仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 5月25日 (80年:失戀、82年:免停講習)

2011-05-25 11:01:04 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

終日雨
HにTel。 ふられてしまふ End!
夜眠れず。 死を想ふ。


日曜日。
終日雨の鬱陶しい一日。

Hは小學校の同級生で、私の初戀の相手。
彼女は國立大學の附屬中學に進學、私は小學校の隣の中學に進學し、會へなくなつてしまつた。
さらに彼女は中學2年になる時だつたか、神戸に引つ越してしまつた。
私はその噂を聞いて彼女の家に行つてみたが、郵便受けに引越先の住所を書いた紙が貼つてあり、引つ越したことが事實であることを知つたのだつた。
住所をメモしようとしたが、達筆すぎて神戸市○○區の後が讀み取れず、手紙を出すことすら出來なかつた。
高校3年のある日、クラスメートと雜談してゐて、初戀はいつだつたかといふ話題になつた時、附屬中學出身の女子が彼女の住所を教へてくれた。
私のことを覺えてくれてゐるかどうかわからないままに年賀状を出したら、彼女から返事が屆いた。
それから彼女との文通が始まつた。

お互ひに受驗に失敗し、私は御茶ノ水の豫備校に通ひ、彼女は月に1度聲樂のレッスンで東京に通つて來た。
8月に6年ぶりに再會し、その後は彼女が東京に來るたびに逢ふやうになつた。
そしてこの年の3月、私は京都の大學に合格したのだが、彼女は東京藝大に失敗したため、2人は關西で逢へることになつた。

大學生となつた4月1日以來、私たちは4囘デートした。
4月は、 1日 12日 20日
5月は、 18日
この日は最後にデートしてから1週間、どうしてゐるだらうと思つて電話をした。
最後に逢つた時の、「やつぱり怖い・・・」といふ彼女の謎めいた言葉が氣にかかつてもゐた。

電話に出た彼女の聲は、いつもと違つて低くて小さかつた。
自分から話をすることもなく、私の話に相槌をうつこともなく、受話器の向うには誰もゐないのではないかと思つたくらゐ。
それでも私は沈默が怖くて、原付に乘つてゐてお巡りさんに捕まつたことなど、つまらないことを話してゐたら、彼女がぽつりと別れを切りだした。
どんな言葉だつたのか覺えてゐない。
その後、何度も心に浮び上がつて來ては、無理やり心の底に押し込めた所爲だらうか。
いつたいどういふことかと訊ねたのだが、彼女は默つてしまひ、さうかうするうちに電話が切れてしまつた。
アパートの電話は10円玉しか使へないピンク電話で、住人が共同で使つてゐるため、すぐに10円玉が一杯になつてしまふ。
そして10円玉が一杯になると、こやつは勝手に切れてしまふのだつた。
私は、雨の中、400mほど離れたところにある、100円玉の使へる電話ボックスまで歩いて行つた。
かけ直した電話は、さらに虚しかつた。
結局、どうして別れようと云ひだしたのか、私にはまるでわからなかつた。
彼女にはそれを説明しようといふ氣持ちはなかつたのだらう。
私の言葉は、のれんに腕押し、ぬかに釘、日本海溝にパチンコ玉を落としたかのやうに、なんの手ごたへもないまま消えていつた。
どちらから電話を切つたのか覺えてゐないが、おそらく一人芝居が虚しくなつた私から切つたのだらう。
電話を切つたら、それがそのまま彼女との「赤い絲」が切れてしまふことにあらためて思ひ至つた。
足元からちからが拔けて、私はしやがみ込んでしまつた。
沈默が訪れると、電話ボックスを叩く雨の音が聞えて來た。
この日以來、私は半年ほどの間、心の中にうずくまつた自分自身を抱へ込むことになり、何をしてもその自分を振り切ることが出來なかつた。


「赤ちょうちん」(かぐや姫)
・・・・・
あなたと別れた雨の夜
公衆電話の箱の中
ひざを抱へて泣きました
生きてることはただそれだけで
哀しい事だと知りました


この夜、眠らうとしても、Hと過した樂しい想ひ出が腦裏によみがへつて來て、どうしても眠れなかつた。
どうして彼女にふられたのかといふ、答の出ない問ひを發し續け、自分といふ人間が彼女に相應しくなかつたのだと思ふに至つた。
思考はマイナーははうへ突き進み、自分の價値や存在意義を否定する方向へと向つた。
そして、そのベクトルは自らの存在を消してしまはうといふところに行き着いた。
人にあまり迷惑をかけずに濟むのは睡眠藥だらう。
その頃には、しらじらと明るみ始めてゐた。




【1981年】(2囘生)

心理學(兩眼視空間の基礎) 休講(文學部スト)
洗濯
あれから1年・・・
リヒテル/グリーグ&シューマン PC ¥2,250


月曜日。
例によつて文學部はストに入つて、文學部の講座はすべて休講。
仕方がないので洗濯をした。
「あれから1年・・・」と手帳に書いてゐるやうに、まだ少し失戀を引きずつてゐたやうだ。
でも、この1年でかなり心の傷は癒された。
「時」は、やはり一番の特效藥だ。

リヒテルのピアノによるグリーグとシューマンのピアノ協奏曲。
グリーグは私の母の好きな曲で、クラシックに興味のない私でも知つてゐる曲だつた。
確か、母が聽いてゐたのはクライバーンの演奏だつたと思ふ。
3月に大學を卒業してアパートを出たイワサさんからステレオセットを安く讓つて貰つた私が、初めて買つたLPレコードがこの曲。
私が買つたクラシック音樂のレコードの最初のものだ。
どのピアニストの演奏にしようか、リヒテルとリパッティとで迷つたのだが、結局音質の良いリヒテル盤をチョイス。
この選擇は私のその後の人生に大きな影響を與へた。
リヒテルの演奏の素晴らしさに壓倒され、私はリヒテルのファンになるとともに、クラシック音樂ファンになつてしまつた。
これ以降、私はリヒテルのレコードを買ひ漁ることになるのだつた。

グリーグ&シューマン:ピアノ協奏曲
クリエーター情報なし
EMIミュージック・ジャパン





【1982年】(3囘生)

免停講習


火曜日。
前日に引續き 、免停講習の2日目。




【1983年】(4囘生)

18:00 國文コンパ(天寅)
オオモリに代講依頼
國文コンパ延期


水曜日。
國語學國文學專攻のコンパが 元田中の「天寅」 で豫定されてゐたのが延期されたらしい。
水曜日は塾で小5の理科・社會と中1Aの英語を教へる日だつたのだが、コンパに出るために火曜日擔當のオオモリに代講を頼んでゐた。










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