真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

「E8理論」は統一理論になり得るか? 

2013年02月28日 | 素粒子

 統一理論は、新しい物理的効果を予言するだけでなく、私たちの宇宙に対する審美的に満足のいく描像を提供してくれる。
そして、多くの物理学者は、すべての物理現象は深遠なレベルで美しい数学的構造ときれいに一致すると直観している。
重力以外の力、すなわち電磁気力と弱い力、強い力に関して現在最良の理論は、1970年代におおかた完成された「素粒子の標準モデル」と呼ばれる理論だ。
この理論は、数学的にはそれら3つの力と素粒子の力学をリー群やファイバー束と呼ばれる幾何学で記述する。

 今日の物理学者は、さらに困難な重力をも含めた大統一理論に向けて、次なるステップへと進まなくてはならない。
この、究極の統一理論においては、重力や物質も他の力と自然に統合されるべきであり、すべてが1つの数学的構造のパーツになっていなければならない。
そして、それこそが究極の「万物理論」といえよう。
1980年代以降、素粒子理論研究の主流となっている、ひも理論は多次元時空中で振動するひもや膜という基本要素を使って重力と標準モデルを記述しようと試みている。
ひも理論やM理論だけに限ったことではない。
たとえば、ループ量子重力理論は、標準モデルに近く、より小さな枠組みを用いて力の統一に挑んでいる。
そして、このような理論に立脚し、2007年にはフリーの科学者であったA.G.リージが、新たな統一理論を提唱した。
基本的なアイデアは、大統一理論を拡張し、重力を幾何学的枠組みの一部として矛盾なく取り入れることだった。
「E8理論」と呼ばれるその統一理論では、すべての力と物質を、ある1つの幾何学的対象の“巻きつき”として記述する。
E8理論は、電磁気力と弱い力と強い力を記述する「素粒子の標準モデル」とともに、重力までをも単一の大きな幾何学的構造の中に矛盾なく含めようとする新しい試みである。
ヒッグス粒子も、同じ土台でその幾何学の中に含まれている。

 新しいアイデアは決まって厳しい批判にさらされるもので、E8理論も例外ではない。
この理論に対して、論文を発表した時点では、E8理論はまだ不完全であったため、多くの物理学者は懐疑的であった。
しかし、この理論は、その発展の初期段階にある現時点ですら、自然界の深淵に潜む美しい構造を明らかにし、LHCで発見することができるかもしれない新しい粒子を予言している。
数世紀にわたる物理学の統一への探究はまだ成し遂げられてはいないが、E8理論はその旅路における重要な一歩と言える。
そして、LHCでの実験結果が、E8理論の運命を大きく左右するだろう。

 E8理論を説明するには、まず既知の力と粒子のすべてを支配し、広く受け入れられている幾何学の原理を整理しておく必要がある。
幾何学は“形”の学問だが、基礎物理学における幾何学は何の形を扱うのだろうか?
プラトンは、土や空気などの基本要素は小さな正六面体(立方体)や正八面体など正多面体と関連があると考えた。
同様に、現代物理学では、素粒子に関係する幾何学的対象は、完全で、滑らかな形をしており、私たちの空間の外に存在するにもかかわらず私たちの空間と結びついている。
私たちはその形を直接見ることはできないが、それがもたらす効果を観測できる。

 標準モデルの背後に存在する幾何学的概念は、私たちの時空間中のあらゆる点に「ファイバー」と呼ばれる“形”が貼りつけられており、その各々の形が異なる種類の粒子に対応するというものだ。
時空とファイバーを合わせた全体の幾何学的構造は、「ファイバ一束」と呼ばれる。
ファイバーは私たちの空間に存在するのではなく、その外側にある。
ファイバーは時空間中の各点に貼りつけられた、各点ごとに異なる内部空間であり、その形が素粒子の性質を決める。
揺れ動くことができると考えられているひも理論の空間次元とは異なり、これらの内部空間のファイバーは定まった形をしている。
その力学は、それがどのように4次元時空に貼りつけられているかで決まる。

 自然界に対する幾何学的な見方は、私たちの世界がどのように振る舞うかを知ることで自然に導かれる。
最も簡単で身近な例は電磁気の力だ。
放電現象や磁石に働く力、レーザー光は、空間中に広がる電磁場がそれぞれ異なる様相を示したものである。
実際、物理学者はこの世のすべてのもの、つまり自然界のすべての力とあらゆる物質粒子は、異なる種類の「場」に起因すると考えている。
これらの場の振る舞いが、背後に存在する幾何学的構造をほのめかしている。


