goo blog サービス終了のお知らせ 

仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

20101023_ ポリーニ plays ベートーヴェン @サントリーホール

2010-10-25 14:57:00 | クラシックはいかが
10月23日、サントリーホール。

ポリーニがベートーヴェンの最後の3ソナタを彈く。
これは聽かずばなるまいと、はるばる來たぜ赤坂、六本木。
逆卷く波は乘り越えないまでも、迷ひ道くねくね。
わざわざ關西の山から出てきただけの甲斐はあるのだらうかと、期待にムネムネ。

席はPブロック最前列。
ピアノとの位置關係は心配してゐたほどではなく、フタ(屋根)も邪魔にならずに演奏者の顏がバッチリ見えて、ひと安心。
ただ、通常の客席から見つめられてゐるやうで、どうにも落ち着かない。
はい、自意識過剩ですが、何か。

開演は19時。
少し前に、若い男女が入場し、ステージ上に設へられた座布團席に着席。
「な、なんぢや、こらあ」と松田優作風に心の中で呟いた。
ポリーニとの距離、一番近いヤツで2~3m、まさにかぶりつきだ。
踊り子さんに手をふれないでください状態ともいふ。
たぶん音大生なんだらうな。
ああ、羨ましい・・・

19時を5分ほど廻つただらうか、ステージの證明が落とされ、ピアノ周邊だけのライティングとなる。
リヒテルみたいだなと呟く。
もちろん、リヒテルほど暗くはなかつたが。
ポリーニ、登場、椅子に座るや、すぐに30番を彈き始めた。


以前にも書いた が、じつは私はポリーニの演奏がさほど好きではない。
彼は30代前半で今囘と同じ曲を録音してゐるが、その演奏は、一言で云へば、キレが良い。
響きが濁らずスッキリと聞えるので、音の粒だちがよい。
タッチが正確で、指がもたつくことがない。
人によつては「完璧な演奏」などと云ふこともある。
でも、私はあまり好きになれなかつた。
理由はうまく説明できない。
あへて云へば、曖昧な言葉だが「精神性」といふヤツか。(*)
ともあれ、私には、ポリーニの演奏から彼の表現したいベートーヴェンが聞えてこなかつたのだ。
さうした演奏から30數年を隔てて、68歳のポリーニがどういふ演奏をするのか。
わくわく。


まづ全體としての感想から。
とにかく驚いたのは、ポリーニの唸り聲といふか歌聲といふか。
まるでレコードで聽いたグールドのやう。
グールドといへば良きにつけ惡しきにつけ個性的な演奏をするピアニスト。
だからこその唸り聲だと思つてゐたが、まさかあのオーソドックスなポリーニが歌ふとは!
演奏面では、かなりペダルを多用してゐる印象を受けた。
私の持つてゐたイメージと違つて、もつと音が丸くて柔かくてツヤツヤしてゐる。
さう、私の大好きなリヒテルのやうに。
そして、低音の強調。
かつてのバランスのとれた演奏に慣れてゐた耳には新鮮で、へんな表現だが、氣合の入つた演奏になつたと思ふ。
反面、彼の「完璧なテクニック」にはさすがに衰へが見られた。
音が拔けてしまつたり、ミスタッチもかなりあつた。
でも、私にはさほど氣にならなかつた。
音樂が音樂として流れ續けてゐる限り、ミスタッチなどは流れの中に消えていつてしまふものだ。
この日のポリーニの演奏では、音樂が音樂として流れ續けてゐた。
テクニックは衰へても、音樂は豐かに、魅力的になつたと思ふ。


30番。
冒頭のじつに柔かな音。
サントリーホールの殘響2.1秒の所爲だらうか、かつての演奏とはイメージが違ふ。
そして、特に第2樂章で思つたことだが、かつての演奏よりもずゐぶん低音が強い。
抉るやうな低音の扱ひかたが目立つた。(耳立つた?)
でも、それは私にとつて決して不快なものではなかつた。
第3樂章では、それぞれの變奏曲がそれぞれに個性が感じられて良かつた。
總じて良い演奏だつたが、ポリーニがまだベートーヴェンの世界に入り込んでゐないやうな感じがした。

31番。
この演奏は良かつた。
冒頭から惹きこまれてしまつた。
第1樂章の自然に流れて行く歌。
思ひ入れたつぷりに歌はないのが、また良いのだ。
第2樂章の嵐のやうなダイナミズム。
これを聽いてゐて、かつてアポロンだつたポリーニがディオニソスに變貌したと思つた。
造形美、バランスと云つた呪縛から解放され、自分の表現したいことを自分の表現したいやうに表現する。
ポリーニは年輪を重ねることで、表現の幅を大きく廣げたのだと思ふ。
第3樂章の「嘆きの歌」とフーガ、これはもうなんと表現してよいのかわからない。
さう、これなんだよ、キミの若い頃の演奏になかつたのは!
感動。
立上がつて、ブラヴォー!

