わりなど、議論して、熟議の結果得た方向性が見いだせるのであれば、それは、奇禍が奇貨になる。ひとつだけ、筆者が主張するのは、アメリカのデモクラシーは完璧な偽物と云うことだ。偽物でも、自国にのみ影響するニセモノならいざ知らず、その御しがたい「傲慢デモクラシー・ウィルス」を地球上に撒き散らし、ペストの猛威同様に、人類を滅ぼそうと云うのだから、罪深い。 

このようなことは、悔し紛れに語っていると思っては、大間違いなのだ。政治に無関心な層が動いたわけだから、今までとは異なった選挙の構図が、現れると考えるべきである。一票の格差是正から生まれた選挙区の「10増10減」を含め、投票率の大規模アップも影響を及ぼし、安倍自民党ファシズム党と下駄の雪公明党、コバンザメの大阪維新。この3極勢力を、日本の政治シーンから放逐する、またとないチャンスである。たしかに、今までの日本人は平和すぎた。しかし、一瞬の隙を狙われれば、民主主義と云うものは、極めて脆い制度なのである。決められる政治を託したつもりが、言っていないことばかり実行し、国民に好影響を与える施策は、すべて虚偽表示であった。 

最近の民主主義は、ソ連邦の社会主義と変わりない強権性を発揮している。国政選挙における、八百長開票なども噂されるのも、欺瞞だらけの美しい言葉に彩られている事なのだろう。安倍の言葉などは、典型的な“巧言令色鮮し仁”なんてものではなく、初っ端から最後の最後まで“法螺、虚偽、空言、虚妄‥等”なのである。しかし、現実の先進諸国における、資本主義の限界は金融産業の“お為ごかし”が閾値を超え、オーバーフロー寸前と云う事実がある。つまり、東西冷戦という、イデオロギー対立があった方が、実は安定していた。こういう皮肉を見るわけである。 

ライバル勢力が存在するから、一定の矜持や良心や、按配の精神があるわけだが、一強となった時が、凋落の凶事に向かうのは、世の定めかもしれない。

『 祇園舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、是等は皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかゞふに、承平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平の朝臣盛公と申し人のありさま、傳承るこそ心も詞も及ばれね。 』 

日刊ゲンダイが来年夏の参議院選で、自民党議員落選続出の予測記事を報じているが、こんなものでは済まないだろう。そして、次期衆議院選挙にまで、大きく影響が及ぶのは必須だ。この予想以上の自民党大惨敗を実現し、真の日本人による、民主主義の在り方、西部劇のようなアメリカン・デモクラシーを如何に反面教師にして、日本独自の民主主義と憲法を守るか、これからの息長い活動や発言が、決め手になると云う決意をあらためてしておきたい。

政治・国会20150919

● “偽装合法クーデター” いつでも起きる議院内閣制の罠 

昨日のコラムで「“919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!」と云う見出しを書いたのだが、よくよく考えると、民主主義や議院内閣制。それと小選挙区制、政党助成金と云うターボ・チャージャーが付加された国の政治は、実は簡単に「全権委任政治」に変身する事実を、我々は知ってしまった。なにゆえ、これほど易々と準合法的な「クーデター」が可能なのか、愕然とする面もある。筆者は、イデオロギー的には「民主天皇制」と云う理想を持っているのだが、この思想は、次期尚早なのだろうと云うことで、あまり前面には語っていない。ただ、筆者が、「民主天皇制」と云う政治制度を考えるに至った、欧米デモクラシーの大欠点が現実的に現れたわけで、そろそろ、本気で語る時期は近づいているような気にもなっている。

まあ、筆者のイデオロギーは追々語るとして、民主主義とか、資本主義と云うものは、人間の「善的な資質」に多くを委ねている面がある。日本語で表現すれば、「徳」と云うことになる。もう少し、具体的に言えば、民主主義に関わることが出来る歴史的経過や訓練である。言い換えれば、民主主義や資本主義と云うシステムを、従来の意味合いで作動させようと云う人間の共通の意識が必要だと云うことだ。このような意識の共有があってこそ、民主主義も、資本主義も、本来の目的に沿う結果を生みだせる。 