レーザー光を幾伺学的に解釈すると……
レーザー光(a)は振動する電場と磁場(b)からなるが、これは1つの電磁気的な「接続場」(C)が表に現れたものだ。
接続場は、電磁気の円形の「ファイバー」がどのようにレーザー光に巻きついているのかを記述する。
つまり、円形のフアイバーが時空間中のあらゆる点に貼りつけられており、光の粒子(光子)はこれらの円のうねりに対応している(d)。
電子などの荷電粒子は、円形のファイバーに巻きつく別のファイバーに対応する(e)。


「すべて逆になった光子」とは?

2013年02月25日 | 素粒子

 日本のグループの実験では、干渉計の中の粒子がある場所に存在する確率がマイナス1になりました。
「確率マイナス1の光子」が果たして実在なのか、という疑問が生じる。
しかし、この場合「マイナスの確率」というのは、何かが負の数だけある、というのと同じで、意味をなさない。

 光子の数がマイナスなのではなく、物理的な特性が「すべて逆になった光子」が正の数だけ存在するとみるべきだ。
普通の光子は振動数に比例する正のエネルギーを持つが、この光子は同じ大きさの負のエネルギーを持つ。
偏光の方向も、通常の光子とは逆になる。

 普通、粒子の数の測定は、強い測定だが、弱い測定では、粒子の数を数えるのではなく、代わりに粒子の何らかの物理的性質を測定することになる。
測定値が負の値になったら、それはその性質が通常と逆であることを意味しており、粒子の数が負になるわけではない。
例えば粒子の質量について弱い測定を行い、負の値が出たら、その粒子は負の質量を持つということだ。
相対性理論においては質量はエネルギーと等価なので、粒子は負のエネルギーを持つことと同等だ。

 物理的性質が逆の粒子というのは、反粒子とはまったく異なる。
反粒子は、電荷やスピンなどが逆になっているが、質量は粒子と同じ正の値で、従って正のエネルギーを持つ。
しかし、「すべて逆になった光子」は、質量やエネルギーを含め、すべての物理的性質が逆になっている粒子であり、まったく新しい概念だ。

 実験では、最初に干渉計に入れるのは普通の光子ですが、それが干渉計の中では、物理的な性質が逆になった不思議な光子になり、実験装置から出てきた時には、また普通の光子に戻るということになる。
そして、最初に光子を入れる時に強い測定をして、同じ方向から来る光子だけを選んでいる。
干渉計の中で弱い測定を行い、最後に出てきた光子に再び強い測定を行って、特定の方向に出てきたものだけを選択する。
干渉計の中で、負の数だけ存在しているかのような光子は、その物理的性質が普通とは逆になっている。
この光子は実在するが、弱い測定でしか見ることはできない。

 弱い測定の理論が、量子力学を理解する上で重要なことは、この考え方が量子力学だけでなく、「時間」というものについて新しい見方を開くだろうということだ。
これまで私たちは、時間は常に過去から現在へ、現在から未来へと一方向に流れるものと考えてきた。
だが、量子力学によれば、自然には時間が逆方向に流れるような現象もある。

 時間についての新たな見方は、量子力学を宇宙に適用する試みにおいて、新たな手がかりを与えてくれる。
私たちのこの宇宙は、それ自体、1つの大きな量子系だ。
過去に始状態が、未来に終状態があり、今はその中間にある。
現在の宇宙のありようは、過去と未来に存在する2つの境界条件によって決められている。

 これまで私たちは、宇宙の始状態から現在に至る過程のみに注目してきた。
しかし、終状態も時間を遡って現在に影響を与えている。
宇宙の現在の状態は、過去から現在までを語るヒストリー・ベクトルと、宇宙が未来に向かってどう変わっていくかを語るデスティニー(運命)・ベクトルの両方によって記述される。

 この考えは物理学にとどまらず、進化論などあらゆる分野に波及し、その理解に大きな変化をもたらすだろう。
時間こそ、自然と、物理と、生命を理解する上で最大のミステリーである。
私たちは時間というものについて、新たな見方を求めるべき時期に来ているのではないか。