32番。
これまた最高の演奏。
冒頭でハデなミスタッチをやらかしたが、そんなことは演奏の價値に關係ない。
そこに音樂があればいいのだ。
ミスタッチなんかあげつらつてゐたら、リヒテルのライブなんて聽けないぞ!(もう死んでるから聽けないけど)
ディオニソス・ポリーニの面目躍如たる演奏。
歌ひまくり(比喩でなく)、腰を持上げてから勢ひをつけて叩きつける左手。
バランスなんぞ、犬に喰はせろ!
そして第2樂章。
ああ、天國のトリル。
トリルの美しさは、おそらく古今東西、ポリーニの右に出るものはゐないだらう。
この曲のこの長大なトリルを、粒を揃へてリズムを亂さずに彈き續けられるピアニストは稀だ。
リヒテルでさへこの曲のトリルは粒が揃つてゐない。
それを實演でここまで見事に彈いてみせるのだから・・・
最後の音がホールの空氣に溶けて消えていつた時、私の目には涙が滲んでゐた。

素晴らしい演奏だった。
きつと客席は總立ちでブラヴォーが飛び交ふに違ひない。
さう思つて私は遠慮した。
だつて2曲續けてブラヴォーなんて叫んだら、單なる「ブラヴォーおぢさん」だと思はれてしまふぢやないか。
それなのに、あれ?誰も立ち上がらないし、ブラヴォーの聲もかからない。
そんなバカな!
こんな素晴らしい演奏だつたといふのに・・・
そのくせ、カーテンコールを續けるうちにだんだん立ち上がるやうになつて、やうやくブラヴォーの聲がかかるのだから、わけわからん。
東京の聽衆はみんなシャイなのかな?
關西在住30年にして、どうやら私は少し關西に染つたのかもしれない。


アンコールは、バガテルから2曲。
でも32番の後にアンコールなんて要らないよ。
32番の餘韻に、もつともつと浸つてゐたかつた・・・

ともあれ、わざわざ東京に出てきた價値はあつた。
生演奏を聽いて同時代に生きてゐて良かつたと思つたのは、リヒテル、バーンスタインに次いで3人目だ。
今度は大阪に來てくれないかなあ。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(*)
「樂譜通りで完璧」といふ表現があるが、樂譜は記號である以上、作曲家が表現したいことをすべて記號に置き換へられてゐるとは限らない。
樂譜だけでは掬ひとれない何かがある。
だからこそ、演奏者は樂譜を睨み、樂譜を最大の手がかりとして作曲者の意圖をくみ取り、それを表現しようと苦心するのだらう。
さういふ苦心の結果、演奏者ごとに個性が生まれる。
クラシックを聽かない人は往々にして云ふ、
「クラシックなんて誰が演奏したつて同じぢやん、だつて樂譜通りなんだろ?」
さう、樂譜が「完璧に」作曲者の意圖するものを表現してゐるものであれば、仰る通り。
でも、さうぢやないからこそ、そこに解釋の餘地が生まれ、演奏者によつて異なる演奏になるわけだ。
で、果して「樂譜通りで完璧」といふ表現は成立するのか。
「完璧」といふ言葉が「作曲者の表現したいことを完璧に再現する」ことだとすれば、その實現のためには「樂譜通り」であることだけでは足りない。
何故なら、樂譜は作曲者の意圖を記録するのに完璧なツールぢやないからだ。

ナマ煮えな、固い話をしてしまつたが、私がポリーニの演奏をあまり好きではないといふ理由を傳へようとすると、どうしても避けられないもので。
ポリーニの演奏を評して「完璧な演奏」と人が云ふ時、私は「完璧な演奏て何?」と問ひたくなるのだ。
それが「樂譜通り」と云ふ意味で使はれてゐるとしたら、樂譜は「完璧なツール」ぢやない以上「樂譜通り」がおそらく無限に存在するわけで、意味をなさない。
テクニックが完璧?
それはさうかもしれない。
でも、それで?
そのテクニックを使つて、何が表現出來てゐるかが大切では?
表現すべきものは何か。
作曲者の表現しようといふ意圖だ。
ああ、またここに戻つてきた。
結局、不完全なツールであるところの樂譜との戰ひか。
で、もしかするとこの「精神性」といふヤツは、上記のやうな樂譜との格鬪から生まれるのかもしれない。





コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 20101023_ サントリーホール... | トップ | 20101023_ 和の料理 「梓」 »
最新の画像もっと見る

7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Georges)
2010-10-28 09:26:43
有難うございます。

「ワインは食事と共に楽しむもの」をモットーに美味しい物を楽しむよう心掛けています。

よくある「ワインの優劣を論ずる」ようなワイン会ではないので今まで継続できたのではないかと思います。

会員登録は拙ブログ右側の会員登録からメール頂けると有り難いと思います。

年会費など一切いただいておりません。

今日は夙川のル・ベナトンで定例会です。

明日の午後にはアップできると思いますが・・・

今後とも宜しくお願い申し上げます。
返信する
Georgesさん (仙丈)
2010-10-27 18:34:02
サイト拜見しました。
定例會が308囘目とは!
ワインは間口が廣くて奧が深いので、その世界に踏込みたくても道が見えない氣がします。
ですから「ワイン大學」といふ存在は、とても魅力的だし價値があると思ひます。
またピアノ音樂についても造詣が深くていらして、演奏家カテゴリーを興味深く拜讀いたしました。
さつそく「お氣に入り」に登録させて頂きました。

