仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「輪違屋糸里」(上・下) 浅田次郎

2007-07-03 09:16:44 | 讀書録(一般)
「輪違屋糸里」(上・下) 浅田次郎
お薦め度:☆☆☆☆ /
2007年6月25日讀了


淺田次郎による「新撰組」もの。
2002年に讀んだ「壬生義士伝」以來になる。

「壬生義士伝」では吉村貫一郎が、既成概念としての「新撰組」へのアンチテーゼとなつてゐた。
本書では、さうした存在は登場しない。
しかし、それでも從來の「新撰組もの」とは一線を劃してゐる。
それは何故か。

ひとつには、新撰組の外部からの視點、それも女たちの視點で新撰組を描いてゐること。
壬生の八木家の女房、おまさ。
八木家の分家・前川家の女房、お勝。
芹澤鴨の愛人、お梅。
そして、島原遊廓・輪違屋の藝妓、絲里。

この小説では、芹澤鴨が輪違屋の大夫、音羽を無禮打ちに切り捨てる場面から、物語が進行し始める。
音羽大夫は絲里をかはいがり、育て上げた大夫なのだが、その死に際して絲里に、云ふのであつた。
「だあれも恨むのやない。ご恩だけ、胸に刻め。ええな、わてと約束しいや」
この言葉が絲里のこころに染み入り、その後の絲里の行動を規定してゆく。

土方へ寄せる思ひから、芹澤斬殺に一役買ふことになつてしまふ絲里。
そして、そのことが成就したあと、土方が絲里に云ふ。
「俺は國に歸つて百姓をやらうと思ふ。一緒に來てくれまいか」
この言葉がどれほど絲里のこころを鷲掴みにしたか、想像するに難くない。
しかし、絲里は云ふのだつた。
「わてはわてにしかできひん生き方をしまつさけ、土方はんもさうしとくりやす。あんたはんは立派なお侍や」

「立派なお侍」、土方が命をかけて求め續けたのは、これであつた。
そして、土方は、こののちも、絲里の云ふ通りの生き方をしてゆくことになる。
男と女。
まつたく違ふものの見方をし、まつたく違ふ行動樣式をもつ、そんな2つの生き物が、お互ひを認め合ひ高め合ふ。
なんとも見事な小説ではないか。

さて、もうひとつ。
この小説がほかの「新撰組もの」と大きく違つてゐるのは、芹澤鴨の描き方だ。
これまでの「新撰組もの」では、芹澤は豪傑でこそあれ、思慮が淺く、酒を飮んでは町衆に迷惑を掛けるといふ存在であつた。
もちろん、彼の行動は事實として、この作品でも同樣に描かれてゐる。
しかし、その内面は、ナイーヴで花を愛し女を愛する男として描かれてゐる。
また、大和屋燒打事件についても、單なる芹澤の暴擧ではなく、會津藩の重役たちの示唆によるものだと暗示されてゐる。
この事件によつて、會津の藩士たちは歸國を途中でとりやめて京に戻つて來てゐるのだが、この事件は兵を引き戻す口實にするために起されたのではないか。
いはゆる「八月十八日の政変」に備へたものだといふ解釋がなりたつ。
もし、さうだとすれば、從來の芹澤鴨像は根柢から覆へることになる。
近藤勇も大和屋燒打については事前に知つてゐた筈だといふことだ。
そして、その嫌はれ役を芹澤が買つて出たといふことも考へられるのである。

「盡忠報國の士」としての芹澤鴨。
その芹澤を何故、土方たちは斬殺しなければならなかつたのか。
この小説では、その謎解きも興味深い。
しかし、じつは「謎」といふたいさうなものでもない。
土方歳三といふ人間がどういふ人間であるかが明らかになれば、この謎も自づから明らかにならうといふものである。

島原の桔梗屋には、絲里と仲のよい吉榮といふ藝妓がゐる。
彼女は、芹澤と一緒に斬殺された平山五郎の愛人であつた。
そして、平山が斬殺されたその場にゐて、しかも斬殺に一役買つてしまふのである。
死に望んで、平山はかすかに笑つて「おゆき」といふ。
「おゆき」とは吉榮の本名で、吉榮は平山にさう呼んで貰ひたかつたのだが、平山は一度もその名を呼んでくれなかつた。
それが最後の最後に、しかも自分が手引した連中に斬殺されたその時に呼んでくれたのだ。
悲しく、哀しい場面だつた。
かういふ場面を描かせたら、淺田次郎の右に出るものはあるまいと思つた。




輪違屋糸里 上 (1)

文藝春秋

このアイテムの詳細を見る



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5時半起床 | トップ | 阪神2X-1ヤクルト (倉敷) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