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仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『邪馬台国見聞録』  安本 美典

2009-02-13 12:09:17 | 讀書録(歴史)
『邪馬台国見聞録』 安本美典

お薦め度 : ☆☆☆☆
2009年2月13日讀了


「はじめに」で著者はこの本「情熱の書として書きたい」と宣言し、その理由を2つ擧げてゐる。
ひとつは、古代史研究を取り卷いてゐる「獨斷(ドグマ)」と戰ふため。
「獨斷(ドグマ)」は時として強烈な情熱を伴つて人心をゆり動かす。
これは、どうも古田武彦を念頭に置いているやうだ。
もうひとつは、著者の古代史觀の全體像を讀者にイメージして貰ふため。
確かに正確であらうとすればするほど、瑣末なデータの列擧を伴ひ、いつたいこの著者は何をいはむとしてゐるのか、わからなくなることも多い。
英語で云へば、「So What?」である。

このやうな前書をしたうへで、本論に入る。
著者はまづ、これまでの歴史家たちの古代史觀を4つのパラダイムに分類することから始める。
第1のパラダイムは「日本書紀」の編者の史觀。
これは邪馬臺國を大和朝廷のひとつの時代として位置付ける立場だ。
「日本書紀」では卑彌呼を神宮皇后に當て嵌めてゐるが、ほかにもさまざまな大和朝廷關係者に當て嵌める歴史家たちが存在する。
第2のパラダイムは本居宣長の古代史觀。
「記・紀」は正しいものといふ前提で臨むが、邪馬臺國については大和朝廷とは無關係で、九州の一女酋が大和朝廷の名を騙つて魏に朝貢したものだとする立場。
邪馬臺國が大和朝廷と無關係だとするうへで、「九州王朝」を唱へる古田武彦の立場もこのパラダイムに屬する。
第3のパラダイムは、山片蟠桃・津田左右吉の立場。
この立場では、「記・紀」神話はすべて6世紀頃に當時の朝廷が自分たちに都合の良いやうに作り上げた「作爲」だとする。
第4のパラダイム。
これが著者のとる立場であり、それは「記・紀」神話の中から細心の注意をもつて「史實」を抽出し得るとする立場である。
一例をあげれば、シュリーマンがギリシャ神話を信じてトロイヤ遺跡を發掘したのが、これに相當する。

では、この第4のパラダイムにより、どのやうに邪馬臺國を位置付けることができるか。
著者は、まづ邪馬臺國の年代(3世紀前半)が、日本書紀の天皇紀のどこに位置付けられるかを檢討する。
天皇一代が約10年であることを基に用明天皇から遡ると、天照大御神の時代が邪馬臺國の時代に相當する、といふ。
そして、兩者の女王的・巫女的性格が共通してゐることから、天照大御神すなはち卑彌呼だとする。
次に、邪馬臺國の所在地を檢討する。
神武東征説話を信じれば、天皇家の出自は九州に求められる。
天照大御神が活躍してゐた場所は「高天の原」であるので、九州の中で「高天の原」を搜せば良い。
地名は化石のやうに殘ると云はれるが特に「水」に關する地名は殘り易い。
「高天の原」には「天の安川」といふ川が登場するので、「ヤス」といふ川を搜すと、甘木市の「夜須川」が見つかる。

かうして見つけた候補地を今度は「魏志倭人傳」の行路、戸數で檢證し、さらには考古學的な見地からも檢證する。
その檢證により、甘木界隈が邪馬臺國の所在地であるといふ説を立ててゐる。

この著者の、「卑彌呼=天照大御神」説、「邪馬臺國所在地=甘木市」説はほかの著作に詳しい。
本書では、詳細なデータを割愛して全體像を示すといふ著者の試みが成功してゐる。
わづか250ページほどの薄い本でありながら立論の構成がよくわかり、お見事!と喝采したくなる。