 宇宙全体に量子力学を当てはめる考えとしては、宇宙全体が量子的な重ね合わせになっており、無数の状態が並行して実在すると考える「多世界解釈」があるが、この考え方とは異なっている。
多世界解釈では、量子力学的な重ね合わせになった宇宙がすべて実在し、それを見る私たちも、宇宙の数だけ重ね合わせになっていると考える。
未来に向かうにつれて、宇宙の数はどんどん増える。
実現可能性がある宇宙は膨大にあるという点には賛成だが、そのすべてが実現しているとは思わない。
無数の重ね合わせ宇宙の中のたった1つが、宇宙の終状態への道筋を記述するデスティニー・ベクトルによって選ばれ、実現しているものと思う。
宇宙の終状態は1つだけで、そこに至る現在の宇宙も1つだけであり、ほかの宇宙は存在しない。

 しかし、伝統的な量子力学の考え方では、量子的な重ね合わせは外から観測することによって壊れ、ただ1つの状態に収束するとされている。
ただし、この考え方を宇宙に当てはめると、宇宙を外から観測できる神のような存在が必要になり、物理学とは相容れないとの意見もある。
しかし、だからといって宇宙の終状態を選ぶ神が必要になるのではなく、宇宙の始状態と終状態を決めるのは、宇宙にもともと備わっている特質であり、当然、神が選択する必要はない。

 伝統的な量子力学では、量子的な重ね合わせ状態を観測すると、どれか1つの状態がランダムに実現し、あとは消えると考える。
一方、多世界解釈では、観測すると状態が1つになるのではなく、観測者の方が重ね合わせになり、あらゆる状態が等しく実現しているとみる。
宇宙の数はどんどん増え、それぞれが異なった終状態に行き着く。

 アハラノフは、実現する状態は観測によってランダムに選ばれるのではなく、未来の状態によって決定されると考えている。
まだ見ぬ宇宙の終状態がただ1つ存在し、そこに行き着く宇宙だけが時間を遡って選択され、実現するとの見方だ。
現在の宇宙が2つのベクトルで記述されるという考えは、始状態と終状態の選択による弱い測定のアイデアは受け入れられつつあるが、宇宙全体に一般化できるかどうかは、また別の話である。


「宇宙の未来」が「現在の宇宙の姿」?

2013年02月25日 | 素粒子

 弱い測定値の理論は、時間を測定可能な物理量にできる可能性を秘めており、量子力学の新たな解釈を開く可能性もある。
量子論は一般に、初期状態が決まった時、その後のある時点での状態を予言する理論だと考えられている。

 しかし、アハラノフは初期状態と終状態が決まった時に、間のある時刻で弱い測定をすると、何が見えるかを示す理論だと考えているようだ。
この考えを宇宙全体に当てはめると、重ね合わせになった無数の宇宙の中で、ある決まった終状態に行き着くものだけが実現し、それが現在の宇宙だということになる。
私たちが日々見ているこの宇宙は、弱い測定によって覗き見ている宇宙の「弱い測定値」なのかもしれない。
そう考えると、弱い測定というのは決して特殊な測定なのではなく、日々、私たちが実行している営みなのかもしれないのだ。

 つまり、逆流する時間が存在することで、「宇宙の未来」が「現在の宇宙の姿」を決めていて、それを決めているのは、「宇宙の最終状態」である。
そして、それこそが「宇宙の進化」である。


 現在の状態は未来に到達する状態から時間を遡って選ばれ、現在の宇宙の姿は、まだ見ぬ宇宙の最終状態によって決められているのだろうか?

 量子力学によると、自然は気まぐれに振る舞うとされる。
まったく同一の物理系を同じように観測しても、結果はランダムに変化する。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ってこのことに疑問を呈したが、実際に観測すると、確かに自然は気まぐれに振る舞うように見える。

 では、なぜ神はサイコロを振るのだろうか。
まったく同じもので構成された物理系が、異なる状態に行き着くのはどうしてか。
その理由を探し、異なる状態に発展する物理系には初めから違いが存在しているが、その違いは後からその物理系を観測することによってしか見いだせない。
自然のこうした特性を式で示すには、量子的な状態を表す波動関数が2つ必要になる。
1つは過去から現在までを示す波動関数、そしてもう1つは未来から現在までを遡って記述する波動関数である。
量子的な状態を、この2つの波動関数を使って書く必要がある。

