仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 6月26日 (80年:父の通夜)

2011-06-26 00:58:10 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

歸郷
通夜
家庭教師


木曜日。

前夜母から父の訃報を聞いて、アパートの先輩から金を借りて千葉に歸つた。
父の弟の家に遺體は安置されてゐた。
從兄から聞いたところによると、父はここに立ち寄り、これから死ぬと云つて出て行つたらしい。
從兄たちが搜し囘つたが見つからず、25日未明、ベルトで自ら首を締めて死んでゐる父を發見したのだとか。
それを聞いて、人間てベルトで自分の首を締めて死ねるのだなあ、とぼんやりと思つた。
悲しいといふ感情はまつたく起らなかつた。
顏を見てやれと誰かに云はれ、見たくもなかつたが棺のフタを開けた。
鼻に綿が詰められてゐる顏は、確かに父の顏だつたが、それは既に單なるモノだつた。
よく映畫かなんかで、遺體に取り縋つて泣いてゐるシーンがあるが、私は屍體に觸れるなんて出來さうにないなと思つた。
從兄たちは、父のからだを清めてくれたさうで、そのついでに顏の肉を引つ張つたとか云つてゐた。
彼は子供の頃、よく父からホッペタを引つ張られてオモチャにされてゐたから、その仕返しだつたのかもしれない。
でも、よく父のからだを清めてくれたと感謝するとともに、自分が京都にゐて良かつたと思つた。
もしお前がやれなんて云はれたら、逃げ出してゐたかもしれない。
とにかく長い夜だつた。
あとは交代で見てゐるから、お前はもう寢ていいよ、と云はれて、ああ助かつたと思つた。




【1981年】(2囘生)

多田缺席 體育のみ出席
「再び女たちよ」


金曜日。

體育のみ出席とあるからには、1コマ目の英語(多田)のみならず2コマ目の英語(鴫原)も缺席したらしい。
英語の單位を取らなくてはいけないのに、いかんなあ。

前日に引續き、ヤマムラから伊丹十三を借りて讀んだ。

再び女たちよ! (新潮文庫)
伊丹 十三
新潮社





【1983年】(4囘生)

Hに手紙
ツーリング
郵便配達


日曜日。

前日Hから手紙が屆き、その返事を夜中に書いた。
いたづら心がむくむくと湧き起り、その手紙をポストに投函せずにHの郵便受けに投げ込まうと思ひ付いた。
で、京都から單車で約1時間半ほどかけて郵便配達。
でも、消印がないことに氣づいて貰へないと私のいたづらには氣づいて貰へないことに氣づいた。
單なるバカである。






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