
これ、面白い!
福知山市が企画している 「本能寺の変 原因説50」総選挙 です。
ご承知の通り、1582年6月2日に、明智光秀は主君である織田信長を本能寺で討ち果たしました。
いわゆる「本能寺の変」ですね。
ところが、この本能寺の変、なぜ光秀が信長を討とうと決意したのか、その動機が不明なのです。
信長の光秀に対する非情な仕打ちに光秀が耐えきれなくなった、という俗説がありますが、はたしてそれは本当なのでしょうか?
この説(怨恨説)は、秀吉がその年10月(わずか4ヶ月後!)に御伽衆の大村由己(ゆうこ)に書かせた『惟仁退治記』に端を発しています。
すなわち、勝者が自らに都合のよいように書かせた、いわば広報なのです。
従って、真実であるとは言い難い・・・
ちなみに、あの有名な「愛宕百韻」での光秀の発句、
「ときは今あめが下しる五月かな」
を初めて世に知らしめたのが『惟仁退治記』だったのです。
つまり、「あめが下」(天下)を「しる」(治める)という決意表明だということになります。
これは天下を治めるという野望を抱いたする「野望説」の起源でもあるのです。
勝者の広報に記されたこれらの説は信用できないとすれば、真実は奈辺にあるか・・・
というわけで、「本能寺の変 原因説50」総選挙 です。
いや、福知山市、面白い企画をしたものだ!
ぼくは25番の説(朝廷黒幕説)に投票しました。
投票のコメントには次のように書きました。
「当時の朝廷に対する信長の姿勢を考えると朝廷も危機意識を持ったに違いなく、しかしながら朝廷に武力はないため、茶会の名目で信長が本能寺で無防備になるように誘導し、光秀に討たせたと考える。」
じつは、ぼくは、朝廷が黒幕で、かつ光秀と秀吉の共謀だと思ってます。
そうぢゃないと、あんなに早く戻って来られる(中国大返し)筈がない。
でも、その説がなかったのです。
さて、皆さんはどう思いますか?
自説を投票しましょう!
抽選で130人に「本能寺の変お知らせハガキ」が届きます。
これ、光秀が書いたハガキの体裁をとっているようですよ。
しかも、こんなことも書かれているそうです。
「謀反のお知らせは、戦国の世を変える、大切なお知らせです」
「謀反後、天下を取る場合がございますが、長期政権を保証するものではございません」
締切は5月24日ですよ!
信長公は朝廷にとって あまりにも脅威です。
後を継ぐ 朝廷に従順な秀吉が関白になったってのも
なんか意味があるのかなと・・・普通、農民上がりの
身分で関白等と・・・考えられない。
この国の侍は乱世とはいえ しっかりとした秩序を
重んじるのでこれもある意味天誅、だったのかも
しれませんね。
そうですよね。
自分を神にしようとした男ですからね、信長は。
朝廷にとっては脅威ですよね。
同じ考えのかたがいて嬉しい!