 ある物理系の現在の状態は、その系がたどってきた過去だけでなく、これから進む未来によって決定されている。
そのことを具体的に示すような実験がないだろうかとの思いで、考え出されたのが「弱い測定」である。
物理系をごく弱く測定することで、その量子的な重ね合わせ状態を乱さずに測定するものだ。

 普通は、量子的な重ね合わせは不確定性原理により、測定すると壊れてしまうと考えられているため、物理系を観測してその状態を知るには、その重ね合わせを壊すという代価を払わなくてはいけない。
そして、測定で見えるのは壊れた後の状態で、壊れる前の重ね合わせ状態を見ることは不可能だと考えられてきた。
しかし、それは必ずしも正しくない。
観測した時に壊れる程度は、得られる情報の大きさによって決まるからだ。
数学的に言えば、観測による壊れの程度は、観測によって得られる情報量の2乗に比例する。
情報量を小さくしていくと、壊れ度は急速にゼロに近づく。
得られる情報量を極限まで減らせば、重ね合わせを壊さずに観測することが可能になる。
1回の測定で得られる情報は非常に少ないが、測定を何度も繰り返すことによって、量子状態を見ることが可能になる。
しかし、測定を何度も繰り返すには、同じ観測が何度もできることが前提になり、量子状態はまったく同じ条件で観測しても、結果がそのたびに異なる。
だから、測定対象が実験の最初から最後までまったく同じになった場合だけを選んで測定する。

 まず最初に、実験を始める際の始状態を普通に測定して、特定の状態になっているものだけを選び出す。
実験を始め、その最中に弱い測定を実行する。
実験が終わったら、最後の状態を普通に測定し、再度ある特定の状態(最初の状態とは異なっていてもよい)になったものだけを選んで、先ほどの弱い測定の結果を記録する。
最終状態は気まぐれに変わるので、弱い測定結果のほとんどは捨ててしまうことになる。
同じものを選んで積み重ねれば誤差が減り、実験中の量子状態が見えてくる。
最初の状態と最後の状態を選択することで、途中の状態を測定できる。

 例えば今回、日本のグループが実施した実験は、英国の物理学者バーディーが提唱したパラドックスに基づいている。
量子的な干渉計を2つ組み合わせ、それぞれに電子と、その反粒子である陽電子を入れる。
電子と陽電子は出合うと消えてしまうにもかかわらず、2つの粒子の波動関数の干渉は起きる。
奇妙な思考実験だ。

 干渉計の中でいったい何が起きているのか、これまで誰も説明できなかった。
物理学者たちは 「干渉計の内部で起きている現象は、干渉を妨げずに観測することはできない。観測できないことを語ろうとするからいけないのだ」
と言ってきたが、そうした考えには反対だ。
電子と陽電子が特定のパターンで入力・出力される場合を選んで弱い測定を行えば、干渉計の中で電子と陽電子がどのように進み、なぜ干渉が起きるのかを見いだすことができる。
電子と陽電子を使う実験は困難だが、今回、日本とカナダのグループがそれぞれ、光を用いた実験で実証した。
「弱い測定」というのは、まったく新たな概念だ。
これまで長らく、「測定できない量子状態には、物理的なリアリティ(実在性)はない」と考えられてきたが、そうではない。
始状態と終状態を選べば間の量子状態は測定でき、その量子的な実在についても議論できる。
これは素晴らしいことで、これまで考えられてこなかった量子力学の新たな側面に光を当てるだろう。

 これまで物理学者たちの間には、量子状態を見ようとすると必然的に量子状態を乱してしまう、そしてその乱れは見る方法によって異なる、という直観があった。
観測によって様々に変化するものを、「実在」とは呼びにくい。
だが弱い測定は、通常の測定と違って、量子状態に影響を与えない。
ならば、この方法で測ったものを「実在」と呼んでもいいはずだ。


「マイナス」の確率が存在する? 「アハラノフの予言 」

2013年02月25日 | 素粒子

 量子力学が語る見えない量子現象を覗いてみると、常識を超える不思議な現象が見えてくる。
確率というのは本来、正の値しかあり得ず、負の碓率は考えないものとされてきた。
2002年には、アハラノフというイスラエルの物理学者が、「負の確率」の存在を予言している。
そして、この「負の確率」という常識に反する現象が、「干渉計の中の光子をそっとのぞき見る」といった測定法によって、実際に観測された。

 その確率は、「マイナス1」であった。

 確率というのは0から1の間の値をとる、と誰もが自然に信じている。
だがこれが負の値になることがあり、しかもそれが実験で確認されたという。
一体どういうことなのだろう?

