『 親鸞のこころ―永遠の命を生きる 』 梅原 猛
お薦め度 : ☆☆☆+α
2009年1月5日讀了
親鸞といへば、『歎異抄』に記されてゐる「惡人正機説」。
しかし、『歎異抄』は本願寺の書庫に祕されてゐた文書で、明治に入つて清澤滿之が賞讚するまで、宗門の學者にすら存在を知られてゐなかつたといふ。
『歎異抄』は、親鸞の弟子の唯圓が師匠の言行を、親鸞の死後30年に記した書である。
そこに記されてゐるのは、あくまでも唯圓を通して見た親鸞の姿であり、思想である。
そこで、梅原氏は、
「親鸞の思想を知るには、彼が渾身の情熱を込めて書いた『教行信證』によらねばなるまい」
と考へる。
そして、『教行信證』の「證卷」に示されてゐる「二種廻向」の説こそが、親鸞の思想の神髓だといふ。
「二種廻向」とは、「往相廻向」と「還相廻向」のこと。
「往相廻向」とは、阿彌陀佛にすがり「南無阿彌陀佛」と唱へることで極樂往生すること。
「還相廻向」とは、極樂往生したものがふたたびこの世に戻り念佛の教へをひろめ、この世で苦しむ人を救ふこと。
つまり、大乘佛教の「大乘」たる所以、「自利利他」の精神がここに示されてゐるといふ。
永遠の往還と「利他」の精神。
佛教つて、なんだか、なかなか素晴らしいぢやないか。
それにしては、どうして金儲けに奔るのか不思議・・・
それはともかく、もう少し佛教について掘り下げてみたい。
幸ひにも梅原氏の著作で親鸞關聯のものがまだあるやうなので、梅原氏を先達として佛教の世界を垣間見てみやうと思ふ。
お薦め度 : ☆☆☆+α
2009年1月5日讀了
親鸞といへば、『歎異抄』に記されてゐる「惡人正機説」。
しかし、『歎異抄』は本願寺の書庫に祕されてゐた文書で、明治に入つて清澤滿之が賞讚するまで、宗門の學者にすら存在を知られてゐなかつたといふ。
『歎異抄』は、親鸞の弟子の唯圓が師匠の言行を、親鸞の死後30年に記した書である。
そこに記されてゐるのは、あくまでも唯圓を通して見た親鸞の姿であり、思想である。
そこで、梅原氏は、
「親鸞の思想を知るには、彼が渾身の情熱を込めて書いた『教行信證』によらねばなるまい」
と考へる。
そして、『教行信證』の「證卷」に示されてゐる「二種廻向」の説こそが、親鸞の思想の神髓だといふ。
「二種廻向」とは、「往相廻向」と「還相廻向」のこと。
「往相廻向」とは、阿彌陀佛にすがり「南無阿彌陀佛」と唱へることで極樂往生すること。
「還相廻向」とは、極樂往生したものがふたたびこの世に戻り念佛の教へをひろめ、この世で苦しむ人を救ふこと。
つまり、大乘佛教の「大乘」たる所以、「自利利他」の精神がここに示されてゐるといふ。
永遠の往還と「利他」の精神。
佛教つて、なんだか、なかなか素晴らしいぢやないか。
それにしては、どうして金儲けに奔るのか不思議・・・
それはともかく、もう少し佛教について掘り下げてみたい。
幸ひにも梅原氏の著作で親鸞關聯のものがまだあるやうなので、梅原氏を先達として佛教の世界を垣間見てみやうと思ふ。
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私の実家の寺は浄土宗で、親鸞を「騙した」法然さんが宗祖ですが、この法然・親鸞という子弟二人ともが凄い人物だなあ、と、個人的にはどちらにも心酔しています。「教行信證」も目を通しましたが・・・難しくてちゃんと理解できているとはいえません。ご紹介の本を読めば分かるようになるか知らん。
実家の菩提寺が、幸いにして「拝金主義」ではない。お布施も相場より低いと思われる額しかお渡ししたことがないのに、祖父の時も祖母の時も家内の時も最大限の法要をして下さいました。そんなふうにして「清らかな心」を忘れずにお勤めをなさっているお寺さん、お坊さんも決して少なくないのが、またありがたいことだと思っております。
いずれにせよ、本屋さんで目にしたら、是非手にとってみますね。
法然と親鸞の思想の違ひも良く解つてゐなかつたりします。
「梅原猛の授業 佛教」といふ本を讀んで興味を持ちました。
次は、同じく梅原猛の「親鸞の告白」といふ本を讀んでみたいと思つてゐます。
出來たら、法然や最澄・空海の本も讀んでみようかと。
・・・空海は、なかなかに難しい。ものすごいインテリだったので、専門知識がないと追いつけない内容です。
法然は最も平易ですが、同じことを繰り返して述べているので、それに退屈するか驚嘆するかで、受けるイメージがだいぶ異なるでしょうね。ただ、それだけ芯が通っている、ということは言えます。
あまりに豫備智識がないものですから、まづは案内人の導きによたよたとついて行かうと思ひます。
梅原先生は難しいことを易しく教へて下さいますので、とてもありがたい先達です。
しかるのちに、オリジナルにチャレンジしてみますね。