邪馬臺國や日本の古代史に興味のある人には、是非ご一讀いただきたい。




邪馬台国見聞録―揺籃(ゆりかご)の中の日本(ジパング) (徳間文庫)
安本 美典
徳間書店

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Unknown (安本はカルト宗教)
2009-04-25 16:54:08
日本に古来併合された筑紫野の末裔である九州民の捏造工作が
戦後数十年と常態化して久しい。この問題の原点には日本捏造九州紀元説である
邪馬台国九州説補完を肉付けする為に日本人の形態的特徴の一つである瞼の
構造とそれに分布が比較的一致すると思われる遺伝子構造上の一部を生態的特徴として分析し、
人々の盲目化を図ろうというものだ。この扇動の発端には反日売国圏域として名高い
九州大学(南朝鮮)、ソウル大学、筑波大学、千葉大学
など所謂朝鮮系の比率が非常に高い圏域の教育機関から賛同者を募り、東京大学の一部
南朝鮮系学者の協力を得て偏向データの辻褄を合わせようという、まさしく悪意に満ちた扇動が
繰り広げられているのだ。この日本にかつて併合された九州の教育機関、九州(クズ)
大学の主催で、首都圏の科学博物館において縄文系VS弥生系とかいう幼稚なプロパガンダを在日新聞を通して工作した事実も比較的新しい。この九州部落研究機関において何ゆえ縄文系、弥生系という大雑把な人類種のふるいわけを特に根拠も紹介もせず、確定事項として取り扱う所以は至ってシンプルだ。
一重瞼の特徴を持った特徴と韓国人独特のニダー顔、所謂ツリ目とエラ、火病気質を混ぜ込み、
その一重瞼分類群に無理にカウントさせる為である。この少々乱暴な九州人の人種判別は、当然ながら九州圏域や彼奴らの本国の南朝鮮にさえ存在する二重瞼郡などを全て縄文系の先住土人とし、
マイノリティーに仕立て上げようというのだ。その試みの一つに、私も調べて気が付いたが
母親からのみ伝達されるミトコンドリア情報の分布の共通性を、首都圏、東北、沖縄、北九州、南九州、中国地方等で調査し、測定した後北九州系と思しきミトコンドリアの共通因子が首都圏では7割以上、北九州でも7割、逆に東北、沖縄、南九州では縄文系因子の方が多いというデータ発表をの下僕の筑波大学の協力で発表したことが挙げられる。九州イワイ民どもの言い分では、古来北九州圏域に渡来移民が移住し、現地に住んでいた縄文系を追い払って日本中に拡散し、現地の縄文系はとして北と南の端に追いやられた裏付けだと言っているのだが、無論ミトコンドリアがそのような歴史的な詳細を語ることは有り得ない。何故なら渡来系は九州から“のみ”上陸したと、これら南朝鮮渡来どもによって“勝手に決められている”が、現在の不審船の問題を見れば分かるとおり、日本海は非情に狭く、朝鮮半島どころか中国やらロシア辺りの位置からでも、船さえあればゲリラ的に本州のあちこちに上陸できること、更に南朝鮮渡来移民団がもしも軍の体裁を成して本州中に攻め入ったのであれば、現在何故九州の方言だけが、陸の孤島のように訓民生音であり続ける“現実分布と著しく反する”からである。九州民どものデータが正しいのであれば、尚一層、日本中で九州の訓民生音が標準語として話されていなければ辻褄が合わないという、自己矛盾に陥るからだ。これらのことはむしろ次の事柄を示唆する。
所謂弥生系と、この九州部落学者どもが勝手に同類にしている一重の整形ジャガイモ人間、即ちニダー顔とは全く別の代物であること。渡来の窓口は九州だけではなく日本の至る所に点在し、太平洋側にまでその圏域は上ること。現在所謂九州、南朝鮮系におけるニダーが何故か連続した分布を持たず、細切れに点在し、それらは九州、兵庫、千葉、多摩というように広い間隔を持ったニダー人種の溜まり場になっているマイノリティー分布も見逃せないとうことだ。
(新宿大久保等は時系列が違う為省略)
私は上記の捏造九州、捏造筑波大学の遺伝子マーカーが適切な数値であれば、
首都圏ではほとんどの人間は九州人、所謂ニダー民であると考えられるので、実験がてらに端的に人込みの瞼状況を確認していったが、3000人中7割がニダーどころか、ほとんどがこの九州どもが言う縄文系、というより単なる二重が圧倒的に多く、町並みを歩き続けるだけでも十分に確認できるぐらいに容易であった。何度も続けると一体どうなるのか、在日九州大学の民は最早涙目であろう。早い話、データと形態的特徴との差異は現実と合っていないのである。(※合理的にモノを考えられない似非宗教家小林チョシノリ、福岡民などの似非カルト右翼にはこの辺が理解できんのだろう。靖国信心によって石でもパンとして食べて餓死する連中である為。)
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Unknown (九州説はカルト宗教)
2009-04-25 16:54:33
この劣等人種九州大学の教授とか言う九州民は一体遺伝子から何を導き出そうとしていたのであろうか。渡来人は必ず朝鮮から北九州だけを通って日本に拡散するものだと単純に思い込んでいたのであろうか、船さえあれば誰でもどこからでも上陸できるに違いないなどと考えなかったのであろうか。