 量子力学によれば、私たちが見ていないところでは、物体は相反する状態が同時に実現する[重ね合わせ」になっている。
lつの電子は異なる場所に同時に存在し、1個の光子が異なる方向に同時に進む。
だがそんな不思議な電子や光子を、私たちが見ることはない。
重ね合わせになった状態を観測すると、どれかlつの状態がランダムに選ばれて実現し、残りは消えてしまうからだ。
量子力学が語る物体の多重状態は「開かずの扉jの向こうにあり、私たちはそこから気まぐれに飛び出してくる、ごく一部の現象しか見ることができない。

 量子力学のこのくじ引きのような特質は、アインシュタインを戸惑わせ、量子力学への疑問すら呼び起こした、見えない多重状態の実体は何なのか。
測定した時に見える状態は、一体どうやってて決まるのか。
量子力学の創始者ボーアは、そうした疑問は「問うても意味がない」と断じた。
物理的に意味があるのは、あくまで観測した時に何が見えるかであり、観測できない多重状態について論じても無意味だと説いた。
 ところが1980年代後半、ボーアの教えに公然と反旗を翻す人物が現れた。
イスラエルの物理学者、現テルアビブ大学名誉教授のアハラノフだ。
アハラノフは「測定対象をごく弱く測定すれば、量子的な多重状態を壊さずに観測できる」と主張し、その具体的な方法を提案したり、弱い測定は1回だけでは情報量が少な過ぎて何も見えないが、何度も繰り返して平均すれば、重ね合わせの輪郭が見えてくる。
 だが量子力学の気まぐれな特性のために、重ね合わせ状態が最終的に行き着く状態はランダムに変化する。
弱い測定は、最初と最後がそれぞれ、ある特定の状態になる場合だけを選んで実行し、それを何度となく繰り返す。
この「最終状態の選択」がくせ者で、しばしば弱い測定での観測結果に、物理学の常識に反するような現象を引き起こす。
鏡が光子を反射する時に光子に吸い寄せられるような力を受けたり、粒子の基本的な性質であるスビンが通常の数百倍も大きな値になすったりすると、アハラノフらは理論的に予測した。

 中でも物理的直観に反するのは、英国の物理学者ハーディーが提唱した特殊な干渉計で起きる現象だ。
干渉計に粒子を入れて、弱い測定で中を覗くと、ある場所では粒子の存在確率か「マイナスl」になるという。
確率というのは本来、正の値しかあり得ず、負の碓率とは何なのか、極めて想像し難い。
このことはアハラノフ自身によって2002年に予言されたが、彼自身は負の確率という言葉を嫌い、別の表現で説明している。
「弱い測定」への関心は、最近とみに高までっている。
2007年6月、米国のアリゾナ大学で、弱い測定に関する初の国際ワークショップが開かれて弱い測定と弱い測定値:量子力学における実在への新たなアフローチ」をテーマに、熱心な議論が交わされた。
研究は理論と実験の両面で着実に進み、今年に入って大阪大学の井元信之らと、カナダのトロント大学のスタインハーグらが、それぞれ光を使ってハーディーの干渉計の実験を行い、アハラノフの予言を実証した。
量子力学の「開かずの間」を、そっと覗いてみることが可能になったのだ。

 物理学の基本方程式のうち、物体の運動を記述するニュートン方程式や、電磁気学を記述するマクスウェル方程式などは、時間を示すtを負の値にしても問題なく成立する。
「時間反転対称性」と呼ばれる性質で、これを満たす方程式は、現象の未来だけでなく過去をも語る。
ボールが今ある場所と速さ、ボールに働く力がわかれば、数秒後にどこに飛んで行くかと同様に、数秒前にどこにあったかもわかる。
一方、熱力学の方程式には時間対称性はない。
熱い湯と冷たい水を混ぜたら、数秒後に全体がぬるくなることは予測できるが、ぬるくなった水が以前どんな状態だったのかについて、熱力学は語らない。
 量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式にも時間対称性がある。
電子や光子の量子状態がこの式に従って変化している限り、過去も未来も予測可能だ。
しかし、量子状態を測定した後のことを含めた理論体系でも、時間対称性は成立し得るのだろうか?