安くて旨いワインを採上げて頂きましたら、ワイン購入の參考にさせて頂きますね!
それとも、いつそ會員になつてしまはうかしらん・・・

返信する
お安いワインがメインです^^ (Georges)
2010-10-27 17:57:29
1970年の万博で初めて美味しいワインに出会いました。

それまでは赤道を空調のないコンテナで通過するため、すっかり味も香りも変わってしまったワインを飲まされていたように思います。

飛行機で運ばれたワインは当時とても新鮮なのでビックリしました。

私はお高いワインを自慢するようなことはしません。

無名なワインを取り上げ美味しければ会員にその情報をお伝えしているのです。

ブログに取り上げるワインがすべて私のお薦めという訳ではなく、クローズドにしてワイン会の時などにコッソリお伝えしているのです。

過去に於いては公開していたのですが、あっという間に有名になり私自身が買えなくなってしまったことしばしば。

ですからめぼしいワインは触れたところで詳しく記載しないことにしています。

安くて美味しいワインを毎日探していますので何卒よろしくお願い申し上げます。
返信する
Georgesさん (仙丈)
2010-10-27 17:31:11
ケンプのリサイタルをお聽きになられたとは!
私はまだ子供で音樂といへば學校でリコーダーを吹いてゐた頃でせうか。
じつは、私がベートーヴェンの後期ソナタを聽いたのは、ケンプの全集でした。
まだクラシックを聽き始めて間もない頃でしたが、それでも丁寧な演奏だと感じました。
音のひとつひとつを慈しむかのやうな・・・

>貴サイトはトラットリアKさんのサイトから発見しました
食べログから辿つてみえたのですね。
どうもありがたうございます。
トラットリアKさんのレビューはイタリアンの店が多いので參考にさせて頂いてます。
ワインは好きなのですが、高いのが難點ですね。
悲しいかな、私には安いものしか手が出せません・・・
返信する
ベートーヴェン後期のソナタ (Georges)
2010-10-27 17:08:16
早速のお返事痛み入ります。

ベートーヴェン後期のソナタで印象に残るのはウィルヘルム・ケンプのリサイタルでした。

プログラムはハッキリとは覚えておりませんが最後は32番。

かなり高齢だったにも拘わらず、殆どミスタッチもなく完璧な音楽として心に残っております。

気のせいかも知れませんが2階席の真ん中から眺めていたのですが最後はケンプの姿に光が差し込んで見えました。

暗闇に浮かぶケンプの姿が忘れられません。

日本最期の公演だったのです。

話は変わりますが貴サイトはトラットリアKさんのサイトから発見しました。

トラットリアKさんは我がワイン大学のメンバーのお一人です。
返信する
Georgesさん (仙丈)
2010-10-27 15:58:00
コメントありがたうございます。
私はポリーニのライブを聽くのが初めてですので、過去の演奏と比較することは出來ないのですが、無難に彈くといふ演奏ではなかつたやうに思ひます。
ポリーニの胸の中に、かくありたいといふ音樂があり、それを實現する爲にリスクを冒してまでチャレンジしようといふ意志を感じました。
ただ、あへて云へば30番はまだエンジンがかかないといふか、安全運轉だつたやうな氣がしました。

ただ、仰ることはわかります。
私も1987年だつたか、カルロス・クライバーがバイエルンを率ゐて大阪で演奏したのを聽きましたが、1曲目のベートーヴェンの交響曲4番で、手拔きの氣配を感じました。
ただ、この時は來日初日の1曲目でしたから、もしかしたら音樂にうまく入りこめてゐなかつたのかもしれません。
休憩後の7番は熱氣の籠つた演奏でしたから。
ライブはどうしても、演奏者の心理状態などで出來不出來がありますから、難しいですね。
返信する
Maurizio Pollini (Georges)
2010-10-27 15:15:20
初めまして!

確か1974年の初来日以来、足繁く通っているポリーに好きで80年代後半はパリで行われたウィーン・フィル、クラウディオ・アッバードとのベートーヴェン交響曲とピアノ・コンチェルト全曲演奏(何日かに分けて、その一日だけですが)を聞きに行く程の気に入りようでした。

私はポリーニ・ファンと云うよりミケランジェリの大ファンです。

で最近の演奏なのですが、日本での演奏はとにかく手抜きに感じられて仕方ありません。

無難に弾くだけで全く情熱が伝わりません。

聴衆の程度を見くびっているかの如く淡々と弾くので興醒めでしたがそんな気配はありませんでしたか?

昔生で聞いたプロコフィエフの第3コンチェルトの時など自分の限界に挑戦するような演奏で実に感動的だったのですが・・・。

年取って円熟味を増したと云われる方が多いのですが、私はどうしてもそう思えないのです。

ウィーン・フィルなども同じで日本での公演は全く気合いが感じられないので行かなくなりました。

個人的な意見で申し訳ございません。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。