 これらの裏付けに対し、恐らくこの九州どもは、自分達と同じニダー形成が最も高い地域である千葉ニダーの存在が何故か本州の太平洋方面に存在している矛盾を恐らく勘付いているのかもしれない。日本の本州は先住者、渡来者が移住先を求めて領地を手に入れようとしてあちこちから上陸していった名残が多く存在し、その渡来者の中にも先住者の中にも、別段一重瞼、二重瞼の人間は自然発生で存在する為に縄文系、弥生系と括ると辻褄が合わなくなるのだ。そして、所謂本州の大和地方における豪族が九州からの渡来系であれば、何故殲滅戦争が起きるのか。もし日本中が全て九州系弥生人とやらに征服されたのであれば、ブラジルで被征服者の言語であるポルトガル語やらスペイン語が話されるように、日本中が訓民生音を喋っているはずだが実際はそうはならなかった。即ち、全く事実と反しているのだ。大和は九州と違って大和言葉を話し、それは九州朝鮮渡来とは別口の渡来混合人種の内、最も戦闘能力が高い種族が後から同様に渡来してきた蛮族を平定、吸収し、技術を高めていった(原始的に奪い取った)からに他ならない。事実、本州での戦いの技術はほとんどが鉄ではなく青銅器であり、九州朝鮮渡来の鉄器とは別物である。祭器の模様までもが違うのだ。そして遺伝マーカーの断片の一致、部分的一致は単にアジアの黄色人種における共通性が内奥されているだけに過ぎないのだとも言える。どちらがどちらを併合しても、全く同じ遺伝因子分布が発生し、それは牝ではなく牡特有の遺伝情報から判別しなければならない。
手っ取り早いのは日本中の国民の顔写真を一重二重に分類するだけで、大よその答えは出てしまうのだ。
 この劣等人種九州の捏造教育機関に組する部落学者は東京どころか日本中に今や点在することになり、手口は年々巧妙化し、無根拠データをさも当然という面をして大衆に汚物代わりにばら撒いているのが日本の考古学上における民族問題となっている。九州人はニダー系であって所謂弥生系ではない。
(弥生系はジャガイモ顔ではないため)
また、大和に青銅器を伝えた渡来人と九州に鉄器を伝えた渡来人は全くの別物であり、
種種雑多な渡来人は北九州どころか日本の海岸の至る所に形跡を残し、地方豪族の基となった事実を、これらの九州人などの大和に征服された劣等人種どもが、戦争に勝てない代わりに
宣伝工作で誤魔化そうと(あくまで否定はしていない)企む氷山の裏側がだんだんと理解できるであろう。
 そして、この売国九州に卑しくも加担する愚か者どもが、何故か連続した分布領域を持たず、
各地に寄生虫として潜伏し、都市圏の養分を吸い取っているのかも大いに関係する事実だ。
九州人(吸収人)は名前の通りに相応しく、大昔からこのように事実無根を至る所で繰り広げ、その無根拠を自らの息の掛かった教育機関で後押しし、寄生させた大和の教育機関における九州学者どもの手引きで大嘘を事実化させるのである。この手口はまさしく有名なニダー野郎の韓国紀元説のプロパガンダ通りであり、これらの背景を理解していればいるほど、いかにこの寄生虫どものデータ解釈歪曲と偏向宣伝の偽善性が汚物代わりに大衆に投げ込まれていることが分かるのだ。日本人は九州人でもなければ韓国人でもない、大和地方を起源とする列記とした王朝種族であり、縄文系、弥生系の人種区分は九州人などの訓民生音民とは関連性が無いのである。天皇の見てくれが一重が多いからといって、ニダーなどのジャガイモであることなど有り得ず、それならば昭和天皇などは本当は天皇ではないのかということにも成りかねない。実際、縄文は土器の模様であり、弥生は地名由来である。恐らく縄文顔、弥生顔というのもこれらの九州民どもがイワイという王朝を大和に灰にされた腹いせに勝手に造語したものであろう。少なくともこいつらが、聖徳太子が唱えた倭(和)という文化に従わない連中であったということは、過去のイワイの乱からも透けて見え、今を持ってして小泉チョン一浪の南朝鮮ビザ義務解除の悪法を見て取れるように、列記とした民族的対立の一端であることが理解できるだろう。九州人は韓国人同様大和に戦争に敗れて国を併合されたことが死ぬほど悔しいらしい。しかしながら、この劣等人種どもは見て分かるように、もともと戦争タイプではなく寄生タイプである為に、図々しさと歪曲行為、強姦気質、火病さだけは極端に顕著なのである。闘争のエネルギーがその分寄生行為に充てられるのかもしれない。また、この九州民どもは結局九州の方言が訓民生音であることを否定できず、涙目になりながらネットやら週刊誌やら学会やらで我々は少なくとも優秀人種(かもしれない)などと自己宣伝を自転車操業のように続けていかないと簡単にその民族性をも消失してしまう、尻に火がついた文字通りの火病者でもあるのだ。  
九州人は日本人ではなく、吸収人であり、その名に相応しい図々しい寄生虫どもである為、人々はこうした劣等人種の妄言に惑わされること無く、その撲滅に力を入れなければならない。