しかし、物々交換から、貨幣と云う利便なものが生まれ、産業革命(明治維新の産業革命じゃないよW)以降、製造業を中心とする“ヒト、モノ、カネ”の流通がなされた処までで、おそらくオシマイ(制度の臨終又は危篤状態)があったのだろう。しかし、次の新たなシステムを、人類は見つけることが出来ずに、金融資本主義と云う「魔物」へ、ステップアップさせてしまった。この金融資本主義はまさに“打ち出の小槌”のように、マネーがマネーを産み、また産むと云う、麻薬のような資本主義に至った。このことは、1%による、99%の人間の豊かさの剥奪に繋がっているわけだ。マネーと云う“観念的価値”は、生身ではないので、どうなろうと、痛いとも痒いとも言わない。 

このマネーに人間が支配される世界が到来することで、企業の実存説も擬制説もヘッタくれもなくなった。企業を誰が支配しているかも、瞬間的には特定可能だが、その誰かは変りうるわけで、住所不定のマネーと云う怪物に、循環的に支配されてしまう。それが、現在そのものだ。最近、英労働党やギリシャで起きている極左なイデオロギーの抬頭、逆にフランスやドイツで起きている極右の抬頭。ピケティの『21世紀の資本主義』など、さまざまな現象として現れている。民主主義も、この資本主義同様の問題点を抱えていたことが、今回の安倍政権のあっという間のクーデターとして、起きてしまったのだ。

今回の「“919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!」のような出来事が、軍隊を動員することもなく、詐欺的だが合法の範囲で起きてしまったのか。その部分を、我々は真面目に考えなければならないのだろう。特に、今後も民主主義と資本主義をセットにして、日本と云う国を考えるのであれば、なぜ?こんな「おかしいだろう、 これ。」の一言しか言えなくなるわけだ。言い得て妙な表現だ。ただ、ここで感想だけ言っているわけにもいかない。“どうしてだ”を考える必要がある。 

現時点で、言えることは、国民が選挙の時だけ「政治」を考えていては駄目だと云うことだ。選挙で議員を選ぶ以上に、選んだあとで、フォローをしなければならない。良い意味では、応援し続ける、悪い意味では監視し続ける。民主主義制度が成り立つためには、どうもこれがないと、日本では「政党」の独裁が、簡単に行える仕組みになっていた。つまり、戦後70年以上、どの政党でも、政権を握った場合、今回のアベシンゾウが行ったクーデターは出来たという事実に“慄然”となる。ただ、幸いにも、そう云う恥じらいを感じる行為に走り出す政党も首相も、たまたまいなかっただけで、過去の政権で“クーデターは出来た”と云うことになる。 

少々、話は堂々巡りしているが、書き連ねる時間しかないので、賢明な読者の皆様の英知に頼りながら、続けていこう(笑)。つまり、幸運にも、過去の政権は、「いくらなんでも」と云う矜持や徳や経験があったのだろう。たまたま今回は「矜持や徳や経験」のない人間が首相となり、政権を握ったからに過ぎないとも言えるが、こういう人間が連続して出てくる事もあり得るし、もっと凄いのが出てくることもある。だからと言って、憲法69条内閣不信任が、日本国のリコール制度となると、小選挙区制度や政党助成金制度との整合性は、まったく取れていない事を意味している。 

ここまで、考えて疲れ果ててしまったの、「だから」と云う問題は、次回に回すが、国民が政権ウォッチを横着していると、権力は何をするか判らないと云う事が、身に染みて理解できたわけだ。戦争に対する拒否反応も、戦後70年以上が過ぎてしまえば、多くの人々は「戦争を知らない人々」に占められる。80歳以上の方々が後20年生きて、何かを語ってくれると期待しては酷だろう。経験が一番の教師ではあるが、他の動物を差別するだけの大脳を与えられた人間なのだから、過去を学び、現在を知り、未来を想像する為に、大脳を有意義に使いたいものだ。うっかりすると、我々の民主主義は、永遠に「独裁政権を生む運命」にあること、嫌になるほど、肝に銘じなければならないようだ。 

こうやって考えると、平和ってものを、知らずに手に入れていた戦後70有余年、幸運だったに過ぎないのだ。これから、不幸の連鎖が継続しないように、心新たに、日本の民主主義の危険性を、忘れずにしたいものだが、日々の生活と云う難題に立ち向かいながら、訳のわからん政治にまで気を配らなければならないのであれば、動物農場でも良いやって人もかなりいるだろう。こういう人たちは、俺は運がいいから、政治で酷い目には遭わないと、思考停止になっているのだと思う。