仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

読書録 2024年4月下旬

2024-04-30 20:53:00 | 読書録(備忘)

『明治文学小説大全』 (全50篇)

4月21日
明治34年(1901年)
『武蔵野』 国木田独歩

これまた中学で習う文学史では暗記必須の作者と作品。
でも、初読。短篇。
地の文は言文一致体。現代仮名遣でもあまり気にならない。
作中、二葉亭四迷訳によるツルゲーネフ『あひびき』の一節が引用されるが、これもやはり言文一致体。
二葉亭四迷が『浮雲』を発表して14年、言文一致表現もこなれてきている。
ところでこれは小説なのだろうか、随筆なのだろうか。
ともあれ明治の東京郊外の様子がとても興味深い。当時、渋谷界隈から西は武蔵野の範疇だったようだ。自然豊かな明治の東京が羨ましい。

4月23日
明治34年(1901年)
『牛肉と馬鈴薯』 国木田独歩

初読。短篇。
独歩の作品のなかで『武蔵野』とならび最も有名な作品で、ぼくもその存在は中学生の頃から知ってはいた。
大学4回生の時に近現代文学研究会というのを作って、それぞれ好きな作品について発表するなんてことをやっていた。
その時、兼重くんだったか、この作品をとりあげて、「ぎゅうにくとじゃがいも」と云ったのでびっくりした。ぼくはてっきり「馬鈴薯」は「ばれいしょ」だと思い込んでいたのだった。いや、もちろん一般に「じゃがいも」と読むことがあるのを知らなかったわけぢゃないが、作品名としては品がないというか、口語的に過ぎるというか…
で、読んでみて、作品中、「馬鈴薯」に「いも」「じゃがいも」とルビがふってあったが「ばれいしょ」のルビは登場しなかった。ということは、やはり「ぎゅうにくとじゃがいも」なのだろうか?
でも、発表当時、作品名にルビはなかったらしいので、「ぎゅうにくとばれいしょ」説も捨てがたい。なので、ぼくはこれからも「ぎゅうにくとばれいしよ」と読むことに決めた。
牛肉は現実、馬鈴薯は理想。理想だけでは生きて行かれない、みたいな。
でも登場人物の一人が云っていたが、ビフテキにはじゃがいもが付き物だぜ。
「死ちょう事実に驚きたい」という岡本の言説がこの作品の肝なのだが、さすがにこの表記には違和感がある。「死といふ事実」が音韻変化して「死てふ事実」という表記になるのが本来なのだが。

4月25日
明治38年(1905年)
『倫敦塔』 夏目漱石

初読。短篇。
ようやく漱石登場。
『猫』はまだ連載中ということなので、これが漱石の処女作と云えるのかもしれない。
現代文としてもほとんど違和感のない言文一致体。表記は現代仮名遣。
一人称「余」が倫敦塔を訪れた際の幻想。中ほどまでは単なる観光案内かとさえ思われたが、シェイクスピア劇のような幻想が現れるといきいきと感じられた。
作者あと書きあり。やはり沙翁。

4月30日
『ピアノの森』(全26巻) 一色まこと

1〜9巻再読。10巻以降初読。
AZ勤務中、グローバルHQとテレカンが20時開始なんてことが時々あり、そうした時にはDDハウスにある漫画喫茶?で時間をつぶしていた。2005年か2006年、この作品もそんな時に9巻まで読んでいた。
当時は『のだめカンタービレ』も連載中だったので、ピアニスト漫画の傑作が同時進行していたことになる。
一ノ瀬海(カイ)少年がかつての天才ピアニスト阿字野壮介に導かれて成長してゆく物語。
カイの友人でカイをライバル視している雨宮修平。人一倍の努力家ながら一人相撲がもどかしい。
ショパンコンクール。
個性的なコンテスタントたち。
アダムスキ、パン・ウェイ、レフ・シマノフスキ、みんなそれぞれに過去を抱えている。なかでもパン・ウェイの過去はあまりに凄絶。
そんな彼のピアノが、阿字野に会って、ファイナルの演奏で昇華する。ほんとうによかった!
「阿字野はもう自由だよ」 said カイ。
ラストの阿字野壮介カムバックリサイタル。ラヴェル『ラ・ヴァルス』。オーケストラと2台のピアノのための協奏曲(編曲:一ノ瀬海)を聴いてみたい。 
 
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あり、をり、はべり、いますかり | トップ | 『ピアノの森』(全26巻) ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