仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『ヤマトは荒人神の国だった』 関 裕二

2009-05-21 19:40:22 | 讀書録(歴史)
『ヤマトは荒人神の国だった』 関 裕二

お薦め度 : ☆☆☆+α
2009年5月20日讀了


日本の古代史を語る上で、繩文時代まで視野を擴げる姿勢は評價できる。
そして、「出雲」のなかに「繩文」を見出すのは納得できる。
ただし、「ヤマト」成立後、「出雲」から天皇家が招かれたとするのは納得しかねる。
崇神天皇の時代に、三輪山を祀る者が招かれたのは記・紀に記された通りだらうが、それをもつて「天皇」(大王)が招かれたとするのはいかがなものか。

江戸時代以來の卑彌呼僞僭説に新しい意匠を施してゐるが、大膽な假説すぎて、理解を越えてしまふ。
「トヨ」による「卑彌呼殺し」、しかも神宮皇后が「トヨ」であるといふのもなかなかついてゆけない。
その「トヨ」の子孫が神武天皇?といはれてもなあ。
そんなややこしいことを考へるより、邪馬臺國東遷説のはうが理解しやすいのだが・・・


ヤマトは荒人神の国だった―完全制覇古代大和朝廷の謎 (関裕二古代史の謎コレクション)
関 裕二
ポプラ社

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