 こうした試みの端緒を開いたのが、1963年にアハラノフらによって提唱された、新たな量子測定の理論だある。
彼らは、量子状態が測定後にあらかじめ決まった状態になるという仮定をおくことによって.時間対称性を持つ量子測定の理論を構築下。
そして、1988年には、この量子測定の理論を発展させ、量子状態をほとんど壊さずに測定する「弱い測定」という概念を導入した。

 弱い測定値は、未来の方向に時間発展するシュレーディンガー方程式と、過去の方向に時間発展するシュレーディンガー方程式のペアによって定義されている。
弱い測定値は、これまでの物理の常識とは相容れない結果になることがしばしばある。
特に最近、大阪大学の井元信之と横田一広らが、弱い測定でないと観測し得ない粒子の負の存在確率を実証した実験は記憶に新しい。

 量子状態を壊さない弱い測定という、これまで量子力学の外にあった現象を取り込んだ理論の全体像は、まだ明らかでない。
今までの量子力学と何が違うのかということを明確に断言するまでには、研究は成熟していないのが現状だ。
量子状態をガラス越しに覗き見た時に得られるような、弱い測定値によって開かれる理論の全体像を明らかにすべく、研究が進められている。
そして、そのカギを握るのは時間対称性だ。
時間対称性のある理論は、未来だけでなく過去に対しても予言能力を持ち得る。
更には、未来を予言できるような枠組みを数学で記述することで、弱い測定値から、量子状態が現在の姿になるまでの過去の過程を解き明かすことも可能になる。

 現在までのところ、量子力学は現象の予測に比類無き威力を発揮してきたが、理論の枠組みとしては大きな問題を抱えている。
アインシュタインが提唱した一般柏対性理論との矛盾である。
一般相対性理論の枠組みの中では、時間と空間は原理的に区別できない。
一方、量子力学では、空間は測定可能な物理量だが、時間は理論を記述するためのパラメーターにすぎず、両者は切り離して考えざるを得ない。
そのため、量子力学と一般相対性理論は相容れない。


次元の数は 「10次元」それとも「11次元」 ?

2013年02月24日 | 素粒子

 ジョン・シュワルツとマイケル・グリーンは、1984年には相対論と整合性があり、量子化された超対称性などをとりいれて超弦理論を打ち立てた。
彼らは弦の長さを10の-35乗メートルの微小なものとし、弦の運動する時空を10次元とした。
また、特殊な内部対称性を用いることで、数学的矛盾の無い物質の最小単位の理論とすることに成功した。

 一方、超重力理論は、一般相対論を超対称化した理論、言い方を変えれば局所超対称性の理論である。
超対称性とは、スピノール場(フェルミオン的弦)とボゾン場(ボゾン的弦)の間に対称性が存在するとする理論であり、標準模型におけるフェルミオンに対する超対称パートナーがスフェルミオン、ベクトル場(ゲージ場)に対する超対称パートナーがゲージーノである。

 超対称変換はボゾン/フェルミオンを変更するので局所的変換に対する補正項は半整数のスピンを稼ぐ場でなくてはならない。
これが重力場の超対称パートナーであるグラヴィティーノであり、作用に重力場の超場を含む理論が超重力理論である。
登場する場のスピンが2以下である超重力理論の最高次元は11次元である(時間次元が1個と仮定した場合)。
超対称性理論は量子場の理論における輻射補正に現れる二次発散をそれぞれの超対称パートナー同士で打ち消す性質を持っている。
他方、重力場の理論は結合定数が負の質量次元を持つゲージ理論であり、くりこみ処方によって全ての発散を吸収しきることは出来ない。
通常の場の理論で量子重力理論を構築しようとすると無限の発散が現れてしまい物理的な値の議論が出来なくなってしまう。

 上に書いているように超弦理論・超重力理論共に、余分な6次元がコンパクト化されるメカニズムが不明であること、コンパクト化として可能な多様体の種類が無数にあり、その中から1つを選び出すことが摂動論の範囲では不可能であることなどの困難が存在した。
 この困難な状況を抜け出したのが、1995年から始まる第2次ストリング革命である。


