霧の中の古代―邪馬台国の謎に迫る熊本出版文化会館このアイテムの詳細を見る |
書籍名 霧の中の古代 カテゴリー 日本史
著者名 なかにし とおる 発行年(西暦) 2001
出版者 熊本出版文化會館 値段 1500-2000円
感想 ☆☆☆
副題は「邪馬臺國の謎に迫る」となつている。
筆者の説では、邪馬臺國は現在の福岡市近邊となり、基本的には古田武彦の説と一緒である。
違ひは、總旅程の解釋の仕方である。
古田説では總旅程の1萬2千里のうち、1400里の説明を對馬と壹岐をそれぞれ半周することで解決してゐる。
筆者はそれについて疑問を持つた。(私も疑問に思つてゐるが)
上陸して陸路を行くのであれば、律儀に半周する筈がない。
したがつて、その2島の通過に際して1400里もかかるわけがない。
といふのがその理由である。(私もさう思ふ)
では筆者はこの1400里をどう解決するか。
筆者は、帶方郡の位置を通説のソウル近邊ではなく、それよりも東北の海岸沿ひ、
現在の北朝鮮の海州近邊に想定してゐる。
そして郡の範圍と韓國の範圍は接してゐるとする。
そのうへで、「郡から倭に至る7千餘里」は郡と韓國の境界からの距離を記してゐるとし、
出發點の港から韓國の境界までの距離は含まれてゐないとする。
そして、出發點から郡の南限までは1400里あるといふわけである。
正直云つて、どちらでもええやんか、といふ氣がしないでもない。
結局、邪馬臺國は福岡界隈になるんやろ、ほな、それでええやん!
面白いなと思つたのは「新魏倭王」印のこと。
これは魏が卑彌呼に贈つたものである。
「邪馬臺國王」ではなく、「倭王」なのであるから、例へ邪馬臺國が亡んだとしても、
滅ぼした相手が倭國王になるのだから、この印鑑は引き繼いだ筈だ。
つまり、この金印は卑彌呼の墓からは絶對出土しない筈なのである。
安本美典が、「新魏倭王」印が出土しなければ卑彌呼の墓とは云へない、
といふ趣旨のことを述べてゐるさうだが、それはおかしいのではないか。
筆者のこの意見には贊成できる。
2004年12月3日讀了
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます