仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「まぼろしの邪馬台国」 宮崎康平

2007-02-26 11:57:39 | 讀書録(歴史)
「まぼろしの邪馬台国」 宮崎康平
お薦め度:☆☆☆+α /
2007年2月19日讀了


昭和42年刊行。
昭和40年代の邪馬臺國ブームのさなかに出された本で、以前からその存在は知つてゐた。
たまたまヤフオクで見つけたので、500圓で落札した。
初版本といふわけでもないので、少し高かつたかな?

著者の宮崎康平さんは、學生時代に早稻田であの津田左右吉に古代史を學んだ。
その後、故郷の島原鐵道で經營近代化に盡力し、過勞から失明した。
しかし、そのハンデを鬪志にかへて、新たな奧樣の獻身的な協力を得つつ、15年の辛苦の末にこの本を著したのである。
その夫妻の努力に對して、昭和42年に第1囘吉川英治が贈られた。

この本の特徴は、まづその方法論だらう。
盲目といふハンデは文字が讀めないといふことだ。
從つて、「記・紀」や「魏志倭人傳」を讀むには、奧樣に音讀して貰ふことになる。
その時にはたと氣づいたのは、「記・紀」の文章は表音文字として理解すべきだといふことだつた。
すなはち、漢字を表意文字として考へすぎないといふことだ。
「音」として捉へ、その「音」そのものの意味を探つてゆくことで、地名の意味する地形などが見えてくる。
しかも、地形を考へる際には、邪馬臺國時代の地形に基いて考へなくてはならない。
以上のやうな觀點で、著者は「魏志倭人傳」の行程記事を讀み解いてゆく。

また、その際に大切なのはその土地の生産力。
「魏志倭人傳」にはその國の戸數が記載されてゐるが、その土地がそれだけの戸數を養ひうるだけの生産力がなければならないのである。
著者は「魏志倭人傳」に記載される邪馬臺國周邊の國々をすべて地圖上に特定してゆく。
そして、最後に邪馬臺國の所在が明らかにされるのである。

著者は邪馬臺國をどこに比定したのか。
それをここに記すことはしない。
興味のあるかたは、是非、著者の知的冒險の旅にお付きあひされたい。
時空を超えて、イマジネーションが廣がつてゆくことだらう。


まぼろしの邪馬台国 (1967年)

講談社

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