第2次ストリング革命:wikipediaより
***
1995年、 ポルチンスキーによりDブレーンが超弦理論のソリトン解であることが示され、また、ウィッテンによりこれまで知られていた5つの超弦理論を統一する11次元のM理論が提唱されると、超弦理論は再び脚光を浴びることとなった。この2つは、それまでに予想されていた種々の双対性(S双対性、T双対性)と組み合わせることで、これまで摂動論の範囲でしか定義されていなかった超弦理論の非摂動的な性質の理解を深めることとなった。また、Dブレーンの低エネルギーでの性質は超対称ゲージ理論で記述されるため、ゲージ理論を用いて超弦理論の性質を調べること、逆に、Dブレーンの適当な配位を考えることでゲージ理論の非摂動的な性質を調べることが可能となり、精力的に研究された。
このDブレーンは、ブラックホールのエントロピーの表式を統計力学的に導出する際にも用いられ、超弦理論が重力の量子論であることの傍証となった。また、マルダセナによるAdS/CFT対応は、まったく別の理論である超対称ゲージ理論と超重力理論が、ある極限のもとで等価となることを予想し、超弦理論や重力理論、ゲージ理論に対して新しい知見を与えることとなった。
***

 では、どのような状況であったのだろうか?

「見えざる宇宙のかたち(ひも理論に秘められた次元の幾何学)」より、編集します。

 カラビ=ヤウ多様体が多すぎるという問題は、年月が経つにつれて改善するどころか悪化していく。
一九八四年には早くもそのことが明らかとなっており、ストロミンガーは「すでにひも理論の一意性が問題になっていた」と言っている。
 初期には、その問題もさほどひどくは思えなくなるような、数に関する別の問題がひも理論を悩ませていたが、それはひも理論自体の個数に関係する問題だった。
ひも理論は一つだけではなかったのだ。
タイプⅠ、タイプⅡA、タイプⅡB、ヘテロティックSO(32)、ヘテロティックE8XE8と呼ばれる五種類の理論が存在しており、それらのあいだには、たとえば、ひもが閉じたループでなければならないか、あるいは開いたひもも許されるかといった違いがあった。
それぞれの理論は異なる対称群に属し、フェルミオンのカイラリティ(左右対称性)などに関してそれぞれ特有の仮定を含んでいた。
これら五つの候補のうち最終的に勝ち残って真の万物理論になるのはどれなのかという、ある意味の競争が巻き起こった。
「唯一の」自然理論が五つあるというのは、単に厄介であるばかりか、矛盾した状況だったのだ。

 一九九五年にウィッテンは知的な手腕を発揮して、五つのひも理論がすべて、「M理論」と呼ばれる一つの包括的な理論のそれぞれ異なる一角を表現していることを示した。

 図:当初,5つの異なるひも理論は,競合しあう理論として別々に研究され,互いに別物だと考えられていた。
しかし,エドワード・ウィッテンなど「第2次ひも革命」の立役者たちは,それらの5つの理論がすべて関連しており,M理論と呼ばれる共通の枠組みで結びつけられていることを示した。

Mが何を表しているのか色々な単語が推測されている。
そのうちの「メンブレン」という単語について考察すると、M理論の基本構成要素がひもだけでないことを表しており、特別重要だ。
M理論の構成要素は、「膜」あるいは「ブレーン」と呼ばれる、0から9までの次元をとりうるもっとも一般的な物体である。
一次元のブレーンである「1-ブレーン」はなじみのひもと同じだが、2-ブレーンは私たちが膜と考えるものに似ていて、3-ブレーンは三次元空間に近い。
それらの多次元ブレーンはp-ブレーンと呼ばれ、そのうちD-ブレーンと呼ばれる種類は、高次元空間のなかで(閉じたひもでなく)開いたひもがくっついた部分曲面である。
ブレーンが加わったことで、ひも理論はより豊かになり、より幅広い現象を扱う力を身につけた。
さらに、五つのひも理論がすべて基本的な形でつながっていることが示されたことで、特定の問題を解く際に、最も簡単に解ける理論を選べるようになった。

 M理論はもう一つ、ひも理論と異なる重要な特徴をもっている。

「10次元でなく11次元において存在するのだ」

 マルダセナは次のように言う。
「物理学者は美しく首尾一貫した量子重力理論を手にしたと主張しているが、次元の数については意見がまとまっていない。10だと言う人もいれば、11だと言う人もいる。実際には、私たちの宇宙は10次元と11次元の両方なのかもしれない」。
ストロミンガ-もまた、
「次元という概念は絶対的でない」という意見だ。