仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『天皇と日本の起源―「飛鳥の大王(おおきみ)」の謎を解く』 遠山 美都男

2009-06-12 18:37:16 | 讀書録(歴史)
『天皇と日本の起源―「飛鳥の大王(おおきみ)」の謎を解く』 遠山 美都男

お薦め度 : ☆☆☆+α
2009年6月12日讀了



副題にある「飛鳥の大王」の謎に惹かれて讀み始めた。
「飛鳥の大王」とは誰のことか?
謎とはどんな謎で、その答へは何なのか?
ところが、本書を最後まで讀んでも、特別な謎は登場しなかつた。
しひて言へば、飛鳥に宮をおいた大王たちが、どういふ意圖で飛鳥に宮を置いたのかといふことか。
確かに本書は、飛鳥といふ都市空間の成立を追ひつつ、飛鳥時代の流れを辿つてゐる。
飛鳥時代の歴史的事件を概觀してゐるので、飛鳥時代入門に良い。

タイトルにある「天皇と日本の起源」については、本が1册書けるやうな大きなテーマであるが、最後のところで少し觸れてゐる程度。
タイトル、副題ともに、本書の内容を表はすには相應しくないやうに思はれた。

むしろ、「へえ、そうなんだ」と思つたのは、本書の始めに書かれてゐる「飛鳥」と「飛鳥時代」の定義。
「飛鳥」は飛鳥川の東で、北限が小墾田の南、南限は橘寺の手前、なのだとか。
推古天皇の宮のあつた豐浦や小墾田は「飛鳥」には含まれないらしい。
もちろん石舞臺も含まれないことになる。
「飛鳥」は思ひの外、狹い地域を指すのだ。

「飛鳥時代」は「飛鳥」に宮を置いた天皇の時代をいふのだとか。
推古天皇の宮は飛鳥の範圍に入らないので、嚴密な意味で飛鳥時代といへば、舒明天皇が飛鳥岡本宮に遷つた630年以降。
飛鳥時代の終りは、持統天皇が藤原宮に遷都した694年といふことになる。
私などは、「飛鳥時代」といへば欽明天皇あたりから平城京遷都までだと思つてゐた。
いまさらながら、かういふ基本的なことを知らなかつた自分が恥づかしい。



<本書の内容の一部>

・山背大兄討伐の黒幕は皇極天皇であり、蘇我入鹿は指令を實行しただけ。

・蘇我入鹿を慘殺し蘇我本宗家を滅ぼしたのは輕皇子(孝徳天皇)だ。

・孝徳が即位する際に、皇極(姉)と孝徳(弟)との間に、孝徳は國政改革を、皇極は飛鳥の開發をするといふ分擔が決められてゐた。

・皇極は、優先順位を國政改革から飛鳥の開發にシフトし、一族郎等引き連れて難波から飛鳥に戻つてしまつた。

・有間皇子に謀反を唆した蘇我赤兄の背後にゐたのは、中大兄皇子ではなく、齊明天皇だつた。

・後飛鳥岡本宮を造營し飛鳥の都市空間を構築した齊明天皇にとつて、飛鳥を世界の中心とするために必要だつたのが、東夷と西戎であつた。
・東夷は蝦夷を征討して支配下に組入れたことで成就した。
・西戎は朝鮮半島の百濟を支配下に入れることだつたが、百濟が滅びた爲、百濟を再興して傀儡にしようと目論んだ。

・白村江で破れた倭國であつたが、その軍事力は唐や新羅にとつて依然として脅威だつた。
・天智天皇が西日本各地に築いた山城は、唐が攻めてくるのに備へたわけではなく、唐や新羅の外交使節に倭國の強大さをアピールするためだつた。
・大津に宮を遷したのも、唐の侵攻に備へたのではなく、蝦夷支配の據點として都合が良いから。

・「天皇」の始まりは、天武が即位した673年。

・「日本」の始まりは、694年に新益京(藤原京)が完成した時。つまり、倭京(飛鳥)に別れを告げる時に「日本」が誕生した。



天皇と日本の起源―「飛鳥の大王(おおきみ)」の謎を解く (講談社現代新書)
遠山 美都男
講談社

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