 また、補足ではあるが、吸収圏域()には、本州では全く見られない白黒まだらの不気味な
カラス(カササギ?カラス)が存在する。これは本州よりも南朝鮮地方やら済州島で分布が多く確認できる個体であり、カラスの南朝鮮だとも言える。南朝鮮渡来(傀儡)が持ち込んだのであろう。博多、那珂川、筑後川などの河川流域、所謂エタヒニンの生息地に分布が似ることも面白い事実だ。生きた文献データだと言える。日本産のカラス(原始的)に比べひ弱(公家的)であり、生存闘争力に欠け、年々その分布域は追われて縮小しているのだ。半径1平方キロ程度の間隔でつがいが電柱や柳、松などに巣を形成する様子も九州では割と容易に確認できる。この個体は恐らく隼人(薩摩)が住む南方面や、本州方面へも、南朝鮮民同様に勢力拡大を目指したのだろうが、現在分布はほとんど確認できない。日本のカラスの餌になったのであろう、所詮南朝鮮産の生物では厳しい日本での競争に勝てず、かろうじて吸収にのみ生き残っている無様さは、主人のリアル渡来韓国人、吸収人にそっくりである。
 また、面白い事実の他には、薩摩(隼人)が島津となり、九州のほぼ全域を戦国時代に占領し、ネイティブ九州人(南朝鮮渡来)などは、危うく北九州の一部で秀吉の援軍によって助けられ、全滅併合の難を逃れていることも一興だ。南朝鮮産人種は戦争もろくにできない寄生虫であり、恐らくその頃最も忌み嫌う、前述の“隼人の縄文の血”とやらで、“九州の大部分の牝個体”は混血が促進されたことは優に想像できる。新しい(非征服)の誕生だ。瞼やミトコンドリアでも調べてみると良い。いよいよ九州王朝説が、単なる九州朝説として転落していくのが見て取れるのだ。最早この九州大学の捏造考古学者どもは涙目であろう、大人しく伊万里やら博多やらで南朝鮮磁器(イマリ)とやらでも作ってで細々と生活でもしている方が性に合っているのだろうが。全くこれだからデータ一辺倒の底辺プロパガンダは困る。南朝鮮渡来はその人種どころかそこに住んでいる固有の生物まで戦闘力の無い至上最下等の劣等人種であることが明らかになった良い事例だと言えるだろう。
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